異世界転生特典『絶対安全領域(マイホーム)』~家の中にいれば神すら無効化、一歩も出ずに世界最強になりました~

夏見ナイ

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第1話 過労死したので、今度は絶対に働きたくない

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チカチカと点滅する蛍光灯が、やけに目に染みた。
視界の端で揺れる光は、まるで俺の命の残り火が風に吹かれているかのようだ。机の上には、飲み干されたエナジードリンクの空き缶が墓標のように林立している。キーボードを叩く音だけが、静まり返ったオフィスに虚しく響き渡っていた。

俺、結城太一(ゆうき たいち)、三十歳。世に言うブラック企業に勤める、しがないシステムエンジニアだ。
今が何日の何時なのか、もうわからない。三日、いや四日は家に帰っていない気がする。仮眠は会社のソファで二、三時間取っただろうか。それすらも曖昧な記憶だ。
「結城さん、顔色、土気色ですよ。少し休んだらどうです?」
隣のデスクの後輩が、心配そうに声をかけてくる。その声がひどく遠くに聞こえた。
「……ああ、大丈夫だ。このバグさえ潰せば、ひと段落だから」
大丈夫なわけがない。頭は鉛のように重く、指先は痺れ、心臓は時折、嫌な音を立てて軋んでいた。それでも、ここで倒れるわけにはいかない。俺がやらなければ、このプロジェクトは止まる。止まれば、また上司の怒声が飛んでくる。そして、また無限の残業が待っている。
思考がループする。逃げ道はない。なら、やるしかない。

自分に鞭を打ち、モニターに映る意味不明な文字列の羅列を睨みつける。カフェインと糖分で無理やり動かしていた脳が、ついに悲鳴を上げた。
ズキン、と鋭い痛みが胸を貫く。
「う……っ」
息が詰まり、視界が急速に狭まっていく。キーボードを叩いていた指が止まり、力なく垂れ下がった。椅子からずり落ち、冷たい床に体が叩きつけられる。後輩の焦った声が聞こえる。誰かが駆け寄ってくる気配がする。
だが、もうどうでもよかった。
薄れていく意識の中、俺の脳裏に浮かんだのは、たった一つの、あまりにも切実な願いだった。

(ああ……休みたい。もう、なにもしたくない。誰にも邪魔されず、ただ、静かに……)

それが、結城太一という男の、三十年の生涯における最後の言葉となった。



ふと、意識が浮上した。
最初に感じたのは、圧倒的な解放感だった。体の重さも、頭痛も、胸の痛みも、すべてが消え失せている。まるで、長年背負い続けてきた重い鎧を脱ぎ捨てたかのようだ。
ゆっくりと目を開けると、そこは果てしなく広がる純白の空間だった。床も、壁も、天井もない。ただ、穏やかな光に満ちた、温かい無が広がっているだけだ。
「ここは……」
自分の声が、どこか他人事のように聞こえた。自分の体を見下ろすと、半透明になってうっすらと向こう側が透けて見えた。どうやら、俺は肉体を失い、魂だけの存在になったらしい。
「死んだ、のか」
不思議と悲しくはなかった。むしろ、安堵している自分がいた。もう、あの地獄のようなオフィスに戻らなくていいのだ。もう、働かなくていいのだ。
「その通り! ご名答! 君はめでたく、というか、まことにお気の毒ながら、お亡くなりになりました!」
突如、背後から陽気な声が響いた。驚いて振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
年の頃は二十代半ばだろうか。真っ白なTシャツにジーンズというラフな出で立ちで、やけに整った顔立ちを人の良さそうな笑みで崩している。神々しさなど欠片もなく、休日に渋谷あたりをぶらついていそうな、そんな雰囲気の男だった。
「……誰だ?」
「俺? 俺はまあ、いわゆる神ってやつだよ。地球エリアの転生担当、みたいな?」
男はへらりと笑いながら、なんでもないことのように言った。
「か、神……?」
あまりの軽さに拍子抜けする。もっとこう、威厳のある老人とか、後光が差している神々しい存在を想像していたのだが。
「いやー、それにしても君、本当にご苦労さんだったね。君の人生、こっちの端末で全部見させてもらったけど、マジで同情するよ。月平均残業三百時間超えとか、もはや人道に対する罪レベルでしょ」
神はどこからか取り出したタブレット端末をスワイプしながら、うんうんと頷いている。俺のプライバシーはどこへ行ったのか。
「で、まあ、はっきり言って、君の死は我々神々の管理不行き届きみたいな側面もなきにしもあらず、なんだよね。あんなブラック企業、もっと早くに天罰でも下しておくべきだった。というわけで、これは俺からのお詫びであり、救済措置だと思ってほしい」
神はパチンと指を鳴らした。
「君を、異世界に転生させてあげよう!」
「はあ」
「しかも! ただ転生させるだけじゃない。お詫びのしるしとして、君の望むチートな特典(スキル)を一つ、好きなだけ盛ってプレゼントしようじゃないか!」
なんとも胡散臭いテレビショッピングのような口調だった。しかし、提案の内容は無視できない。異世界転生。チートスキル。それは、かつて俺が現実逃避のために読み漁っていたウェブ小説で、飽きるほど目にした言葉だった。
「剣一本で万の軍勢を薙ぎ払う《剣聖》の才能?」「古代竜(エンシェントドラゴン)すら一撃で屠る《大魔道》の極意?」「世界中の富をその手にできる《豪商》の才覚? さあ、なんでも言ってみてくれ!」
神は目を輝かせ、まるで自分のことのように楽しそうだ。
だが、俺の心は微動だにしなかった。
剣聖? 大変そうだ。毎日素振りとかしないといけないんだろう。却下だ。
大魔道? 難しそうだ。呪文の詠唱とか、魔法陣の勉強とか、前世のプログラミングより面倒くさそうだ。却下。
豪商? 絶対に嫌だ。人と関わって、交渉して、帳簿をつけて……。それはもはや労働ではないか。論外だ。

俺は静かに首を横に振った。
「そういうのは、いらないです」
「え?」
俺の即答に、神はきょとんとした顔で固まった。
「俺の望みは、そんなものじゃありません。俺は……ただ、休みたいんです」
言葉に、魂が震えるほどの熱がこもった。それは、前世の三十年間、ずっと心の奥底に押し殺してきた、俺の唯一にして最大の願いだった。
「もう働きたくない。努力もしたくない。戦いたくないし、他人と関わりたくもない。ただひたすらに、誰にも、何にも邪魔されず、絶対に安全な場所で、ゴロゴロして、眠くなったら眠って、お腹が空いたら何か食べて……そんな、怠惰で、自堕落な生活がしたいんです!」
我ながら情けない願いだとは思う。だが、これが俺の偽らざる本心だった。過労で死んだ俺が、また異世界で必死に生きなければならないなど、冗談じゃない。今度こそ、魂の髄まで骨休みがしたいのだ。

俺の魂からの叫びに、神は最初、ぽかんと口を開けていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「ははは! あっははは! 最高だ、君! いままで何千、何万と転生者を見てきたけど、そんな願いを口にしたのは君が初めてだよ!」
一頻り笑った後、神は面白そうにニヤリと口角を上げた。
「いいじゃないか、そういうの! うん、実にいい! 面白い! よし、わかった。君のその切実すぎる願い、この俺が完璧に叶えてあげよう!」
神は再びタブレットを操作し、猛烈な勢いで何かを打ち込み始めた。
「普通のスキルじゃ駄目だな。君専用の、オーダーメイドのユニークスキルを創ってあげよう。コンセプトは『絶対安全・快適引きこもり空間』。これでどうだ!」
神が画面を俺に見せる。そこには、一つのスキルの詳細が表示されていた。

【ユニークスキル:絶対安全領域(マイホーム)】
・譲渡された一軒家、およびその敷地内が絶対的な安全領域となる。
・領域内は、あらゆる物理的・魔法的干渉を完全に無効化する。神々の干渉や、世界の理、因果律の操作さえ受け付けない。
・領域内の環境(気温、湿度、天候など)は、主(あるじ)の任意で操作可能。
・主の思考に応じて、領域内に任意の家具、食事、その他生活必需品を無限に生成できる。
・領域の主は、領域内のあらゆる事象を完全に掌握し、意のままに操ることができる。
・デメリット:領域から一歩でも外に出た場合、主は一切のスキルを持たないただの人間となる。

「……これだ」
俺は思わず呟いていた。震えが来た。まさに、俺が求めていたものそのものだった。
安全は完璧に保証され、生活には一切困らない。領域内では王様、いや、神様同然。そして、外に出る必要が一切ない。デメリットですら、引きこもりたい俺にとっては最大のメリットでしかない。
これこそが、俺の理想郷(ユートピア)だ。
「気に入ったかい?」
「はい……! これ以上ないくらいに!」
俺が力強く頷くと、神は満足そうに笑った。
「よし、交渉成立だ! それじゃあ、早速君を新しい世界に送ってあげよう。場所は、まあ適当に、静かで景色のいい森の奥にしといたから。君の新しい名前は……そうだな、『ユータ』なんてどうかな? 響きもいいだろ?」
「なんでもいいです。ありがとうございます」
もはや名前すらどうでもよかった。早く、早く俺の『絶対安全領域(マイホーム)』に行きたい。
「それじゃあ、健闘を祈る! いや、君の場合は怠惰を祈る、かな? 思う存分、理想の引きこもりライフを謳歌したまえ!」
神が軽薄にウィンクした瞬間、俺の足元に眩い光の魔法陣が広がった。体がふわりと浮き上がり、意識が急速に薄れていく。
最後に、俺は固く、固く誓った。

(今度こそ、絶対に働かない。誰が来ようと、何が起ころうと、俺は俺の家から一歩も出ないぞ……!)

それは、新しい世界で生きていく俺の、たった一つの、そして絶対の行動指針となった。
光が完全に俺の体を包み込んだ。
こうして、俺の理想の引きこもり生活を追求する物語は、静かに幕を開けたのだった。
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