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第9話 君の好きなもの
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約束の昼休み。俺は健太からの誘いを再び断り、いそいそと図書室へ向かった。一番奥の閲覧席には、既に月宮さんが座って待っていた。俺の姿を認めると、その表情がふわりと和らぐ。昨日よりもずっとリラックスしているように見えた。
「待たせた?」
俺が声で言うと、彼女はふるふると首を横に振った。そして、机の上に広げたノートを指差す。そこには、綺麗な文字で『私も今来たところです』と書かれていた。律儀なやつだな、と俺は笑った。
向かいの席に座り、俺たち二人だけの授業が始まる。
昨日と同じように、筆談と手話を織り交ぜての会話。最初はぎこちなかったこのスタイルも、二日目にしてすっかり俺たちの間の「普通」になっていた。
今日はまず、新しい手話をいくつか教えてもらうことにした。
俺はノートに『「好き」という手話を知りたい』と書いた。
俺の文字を見た瞬間、月宮さんの肩がぴくりと震え、頬に朱が差したのが分かった。別に変な意味で聞いたわけじゃないのに、この単語はやっぱり特別なんだろうか。
彼女は少し照れくさそうにしながらも、ゆっくりと指を動かしてくれた。
片方の手のひらで、自分の頬を優しく、慈しむように撫でる。
『好き』
その仕草は、なんだかとても色っぽく見えた。彼女の白い指が、赤い頬をそっと撫でる。その光景から目が離せなくなる。
俺がぽかんと見とれていると、彼女は恥ずかしくなったのか、慌てて手を下ろして俯いてしまった。
「あ、いや、ごめん。すごく分かりやすかった。ありがとう」
俺は慌ててフォローし、ノートに次の質問を書いた。今覚えたばかりの言葉を、早速使ってみることにした。
『月宮さんの、好きなものは?』
俺の質問に、彼女は顔を上げた。その瞳は、さっきまでの恥じらいの色から一転、子供のようにきらきらと輝いていた。待ってました、とでも言いたげな表情だ。
彼女は嬉しそうにこくりと頷くと、まず一つの答えを指先で表現した。
両手で、猫のひげを作るように、頬の横で指を動かす。
『猫』
その仕草が、あまりにも可愛すぎて。俺は思わず「うわ」と小さな声を出してしまった。クールビューティーな彼女が、猫の真似をしている。この破壊力は凄まじい。
俺の反応を見て、彼女は満足そうににこりと笑った。そして、自分のスマホを取り出すと、慣れた手つきで操作し、画面を俺の方に向けてきた。
そこに映っていたのは、一匹の真っ白な猫の写真だった。青い瞳をした、気品のある猫だ。彼女の膝の上で、気持ちよさそうに丸くなっている。
『うちの子。名前は「ソラ」』
彼女はノートにそう書き、スマホの画面を愛おしそうに撫でた。写真の中のソラに頬ずりする彼女の自撮り写真まで見せてくれる。完全にデレデレだった。
「へえ、飼ってるんだ。美人な猫だな。飼い主に似て」
俺がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして、スマホをひっくり返して隠してしまった。そして、抗議するように俺の腕を軽くぽかぽかと叩いてくる。その仕草すら、猫がじゃれているようで可愛かった。
ひとしきり猫の話で盛り上がった後、彼女は「もう一つある」というように人差し指を立てた。
そして、今度は本当に幸せそうな、とろけるような笑顔で、次の言葉を紡いだ。
両手を合わせて器の形を作り、スプーンで何かをすくって食べる仕草。
『甘いもの』
なるほど。彼女のイメージからは少し意外だったが、その幸せそうな顔を見れば納得しかない。
彼女は夢中になって、次々と好きなスイーツを手話で表現していく。
指で四角を描いて『ケーキ』。両手で円を描いてから、食べる真似をして『パンケーキ』。グラスの形を作って『パフェ』。
その一つ一つを表現するたびに、彼女の瞳は輝きを増していく。本当に好きなんだな、ということが痛いほど伝わってきた。
彼女は興奮気味にノートにペンを走らせる。
『駅前のカフェの、季節限定フルーツタルトが最高なんです!』
その文字からは、熱意が溢れ出ていた。クールな印象とのギャップが、また俺の心臓をぎゅっと掴む。
彼女の好きなものをたくさん知ることができて、俺は満足感に浸っていた。
すると、今度は彼女が、いたずらっぽく笑いながら俺を見た。そして、ノートの新しいページに、こう書いた。
『航くんの好きなものは?』
質問が、返ってきた。
俺は少し考え込んだ。ゲーム、漫画、映画。好きなものは色々ある。
でも、今、この瞬間に一番「好き」だと感じるものは、たった一つしかなかった。
俺は少し照れくさかったが、正直に伝えることにした。
ペンを取る代わりに、俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
そして、さっき彼女に教えてもらったばかりの手話を、心を込めて使った。
まず、人差し指で彼女を指す。『君』
次に、接続詞の『と』。
そして、両手を向かい合わせて会話するような仕草。『こうして話す時間』
最後に、頬をそっと撫でる。
『好き』
『君と、こうして話す時間が好きだ』
俺の言葉が、静かな図書室の空気に溶けていく。
月宮さんは、俺の指の動きを最後まで見届けると、まるで時間が止まったかのように、ぴたりと固まった。
そして、次の瞬間。
彼女の顔が、ぼん、と音を立てそうな勢いで真っ赤に染まった。
それはもう、今までの比じゃない。耳まで、首筋まで、全てが熟れた果実のように赤くなっている。
彼女は「あうあう」と声にならない声を漏らしながら、両手で顔を覆って机に突っ伏してしまった。その狼狽えぶりが、俺の言葉がど真ん中に突き刺さったことを物語っていた。
その姿が、あまりにも愛おしくて。俺はたまらなくなって、くつくつと笑いがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。
昼休みが終わるチャイムが、まるで祝福の鐘のように鳴り響いた。
彼女は最後まで顔を上げてくれなかったが、教室に戻る時、ほんの少しだけ俺の服の袖を掴んでいたその指先が、熱を帯びていたのを、俺は確かに感じていた。
彼女の好きなものを知るたびに、俺の中の「好き」も、どんどん大きくなっていく。
「待たせた?」
俺が声で言うと、彼女はふるふると首を横に振った。そして、机の上に広げたノートを指差す。そこには、綺麗な文字で『私も今来たところです』と書かれていた。律儀なやつだな、と俺は笑った。
向かいの席に座り、俺たち二人だけの授業が始まる。
昨日と同じように、筆談と手話を織り交ぜての会話。最初はぎこちなかったこのスタイルも、二日目にしてすっかり俺たちの間の「普通」になっていた。
今日はまず、新しい手話をいくつか教えてもらうことにした。
俺はノートに『「好き」という手話を知りたい』と書いた。
俺の文字を見た瞬間、月宮さんの肩がぴくりと震え、頬に朱が差したのが分かった。別に変な意味で聞いたわけじゃないのに、この単語はやっぱり特別なんだろうか。
彼女は少し照れくさそうにしながらも、ゆっくりと指を動かしてくれた。
片方の手のひらで、自分の頬を優しく、慈しむように撫でる。
『好き』
その仕草は、なんだかとても色っぽく見えた。彼女の白い指が、赤い頬をそっと撫でる。その光景から目が離せなくなる。
俺がぽかんと見とれていると、彼女は恥ずかしくなったのか、慌てて手を下ろして俯いてしまった。
「あ、いや、ごめん。すごく分かりやすかった。ありがとう」
俺は慌ててフォローし、ノートに次の質問を書いた。今覚えたばかりの言葉を、早速使ってみることにした。
『月宮さんの、好きなものは?』
俺の質問に、彼女は顔を上げた。その瞳は、さっきまでの恥じらいの色から一転、子供のようにきらきらと輝いていた。待ってました、とでも言いたげな表情だ。
彼女は嬉しそうにこくりと頷くと、まず一つの答えを指先で表現した。
両手で、猫のひげを作るように、頬の横で指を動かす。
『猫』
その仕草が、あまりにも可愛すぎて。俺は思わず「うわ」と小さな声を出してしまった。クールビューティーな彼女が、猫の真似をしている。この破壊力は凄まじい。
俺の反応を見て、彼女は満足そうににこりと笑った。そして、自分のスマホを取り出すと、慣れた手つきで操作し、画面を俺の方に向けてきた。
そこに映っていたのは、一匹の真っ白な猫の写真だった。青い瞳をした、気品のある猫だ。彼女の膝の上で、気持ちよさそうに丸くなっている。
『うちの子。名前は「ソラ」』
彼女はノートにそう書き、スマホの画面を愛おしそうに撫でた。写真の中のソラに頬ずりする彼女の自撮り写真まで見せてくれる。完全にデレデレだった。
「へえ、飼ってるんだ。美人な猫だな。飼い主に似て」
俺がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして、スマホをひっくり返して隠してしまった。そして、抗議するように俺の腕を軽くぽかぽかと叩いてくる。その仕草すら、猫がじゃれているようで可愛かった。
ひとしきり猫の話で盛り上がった後、彼女は「もう一つある」というように人差し指を立てた。
そして、今度は本当に幸せそうな、とろけるような笑顔で、次の言葉を紡いだ。
両手を合わせて器の形を作り、スプーンで何かをすくって食べる仕草。
『甘いもの』
なるほど。彼女のイメージからは少し意外だったが、その幸せそうな顔を見れば納得しかない。
彼女は夢中になって、次々と好きなスイーツを手話で表現していく。
指で四角を描いて『ケーキ』。両手で円を描いてから、食べる真似をして『パンケーキ』。グラスの形を作って『パフェ』。
その一つ一つを表現するたびに、彼女の瞳は輝きを増していく。本当に好きなんだな、ということが痛いほど伝わってきた。
彼女は興奮気味にノートにペンを走らせる。
『駅前のカフェの、季節限定フルーツタルトが最高なんです!』
その文字からは、熱意が溢れ出ていた。クールな印象とのギャップが、また俺の心臓をぎゅっと掴む。
彼女の好きなものをたくさん知ることができて、俺は満足感に浸っていた。
すると、今度は彼女が、いたずらっぽく笑いながら俺を見た。そして、ノートの新しいページに、こう書いた。
『航くんの好きなものは?』
質問が、返ってきた。
俺は少し考え込んだ。ゲーム、漫画、映画。好きなものは色々ある。
でも、今、この瞬間に一番「好き」だと感じるものは、たった一つしかなかった。
俺は少し照れくさかったが、正直に伝えることにした。
ペンを取る代わりに、俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
そして、さっき彼女に教えてもらったばかりの手話を、心を込めて使った。
まず、人差し指で彼女を指す。『君』
次に、接続詞の『と』。
そして、両手を向かい合わせて会話するような仕草。『こうして話す時間』
最後に、頬をそっと撫でる。
『好き』
『君と、こうして話す時間が好きだ』
俺の言葉が、静かな図書室の空気に溶けていく。
月宮さんは、俺の指の動きを最後まで見届けると、まるで時間が止まったかのように、ぴたりと固まった。
そして、次の瞬間。
彼女の顔が、ぼん、と音を立てそうな勢いで真っ赤に染まった。
それはもう、今までの比じゃない。耳まで、首筋まで、全てが熟れた果実のように赤くなっている。
彼女は「あうあう」と声にならない声を漏らしながら、両手で顔を覆って机に突っ伏してしまった。その狼狽えぶりが、俺の言葉がど真ん中に突き刺さったことを物語っていた。
その姿が、あまりにも愛おしくて。俺はたまらなくなって、くつくつと笑いがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。
昼休みが終わるチャイムが、まるで祝福の鐘のように鳴り響いた。
彼女は最後まで顔を上げてくれなかったが、教室に戻る時、ほんの少しだけ俺の服の袖を掴んでいたその指先が、熱を帯びていたのを、俺は確かに感じていた。
彼女の好きなものを知るたびに、俺の中の「好き」も、どんどん大きくなっていく。
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