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第72話 神の眼、世界の理を書き換える
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グレンの狂気が、灼熱の玉座の間を支配していた。唯一の希望であったエリクサーは溶岩の海に消え、セシリアの命は風前の灯火。絶望的な状況を前に、誰もが言葉を失っていた。
だが、僕だけは、その絶望の中心で、静かに、そして絶対的な確信を持って、立っていた。
「お前の実験は、失敗だ」
僕の冷たい言葉に、グレンは初めて、その仮面のような無表情を崩した。
「……計算ミスだと? 私が? 笑わせるな。この状況は、あらゆる変数を含めて、私の計算通りだ。お前たちに、もはや打つ手など、何一つ残されてはいない」
「いいや、ある」
僕は、彼の言葉を遮った。「お前は、俺の【地図化】スキルを、ただの『観測』ツールだと思っている。未来を予測し、構造を解析し、情報を得るだけの、受動的な力だと。だが、違う」
僕は、ゆっくりと右手を、眼下の溶岩の海へと差し出した。
「俺のスキルは、進化している。観測し、理解し、そして……『干渉』する力へと」
僕がそう言った瞬間、僕の脳内で、世界のソースコードが、奔流のように流れ込んできた。この『天へと至る塔』の、階層を構成する理そのものが、僕のスキルによって解析され、書き換え可能なデータへと変換されていく。
僕の眼には、もはや物理的な世界は映っていなかった。
そこにあるのは、無数のコマンドラインと、パラメーターの羅列。
そして、僕はその中から、一つの変数を見つけ出していた。
『階層内物理法則:重力定数 G=9.8』
『階層内時間流束:T=1.0』
『物質熱伝導率:λ=237』
僕は、そのパラメータの一つに、意識を集中させた。
そして、その数値を、書き換える。
『物質熱伝導率:λ=0.00001』
「……なっ!?」
グレンが、驚愕の声を上げた。
僕たちの目の前で、信じがたい光景が広がっていた。
あれほど煮えたぎっていた溶岩の海が、その輝きと熱を、急速に失い始めたのだ。まるで、冷たい水を注がれたかのように、その表面から凝固し、黒い岩盤へと、その姿を変えていく。
「ば、馬鹿な……! 物理法則を、捻じ曲げたというのか……!?」
グレンの知性が、目の前の現象を理解することを、拒絶していた。
「これが、俺の力の、新たな領域だ」
僕は、静かに告げた。「俺は、この世界の『地図』を読むだけじゃない。その地図を、俺の望むように、『描き換える』ことができる」
僕は、完全に固まった溶岩の上を、ゆっくりと歩き始めた。そして、エリクサーが沈んでいった地点で、立ち止まる。
僕は、再び、世界のソースコードにアクセスした。
今度は、時間だ。
『階層内時間流束:T=1.0』→『T=-1000.0』
僕の周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
僕以外の、全ての時間が、逆流を始めた。
固まった溶岩が、再び赤い輝きを取り戻し、液体へと戻っていく。そして、その中から、一つの小さな光点が、まるでビデオを逆再生するかのように、僕の手元へと浮かび上がってきた。
パリン、と割れる音の逆再生。
僕の手の中に、ひんやりとした、小さな小瓶が、再びその姿を現した。
傷一つない、完璧な状態のエリクサーが。
「……そん、な……」
グレンは、その場に膝から崩れ落ちた。彼の知性は、完全に崩壊した。目の前で起きていることは、もはや魔法ですらない。それは、神の御業。世界の創造主だけが許される、理の改竄だった。
僕は、エリクサーを手に、仲間たちの元へと戻った。
アレクサンダーも、ヴォルフも、リリアナも、バルガスも、ただ呆然と、僕のことを見つめている。
僕は、アレクサンダーの手に、エリクサーの小瓶を、強く握らせた。
「……行け」
僕は、それだけを言った。「お前の手で、彼女を救ってやれ。それが、お前の、本当の贖罪だ」
僕の言葉に、アレクサンダーは、ハッと我に返った。
彼は、震える手で小瓶の蓋を開けると、担架で横たわるセシリアの元へと駆け寄り、その唇に、エリクサーの黄金色の液体を、そっと流し込んだ。
エリクサーは、セシリアの体に吸い込まれると、温かい、柔らかな光を放ち始めた。
その光は、彼女の傷ついた魂を、優しく包み込み、癒やしていく。
彼女の老婆のように衰弱した肌は、みるみるうちに潤いを取り戻し、白銀と化した髪は、再び、美しい黄金色の輝きを放ち始めた。
やがて、彼女は、ゆっくりと、その瞼を開いた。
「……アレクサンダー、様……?」
その声は、まだか細かったが、確かな生命の力が、そこには宿っていた。
「セシリア……! セシリア……!」
アレクサンダーは、その場に崩れ落ち、子供のように、声を上げて泣きじゃくった。それは、安堵と、後悔と、そして感謝が入り混じった、彼の、生まれて初めて流す、本物の涙だった。
ヴォルフも、リリアナも、バルガスも、その光景を、静かに、涙を浮かべて見守っていた。
僕たちの、長く、苦しい旅は、ついに、終わりを告げたのだ。
一つの命が救われ、一つの魂が、贖罪の道を歩み始めた。
僕の復讐は、誰もが予想しなかった形で、完結した。
僕たちは、意識を失ったグレンを担ぎ、回復したセシリアを支えながら、静かに、塔を下りていった。
僕が書き換えた理は、僕たちがその階層を去ると共に、元の状態へと戻っていった。僕の力は、まだ限定的なものであり、世界の理を恒久的に変えることはできない。
だが、それでいい。
僕が望むのは、世界の支配ではない。
ただ、この手で、大切な仲間と、守るべきものを、守り抜くことだけだ。
王都への帰還は、静かなものだった。
僕たちは、誰に何を報告することもなく、それぞれの家へと帰っていった。
数日後。
国王アルトリウスの元に、一通の手紙が届けられた。
それは、アレクサンダーが、自らの意志で記した、勇者の称号の、返上届けだった。
そこには、こう記されていたという。
『真の勇気とは、己の過ちを認め、それを償うために生きることだと知りました。私は、もはや勇者を名乗る資格はありません。これより、一介の冒険者として、人々のために、そして、自らの罪を償うために、残りの人生を捧げたいと思います』
その知らせを聞いた時、僕は、家の書斎の窓から、遠くそびえる『天へと至る塔』を、静かに見上げていた。
僕の、この世界での物語は、まだ終わらない。
むしろ、ここからが、本当の始まりなのかもしれない。
世界の謎、厄災の正体、そして、僕自身の存在理由。
解き明かすべき地図は、まだ、どこまでも、広がっているのだから。
だが、僕だけは、その絶望の中心で、静かに、そして絶対的な確信を持って、立っていた。
「お前の実験は、失敗だ」
僕の冷たい言葉に、グレンは初めて、その仮面のような無表情を崩した。
「……計算ミスだと? 私が? 笑わせるな。この状況は、あらゆる変数を含めて、私の計算通りだ。お前たちに、もはや打つ手など、何一つ残されてはいない」
「いいや、ある」
僕は、彼の言葉を遮った。「お前は、俺の【地図化】スキルを、ただの『観測』ツールだと思っている。未来を予測し、構造を解析し、情報を得るだけの、受動的な力だと。だが、違う」
僕は、ゆっくりと右手を、眼下の溶岩の海へと差し出した。
「俺のスキルは、進化している。観測し、理解し、そして……『干渉』する力へと」
僕がそう言った瞬間、僕の脳内で、世界のソースコードが、奔流のように流れ込んできた。この『天へと至る塔』の、階層を構成する理そのものが、僕のスキルによって解析され、書き換え可能なデータへと変換されていく。
僕の眼には、もはや物理的な世界は映っていなかった。
そこにあるのは、無数のコマンドラインと、パラメーターの羅列。
そして、僕はその中から、一つの変数を見つけ出していた。
『階層内物理法則:重力定数 G=9.8』
『階層内時間流束:T=1.0』
『物質熱伝導率:λ=237』
僕は、そのパラメータの一つに、意識を集中させた。
そして、その数値を、書き換える。
『物質熱伝導率:λ=0.00001』
「……なっ!?」
グレンが、驚愕の声を上げた。
僕たちの目の前で、信じがたい光景が広がっていた。
あれほど煮えたぎっていた溶岩の海が、その輝きと熱を、急速に失い始めたのだ。まるで、冷たい水を注がれたかのように、その表面から凝固し、黒い岩盤へと、その姿を変えていく。
「ば、馬鹿な……! 物理法則を、捻じ曲げたというのか……!?」
グレンの知性が、目の前の現象を理解することを、拒絶していた。
「これが、俺の力の、新たな領域だ」
僕は、静かに告げた。「俺は、この世界の『地図』を読むだけじゃない。その地図を、俺の望むように、『描き換える』ことができる」
僕は、完全に固まった溶岩の上を、ゆっくりと歩き始めた。そして、エリクサーが沈んでいった地点で、立ち止まる。
僕は、再び、世界のソースコードにアクセスした。
今度は、時間だ。
『階層内時間流束:T=1.0』→『T=-1000.0』
僕の周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
僕以外の、全ての時間が、逆流を始めた。
固まった溶岩が、再び赤い輝きを取り戻し、液体へと戻っていく。そして、その中から、一つの小さな光点が、まるでビデオを逆再生するかのように、僕の手元へと浮かび上がってきた。
パリン、と割れる音の逆再生。
僕の手の中に、ひんやりとした、小さな小瓶が、再びその姿を現した。
傷一つない、完璧な状態のエリクサーが。
「……そん、な……」
グレンは、その場に膝から崩れ落ちた。彼の知性は、完全に崩壊した。目の前で起きていることは、もはや魔法ですらない。それは、神の御業。世界の創造主だけが許される、理の改竄だった。
僕は、エリクサーを手に、仲間たちの元へと戻った。
アレクサンダーも、ヴォルフも、リリアナも、バルガスも、ただ呆然と、僕のことを見つめている。
僕は、アレクサンダーの手に、エリクサーの小瓶を、強く握らせた。
「……行け」
僕は、それだけを言った。「お前の手で、彼女を救ってやれ。それが、お前の、本当の贖罪だ」
僕の言葉に、アレクサンダーは、ハッと我に返った。
彼は、震える手で小瓶の蓋を開けると、担架で横たわるセシリアの元へと駆け寄り、その唇に、エリクサーの黄金色の液体を、そっと流し込んだ。
エリクサーは、セシリアの体に吸い込まれると、温かい、柔らかな光を放ち始めた。
その光は、彼女の傷ついた魂を、優しく包み込み、癒やしていく。
彼女の老婆のように衰弱した肌は、みるみるうちに潤いを取り戻し、白銀と化した髪は、再び、美しい黄金色の輝きを放ち始めた。
やがて、彼女は、ゆっくりと、その瞼を開いた。
「……アレクサンダー、様……?」
その声は、まだか細かったが、確かな生命の力が、そこには宿っていた。
「セシリア……! セシリア……!」
アレクサンダーは、その場に崩れ落ち、子供のように、声を上げて泣きじゃくった。それは、安堵と、後悔と、そして感謝が入り混じった、彼の、生まれて初めて流す、本物の涙だった。
ヴォルフも、リリアナも、バルガスも、その光景を、静かに、涙を浮かべて見守っていた。
僕たちの、長く、苦しい旅は、ついに、終わりを告げたのだ。
一つの命が救われ、一つの魂が、贖罪の道を歩み始めた。
僕の復讐は、誰もが予想しなかった形で、完結した。
僕たちは、意識を失ったグレンを担ぎ、回復したセシリアを支えながら、静かに、塔を下りていった。
僕が書き換えた理は、僕たちがその階層を去ると共に、元の状態へと戻っていった。僕の力は、まだ限定的なものであり、世界の理を恒久的に変えることはできない。
だが、それでいい。
僕が望むのは、世界の支配ではない。
ただ、この手で、大切な仲間と、守るべきものを、守り抜くことだけだ。
王都への帰還は、静かなものだった。
僕たちは、誰に何を報告することもなく、それぞれの家へと帰っていった。
数日後。
国王アルトリウスの元に、一通の手紙が届けられた。
それは、アレクサンダーが、自らの意志で記した、勇者の称号の、返上届けだった。
そこには、こう記されていたという。
『真の勇気とは、己の過ちを認め、それを償うために生きることだと知りました。私は、もはや勇者を名乗る資格はありません。これより、一介の冒険者として、人々のために、そして、自らの罪を償うために、残りの人生を捧げたいと思います』
その知らせを聞いた時、僕は、家の書斎の窓から、遠くそびえる『天へと至る塔』を、静かに見上げていた。
僕の、この世界での物語は、まだ終わらない。
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