俺をフッた幼馴染が、トップアイドルになって「もう一度やり直したい」と言ってきた

夏見ナイ

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第49話:再会のスタジオ、見えない壁

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スターライト・エージェンシーのレコーディングスタジオ。
そこは、藤堂蓮にとって、もはやトラウマの象徴のような場所だった。だが、彼は、再びその場所に、足を踏み入れなければならなかった。Fallen Idolの、メジャーデビューに向けた、プリプロダクションが始まるからだ。

コントロールルームのドアを開けると、そこには既に、バンドのメンバーたちが、緊張した面持ちで座っていた。彼らの顔には、メジャーデビューへの期待と、大手事務所の雰囲気に気圧された不安が、ごちゃ混ぜになって浮かんでいる。

「renさん! よろしくお願いします!」
リーダーの男が、慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。蓮は、それに無言で頷き返す。

そして、蓮の視線は、部屋の隅にあるソファへと向けられた。
そこに、彼女はいた。
星宮瑠奈。
まるで、ここが自分の城であるかのように、足を組み、優雅に座っている。今日の彼女は、アイドルのLUNAではなく、全てを支配する女王の風格を漂わせていた。

「あら、来たのね。プロデューサーさん」
瑠奈は、蓮の顔を見ると、挑発的な笑みを浮かべた。
蓮は、その言葉を無視し、バンドのメンバーたちに向き直った。

「今日は、新曲の方向性を決める。いくつかデモを持ってきたから、まずはそれを聴いてくれ」
蓮は、瑠奈の存在を、意図的に意識の外へと追いやろうとした。これは、仕事だ。Fallen Idolと、自分との、仕事。そこに、この女が入り込む隙間はない。

蓮が持参したデモ音源を、スピーカーから流す。
激しく、そしてどこか切ない、蓮らしいロックサウンド。バンドのメンバーたちは、食い入るようにその音に聴き入っている。

「……カッケー……」
「やべえ、鳥肌立った……」
メンバーたちから、感嘆の声が漏れる。蓮の作った曲は、彼らの心を、確かに掴んでいた。

「どうだ? イメージは湧くか?」
蓮が尋ねると、リーダーは、興奮した様子で頷いた。
「はい! めちゃくちゃ湧きます! すぐにでも、歌いたいです!」

その、純粋な音楽への情熱が、蓮のささくれ立った心を、少しだけ癒した。
そうだ。俺は、こいつらのために、ここにいるんだ。
瑠奈のことなど、関係ない。

だが、その空気を、女王は見逃さなかった。

「……悪くはないんじゃない?」
瑠奈が、ソファから、気怠げに言った。
「でも、少し、インパクトが弱いわね。もっと、売れ線を意識しないと。サビは、もっとキャッチーなメロディの方がいいんじゃないかしら?」
その言葉は、まるで自分がこのプロジェクトの総責任者であるかのような口ぶりだった。

バンドのメンバーたちが、戸惑ったように、瑠奈と蓮を交互に見る。
蓮の中で、怒りの炎が、再び燃え上がった。

「これは、俺と、Fallen Idolのプロジェクトだ。口を挟まないでもらおうか」
蓮は、低い、威嚇するような声で言った。

「あら、怖い」
瑠奈は、肩をすくめた。
「でも、私も、このプロジェクトの出資者の一人よ? 意見を言う権利くらい、あるんじゃないかしら」
彼女は、橘を動かし、自らの個人資産をも、このプロジェクトに投入させていたのだ。金という、絶対的な力で、彼女は全てを支配しようとしていた。

「それに、私の方が、ヒット曲については、あなたよりずっと詳しいわよ。何しろ、あなたの曲で、ミリオンを売ったのは、この私なのだから」
その言葉は、蓮のプライドを、的確に抉った。

二人の間に、再び、見えない火花が散る。
バンドのメンバーたちは、居心地悪そうに、身を縮こませていた。最高の音楽が生まれようとしているはずのスタジオは、一転して、息の詰まるような戦場へと変わってしまった。

その日の打ち合わせは、最悪の雰囲気のまま、終わった。
蓮が提案するアイデアに、ことごとく瑠奈が横槍を入れる。建設的な議論など、できるはずもなかった。

スタジオを出た蓮の元に、Fallen Idolのリーダーが、申し訳なさそうに駆け寄ってきた。

「……renさん、すみません。俺たちのせいで……」
リーダーは、心底申し訳なさそうな顔で頭を下げた。彼らは、自分たちが蓮と瑠奈の争いの火種になってしまったことを、痛いほど理解していたのだ。

「お前たちが、謝ることじゃない」
蓮は、吐き捨てるように言った。その声には、やり場のない怒りと、無力感が滲んでいた。
「悪いのは、全て、あの女だ」

「でも……」

「いいから、お前たちは、音楽のことだけを考えろ。あとは、俺が何とかする」
蓮は、そう言うと、バンドのメンバーたちに背を向け、一人、夜の闇へと歩き去っていった。その背中は、ひどく、孤独に見えた。

その夜、蓮は、眠れなかった。
瑠奈のやり方は、あまりにも狡猾だった。彼女は、決して音楽そのものを否定しない。ただ、『売れるため』という、誰も反論できない正論を盾に、じわじわと蓮のクリエイティブを侵食し、コントロールしようとしている。

このままでは、Fallen Idolの音楽は、瑠奈の意のままに、骨抜きにされてしまうだろう。
それだけは、絶対に避けなければならない。
だが、どうすればいい? 彼女は、金と権力という、最強の武器を持っている。正面からぶつかっても、勝ち目はない。

蓮は、苛立ちと焦りで、部屋の中を何度も歩き回った。
そして、ふと、ある考えが、稲妻のように頭をよぎった。

(……そうだ。あの男しかいない)

蓮の脳裏に浮かんだのは、プロデューサー、橘翔太の顔だった。
あの男は、冷徹なビジネスマンだ。だが同時に、本物の音楽を、誰よりも愛し、渇望している男でもある。
瑠奈のやっていることは、彼の信条にも反するはずだ。
彼を、味方につける。
それしか、この状況を打開する方法は、ない。

翌日、蓮は、アポイントも取らずに、スターライト・エージェンシーの橘のオフィスへと向かった。
突然の訪問にも関わらず、橘は、面白そうな目で蓮を迎え入れた。

「何の用だ、藤堂君。バンドのプロデュースは、順調かね?」
その問いには、全てを見透かしているかのような響きがあった。

蓮は、前置きもなしに、単刀直入に切り出した。
「星宮瑠奈を、このプロジェクトから外してください」

その、あまりにも大胆な要求に、橘は、さすがに少しだけ驚いたように、眉を上げた。
「……ほう。面白いことを言うな。その理由は?」

「彼女は、音楽を作ろうとしているんじゃない。自分の独占欲を満たすために、プロジェクトを私物化しようとしているだけだ。彼女がいる限り、Fallen Idolの、本当の音楽は生まれない。それは、プロデューサーである、あなたも望むところではないはずだ」
蓮は、橘の瞳を、真っ直ぐに見据えて訴えた。

橘は、しばらくの間、腕を組んだまま、黙って蓮の言葉を聞いていた。
やがて、彼は、ふっと、息を吐き出すように笑った。

「……君は、面白い男だな、藤堂蓮」
その声には、呆れと、そしてどこか感心したような響きがあった。
「俺に、LUNAを切れ、と。事務所の最大の功労者であり、金のなる木である彼女を、無名のインディーズバンドのために、切り捨てろと言うのか。正気か?」

「正気です」
蓮は、一歩も引かなかった。
「あなたは、ビジネスマンである前に、音楽を愛する人間だと、俺は信じている」

その言葉に、橘の目の色が変わった。
彼は、指に挟んだ煙草を、ゆっくりと灰皿に押し付けると、静かに言った。

「……いいだろう。君のその心意気、買った」

「……え?」
あまりにも、あっけない承諾に、蓮は、思わず聞き返した。

「ただし、条件がある」
橘は、悪魔のような笑みを浮かべた。
「LUNAを外した上で、君のプロデュースで、Fallen Idolを、必ず売れ。もし、チャートの一位を獲れなかった場合……その時は、君に、俺の犬になってもらう。俺の言う通りに、死ぬまで、売れる曲だけを作り続けてもらう。……この条件が、飲めるか?」

それは、クリエイターとしての、魂を賭けたギャンブルだった。
失敗すれば、蓮の音楽人生は、終わる。

だが、蓮に、迷いはなかった。
ここで引けば、瑠奈の思う壺だ。そして何より、Fallen Idolのメンバーたちを、裏切ることになる。

「……望むところです」
蓮は、はっきりと、そう言った。

その答えを聞くと、橘は、心の底から楽しそうに、声を上げて笑った。
「面白い! 実に、面白い! やはり、君をこの世界に引きずり込んで、正解だった!」

こうして、蓮は、瑠奈という最大の障害を、一時的に排除することに成功した。
だが、それは、橘という、さらに巨大な怪物と、魂を賭けた契約を結ぶことを意味していた。

再会したスタジオには、もう瑠奈の姿はなかった。
バンドのメンバーたちは、何が起こったのか分からず、戸惑いの表情を浮かべている。
蓮は、彼らに向かって、静かに、しかし力強く、宣言した。

「もう、邪魔者はいない。ここからは、俺たちだけの、本当の音楽を作るぞ」

その言葉に、メンバーたちの顔に、ようやく、明るい光が戻った。
スタジオには、見えない壁は、もうなかった。
ただ、純粋な音楽への情熱だけが、再び、その場所を満たし始めていた。
蓮の、全てを懸けた戦いが、今、本当の意味で、始まろうとしていた。
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