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第十九話 王女騎士アリアの来訪
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アルテア王国の王都は、一つの噂で持ちきりだった。
東の辺境に、「賢者の住む奇跡の村」があるらしい。
その村は、神の恩寵を受けたかのように豊かで、そこで採れる作物は万病に効くという。噂は尾ひれをつけ、今や賢者は天候を操り、死者すら蘇らせる神の化身として語られていた。
ほとんどの者は、それを荒唐無稽な与太話として一笑に付した。だが、王国の第一王女にして、近衛騎士団の副団長を務めるアリア・フォン・アルテアは、その噂を無視できなかった。
「……これが、例の村か」
アリアは愛馬の手綱を引き、丘の上から眼下の村を見下ろした。簡素な家々が立ち並ぶ、どこにでもあるような小さな村だ。噂に聞くような奇跡の片鱗は、どこにも見当たらない。
彼女の傍らには、数名の護衛騎士と、一人のエルフが控えていた。
「やはり、ただの噂だったようですね。王都の貴族たちが騒ぎすぎなのですよ」
騎士の一人が、うんざりしたように言った。アリアも内心では同意していた。父である国王の命により、わざわざ王都から数日かけてやってきたが、骨折り損のくたびれ儲けになりそうだ。
「判断するのは、自分の目で見てからだ。行くぞ」
アリアは短く告げ、馬を進めた。彼女は生真面目な性格だった。任務である以上、憶測で物事を判断することはしない。
だが、村に近づくにつれて、アリアは自身の考えが甘かったことを思い知らされた。
まず、空気が違う。村の周囲には、黒々とした見事な畑がどこまでも広がっていた。そこで育つ作物は、どれも尋常ではない生命力に満ち溢れている。王家の御用達農園で育つ作物すら、これには遠く及ばないだろう。
「……これは」
アリアは馬から降り、畑の土をそっと指でつまんだ。信じられないほど柔らかく、豊かな香りがする。こんな土壌は、見たことも聞いたこともない。
「興味深いですね、アリア様」
静かに声をかけてきたのは、同行しているエルフの魔術師、リノ・シルヴァリーだった。長い銀髪を揺らし、尖った耳をぴくりと動かしている。彼女は王宮魔術師の中でも随一の天才と謳われる存在だ。
「この土壌、そして作物から、極めて微弱ですが、非常に高純度な魔力を感じます。自然発生したものではありません。何者かが、意図的に作り出したものです」
「魔術で、か?」
「ええ。ですが、これほど広範囲の土地を恒久的に改質するなど、大陸中の魔術師を集めても不可能です。これは……私の知らない、全く新しい体系の魔法です」
リノの紫色の瞳が、探求者のそれへと変わる。アリアはゴクリと唾を飲んだ。リノにここまで言わせるとは。噂は、ただの与太話ではないのかもしれない。
一行が村の門をくぐると、その予感は確信に変わった。
村は、信じられないほどの活気に満ちていた。道行く人々の顔は皆、幸福感に溢れている。子供たちは元気に駆け回り、大人たちは楽しげに談笑している。辺境の貧しい村というイメージとは、かけ離れた光景だった。
市場は、さらにアリアを驚かせた。露店には、先ほど畑で見たものと同じ、規格外の野菜や果物が山と積まれている。それらが、驚くほど安い値段で取引されていた。
「すごい……。こんな光景、王都の市場でも見たことがない」
騎士の一人が、呆然と呟く。アリアも同じ気持ちだった。豊かさとは、こういうことを言うのだろう。物資が溢れ、人々が笑顔でそれを分かち合う。これこそ、父王が理想とする国の姿そのものではないか。
アリアの一行は、その出で立ちからすぐに村長のバルガスに発見された。王家の紋章が入ったアリアの鎧を見て、バルガスは驚きながらも、深々と頭を下げた。
「これはこれは、王都からのお客様とは。ようこそ、我らが村へ」
「私がアリア・フォン・アルテアだ。貴殿がこの村の長か」
「はっ。バルガスと申します。して、アリア様がこのような辺境に、いかなる御用で?」
「噂の真偽を確かめに来た。『賢者の村』の噂をな」
アリアがそう告げた瞬間、バルガスの顔つきが変わった。驚きは消え、代わりに深い敬虔さと、揺るぎない誇りの色が浮かんだ。
「おお、アリア様も賢者様の噂をお聞き及びでしたか。噂は、全て真実にございます。いえ、噂などでは、賢者様の偉大さの百分の一もお伝えできませぬ」
そこから、バルガスによる熱のこもった賢者賛歌が始まった。一夜にして現れた井戸、不毛の大地を楽園に変えた奇跡、そして無償で与えられる聖なる恵み。語るバルガスの目は、狂信的とすら言えるほどの輝きを放っていた。
アリアは冷静に耳を傾けながらも、内心では混乱していた。話の内容が、あまりにも現実離れしている。まるで神話の物語だ。だが、この村の現実が、その物語を裏付けている。
「……その賢者とやらに、会うことはできるか」
アリアが本題を切り出すと、バルガスは少し困ったような顔で首を横に振った。
「賢者様は、我々のような俗物との関わりを一切望まれません。名声も富も求めず、ただ静かに、我々を見守ってくださる御方。我々も、賢者様のお邪魔をせぬよう、遠くから感謝を捧げるのみにございます」
会うことすらできないのか。アリアは眉をひそめた。ますます怪しい。あるいは、この村人たちは、何者かに騙されているのではないか。村を豊かにする代わりに、何かを搾取されているのかもしれない。正義感の強い彼女は、そう考えずにはいられなかった。
「その賢者は、どこにいる」
「村の外れにある、一軒の家にお住まいです。案内いたしましょう。ですが、お会いできるかは、賢者様のお心一つにございます」
バルガスに案内され、アリアたちは村の外れへと向かった。そこには、バルガスの話とは裏腹に、驚くほど質素で、むしろみすぼらしいとさえ言える一軒家がぽつんと建っていた。
庭は手入れされておらず、家の壁も古い。とても、数々の奇跡を起こした大人物の住処とは思えなかった。
「……ここか?」
「はい。ここが、賢者様のお住まいです」
バルガスは、その家に向かって深く頭を下げた。その姿は、神殿を参拝する敬虔な信者そのものだった。
アリアは、ごくりと息を飲んだ。
このボロ家に、本当に全ての謎を解く鍵があるのか。あるいは、壮大な詐欺の首謀者がいるのか。
「私が行って、話を聞いてくる」
アリアは騎士たちをその場に残し、一人、その家の扉へと歩き出した。
彼女の背中を、リノが興味深そうな目で見つめていた。その視線は、家そのものに向けられていた。
「……なるほど。これは、とんでもないことになっているかもしれませんね」
リノだけが、その質素な家を取り巻くように張り巡らされた、常識外れの超高密度な魔法結界の存在に、気づき始めていた。
東の辺境に、「賢者の住む奇跡の村」があるらしい。
その村は、神の恩寵を受けたかのように豊かで、そこで採れる作物は万病に効くという。噂は尾ひれをつけ、今や賢者は天候を操り、死者すら蘇らせる神の化身として語られていた。
ほとんどの者は、それを荒唐無稽な与太話として一笑に付した。だが、王国の第一王女にして、近衛騎士団の副団長を務めるアリア・フォン・アルテアは、その噂を無視できなかった。
「……これが、例の村か」
アリアは愛馬の手綱を引き、丘の上から眼下の村を見下ろした。簡素な家々が立ち並ぶ、どこにでもあるような小さな村だ。噂に聞くような奇跡の片鱗は、どこにも見当たらない。
彼女の傍らには、数名の護衛騎士と、一人のエルフが控えていた。
「やはり、ただの噂だったようですね。王都の貴族たちが騒ぎすぎなのですよ」
騎士の一人が、うんざりしたように言った。アリアも内心では同意していた。父である国王の命により、わざわざ王都から数日かけてやってきたが、骨折り損のくたびれ儲けになりそうだ。
「判断するのは、自分の目で見てからだ。行くぞ」
アリアは短く告げ、馬を進めた。彼女は生真面目な性格だった。任務である以上、憶測で物事を判断することはしない。
だが、村に近づくにつれて、アリアは自身の考えが甘かったことを思い知らされた。
まず、空気が違う。村の周囲には、黒々とした見事な畑がどこまでも広がっていた。そこで育つ作物は、どれも尋常ではない生命力に満ち溢れている。王家の御用達農園で育つ作物すら、これには遠く及ばないだろう。
「……これは」
アリアは馬から降り、畑の土をそっと指でつまんだ。信じられないほど柔らかく、豊かな香りがする。こんな土壌は、見たことも聞いたこともない。
「興味深いですね、アリア様」
静かに声をかけてきたのは、同行しているエルフの魔術師、リノ・シルヴァリーだった。長い銀髪を揺らし、尖った耳をぴくりと動かしている。彼女は王宮魔術師の中でも随一の天才と謳われる存在だ。
「この土壌、そして作物から、極めて微弱ですが、非常に高純度な魔力を感じます。自然発生したものではありません。何者かが、意図的に作り出したものです」
「魔術で、か?」
「ええ。ですが、これほど広範囲の土地を恒久的に改質するなど、大陸中の魔術師を集めても不可能です。これは……私の知らない、全く新しい体系の魔法です」
リノの紫色の瞳が、探求者のそれへと変わる。アリアはゴクリと唾を飲んだ。リノにここまで言わせるとは。噂は、ただの与太話ではないのかもしれない。
一行が村の門をくぐると、その予感は確信に変わった。
村は、信じられないほどの活気に満ちていた。道行く人々の顔は皆、幸福感に溢れている。子供たちは元気に駆け回り、大人たちは楽しげに談笑している。辺境の貧しい村というイメージとは、かけ離れた光景だった。
市場は、さらにアリアを驚かせた。露店には、先ほど畑で見たものと同じ、規格外の野菜や果物が山と積まれている。それらが、驚くほど安い値段で取引されていた。
「すごい……。こんな光景、王都の市場でも見たことがない」
騎士の一人が、呆然と呟く。アリアも同じ気持ちだった。豊かさとは、こういうことを言うのだろう。物資が溢れ、人々が笑顔でそれを分かち合う。これこそ、父王が理想とする国の姿そのものではないか。
アリアの一行は、その出で立ちからすぐに村長のバルガスに発見された。王家の紋章が入ったアリアの鎧を見て、バルガスは驚きながらも、深々と頭を下げた。
「これはこれは、王都からのお客様とは。ようこそ、我らが村へ」
「私がアリア・フォン・アルテアだ。貴殿がこの村の長か」
「はっ。バルガスと申します。して、アリア様がこのような辺境に、いかなる御用で?」
「噂の真偽を確かめに来た。『賢者の村』の噂をな」
アリアがそう告げた瞬間、バルガスの顔つきが変わった。驚きは消え、代わりに深い敬虔さと、揺るぎない誇りの色が浮かんだ。
「おお、アリア様も賢者様の噂をお聞き及びでしたか。噂は、全て真実にございます。いえ、噂などでは、賢者様の偉大さの百分の一もお伝えできませぬ」
そこから、バルガスによる熱のこもった賢者賛歌が始まった。一夜にして現れた井戸、不毛の大地を楽園に変えた奇跡、そして無償で与えられる聖なる恵み。語るバルガスの目は、狂信的とすら言えるほどの輝きを放っていた。
アリアは冷静に耳を傾けながらも、内心では混乱していた。話の内容が、あまりにも現実離れしている。まるで神話の物語だ。だが、この村の現実が、その物語を裏付けている。
「……その賢者とやらに、会うことはできるか」
アリアが本題を切り出すと、バルガスは少し困ったような顔で首を横に振った。
「賢者様は、我々のような俗物との関わりを一切望まれません。名声も富も求めず、ただ静かに、我々を見守ってくださる御方。我々も、賢者様のお邪魔をせぬよう、遠くから感謝を捧げるのみにございます」
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「その賢者は、どこにいる」
「村の外れにある、一軒の家にお住まいです。案内いたしましょう。ですが、お会いできるかは、賢者様のお心一つにございます」
バルガスに案内され、アリアたちは村の外れへと向かった。そこには、バルガスの話とは裏腹に、驚くほど質素で、むしろみすぼらしいとさえ言える一軒家がぽつんと建っていた。
庭は手入れされておらず、家の壁も古い。とても、数々の奇跡を起こした大人物の住処とは思えなかった。
「……ここか?」
「はい。ここが、賢者様のお住まいです」
バルガスは、その家に向かって深く頭を下げた。その姿は、神殿を参拝する敬虔な信者そのものだった。
アリアは、ごくりと息を飲んだ。
このボロ家に、本当に全ての謎を解く鍵があるのか。あるいは、壮大な詐欺の首謀者がいるのか。
「私が行って、話を聞いてくる」
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