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第44話 眠れない夜、あるいは意識してしまう全て
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深夜二時。
窓の外は深い闇と静寂に包まれていた。聞こえるのは、俺の部屋の時計が時を刻むカチ、カチ、という小さな音と、俺と雪城さんの穏やかな呼吸の音だけ。
最後の敵であった数学の問題集は、先ほどついに完全制覇された。
俺は達成感と、それを遥かに上回る疲労感で抜け殻のようになっていた。
「……終わった」
俺が力なく呟くと、隣で雪城さんもこくりと頷いた。
「ええ。計画通り、全ての課題を完了しました。お疲れ様でした、優斗さん」
彼女の声にも、さすがに少しだけ疲れの色が滲んでいる。
二人で成し遂げた、という奇妙な連帯感。それが、夏の終わりの夜の空気を優しく満たしていた。
「さて、と……。じゃあ、俺はリビングで寝るから。お前は俺のベッド使ってくれ」
俺はそう言って立ち上がろうとした。
いくら未来の嫁(自称)とはいえ、同じ部屋で夜を明かすなんて俺の心臓が持たない。理性がそれを許さない。
だが、俺のその健全な判断は、彼女の一言によっていとも簡単に打ち砕かれた。
「なぜです?」
彼女はきょとんとした顔で俺を見上げた。
「未来では、こういう時はいつも同じベッドで眠っていましたよ」
「……また、未来の話か!」
「はい。あなたは、『冬花が隣にいないと安心して眠れない』と言って、私のパジャマの裾を子供のように掴んで離さなかった」
未来の俺、どんだけ甘えん坊で、どんだけ情けないんだ!
俺は頭の中で、未来の自分を力いっぱい叱りつけた。
「だ、だめだ! そんなの絶対にだめだ! 男女が同じ部屋で、しかも同じベッドで寝るなんて、そんな……!」
俺が必死に倫理観を説くと、彼女は心底不思議そうな顔で小首を傾げた。
「私たちは未来で結ばれることが確定している運命共同体です。今更、何をためらう必要があるのですか? それとも」
彼女は、じっと俺の目を見つめた。
「あなたは私と二人きりでいると、何かやましいことを考えてしまうとでも?」
そのあまりにもストレートで純粋な問い。
俺は、ぐっと言葉に詰まった。
考えてしまうに決まっているだろう!
俺は思春期の健全な男子高校生なんだぞ!
好きな女の子と二人きり、一つ屋根の下、一つの部屋。この状況で何も考えない方がどうかしている。
俺が顔を真っ赤にして黙り込んでいると、彼女は小さくため息をついた。
「……仕方ありませんね。あなたは、この時代ではまだウブでしたから」
彼女はすっと立ち上がると、部屋のクロー-ゼットを開けた。
そして中から客用の布団セットを取り出す。
「では、私は床で寝ます。あなたはベッドで休んでください。それで文句はありませんね?」
彼女はテキパキと自分の寝床を作り始めた。
その有無を言わせぬ手際の良さに、俺はもはや反論する気力もなかった。
「……ああ。それでいい」
俺は力なく頷くことしかできなかった。
部屋の電気を消すと、室内は月明かりだけに照らされた静かな空間になった。
俺は自分のベッドに横になり、彼女はそのすぐ下の床に敷かれた布団にもぐりこんだ。
お互いの呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえる。
眠れるはずがなかった。
意識してしまう。何もかも。
すぐ足元で眠っている彼女の存在。
彼女が寝返りを打つ衣擦れの音。
彼女の静かで規則正しい寝息。
その全てが俺の五感を鋭く刺激する。
目を閉じれば、まぶたの裏に彼女の姿が浮かんでくる。
夏祭りの美しい浴衣姿。
プールの眩しすぎた水着姿。
そして今日、俺のベッドで無防備に眠っていた、あのあどけない寝顔。
「……くそっ」
俺は頭を抱えた。
これは拷-門だ。最高に甘く、そして最高に残酷な拷-門だ。
どのくらい時間が経っただろうか。
俺が悶々としながら何度も寝返りを打っていると、床から彼女の小さな声が聞こえてきた。
「……眠れませんか?」
彼女も起きていたらしい。
「……まあな。お前こそ」
「はい。私も、少しだけ」
彼女の声は夜の静寂の中で、いつもよりずっと近くに聞こえた。
「未来でも時々ありました。二人して目が冴えてしまって、朝までずっといろんな話をした夜が」
「……どんな、話だよ」
「そうですね……。子供の名前をどうするとか、将来はどんな家に住みたいとか、老後はどこでのんびり暮らそうかとか」
彼女が語る未来の話。
それは今までのような、俺をからかうためのものではなく、本当にただの幸せな夫婦の会話だった。
そのあまりにも温かくて穏やかな光景を想像して、俺の胸はきゅっと甘く締め付けられた。
「……なあ、雪城さん」
俺は思い切って尋ねてみた。
「その『事故』ってやつがなかったら、俺たち本当にそんな風になれてたのか?」
俺の問いに、彼女は少しの間黙り込んだ。
やがて、確信に満ちた静かな声が返ってきた。
「なれていました。いいえ、必ずなります。私がそうさせますから」
その力強い言葉。
彼女がどれほどの覚悟を持ってこの時代に来たのか。
その重みが、ずしりと俺の心に響いた。
そうだ。俺はもう一人じゃない。
彼女の覚悟を、俺も一緒に背負うんだ。
そう決めたじゃないか。
「……そうだな」
俺は暗闇の中で小さく笑った。
「二人で、そうしようぜ」
俺の言葉に、彼女が息を呑むのが分かった。
そして、布団の中で小さく「はい」と頷く気配がした。
それから、俺たちは何も話さなかった。
だが、もう眠れないという焦りはなかった。
ただ静かな闇の中で、お互いの存在を確かに感じている。
それだけで俺の心は、不思議なくらい穏やかに満たされていった。
この何も起きないけど、何もかもを意識してしまう眠れない夜。
それは俺たちの関係が、また一つ深く、そしてかけがえのないものになった証だった。
やがて東の空が白み始める頃。
俺はいつの間にか、穏やかな眠りに落ちていた。
夢の中で俺は、彼女と笑い合っていた。
未来の夫婦としてではなく、ただの恋人として。
そんなありふれた、でも最高に幸せな夢を見ていた。
窓の外は深い闇と静寂に包まれていた。聞こえるのは、俺の部屋の時計が時を刻むカチ、カチ、という小さな音と、俺と雪城さんの穏やかな呼吸の音だけ。
最後の敵であった数学の問題集は、先ほどついに完全制覇された。
俺は達成感と、それを遥かに上回る疲労感で抜け殻のようになっていた。
「……終わった」
俺が力なく呟くと、隣で雪城さんもこくりと頷いた。
「ええ。計画通り、全ての課題を完了しました。お疲れ様でした、優斗さん」
彼女の声にも、さすがに少しだけ疲れの色が滲んでいる。
二人で成し遂げた、という奇妙な連帯感。それが、夏の終わりの夜の空気を優しく満たしていた。
「さて、と……。じゃあ、俺はリビングで寝るから。お前は俺のベッド使ってくれ」
俺はそう言って立ち上がろうとした。
いくら未来の嫁(自称)とはいえ、同じ部屋で夜を明かすなんて俺の心臓が持たない。理性がそれを許さない。
だが、俺のその健全な判断は、彼女の一言によっていとも簡単に打ち砕かれた。
「なぜです?」
彼女はきょとんとした顔で俺を見上げた。
「未来では、こういう時はいつも同じベッドで眠っていましたよ」
「……また、未来の話か!」
「はい。あなたは、『冬花が隣にいないと安心して眠れない』と言って、私のパジャマの裾を子供のように掴んで離さなかった」
未来の俺、どんだけ甘えん坊で、どんだけ情けないんだ!
俺は頭の中で、未来の自分を力いっぱい叱りつけた。
「だ、だめだ! そんなの絶対にだめだ! 男女が同じ部屋で、しかも同じベッドで寝るなんて、そんな……!」
俺が必死に倫理観を説くと、彼女は心底不思議そうな顔で小首を傾げた。
「私たちは未来で結ばれることが確定している運命共同体です。今更、何をためらう必要があるのですか? それとも」
彼女は、じっと俺の目を見つめた。
「あなたは私と二人きりでいると、何かやましいことを考えてしまうとでも?」
そのあまりにもストレートで純粋な問い。
俺は、ぐっと言葉に詰まった。
考えてしまうに決まっているだろう!
俺は思春期の健全な男子高校生なんだぞ!
好きな女の子と二人きり、一つ屋根の下、一つの部屋。この状況で何も考えない方がどうかしている。
俺が顔を真っ赤にして黙り込んでいると、彼女は小さくため息をついた。
「……仕方ありませんね。あなたは、この時代ではまだウブでしたから」
彼女はすっと立ち上がると、部屋のクロー-ゼットを開けた。
そして中から客用の布団セットを取り出す。
「では、私は床で寝ます。あなたはベッドで休んでください。それで文句はありませんね?」
彼女はテキパキと自分の寝床を作り始めた。
その有無を言わせぬ手際の良さに、俺はもはや反論する気力もなかった。
「……ああ。それでいい」
俺は力なく頷くことしかできなかった。
部屋の電気を消すと、室内は月明かりだけに照らされた静かな空間になった。
俺は自分のベッドに横になり、彼女はそのすぐ下の床に敷かれた布団にもぐりこんだ。
お互いの呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえる。
眠れるはずがなかった。
意識してしまう。何もかも。
すぐ足元で眠っている彼女の存在。
彼女が寝返りを打つ衣擦れの音。
彼女の静かで規則正しい寝息。
その全てが俺の五感を鋭く刺激する。
目を閉じれば、まぶたの裏に彼女の姿が浮かんでくる。
夏祭りの美しい浴衣姿。
プールの眩しすぎた水着姿。
そして今日、俺のベッドで無防備に眠っていた、あのあどけない寝顔。
「……くそっ」
俺は頭を抱えた。
これは拷-門だ。最高に甘く、そして最高に残酷な拷-門だ。
どのくらい時間が経っただろうか。
俺が悶々としながら何度も寝返りを打っていると、床から彼女の小さな声が聞こえてきた。
「……眠れませんか?」
彼女も起きていたらしい。
「……まあな。お前こそ」
「はい。私も、少しだけ」
彼女の声は夜の静寂の中で、いつもよりずっと近くに聞こえた。
「未来でも時々ありました。二人して目が冴えてしまって、朝までずっといろんな話をした夜が」
「……どんな、話だよ」
「そうですね……。子供の名前をどうするとか、将来はどんな家に住みたいとか、老後はどこでのんびり暮らそうかとか」
彼女が語る未来の話。
それは今までのような、俺をからかうためのものではなく、本当にただの幸せな夫婦の会話だった。
そのあまりにも温かくて穏やかな光景を想像して、俺の胸はきゅっと甘く締め付けられた。
「……なあ、雪城さん」
俺は思い切って尋ねてみた。
「その『事故』ってやつがなかったら、俺たち本当にそんな風になれてたのか?」
俺の問いに、彼女は少しの間黙り込んだ。
やがて、確信に満ちた静かな声が返ってきた。
「なれていました。いいえ、必ずなります。私がそうさせますから」
その力強い言葉。
彼女がどれほどの覚悟を持ってこの時代に来たのか。
その重みが、ずしりと俺の心に響いた。
そうだ。俺はもう一人じゃない。
彼女の覚悟を、俺も一緒に背負うんだ。
そう決めたじゃないか。
「……そうだな」
俺は暗闇の中で小さく笑った。
「二人で、そうしようぜ」
俺の言葉に、彼女が息を呑むのが分かった。
そして、布団の中で小さく「はい」と頷く気配がした。
それから、俺たちは何も話さなかった。
だが、もう眠れないという焦りはなかった。
ただ静かな闇の中で、お互いの存在を確かに感じている。
それだけで俺の心は、不思議なくらい穏やかに満たされていった。
この何も起きないけど、何もかもを意識してしまう眠れない夜。
それは俺たちの関係が、また一つ深く、そしてかけがえのないものになった証だった。
やがて東の空が白み始める頃。
俺はいつの間にか、穏やかな眠りに落ちていた。
夢の中で俺は、彼女と笑い合っていた。
未来の夫婦としてではなく、ただの恋人として。
そんなありふれた、でも最高に幸せな夢を見ていた。
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