俺をフッた幼馴染が、トップアイドルになって「もう一度やり直したい」と言ってきた

夏見ナイ

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第25話:三角関係のレコーディング

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コントロールルームの空気は、氷のように冷え切っていた。星宮瑠奈の登場は、その場の全員から言葉を奪うのに十分な衝撃を持っていた。彼女は、そこにいる誰よりも格上の存在であり、その場の空気を支配する絶対的な女王だった。

「……橘さんから、話は聞いてる」

最初に沈黙を破ったのは、瑠奈だった。その声は、ガラスのように硬質で、感情が読み取れない。彼女は、隣に立つ蓮にだけ、聞こえるような声で言った。
「まさか、蓮がコンペに参加するなんてね。驚いた」

「……仕事だからな」
蓮は、絞り出すように答えた。その視線は、瑠奈と交わることなく、ガラスの向こう側の陽葵に注がれている。その瞳には、焦りと後悔が色濃く浮かんでいた。

瑠奈は、蓮のその視線を追うように、初めてレコーディングブースの中にいる陽葵に目を向けた。値踏みするような、冷たい視線。陽葵は、その視線に射抜かれ、思わず身を固くした。

「……あの子が、仮歌の子?」
瑠奈の問いに、蓮は無言で頷いた。

「へえ」
瑠奈は、興味なさそうに鼻を鳴らすと、コントロールルームの中央にある、一番豪華なソファにどかりと腰を下ろした。そして、腕を組み、まるで審査員のような態度でブースを見据える。

「早く、聴かせてみなさいよ。蓮が、そこまで言う子の歌声とやらを」
その言葉は、陽葵だけでなく、この場の全員に向けられた、女王からの命令だった。

マネージャーの田中が、慌ててエンジニアに目配せをする。エンジニアは、緊張した面持ちで、もう一度キューランプを点灯させた。

ヘッドホンから、再びイントロが流れ始める。
陽葵は、唇を強く噛み締めた。
歌わなければ。ここで歌えなければ、先輩に迷惑がかかる。彼の顔に、泥を塗ることになる。
だが、喉が鉛のように重い。瑠奈の圧倒的な存在感が、陽葵の全身を萎縮させていた。

ガラスの向こう側で、蓮が、陽葵に向かって必死に何かを伝えようとしていた。口が、動いている。『大丈夫だ』『君ならできる』。声には出さずとも、その唇は確かにそう語っていた。

その、蓮の必死な表情が、陽葵の心に最後の火を灯した。
そうだ。私は、一人じゃない。先輩が、信じてくれている。
この曲は、私と先輩の、二人だけの曲なんだ。

陽葵は、ぎゅっと目を閉じた。瑠奈の存在を、意識の外へと追い出す。
そして、全ての感情を、想いを、声に乗せることだけに集中した。

イントロが終わり、陽葵は、震える唇から、最初のフレーズを紡ぎ出した。
その瞬間、コントロールルームの空気が、微かに変わった。

最初は、か細く、頼りなかった歌声。だが、歌い進めるうちに、その声は徐々に熱を帯び、輝きを増していく。
蓮がくれたメロディ。自分が紡いだ言葉。その一つ一つを、確かめるように、慈しむように。

陽葵は、歌っていた。
暗闇の中の孤独を。それでも失われない希望を。そして、大切な誰かと出会えた喜びを。
それは、彼女自身の物語であり、そして、蓮の物語でもあった。

サビに差し掛かる頃には、陽葵の声から、迷いは完全に消えていた。
その歌声は、コントロールルームの冷たい空気を震わせ、そこにいる全ての者の心を、優しく、しかし強く揺さぶった。

エンジニアが、息を呑むのが分かった。田中が、信じられないものを見るような目でブースを見つめている。
そして、ソファにふんぞり返っていたはずの瑠奈が、いつの間にか身を乗り出し、その大きな瞳を驚きに見開いているのを、蓮は視界の端で捉えていた。

瑠奈は、直感していた。
これは、ただの仮歌ではない。
この歌声、この表現力、この曲との親和性。
それは、自分が今まで築き上げてきた『トップアイドルLUNA』という存在すらも、脅かしかねないほどの、圧倒的な才能の輝きだった。

そして何より、彼女は理解してしまった。
この曲は、蓮が、目の前で歌っているこの少女のためだけに作った曲なのだと。
メロディの一つ一つ、言葉の端々から、蓮の、この少女に対する特別な想いが、痛いほどに伝わってくる。
それは、自分がどれだけ渇望しても、もう二度と手に入れることのできない、温かくて、優しい感情。

瑠奈の整った顔から、表情が抜け落ちていく。
その瞳の奥で、黒い炎が、静かに、しかし激しく燃え上がった。
嫉妬。
生まれて初めて感じる、身を焦がすような、激しい嫉妬の炎だった。

曲が、終わる。
最後のピアノの余韻が、静寂の中に消えていく。
陽葵は、全ての力を出し切ったように、ぜえぜえと肩で息をしていた。

コントロールルームは、水を打ったように静まり返っていた。誰もが、言葉を失っていた。
その異様な沈黙を破ったのは、瑠奈の、氷のように冷たい声だった。

「……なるほどね」
彼女は、ゆっくりと立ち上がった。その顔には、先ほどまでの驚きはなく、代わりに、全てを見下すような、冷たい笑みが浮かんでいた。

「悪くはないんじゃない? 素人にしては」
その言葉は、明らかに陽葵の才能を認めながらも、それを決して口にはしないという、彼女の歪んだプライドの表れだった。

瑠奈は、陽葵には目もくれず、真っ直ぐに蓮の元へと歩み寄った。そして、挑戦的な目で蓮を見据える。

「分かったわ、蓮。あなたが、この曲と、この子で勝負したいっていうなら、受けて立つ」
その声は、静かだが、明確な敵意を孕んでいた。

「でも、覚えておきなさい。この曲を、最高の形で世の中に届けられるのは、この私だけよ。あんな、か細い声じゃなくてね」

それは、宣戦布告だった。
仮歌の少女、朝霧陽葵に対する、トップアイドルLUNAからの、容赦のない戦いの始まりを告げるゴング。

瑠奈は、それだけ言うと、踵を返し、嵐のようにコントロールルームから去っていった。
残されたのは、凍りついた空気と、呆然と立ち尽くす人々。

蓮は、ガラスの向こう側で、力なくマイクスタンドにもたれかかる陽葵の姿を、ただ見つめることしかできなかった。
守りたかったはずの彼女を、自分は、最も残酷な戦いの舞台へと、引きずり込んでしまったのだ。

第一部の幕は、今、上がった。
三つの才能と、三つの想いが交錯する、過酷な物語の、本当の始まりだった。
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