異世界転生特典『絶対安全領域(マイホーム)』~家の中にいれば神すら無効化、一歩も出ずに世界最強になりました~

夏見ナイ

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第8話 メイド、覚醒

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獣人の少女、モカが我が家の新たな住人となってから、最初の数時間は、家の中に奇妙な緊張感が漂っていた。
モカは、リビングの隅っこで膝を抱えて丸くなり、まるで怯える本物の猫のように、俺とリリアの動きを警戒心の強い瞳でじっと観察していた。無理もないだろう。ついさっきまで奴隷商人に追われ、命の危機に瀕していたのだ。突然、訳の分からない場所に連れてこられ、訳の分からない男と、少しだけ知っているお嬢様と一緒にいる。安心しろと言う方が無理な話だ。

「さあ、モカさん。怖がらなくても大丈夫ですよ。こちらはユータ様。この家の主で、わたくしたちの恩人ですわ」
リリアが聖母のような笑みを浮かべて語りかけるが、モカはぴくりと耳を動かすだけで、一向に警戒を解こうとしない。
俺はと言えば、ソファに寝転がって魔導書を読んでいた。新しい住人が増えようと、俺のやることは変わらない。面倒事は、基本的にリリアに丸投げするスタイルだ。
しかし、ぐぅ、と小さな音がリビングに響いた。
音の発生源は、隅で丸くなっているモカの腹の虫だった。彼女ははっとしたように自分のお腹を押さえ、顔を真っ赤にして俯いてしまう。そういえば、追われていたくらいだから、まともな食事など摂れていないのだろう。
俺は読んでいた魔導書をぱたんと閉じ、今日何度目かのため息をついた。
「……リリア。お前が何か作ってやるか?」
俺がそう言うと、リリアは「はい! お任せください!」と意気込んだが、モカの体がびくりと強張ったのが分かった。獣人族は嗅覚が鋭い。おそらく、先日のリリア作『ダークマター』の残り香が、この家のどこかにまだ漂っているのを察知したのだろう。
「……いや、やめておこう。死人が出る」
「なっ……! ひどいですわ、ユータ様!」
抗議するリリアを無視し、俺はローテーブルに意識を向けた。子供向けの食事、か。獣人、猫。とくれば、やはり魚だろう。
(温かいミルク。それから、脂の乗った魚の塩焼き。骨は丁寧に取り除いておく。あと、デザートに甘い蜂蜜をかけたパンケーキ)
俺が念じると、ローテーブルの上に、湯気の立つ食事一式が音もなく出現した。香ばしい魚の匂いと、ミルクの甘い香りがリビングにふわりと広がる。
その瞬間、モカの猫耳がぴんっと立ち、鼻がひくひくと動いた。尻尾がぱたり、ぱたりと床を打ち始める。明らかに、匂いに釣られている。
「……腹、減ってるんだろ。食え」
俺がぶっきらぼうに言うと、モカは俺の顔と、テーブルの上の食事を交互に見た。その瞳には、まだ警戒の色が残っている。毒でも入っていると思っているのかもしれない。
「大丈夫だ。俺も食う」
俺は自分用にもう一人前の食事を生成し、無言で魚の塩焼きをほおばった。うん、うまい。完璧な塩加減だ。
俺が平然と食事をするのを見て、そしてリリアに「さあ、どうぞ」と優しく促され、モカはついに意を決したようだった。おずおずと隅っこから立ち上がると、小さな足でテーブルに近づき、まずは温かいミルクの入ったカップを両手で恐る恐る持ち上げた。
そして、一口。
その瞬間、モカの大きな瞳が、驚きに見開かれた。
よほど美味かったのだろう。彼女はこくこくと喉を鳴らし、あっという間にミルクを飲み干してしまった。そして、勢いづいたように魚の塩焼きにかじりつく。
「ん……! おいし……!」
初めて発した、名前以外の言葉だった。彼女は目を輝かせ、夢中で食事を始めた。パンケーキを食べる頃には、その口元は完全に緩みきっていた。
俺はそんな様子を横目で見ながら、食事を済ませる。空になった食器は、念じるだけで光の粒子となって消えた。その現象に、モカはまた目を丸くしていた。
食事が終わると、さすがに緊張が解けたのか、モカの瞼がとろんとしてきた。リリアが甲斐甲斐しく風呂の世話を焼き、俺が生成した子供用のパジャマに着替えさせると、彼女はリリアが用意した客室のベッドで、あっという間に安らかな寝息を立て始めた。

翌朝。
俺が目を覚まし、リビングに行くと、そこには意外な光景が広がっていた。
昨日までソファの周りに山積みになっていた魔導書が、種類ごと、大きさごとに綺麗に整理され、本棚にきっちりと収められている。ローテーブルは、指でなぞってもチリ一つ付かないほどピカピカに磨き上げられていた。
そして、その中心で、小さな体を懸命に動かし、雑巾で床を拭いているモカの姿があった。
「……何してるんだ?」
俺の声に、モカはびくりと肩を震わせ、振り返った。その手には、俺が生成した覚えのない、使い古された布きれが握られている。自分の着ていたボロ服でも裂いたのだろうか。
「あ……ご、ご主人様……。お、おはようございます……」
モカは俺のことを『ご主人様』と呼んだ。おそらく、奴隷だった頃の癖なのだろう。
「掃除なんて、俺が念じれば一瞬で終わる。お前がやる必要はない」
「で、でも……!」
モカは必死の形相で首を横に振った。
「わ、私、何もしないと……ここにいちゃいけない気がして……。リリア様みたいに、字も読めないし、難しいことも分からないけど……でも、掃除とか、力仕事なら……できますから……!」
その声は、懇願に近かった。彼女は、この家に自分の『居場所』と『価値』を見出そうとしているのだ。ここで役に立たなければ、またあの恐ろしい外の世界に捨てられてしまう。そう思い込んでいるのかもしれない。
俺は、少しだけ考える。
確かに、俺が念じれば家事はすべて終わる。だが、それはあくまで『結果』だけを求めるものだ。モカが自分の意志で、心を込めて行う掃除は、単なる『作業』とは違う意味を持つのかもしれない。
それに、何より。
(……誰かがやってくれるなら、俺が念じる手間すら省けるな)
これぞ、怠惰の極み。
俺は口の端をにやりと歪め、モカに言った。
「……そうか。まあ、お前がやりたいなら、好きにしろ。ただし、無理はするなよ」
「! はいっ!」
俺の許可が出たのがよほど嬉しかったのか、モカの顔がぱあっと明るくなった。尻尾が、ぶんぶんと子犬のように大きく振られている。
「ありがとうございます、ご主人様!」
彼女は元気よく返事をすると、再びせっせと掃除を始めた。その動きは驚くほど機敏で、手際が良かった。獣人族ならではの身体能力が、家事という分野で遺憾なく発揮されている。
そこへ、寝室からリリアが起きてきた。
「あら、モカさん。もう起きていたのです……って、まあ! なんて綺麗に!」
リビングの変貌ぶりに、リリアが驚きの声を上げる。
「わたくしも手伝いますわ!」
そう言ってリリアも雑巾を手に取ったが、その動きはどこかぎこちない。おそらく、人生で初めて床掃除などするのだろう。むしろ、モカの邪魔になっているようにすら見えた。

その日から、モカのメイドとしての才能は、完全に開花した。
掃除、洗濯、整理整頓。家事全般を完璧にこなす。俺が何かを命じる前に、先回りして「ご主人様、次は何をなさいますか?」と聞いてくる。俺がコーヒーを飲みたいと思えば、絶妙なタイミングで淹れたてのコーヒーが出てくる。肩が凝ったなと思えば、いつの間にか背後に回り、小さな手で的確にツボを揉みほぐしてくれる。
彼女の鋭い五感と観察眼は、主である俺の欲求を、言葉にする前に察知するのに特化していた。
「ご主人様、そろそろお昼の時間です。今日のお魚は、塩焼きにしますか? それとも煮付けにしますか?」
モカは、俺が生成した食材を使って、料理までこなすようになった。リリアのダークマターとは雲泥の差だ。素材の味を活かしたシンプルな調理法だが、火加減も塩加減も絶妙で、毎日食べても飽きない美味さだった。
俺の理想の引きこもり生活は、モカという最高のメイドの加入によって、劇的にクオリティが向上した。
俺はもう、食事や掃除のために、いちいち「念じる」必要すらない。ただソファに寝転がっていれば、完璧な環境が自動的に維持されるのだ。

「……メイドがいる生活ってのも、悪くないな」
ある日の午後。俺はソファに寝転がり、モカが淹れてくれた紅茶を飲みながら、満足げに呟いた。
傍らでは、リリアが難しい顔で魔導書を読んでおり、俺の足元では、モカが気持ちよさそうに喉を鳴らしながら丸くなってうたた寝をしていた。いつの間にか、すっかり俺に懐いてしまったようだ。
俺、王女様、猫メイド。
奇妙な組み合わせだが、不思議と居心地のいい空間が、そこにはあった。
騒がしくなったのは確かだ。だが、兵士や奴隷商人の立てる不快な騒音とは違う。温かくて、穏やかで、心地よい喧騒。
「まあ、たまにはこういうのも、いいか」
俺はそっと手を伸ばし、眠っているモカの猫耳を優しく撫でた。モカは「にゃん」と可愛らしい寝言を漏らし、俺の足にすり寄ってきた。
俺の理想の引きこもり生活は、少しずつ形を変えながら、だが確実に、より深く、より快適な怠惰の高みへと進化を続けていく。
この家に、次は何が訪れるのか。
今の俺は、ほんの少しだけ、それを楽しみにしている自分に気づいていた。
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