俺をフッた幼馴染が、トップアイドルになって「もう一度やり直したい」と言ってきた

夏見ナイ

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第1話:褪せた写真とスポットライト

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蛍光灯が味気なく照らす大学の講義室。教授の退屈な声は、鼓膜を素通りして虚空に消えていく。藤堂 蓮(とうどう れん)は、ノートの隅に意味のない図形を描きながら、早くこの時間が終わることだけを願っていた。周囲の学生たちは真面目に講義を聞いているか、あるいは器用にスマホをいじっている。蓮はそのどちらでもなかった。ただ、意識だけを遠くに飛ばしていた。

チャイムの音が解放を告げる。蓮は誰と話すでもなく、足早に荷物をまとめると講義室を後にした。サークルに顔を出す気分でもない。空はどんよりとした灰色で、今にも泣き出しそうだった。そんな空模様が、自分の心の内を映しているようで少しだけ嫌になる。

アパートへの道を歩きながら、頭の中では新しいメロディが断片的に鳴っていた。それは救いだった。現実がどれだけ色褪せて見えても、頭の中の五線譜はいつでも鮮やかな音で満たされている。

「ただいま」

誰もいない部屋に声をかける。六畳一間の、最低限の家具しかない殺風景な空間。ここが蓮の城であり、聖域だった。彼はバッグを放り投げると、慣れた手つきでデスクトップパソコンの電源を入れる。モニターの青白い光が、蓮の顔をぼんやりと照らし出した。

ログインパスワードを打ち込むと、壁紙に設定された抽象的なCGアートが現れる。これも自作だ。蓮には、もう一つの顔があった。匿名クリエイター『ren』。それが、彼が唯一自分を解放できる場所だった。

映像編集ソフトと音楽制作ソフトを同時に起動する。無数のトラックが並ぶ画面は、知らない人間が見ればただの記号の羅列にしか見えないだろう。だが蓮にとっては、どんな風景画よりも心躍る光景だった。ヘッドホンを装着すれば、世界は完全に遮断される。そこにあるのは、自分と自分が生み出す音と光だけだ。

『ren』として作る作品に、決まったジャンルはない。ある時はピアノが主体の静かなインストゥルメンタル。またある時は、電子音の洪水で聴く者の感情を揺さぶるような激しい曲。それらに自作のCG映像を乗せて、動画サイトに投稿する。それが蓮の日常だった。

再生数やコメントの数を気にしたことはない。これは誰かのためではなく、自分のための創作だ。吐き出さなければ壊れてしまいそうな感情を、音と映像に変換する作業。言わば、精神のデトックスに近い。

キーボードとマウスを操る指が熱を帯びてくる。断片的だったメロディが、次第に輪郭を帯びて一つの線になる。コードを乗せ、リズムを刻み、音を重ねていく。無我夢中。この瞬間だけは、過去も未来も存在しない。ただひたすらに、今この瞬間の感性だけが世界を支配していた。

どれくらいの時間が経っただろうか。不意に空腹感を覚えて、蓮はヘッドホンを外した。窓の外はすっかり暗くなっている。腹を満たすため、冷蔵庫に入っていたコンビニのサンドイッチを無心で口に運んだ。

その時だった。何気なくリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。バラエティ番組のけたたましい笑い声が、静かな部屋に響き渡る。蓮はすぐにチャンネルを変えた。ザッピングを繰り返す指が、ふと止まる。

画面に映っていたのは、今最も人気のあるアイドルグループ『Starlight Melody』の特集だった。きらびやかな衣装を身に纏った少女たちが、完璧なフォーメーションで歌い踊っている。その中心。絶対的なセンターとして、誰よりも眩しいスポットライトを浴びている少女がいた。

『LUNA』。

それが、彼女の今の名前だ。艶やかな黒髪をなびかせ、カメラに向かって完璧なアイドルスマイルを向けている。その笑顔は数え切れないほどのファンを熱狂させ、魅了しているのだろう。

蓮は、表情を失くしたまま画面を見つめていた。心臓が、嫌な音を立てて軋む。

「……星宮、瑠奈」

掠れた声で、本当の名前を呟く。それは呪いのようでもあり、祈りのようでもあった。記憶の蓋が、いとも簡単にこじ開けられる。

高校の卒業式の日。桜の花びらが舞う中庭。蓮は、この世の全てを懸けるような思いで、隣に立つ幼馴染に想いを告げた。ずっと、隣にいるのが当たり前だった彼女に。

「好きだ、瑠奈。俺と、付き合ってほしい」

震える声で絞り出した言葉は、春の穏やかな空気に吸い込まれて消えた。瑠奈は、少しだけ驚いた顔をした後、悲しそうに、でもどこか達観したような目で蓮を見つめた。

「ごめん、蓮」

その一言で、世界から音が消えた。

「私、アイドルになるから。本気で、トップを目指すって決めたの。……だから、付き合えない」

彼女の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。そこには、蓮の入り込む隙間など一ミリも存在しなかった。恋愛なんて、彼女の目指す場所には不要なものなのだと、その目が雄弁に物語っていた。フラれた悲しみよりも、自分という存在が彼女の夢の邪魔でしかないのだという事実が、ナイフのように蓮の心を抉った。

それからだ。蓮が、誰かと深く関わることを避けるようになったのは。創作の世界に没頭するようになったのは。傷つきたくない。もう二度と、あんな無力感を味わいたくない。その一心だった。

テレビの中のLUNAは、歌い終えて満面の笑みで手を振っている。数万人の歓声が、スピーカー越しに聞こえてくる。それは、蓮の知らない星宮瑠奈の姿だった。

「……っ」

蓮はリモコンを掴むと、乱暴に電源を切った。再び訪れた静寂が、やけに耳に痛い。乱れた呼吸を整えようとするが、うまくいかない。

ふらふらと立ち上がり、本棚に向かう。一番下の段、ほとんど開くことのないアルバムが詰め込まれた箱。その中から、一冊の古いアルバムを取り出した。表紙には『思い出』と、子供っぽい文字で書かれている。

ページをめくる。そこにいたのは、テレビの中のLUNAとは似ても似つかない、日焼けした肌で無邪気に笑う少女だった。夏祭りの浴衣姿。公園のブランコで隣り合って笑う姿。誕生日ケーキの蝋燭を二人で吹き消す姿。どの写真にも、蓮と瑠奈が一緒に写っている。

最後のページに挟まれていた一枚の写真。それは高校の文化祭で撮ったものだ。少し照れくさそうに笑う蓮と、彼の腕に楽しそうに絡みつく瑠奈。この頃はまだ、信じていた。この時間が、当たり前のように未来も続いていくのだと。

写真の中の瑠奈は、屈託なく笑っている。彼女はもういない。テレビの向こう側で輝くLUNAは、蓮の知っている星宮瑠奈ではなかった。遠い、遠い世界の住人。手が届かないどころか、同じ地上に立っている感覚すらない。

それでいい。蓮は自分に言い聞かせた。そうでなければならない。彼女が夢を叶えて、手の届かない存在になったこと。それが、蓮にとっての諦めであり、同時に安息でもあった。同じ世界線にいないのなら、もう傷つくこともないのだから。

蓮は、パタンとアルバムを閉じた。そして、元の箱に戻し、本棚の奥へと押し込む。まるで、忌まわしい記憶に再び蓋をするかのように。

もう一度、パソコンの前に座る。さっきまで作りかけていたメロディの続きを再生した。美しくも、どこか物悲しいピアノの旋律がヘッドホンから流れる。

そうだ。俺にはこれがある。この世界だけが、俺を裏切らない。

蓮は再び、創作の海へと深く潜っていく。テレビの残像も、アルバムの記憶も、全てを振り払うように。

彼の穏やかで閉じた日常が、過去からの使者によって壊されることになるのを、まだ知る由もなかった。ただ、部屋の隅で消されたままのテレビ画面だけが、不気味な黒を湛えて彼を見つめていた。
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