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第64話 聖女の祈りと瀕死の代償
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エンシェントドラゴンの巨大な顎が、世界の終わりを告げるかのように開かれる。その内部で渦巻く灼熱の光は、勇者アレクサンダーの、そしてパーティ『サンクチュアリ』の、全ての希望を焼き尽くさんと揺らめいていた。
「……いや」
壁に叩きつけられ、血反吐を吐きながらも、アレクサンダーは虚ろな目でその光景を見上げていた。死の恐怖。そして、それ以上に、自分の力が全く通用しなかったことへの、絶対的な絶望が、彼の心を支配していた。
(俺は……勇者、なのに……)
その、か細いプライドも、今、灼熱のブレスの前に、灰燼に帰そうとしていた。
「アレクサンダー様!」
その、絶望的な静寂を破ったのは、聖女セシリアの、魂からの叫びだった。
彼女は、吹き飛ばされた際の痛みも忘れ、よろめきながら立ち上がると、アレクサンダーの前に立ちはだかった。その小柄な背中は、ドラゴンの巨体と比べれば、あまりにもか弱く、儚い。
だが、その背中には、仲間を見捨てないという、聖女としての、そして一人の人間としての、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……セシリア……! 何を……! 逃げろ……!」
アレクサンダーが、かすれた声で叫ぶ。
だが、彼女は振り返らなかった。ただ、胸の前で、固く聖印を握りしめる。
「我が身を盾とし、我が魂を糧とし、聖なる光よ、ここに集え!」
彼女は、祈りを捧げ始めた。それは、通常の回復魔法や防御魔法の詠唱ではなかった。自らの生命力そのものを、魔力へと変換する、禁断の秘術。
「究極聖魔法(ホーリー・ディザスター)……! セシリア、よせ! それを使えば、お前の命が!」
その術の正体に気づいたグレンが、初めて、冷静さを失った声を上げた。だが、もう遅い。
セシリアの全身から、まばゆいばかりの、黄金色の光が放たれた。その光は、彼女の前に集束し、ドラゴンの巨体すらも覆い隠すほどの、巨大な光の壁を形成していく。
それは、ただの防御障壁ではない。触れるもの全てを浄化し、分解する、絶対的な聖域(サンクチュアリ)。
直後、エンシェントドラゴンの顎から、紅蓮のドラゴンブレスが、全てを飲み込む津波となって放たれた。
破壊の奔流が、セシリアが作り出した聖域に激突する。
轟音。
世界が、白と赤の二色に染まった。
二つの絶対的な力が、互いを喰らい合うように、激しく拮抗する。
「ぐっ……! うううううううっ!」
セシリアの口から、苦悶の呻きが漏れた。彼女の体からは、生命力が急速に失われていく。その美しい金色の髪は、見る見るうちに輝きを失い、白銀へと変わっていく。肌は潤いを失い、その両目からは、血の涙が流れていた。
だが、彼女は、決して祈りを止めなかった。
仲間を守る。
その、ただ一つの、純粋な願いだけが、彼女を支えていた。
やがて、ドラゴンのブレスが、勢いを失い、消え去った。
そして、セシリアが作り出した聖域もまた、その役目を終え、光の粒子となって霧散していく。
後に残されたのは、抉り取られた大地と、そして、力なくその場に崩れ落ちる、一人の少女の姿だった。
「セシリア!」
ヴォルフの悲痛な叫びが、クレーターに響き渡った。
彼は、自分の怪我も忘れ、セシリアの元へと駆け寄る。
彼女は、もう息も絶え絶えだった。その体は、まるで老婆のように衰弱し、その瞳からは、光が失われかけている。
「……アレクサンダー様……。ご、無事、で……」
彼女は、最後の力を振り絞り、アレクサンダーの名を呼んだ。
アレクサンダーは、呆然と、その光景を見つめていた。
自分のために、セシリアが、命を懸けた。その事実が、彼の凍りついた心を、激しく揺さぶった。
「……なぜだ」
彼の唇から、震える声が漏れた。「なぜ、俺のような男のために……」
彼は、セシリアの優しさを、何度も踏みにじってきた。彼女の進言に耳を貸さず、罵倒し、追放すらちらつかせた。それなのに、彼女は、最後まで自分を見捨てなかった。
エンシェントドラゴンは、自らの必殺の一撃を防がれたことに、驚きと、そして激しい怒りを覚えていた。その黄金の瞳が、再び、弱り切ったセシリアへと向けられる。
「……させん!」
その時、初めて、アレクサンダーの中に、勇者としての魂が、蘇った。
彼は、砕けた鎧の破片を払い除け、ふらつきながらも立ち上がった。その手には、聖剣が固く握られている。
「もう、誰も、失わせはしない……!」
彼は、セシリアとドラゴンの間に立ちはだかった。その姿は、先ほどまでの傲慢な王ではなく、仲間を守るために、己の全てを懸ける、一人の戦士の姿だった。
だが、彼の決意とは裏腹に、その体はすでに限界を超えていた。
ドラゴンが、再びブレスを放つべく、大きく息を吸い込む。
もはや、万事休すかと思われた、その瞬間。
「……やれやれ。手間のかかる勇者様だ」
グレンの、冷めた声が響いた。
彼が、懐から取り出した黒い水晶を天に翳すと、その水晶が不気味な光を放ち始めた。
「禁断転移魔法(アビス・ゲート)! 発動!」
彼の詠唱と共に、パーティ四人の足元に、巨大な黒い魔法陣が展開された。
「グレン! 何を!?」
「撤退する。これ以上は、ただの犬死にだ。それに……貴重な『標本』を、失うわけにはいかんだろう?」
彼の言う『標本』が、セシリアのことなのか、あるいは、このドラゴンのことなのか。それは、誰にも分からなかった。
黒い魔法陣が、空間を歪ませ、彼らの体を飲み込んでいく。
エンシェントドラゴンは、目の前の獲物が消え去ろうとしていることに気づき、怒りの咆哮を上げた。
だが、その声が届くよりも早く、彼らの姿は、光と共に、その場から完全に消失した。
後に残されたのは、主の怒りに満ちた咆哮が響き渡る、静寂のクレーターだけだった。
勇者パーティ『サンクチュアリ』は、生きていた。
だが、その代償は、あまりにも大きかった。
彼らは、王都から遠く離れた、見知らぬ森の中に転移していた。グレンの禁断魔法は、正確な座標を指定できるものではなかったのだ。
そして、何よりも。
「セシリア! セシリア、しっかりしろ!」
ヴォルフの腕の中で、セシリアの命の灯火は、今にも消えかかっていた。
禁術を使った反動で、彼女の魂そのものが、深く傷ついていたのだ。通常の回復魔法では、もはや手当のしようがない。
「くそっ……! なぜだ! なぜ、俺の聖女の力でも、彼女を癒やすことができない!」
アレクサンダーは、自分の無力さに絶望していた。彼の持つ聖なる力も、瀕死の仲間を前に、何の意味もなさなかった。
「……助ける方法は、一つだけある」
その、絶望的な沈黙を破ったのは、グレンだった。
彼は、冷静な声で告げた。
「伝説級の秘薬、『エリクサー』。それがあれば、あるいは、彼女の魂を、繋ぎ止めることができるかもしれん」
「エリクサーだと!?」
アレクサンダーは、その名に食いついた。それは、神話の中にしか存在しないとされていた、究極の回復薬だ。
「そんなもの、どこにあるというのだ!」
「噂では、こう言われている」
グレンは、その眼鏡の奥の瞳を、不気味に光らせながら、言った。
「『天へと至る塔』。その、まだ誰も到達したことのない深層に、それは眠っている、と」
『天へと至る塔』。
その名を聞いた瞬間、アレクサンダーの脳裏に、あの男の顔が、鮮やかに蘇った。
あの男なら、あるいは。
いや、あの男にしか、できない。
プライド、憎悪、嫉妬。そんなものは、今、消えかかろうとしている仲間の命の前では、あまりにもちっぽけで、無価値だった。
アレクサンダーは、決意した。
たとえ、どんな屈辱を味わうことになろうとも。
たとえ、あの男の足元に、泥にまみれて跪くことになろうとも。
彼は、セシリアを救うために、全てを捨てる覚悟を決めた。
彼の、長く、そして苦しい、贖罪の旅が、今、始まろうとしていた。
「……いや」
壁に叩きつけられ、血反吐を吐きながらも、アレクサンダーは虚ろな目でその光景を見上げていた。死の恐怖。そして、それ以上に、自分の力が全く通用しなかったことへの、絶対的な絶望が、彼の心を支配していた。
(俺は……勇者、なのに……)
その、か細いプライドも、今、灼熱のブレスの前に、灰燼に帰そうとしていた。
「アレクサンダー様!」
その、絶望的な静寂を破ったのは、聖女セシリアの、魂からの叫びだった。
彼女は、吹き飛ばされた際の痛みも忘れ、よろめきながら立ち上がると、アレクサンダーの前に立ちはだかった。その小柄な背中は、ドラゴンの巨体と比べれば、あまりにもか弱く、儚い。
だが、その背中には、仲間を見捨てないという、聖女としての、そして一人の人間としての、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……セシリア……! 何を……! 逃げろ……!」
アレクサンダーが、かすれた声で叫ぶ。
だが、彼女は振り返らなかった。ただ、胸の前で、固く聖印を握りしめる。
「我が身を盾とし、我が魂を糧とし、聖なる光よ、ここに集え!」
彼女は、祈りを捧げ始めた。それは、通常の回復魔法や防御魔法の詠唱ではなかった。自らの生命力そのものを、魔力へと変換する、禁断の秘術。
「究極聖魔法(ホーリー・ディザスター)……! セシリア、よせ! それを使えば、お前の命が!」
その術の正体に気づいたグレンが、初めて、冷静さを失った声を上げた。だが、もう遅い。
セシリアの全身から、まばゆいばかりの、黄金色の光が放たれた。その光は、彼女の前に集束し、ドラゴンの巨体すらも覆い隠すほどの、巨大な光の壁を形成していく。
それは、ただの防御障壁ではない。触れるもの全てを浄化し、分解する、絶対的な聖域(サンクチュアリ)。
直後、エンシェントドラゴンの顎から、紅蓮のドラゴンブレスが、全てを飲み込む津波となって放たれた。
破壊の奔流が、セシリアが作り出した聖域に激突する。
轟音。
世界が、白と赤の二色に染まった。
二つの絶対的な力が、互いを喰らい合うように、激しく拮抗する。
「ぐっ……! うううううううっ!」
セシリアの口から、苦悶の呻きが漏れた。彼女の体からは、生命力が急速に失われていく。その美しい金色の髪は、見る見るうちに輝きを失い、白銀へと変わっていく。肌は潤いを失い、その両目からは、血の涙が流れていた。
だが、彼女は、決して祈りを止めなかった。
仲間を守る。
その、ただ一つの、純粋な願いだけが、彼女を支えていた。
やがて、ドラゴンのブレスが、勢いを失い、消え去った。
そして、セシリアが作り出した聖域もまた、その役目を終え、光の粒子となって霧散していく。
後に残されたのは、抉り取られた大地と、そして、力なくその場に崩れ落ちる、一人の少女の姿だった。
「セシリア!」
ヴォルフの悲痛な叫びが、クレーターに響き渡った。
彼は、自分の怪我も忘れ、セシリアの元へと駆け寄る。
彼女は、もう息も絶え絶えだった。その体は、まるで老婆のように衰弱し、その瞳からは、光が失われかけている。
「……アレクサンダー様……。ご、無事、で……」
彼女は、最後の力を振り絞り、アレクサンダーの名を呼んだ。
アレクサンダーは、呆然と、その光景を見つめていた。
自分のために、セシリアが、命を懸けた。その事実が、彼の凍りついた心を、激しく揺さぶった。
「……なぜだ」
彼の唇から、震える声が漏れた。「なぜ、俺のような男のために……」
彼は、セシリアの優しさを、何度も踏みにじってきた。彼女の進言に耳を貸さず、罵倒し、追放すらちらつかせた。それなのに、彼女は、最後まで自分を見捨てなかった。
エンシェントドラゴンは、自らの必殺の一撃を防がれたことに、驚きと、そして激しい怒りを覚えていた。その黄金の瞳が、再び、弱り切ったセシリアへと向けられる。
「……させん!」
その時、初めて、アレクサンダーの中に、勇者としての魂が、蘇った。
彼は、砕けた鎧の破片を払い除け、ふらつきながらも立ち上がった。その手には、聖剣が固く握られている。
「もう、誰も、失わせはしない……!」
彼は、セシリアとドラゴンの間に立ちはだかった。その姿は、先ほどまでの傲慢な王ではなく、仲間を守るために、己の全てを懸ける、一人の戦士の姿だった。
だが、彼の決意とは裏腹に、その体はすでに限界を超えていた。
ドラゴンが、再びブレスを放つべく、大きく息を吸い込む。
もはや、万事休すかと思われた、その瞬間。
「……やれやれ。手間のかかる勇者様だ」
グレンの、冷めた声が響いた。
彼が、懐から取り出した黒い水晶を天に翳すと、その水晶が不気味な光を放ち始めた。
「禁断転移魔法(アビス・ゲート)! 発動!」
彼の詠唱と共に、パーティ四人の足元に、巨大な黒い魔法陣が展開された。
「グレン! 何を!?」
「撤退する。これ以上は、ただの犬死にだ。それに……貴重な『標本』を、失うわけにはいかんだろう?」
彼の言う『標本』が、セシリアのことなのか、あるいは、このドラゴンのことなのか。それは、誰にも分からなかった。
黒い魔法陣が、空間を歪ませ、彼らの体を飲み込んでいく。
エンシェントドラゴンは、目の前の獲物が消え去ろうとしていることに気づき、怒りの咆哮を上げた。
だが、その声が届くよりも早く、彼らの姿は、光と共に、その場から完全に消失した。
後に残されたのは、主の怒りに満ちた咆哮が響き渡る、静寂のクレーターだけだった。
勇者パーティ『サンクチュアリ』は、生きていた。
だが、その代償は、あまりにも大きかった。
彼らは、王都から遠く離れた、見知らぬ森の中に転移していた。グレンの禁断魔法は、正確な座標を指定できるものではなかったのだ。
そして、何よりも。
「セシリア! セシリア、しっかりしろ!」
ヴォルフの腕の中で、セシリアの命の灯火は、今にも消えかかっていた。
禁術を使った反動で、彼女の魂そのものが、深く傷ついていたのだ。通常の回復魔法では、もはや手当のしようがない。
「くそっ……! なぜだ! なぜ、俺の聖女の力でも、彼女を癒やすことができない!」
アレクサンダーは、自分の無力さに絶望していた。彼の持つ聖なる力も、瀕死の仲間を前に、何の意味もなさなかった。
「……助ける方法は、一つだけある」
その、絶望的な沈黙を破ったのは、グレンだった。
彼は、冷静な声で告げた。
「伝説級の秘薬、『エリクサー』。それがあれば、あるいは、彼女の魂を、繋ぎ止めることができるかもしれん」
「エリクサーだと!?」
アレクサンダーは、その名に食いついた。それは、神話の中にしか存在しないとされていた、究極の回復薬だ。
「そんなもの、どこにあるというのだ!」
「噂では、こう言われている」
グレンは、その眼鏡の奥の瞳を、不気味に光らせながら、言った。
「『天へと至る塔』。その、まだ誰も到達したことのない深層に、それは眠っている、と」
『天へと至る塔』。
その名を聞いた瞬間、アレクサンダーの脳裏に、あの男の顔が、鮮やかに蘇った。
あの男なら、あるいは。
いや、あの男にしか、できない。
プライド、憎悪、嫉妬。そんなものは、今、消えかかろうとしている仲間の命の前では、あまりにもちっぽけで、無価値だった。
アレクサンダーは、決意した。
たとえ、どんな屈辱を味わうことになろうとも。
たとえ、あの男の足元に、泥にまみれて跪くことになろうとも。
彼は、セシリアを救うために、全てを捨てる覚悟を決めた。
彼の、長く、そして苦しい、贖罪の旅が、今、始まろうとしていた。
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