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第一話 生贄の聖女
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王都は祝祭の熱気に満ちていた。
色とりどりの旗が風にはためき、楽団の奏でる陽気な音楽が石畳に反響する。魔王という長年の脅威が打ち払われてから三年。リンドバーグ王国はかつてないほどの平和と繁栄を謳歌していた。
その中心に私はいる。
王城のバルコニー。民衆の歓声が波のように押し寄せる場所。純白のドレスを身に纏い、聖女として微笑む。
「聖女アリア様、万歳!」
「我らが救い主!」
熱狂的な声援が飛び交う。けれど、そのどれもが私の心には届かない。まるで分厚いガラスを隔てた向こう側の出来事のようだ。私はただ、教え込まれた完璧な微笑みを顔に貼り付けているだけ。感情のない人形のように。
魔王が倒され、平和が訪れた。誰もが喜んだ。私も最初はそうだった。これでようやく、重い責務から解放されるのだと。
だが現実は違った。
私の存在は、平和な時代においてあまりに異質だった。強大すぎる聖なる力は、魔王という絶対的な悪がいてこそ輝いたもの。今となっては、それはただ持て余されるだけの厄介な力でしかなかった。
王家は私を「平和の象徴」として祭り上げた。民衆の支持を集めるための便利な道具として。
私の生活は以前よりも窮屈になった。与えられたのは王城の一角にある、飾り気のない簡素な部屋。窓には鉄格子こそないものの、外に出る自由はなかった。食事はいつも冷めている。固くなったパンと、野菜の欠片が僅かに浮いた薄いスープ。かつて魔王討伐の旅をしていた頃の方が、よほどましなものを口にしていた。
「聖女様は俗世の贅沢などお求めにならない。清貧こそが、その聖性を保つのです」
世話係の侍女たちは、そう言って私を蔑むような目で見る。彼女たちの間では、私がいつかその強大な力で国を乗っ取るのではないかと噂されているらしかった。馬鹿げた話だ。私にそんな力も、気力も、もう残っていないのに。
かつての仲間たちも変わってしまった。
共に死線を潜り抜けた勇者レオン。彼は今や近衛騎士団の団長となり、王国の守護者として多忙な日々を送っている。たまに顔を合わせても、その瞳には昔のような親しさはなかった。ただ義務的に私の安否を確認し、すぐに立ち去っていく。彼の正義は、もう私を守るためにはない。国と秩序を守るためにある。
そして、私の婚約者であるアルフォンス王子。
彼は魔王討-伐の功績者である聖女の婚約者という立場を最大限に利用していた。民衆の前では私を慈しむ優しい婚約者を演じ、二人きりになると冷たい視線を向ける。
「アリア。お前はただ、私の隣で微笑んでいればいい。それだけがお前の今の役目だ。余計なことは考えるな。もちろん、その不気味な力を使うことも許さん」
彼の言葉はいつも私の心を凍らせた。不気味な力。多くの人々を癒やし、魔物を浄化してきたこの力を、彼はそう呼んだ。彼にとって私は、輝かしい経歴に箔をつけるためのトロフィーでしかない。愛など、そこには欠片も存在しなかった。
だから、この祝祭もただの茶番だ。
私の功績を称えるという名目で、王家の権威を示すための盛大な見世物。
「聖女アリアは、我が国の至宝である!」
隣でアルフォンス王子が高らかに演説している。民衆がそれに合わせて再び歓声を上げた。私は微笑む。微笑んで、ただ時が過ぎるのを待つ。
心がすり減っていくのが分かる。毎日少しずつ、確実に。感情が削ぎ落とされ、思考が鈍くなっていく。いつか私は、本当にただの人形になってしまうのだろうか。それでもいいのかもしれない。その方が、ずっと楽に生きられる。
もう、疲れた。
心の中で、誰にも聞こえない声で呟いた。何もかも投げ出してしまいたい。この窮屈なドレスも、聖女という役割も、全て。
そう願った、その瞬間だった。
空が、翳った。
さっきまで晴れ渡っていた青空が、まるで墨を流したかのように急速に暗雲に覆われていく。陽気な音楽が止み、民衆のざわめきが不安の色を帯び始める。
ゴゴゴゴゴ……。
地を揺るがすような不気味な振動。それは次第に大きくなり、城壁さえもビリビリと震わせた。
「な、何だ!?」
「地震か!?」
混乱が広がる。騎士たちが剣を抜き、民衆を守ろうと動き出す。アルフォンス王子も顔を青ざめさせながら、空を睨んでいた。
私も、つられるように空を見上げた。
暗雲の中心が渦を巻き、そこから巨大な影が姿を現す。
漆黒の鱗。山のように巨大な体躯。そして、世界そのものを睥睨するような威厳を放つ一対の黄金の瞳。翼の一振りは暴風を生み、王都の旗を無残に引き裂いた。
「りゅ、竜……!」
誰かが絶叫した。
違う。ただの竜ではない。文献でしか見たことのない、伝説の存在。あらゆるものを破壊し、終焉をもたらすとされる厄介神。
「終焉の黒竜……!」
民衆の歓声は、恐怖の悲鳴へと変わっていた。誰もが逃げ惑い、広場は阿鼻叫喚の地獄と化した。騎士たちも、そのあまりの威圧感に立ち尽くすばかりで、矢を放つことさえできない。
だが、黒竜は逃げ惑う民衆には目もくれなかった。
その黄金の瞳は、ただ一点だけを見つめている。
私を。
バルコニーに立つ、聖女アリアを。
巨大な影が、一直線にこちらへ向かって降下してくる。風圧で髪が激しく乱れ、ドレスが悲鳴を上げた。アルフォンス王子は腰を抜かしたのか、みっともなくへたり込んでいる。
私は、ただ黙ってそれを見ていた。
不思議と、恐怖はなかった。むしろ、心のどこかで安堵している自分がいた。
ああ、これで終わるのだ。
この苦しくて、息の詰まるような毎日から、ようやく解放される。
誰かに殺されるのでも、病で死ぬのでもない。伝説の竜に喰われるのなら、それは聖女の最期として、あるいは相応しいのかもしれない。
目の前に、全てを砕くであろう巨大な鉤爪が迫る。
私はそっと、目を閉じた。
色とりどりの旗が風にはためき、楽団の奏でる陽気な音楽が石畳に反響する。魔王という長年の脅威が打ち払われてから三年。リンドバーグ王国はかつてないほどの平和と繁栄を謳歌していた。
その中心に私はいる。
王城のバルコニー。民衆の歓声が波のように押し寄せる場所。純白のドレスを身に纏い、聖女として微笑む。
「聖女アリア様、万歳!」
「我らが救い主!」
熱狂的な声援が飛び交う。けれど、そのどれもが私の心には届かない。まるで分厚いガラスを隔てた向こう側の出来事のようだ。私はただ、教え込まれた完璧な微笑みを顔に貼り付けているだけ。感情のない人形のように。
魔王が倒され、平和が訪れた。誰もが喜んだ。私も最初はそうだった。これでようやく、重い責務から解放されるのだと。
だが現実は違った。
私の存在は、平和な時代においてあまりに異質だった。強大すぎる聖なる力は、魔王という絶対的な悪がいてこそ輝いたもの。今となっては、それはただ持て余されるだけの厄介な力でしかなかった。
王家は私を「平和の象徴」として祭り上げた。民衆の支持を集めるための便利な道具として。
私の生活は以前よりも窮屈になった。与えられたのは王城の一角にある、飾り気のない簡素な部屋。窓には鉄格子こそないものの、外に出る自由はなかった。食事はいつも冷めている。固くなったパンと、野菜の欠片が僅かに浮いた薄いスープ。かつて魔王討伐の旅をしていた頃の方が、よほどましなものを口にしていた。
「聖女様は俗世の贅沢などお求めにならない。清貧こそが、その聖性を保つのです」
世話係の侍女たちは、そう言って私を蔑むような目で見る。彼女たちの間では、私がいつかその強大な力で国を乗っ取るのではないかと噂されているらしかった。馬鹿げた話だ。私にそんな力も、気力も、もう残っていないのに。
かつての仲間たちも変わってしまった。
共に死線を潜り抜けた勇者レオン。彼は今や近衛騎士団の団長となり、王国の守護者として多忙な日々を送っている。たまに顔を合わせても、その瞳には昔のような親しさはなかった。ただ義務的に私の安否を確認し、すぐに立ち去っていく。彼の正義は、もう私を守るためにはない。国と秩序を守るためにある。
そして、私の婚約者であるアルフォンス王子。
彼は魔王討-伐の功績者である聖女の婚約者という立場を最大限に利用していた。民衆の前では私を慈しむ優しい婚約者を演じ、二人きりになると冷たい視線を向ける。
「アリア。お前はただ、私の隣で微笑んでいればいい。それだけがお前の今の役目だ。余計なことは考えるな。もちろん、その不気味な力を使うことも許さん」
彼の言葉はいつも私の心を凍らせた。不気味な力。多くの人々を癒やし、魔物を浄化してきたこの力を、彼はそう呼んだ。彼にとって私は、輝かしい経歴に箔をつけるためのトロフィーでしかない。愛など、そこには欠片も存在しなかった。
だから、この祝祭もただの茶番だ。
私の功績を称えるという名目で、王家の権威を示すための盛大な見世物。
「聖女アリアは、我が国の至宝である!」
隣でアルフォンス王子が高らかに演説している。民衆がそれに合わせて再び歓声を上げた。私は微笑む。微笑んで、ただ時が過ぎるのを待つ。
心がすり減っていくのが分かる。毎日少しずつ、確実に。感情が削ぎ落とされ、思考が鈍くなっていく。いつか私は、本当にただの人形になってしまうのだろうか。それでもいいのかもしれない。その方が、ずっと楽に生きられる。
もう、疲れた。
心の中で、誰にも聞こえない声で呟いた。何もかも投げ出してしまいたい。この窮屈なドレスも、聖女という役割も、全て。
そう願った、その瞬間だった。
空が、翳った。
さっきまで晴れ渡っていた青空が、まるで墨を流したかのように急速に暗雲に覆われていく。陽気な音楽が止み、民衆のざわめきが不安の色を帯び始める。
ゴゴゴゴゴ……。
地を揺るがすような不気味な振動。それは次第に大きくなり、城壁さえもビリビリと震わせた。
「な、何だ!?」
「地震か!?」
混乱が広がる。騎士たちが剣を抜き、民衆を守ろうと動き出す。アルフォンス王子も顔を青ざめさせながら、空を睨んでいた。
私も、つられるように空を見上げた。
暗雲の中心が渦を巻き、そこから巨大な影が姿を現す。
漆黒の鱗。山のように巨大な体躯。そして、世界そのものを睥睨するような威厳を放つ一対の黄金の瞳。翼の一振りは暴風を生み、王都の旗を無残に引き裂いた。
「りゅ、竜……!」
誰かが絶叫した。
違う。ただの竜ではない。文献でしか見たことのない、伝説の存在。あらゆるものを破壊し、終焉をもたらすとされる厄介神。
「終焉の黒竜……!」
民衆の歓声は、恐怖の悲鳴へと変わっていた。誰もが逃げ惑い、広場は阿鼻叫喚の地獄と化した。騎士たちも、そのあまりの威圧感に立ち尽くすばかりで、矢を放つことさえできない。
だが、黒竜は逃げ惑う民衆には目もくれなかった。
その黄金の瞳は、ただ一点だけを見つめている。
私を。
バルコニーに立つ、聖女アリアを。
巨大な影が、一直線にこちらへ向かって降下してくる。風圧で髪が激しく乱れ、ドレスが悲鳴を上げた。アルフォンス王子は腰を抜かしたのか、みっともなくへたり込んでいる。
私は、ただ黙ってそれを見ていた。
不思議と、恐怖はなかった。むしろ、心のどこかで安堵している自分がいた。
ああ、これで終わるのだ。
この苦しくて、息の詰まるような毎日から、ようやく解放される。
誰かに殺されるのでも、病で死ぬのでもない。伝説の竜に喰われるのなら、それは聖女の最期として、あるいは相応しいのかもしれない。
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私はそっと、目を閉じた。
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