10 / 101
第十話 最初の勘違い「沈黙の賢者」
しおりを挟む村長のバルガスは、重い足取りで自分の屋敷に戻った。彼の頭の中は、あの奇妙な家の主、レイジ・ノマドのことで埋め尽くされていた。
「村長、いかがでしたか」
側近が出迎える。バルガスは大きく息を吐き、椅子にどっしりと腰を下ろした。
「……分からん。ますます分からなくなった」
彼の脳裏に、あの静まり返った家の光景が焼き付いている。人の気配は確かにあった。だが、主は頑として姿を見せようとはしなかった。まるで、外界との関わりを一切拒絶するかのように。
「あの男、我々を完全に無視するつもりらしい。呼びかけにも、扉を叩く音にも、一切反応を示さなかった」
「なんと無礼な。村長に対してそのような態度を取るとは」
側近は憤慨したが、バルガスは静かに首を横に振った。
「無礼、か。そうかもしれん。だが、もしあの噂が真実だとしたら?」
バルガスの言葉に、側近は息を呑んだ。
「もし、あの男が本当に王都の宮廷錬金術師をも凌ぐポーションを自在に生み出せるほどの力を持つとしたら、話は別だ。我々のような田舎村の村長など、彼にとっては取るに足らない存在なのかもしれん」
バルガスは腕を組み、目を閉じた。戦士として諸国を渡り歩いた若い頃の記憶が蘇る。人里離れた塔に住む大魔術師、名もなき山奥で剣の道を極めた剣聖。真の実力者と呼ばれる人間の中には、俗世の名声や富に一切興味を示さず、己の道をただひたすらに探求する孤高の存在が確かにいた。
彼らは、他者との関わりを極端に嫌った。自らの研究や修行を邪魔されることを、何よりも嫌悪した。
「あるいは、我々は大きな間違いを犯していたのかもしれん」
バルガスはゆっくりと目を開いた。その瞳には、ある種の畏敬の念が宿り始めていた。
「我々は彼を『怠け者のレイジ』と呼び、侮ってきた。だが、それは彼の真の姿ではなかったとしたら? 彼が働かなかったのは、我々が『労働』と呼ぶような低次元の営みが、彼にとっては無価値だったからではないのか」
側近は、バルガスの突拍子もない推論に戸惑いの色を見せた。
「村長、それはあまりに飛躍しすぎては……」
「飛躍か? だが、家の裏にあったあの樽と薬草の痕跡はどう説明する。あれは明らかに、大規模なポーション生成の跡だ。そして、彼はその力をひけらかすでもなく、ただ静かに、誰にも知られず暮らしている」
バルガスの言葉は、徐々に熱を帯びていく。点と点が繋がり、彼の中で一つの壮大な物語が構築されつつあった。
「彼は名声を求めない。富を欲しない。ただ、この静かな村で、誰にも邪魔されず自らの探求を続けている。我々が彼の家の扉を叩いたのは、その静寂を破る無粋な行為だったのだ。彼が姿を見せなかったのは、我々に対する怒りや侮りではない。我々のような俗物に関わること自体を、時間の無駄だと考えているからだ」
それは、もはや尊敬を通り越して、一種の信仰に近い感情だった。
「考えてみろ。なぜ彼は、一度だけ市場に現れた? しかも、あの常軌を逸したポーションを、ありえないほどの安値で売った。なぜだ?」
「それは…やはり、金に困っていたのでは?」
側近の現実的な答えに、バルガスは天を仰いだ。
「違う! 断じて違う! あのような御方が、はした金のために動くものか。もし金が目当てなら、もっとやりようがあったはずだ。王都へ行けば、国一つ買えるほどの富を築けただろう。だが、彼はそうしなかった。この寂れた村の、小さな市場で、名も告げずにほんの少しだけ売った。なぜか分かるか?」
バルガスは確信に満ちた目で側近を見つめた。
「あれは、慈悲だ。我々村人への、静かなる慈悲なのだ」
ここ数年、村は不作続きで活気を失っていた。冒険者たちの足も遠のき、市場は寂れる一方だった。村全体が、ゆっくりと沈んでいくような閉塞感に包まれていた。
「賢者様は、その全てを見ておられたのだ。我々の窮状を見かねて、自らの研究の貴重な産物であるあの奇跡の薬を、分け与えてくださった。我々が気兼ねなく手に入れられるよう、あえて安い値段をつけてな」
その言葉は、まるで神託のように側近の心に染み渡った。そうだ、そう考えれば全ての辻褄が合う。あの不可解な行動の全てが。
「一度きりしか現れなかったのも、そのためだ。自らの施しが感謝や称賛の対象となることを、彼は望んでいない。ただ、陰から我々を助け、見守る。なんと奥ゆかしく、そして深遠な御心だ……」
バルガスは感極まったように声を震わせた。
「彼は言葉を発しない。姿も見せない。だが、その行動は誰よりも雄弁に、我々への愛を示している。……そうだ。彼は、賢者だ。我々が敬意を込めてそう呼ぶべき、『沈黙の賢者』様なのだ」
ここに、最初の、そして最も根深い勘違いが誕生した。
バルガスの心は決まった。この村は、計り知れない幸運に恵まれたのだ。この賢者の存在は、村の宝であり、希望の光だ。我々はその御心に、全力で報いねばならない。
「よいか。賢者様は、我々との接触を望んでおられん。ならば、我々がすべきことは一つだ」
バルガスは立ち上がった。その顔には、村の未来を背負う長としての決意が漲っていた。
「直接の感謝は、かえって賢者様のご迷惑となるだろう。我々は、感謝の気持ちを『形』で示すのだ。村でとれた最高の収穫物を集めろ。最高の酒を樽に詰めろ。それらを、賢者様への供物として捧げるのだ」
その日の夕暮れ時。
レイジの家の前は、異様な光景に包まれていた。村長のバルガスを先頭に、数人の村人が静かに列をなしている。彼らの手には、瑞々しい野菜や果物が詰まったカゴ、焼きたてのパン、そして上等なワインの瓶が抱えられていた。
誰も、一言も発しない。賢者の静寂を乱すことは、最大の無礼だと誰もが理解していた。
彼らはまるで祭壇に捧げ物をするかのように、持ってきた品々をそっと、レイ-ジの家の玄関前に置いていく。
その頃、家の中の俺は、外の微かな人の気配に気づいていた。
(……また来たのか。懲りない奴らだ。だが、今日はやけに静かだな。まあいい。どうせすぐに帰るだろう)
俺は興味を失い、ベッドの上で寝返りを打った。外の世界で何が起きていようと、俺の安眠には関係ない。
全ての供物を置き終えたバルガスは、深く、深く頭を下げた。その姿に倣い、他の村人たちも一斉にこうべを垂れる。
「賢者様。我らが感謝の気持ち、どうかお受け取りください。この御恩は、村の名において決して忘れませぬ」
静かな祈りの言葉だけが、夕暮れの空気に溶けていく。
やがて彼らは、来た時と同じように音もなく去っていった。後に残されたのは、静まり返った家と、その玄関前に山と積まれた、最高級の食料品の山だけだった。
この一方的な善意が、俺の怠惰な生活をさらに盤石なものにし、そして勘違いの連鎖を地獄の釜のように煮詰めていくことになることを、もちろん俺はまだ知る由もなかった。
51
あなたにおすすめの小説
追放されたので田舎でスローライフするはずが、いつの間にか最強領主になっていた件
言諮 アイ
ファンタジー
「お前のような無能はいらない!」
──そう言われ、レオンは王都から盛大に追放された。
だが彼は思った。
「やった!最高のスローライフの始まりだ!!」
そして辺境の村に移住し、畑を耕し、温泉を掘り当て、牧場を開き、ついでに商売を始めたら……
気づけば村が巨大都市になっていた。
農業改革を進めたら周囲の貴族が土下座し、交易を始めたら王国経済をぶっ壊し、温泉を作ったら各国の王族が観光に押し寄せる。
「俺はただ、のんびり暮らしたいだけなんだが……?」
一方、レオンを追放した王国は、バカ王のせいで経済崩壊&敵国に占領寸前!
慌てて「レオン様、助けてください!!」と泣きついてくるが……
「ん? ちょっと待て。俺に無能って言ったの、どこのどいつだっけ?」
もはや世界最強の領主となったレオンは、
「好き勝手やった報い? しらんな」と華麗にスルーし、
今日ものんびり温泉につかるのだった。
ついでに「真の愛」まで手に入れて、レオンの楽園ライフは続く──!
ファンタジーは知らないけれど、何やら規格外みたいです 神から貰ったお詫びギフトは、無限に進化するチートスキルでした
渡琉兎
ファンタジー
『第3回次世代ファンタジーカップ』にて【優秀賞】を受賞!
2024/02/21(水)1巻発売!
2024/07/22(月)2巻発売!(コミカライズ企画進行中発表!)
2024/12/16(月)3巻発売!
2025/04/14(月)4巻発売!
応援してくださった皆様、誠にありがとうございます!!
刊行情報が出たことに合わせて02/01にて改題しました!
旧題『ファンタジーを知らないおじさんの異世界スローライフ ~見た目は子供で中身は三十路のギルド専属鑑定士は、何やら規格外みたいです~』
=====
車に轢かれて死んでしまった佐鳥冬夜は、自分の死が女神の手違いだと知り涙する。
そんな女神からの提案で異世界へ転生することになったのだが、冬夜はファンタジー世界について全く知識を持たないおじさんだった。
女神から与えられるスキルも遠慮して鑑定スキルの上位ではなく、下位の鑑定眼を選択してしまう始末。
それでも冬夜は与えられた二度目の人生を、自分なりに生きていこうと転生先の世界――スフィアイズで自由を謳歌する。
※05/12(金)21:00更新時にHOTランキング1位達成!ありがとうございます!
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
授かったスキルが【草】だったので家を勘当されたから悲しくてスキルに不満をぶつけたら国に恐怖が訪れて草
ラララキヲ
ファンタジー
(※[両性向け]と言いたい...)
10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。
親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。
同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……──
※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました!
※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立
黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」
「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」
ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。
しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。
「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。
だが、彼らは知らなかった。
ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを!
伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。
これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
外れスキルは、レベル1!~異世界転生したのに、外れスキルでした!
武蔵野純平
ファンタジー
異世界転生したユウトは、十三歳になり成人の儀式を受け神様からスキルを授かった。
しかし、授かったスキルは『レベル1』という聞いたこともないスキルだった。
『ハズレスキルだ!』
同世代の仲間からバカにされるが、ユウトが冒険者として活動を始めると『レベル1』はとんでもないチートスキルだった。ユウトは仲間と一緒にダンジョンを探索し成り上がっていく。
そんなユウトたちに一人の少女た頼み事をする。『お父さんを助けて!』
暗殺者から始まる異世界満喫生活
暇人太一
ファンタジー
異世界に転生したが、欲に目がくらんだ伯爵により嬰児取り違え計画に巻き込まれることに。
流されるままに極貧幽閉生活を過ごし、気づけば暗殺者として優秀な功績を上げていた。
しかし、暗殺者生活は急な終りを迎える。
同僚たちの裏切りによって自分が殺されるはめに。
ところが捨てる神あれば拾う神ありと言うかのように、森で助けてくれた男性の家に迎えられた。
新たな生活は異世界を満喫したい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる