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第18話:甘すぎるお買い物デート②
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「そろそろ、休憩にしないか」
たくさんの荷物を抱えた従者を従えながら、アシュレイ様が私に提案した。気づけば、私たちは王都で一番賑わう中央広場まで来ていた。広場の中央には大きな噴水があり、その周りにはオープンカフェのテーブルと椅子が並んでいる。
「はい!」
私はこくりと頷いた。初めての街歩きと、次から次へと与えられるプレゼントの嵐に、私の心は嬉しい悲鳴を上げていた。少し休みたいと思っていたところだった。
私たちは、広場でも一番眺めの良い席を選んで腰を下ろした。すぐにカフェのウェイターが注文を取りに来る。
「君は、何がいい?」
アシュレイ様がメニューを指しながら尋ねる。そこには、私の知らない名前の飲み物やケーキがたくさん並んでいた。
「ええと……」
迷っている私を見て、彼はにこりと微笑んだ。
「ここのガトーショコラは絶品だと聞いている。それに、甘いものには少し酸味のあるベリーの紅茶が合うだろう」
彼は私の好みなどお構いなしに、しかし完璧な組み合わせをウェイターに注文した。私が甘いもの好きだと、いつの間に知ったのだろう。
やがて運ばれてきたのは、濃厚なチョコレートの香りがする美しいケーキと、赤い宝石のような色をした紅茶だった。
「わあ……美味しそう」
目の前の光景に、私は目を輝かせた。実家では、甘いお菓子など姉の食べ残しを少しもらえるかどうか、というくらいだった。
私はフォークを手に取り、おずおずとケーキに切り込みを入れる。しっとりとした感触が、フォークを通じて伝わってきた。一口食べると、濃厚でビターなチョコレートの風味が口いっぱいに広がった。甘すぎず、それでいて深い味わい。今まで食べたどんなお菓子よりも美味しかった。
「美味しいです!」
私が感動を伝えると、アシュレイ様は我がことのように満足げに頷いた。
「それは良かった」
彼は自分では何も注文せず、ただ紅茶を飲む私の姿を、優しい目で見つめている。その視線がなんだか気恥ずかしくて、私は俯きながらケーキを食べ進めた。
広場は、夕暮れ時の穏やかな光に包まれていた。家路につく人々、楽しそうに談笑する恋人たち、噴水の周りで遊ぶ子供たち。その全てが、平和で幸せな光景だった。
私は、自分が今、その光景の一部になっていることが信じられなかった。
数週間前まで、私は薄暗い物置部屋で、明日が来ることを恐れていたというのに。
「リナリア」
ふと、アシュレイ様が私の名前を呼んだ。
「君は、どうしてそんなに遠慮するのだ」
「え?」
「私が何かを買い与えようとするたび、君は申し訳なさそうな顔をする。それが、私には少しだけ……寂しい」
彼の声には、本心からの戸惑いが滲んでいた。
「私は、君を喜ばせたい。君の笑顔が見たい。ただ、それだけなのだ。なのに、君がそんな顔をすると、まるで私のやっていることが、君にとって迷惑なのかと思ってしまう」
「そ、そんなことはありません!」
私は慌てて顔を上げた。
「迷惑だなんて、とんでもないです! むしろ、嬉しくて……嬉しすぎて、どうしていいか分からなくなるだけで……」
「では、なぜだ?」
彼は、純粋な疑問として、私に問いかけた。
私は少しの間、言葉を探した。そして、自分の正直な気持ちを、ゆっくりと、しかしはっきりと伝えることにした。
「……私は、今まで、誰かから何かを与えられるという経験が、ほとんどありませんでした」
私の言葉に、アシュレイ様の表情がわずかに曇る。
「私の価値は、壊れたものを直すこと、ただそれだけだと言われ続けてきました。だから、私が何かをしてもらうには、まず私が、相手にとって何か役に立つことをしなければならない。そう、ずっと思って生きてきたんです」
だから、と私は続けた。
「アシュレイ様は、私に居場所と、食事と、温かい寝床と……たくさんのものをくださいました。それなのに、私はまだ、アシュレイ様の呪いを完全に癒すという、一番大切な役目を果たせていません。それなのに、こんなにたくさんの高価なものを頂いてしまって……私の働きと、頂くものが、全く釣り合っていない気がして……それで、申し訳なくなってしまうんです」
それが、私の心の奥底にあった、拭い去れない罪悪感の正体だった。
私の告白を聞いて、アシュレイ様はしばらくの間、黙って何かを考えているようだった。彼の紫の瞳が、夕暮れの光の中で深く沈む。
やがて、彼は静かに口を開いた。
「……なるほどな。君の気持ちは、分かった」
彼は私の手を、テーブルの上でそっと両手で包み込んだ。
「だが、リナリア。君は一つ、大きな勘違いをしている」
「勘違い、ですか?」
「ああ。君は、まだ私に何も返せていないと言ったな。それは、全くの事実誤認だ」
彼の言葉に、私はきょとんとする。
「君は、すでに私に、何物にも代えがたいものを与えてくれている。それは、呪いの痛みを和らげる力だけではない」
彼は、私の目をまっすぐに見つめた。
「君が、私の隣で笑ってくれること。君が、美味しそうにケーキを食べること。君が、新しいドレスを見て、はにかみながら喜んでくれること。……その一つ一つが、私の凍てついた心を、どれほど温めてくれているか、君は知らないだろう」
「……アシュレイ様」
「君が存在してくれるだけで、私の世界は色を取り戻した。君を飾るのは、私の喜びだ。君が喜ぶ顔を見るのが、私の幸せなのだ。そこに、対価だの、釣り合いだのという考えは、一切存在しない」
彼の言葉は、まるで優しい雨のように、私の乾いた心に染み渡っていった。
私の存在そのものが、彼の喜び。
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだった。
「だから、何も気に病むことはない。何も遠慮することはない。君はただ、私の与えるものを、素直に受け取ってくれればいい。君の幸せそうな顔を見ることが、私にとって最高の報酬なのだから」
彼はそう言うと、私の手の甲に、優しく口づけを落とした。
もう、何も言えなかった。
私の心を満たしていた罪悪感は、彼の愛に満ちた言葉によって、綺麗に洗い流されていた。代わりに、胸いっぱいに広がっていたのは、どうしようもなく甘くて、温かい幸福感だった。
「……はい」
私は、涙がこぼれないように、必死で空を見上げた。
夕焼けに染まった空が、滲んで、きらきらと輝いて見えた。
「ありがとうございます、アシュレイ様」
この人の隣でなら、私はきっと、幸せになっていいのだ。
初めて、心の底から、そう思うことができた。
私にとって、この日のお買い物デートは、ただ物を買ってもらったというだけの思い出ではない。私の心を縛り付けていた古い呪いを、彼がその愛で解き放ってくれた、忘れられない一日となったのだった。
たくさんの荷物を抱えた従者を従えながら、アシュレイ様が私に提案した。気づけば、私たちは王都で一番賑わう中央広場まで来ていた。広場の中央には大きな噴水があり、その周りにはオープンカフェのテーブルと椅子が並んでいる。
「はい!」
私はこくりと頷いた。初めての街歩きと、次から次へと与えられるプレゼントの嵐に、私の心は嬉しい悲鳴を上げていた。少し休みたいと思っていたところだった。
私たちは、広場でも一番眺めの良い席を選んで腰を下ろした。すぐにカフェのウェイターが注文を取りに来る。
「君は、何がいい?」
アシュレイ様がメニューを指しながら尋ねる。そこには、私の知らない名前の飲み物やケーキがたくさん並んでいた。
「ええと……」
迷っている私を見て、彼はにこりと微笑んだ。
「ここのガトーショコラは絶品だと聞いている。それに、甘いものには少し酸味のあるベリーの紅茶が合うだろう」
彼は私の好みなどお構いなしに、しかし完璧な組み合わせをウェイターに注文した。私が甘いもの好きだと、いつの間に知ったのだろう。
やがて運ばれてきたのは、濃厚なチョコレートの香りがする美しいケーキと、赤い宝石のような色をした紅茶だった。
「わあ……美味しそう」
目の前の光景に、私は目を輝かせた。実家では、甘いお菓子など姉の食べ残しを少しもらえるかどうか、というくらいだった。
私はフォークを手に取り、おずおずとケーキに切り込みを入れる。しっとりとした感触が、フォークを通じて伝わってきた。一口食べると、濃厚でビターなチョコレートの風味が口いっぱいに広がった。甘すぎず、それでいて深い味わい。今まで食べたどんなお菓子よりも美味しかった。
「美味しいです!」
私が感動を伝えると、アシュレイ様は我がことのように満足げに頷いた。
「それは良かった」
彼は自分では何も注文せず、ただ紅茶を飲む私の姿を、優しい目で見つめている。その視線がなんだか気恥ずかしくて、私は俯きながらケーキを食べ進めた。
広場は、夕暮れ時の穏やかな光に包まれていた。家路につく人々、楽しそうに談笑する恋人たち、噴水の周りで遊ぶ子供たち。その全てが、平和で幸せな光景だった。
私は、自分が今、その光景の一部になっていることが信じられなかった。
数週間前まで、私は薄暗い物置部屋で、明日が来ることを恐れていたというのに。
「リナリア」
ふと、アシュレイ様が私の名前を呼んだ。
「君は、どうしてそんなに遠慮するのだ」
「え?」
「私が何かを買い与えようとするたび、君は申し訳なさそうな顔をする。それが、私には少しだけ……寂しい」
彼の声には、本心からの戸惑いが滲んでいた。
「私は、君を喜ばせたい。君の笑顔が見たい。ただ、それだけなのだ。なのに、君がそんな顔をすると、まるで私のやっていることが、君にとって迷惑なのかと思ってしまう」
「そ、そんなことはありません!」
私は慌てて顔を上げた。
「迷惑だなんて、とんでもないです! むしろ、嬉しくて……嬉しすぎて、どうしていいか分からなくなるだけで……」
「では、なぜだ?」
彼は、純粋な疑問として、私に問いかけた。
私は少しの間、言葉を探した。そして、自分の正直な気持ちを、ゆっくりと、しかしはっきりと伝えることにした。
「……私は、今まで、誰かから何かを与えられるという経験が、ほとんどありませんでした」
私の言葉に、アシュレイ様の表情がわずかに曇る。
「私の価値は、壊れたものを直すこと、ただそれだけだと言われ続けてきました。だから、私が何かをしてもらうには、まず私が、相手にとって何か役に立つことをしなければならない。そう、ずっと思って生きてきたんです」
だから、と私は続けた。
「アシュレイ様は、私に居場所と、食事と、温かい寝床と……たくさんのものをくださいました。それなのに、私はまだ、アシュレイ様の呪いを完全に癒すという、一番大切な役目を果たせていません。それなのに、こんなにたくさんの高価なものを頂いてしまって……私の働きと、頂くものが、全く釣り合っていない気がして……それで、申し訳なくなってしまうんです」
それが、私の心の奥底にあった、拭い去れない罪悪感の正体だった。
私の告白を聞いて、アシュレイ様はしばらくの間、黙って何かを考えているようだった。彼の紫の瞳が、夕暮れの光の中で深く沈む。
やがて、彼は静かに口を開いた。
「……なるほどな。君の気持ちは、分かった」
彼は私の手を、テーブルの上でそっと両手で包み込んだ。
「だが、リナリア。君は一つ、大きな勘違いをしている」
「勘違い、ですか?」
「ああ。君は、まだ私に何も返せていないと言ったな。それは、全くの事実誤認だ」
彼の言葉に、私はきょとんとする。
「君は、すでに私に、何物にも代えがたいものを与えてくれている。それは、呪いの痛みを和らげる力だけではない」
彼は、私の目をまっすぐに見つめた。
「君が、私の隣で笑ってくれること。君が、美味しそうにケーキを食べること。君が、新しいドレスを見て、はにかみながら喜んでくれること。……その一つ一つが、私の凍てついた心を、どれほど温めてくれているか、君は知らないだろう」
「……アシュレイ様」
「君が存在してくれるだけで、私の世界は色を取り戻した。君を飾るのは、私の喜びだ。君が喜ぶ顔を見るのが、私の幸せなのだ。そこに、対価だの、釣り合いだのという考えは、一切存在しない」
彼の言葉は、まるで優しい雨のように、私の乾いた心に染み渡っていった。
私の存在そのものが、彼の喜び。
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだった。
「だから、何も気に病むことはない。何も遠慮することはない。君はただ、私の与えるものを、素直に受け取ってくれればいい。君の幸せそうな顔を見ることが、私にとって最高の報酬なのだから」
彼はそう言うと、私の手の甲に、優しく口づけを落とした。
もう、何も言えなかった。
私の心を満たしていた罪悪感は、彼の愛に満ちた言葉によって、綺麗に洗い流されていた。代わりに、胸いっぱいに広がっていたのは、どうしようもなく甘くて、温かい幸福感だった。
「……はい」
私は、涙がこぼれないように、必死で空を見上げた。
夕焼けに染まった空が、滲んで、きらきらと輝いて見えた。
「ありがとうございます、アシュレイ様」
この人の隣でなら、私はきっと、幸せになっていいのだ。
初めて、心の底から、そう思うことができた。
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