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第二十話 アリア、レイジと会う
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アリアは、目の前の古びた木の扉を前にして、わずかに逡巡した。この先にいるのは、国を救うほどの偉大な賢者か、あるいは人々を惑わす悪辣な詐欺師か。どちらにせよ、並の人物ではないはずだ。
彼女は一つ深呼吸をすると、意を決して扉をノックした。
コン、コン。
静かな昼下がりに、乾いた音が響く。
……応答はない。
アリアは眉をひそめ、もう一度、今度は少し強く扉を叩いた。
ドンドン。
「開けてくれ! 王家の名において、アリア・フォン・アルテアが面会を求める!」
張りのある声が、家の周囲に響き渡る。だが、やはり家の中は静まり返ったままだ。
その頃、ベッドの上で微睡んでいた俺は、外から聞こえる騒音に顔をしかめていた。
(……うるさい。また村の連中か? いや、女の声だな。王家がどうとか言っているが、何の冗談だ)
俺は完全に無視を決め込むことにした。俺の怠惰な生活のルール、その第一条は「来客には応対しない」だ。俺が扉を開けるのは、よほどの非常事態か、あるいはピザの配達人が来た時くらいだ。もちろん、この世界にピザはない。
アリアは、扉の前で腕を組んだ。完全な居留守だ。これほどの無礼、王女として生きてきた中で受けたことがない。
(やはり、まともな相手ではないのか……)
怒りがこみ上げてくる。彼女は騎士だ。必要とあらば、この扉を蹴破ってでも中に踏み込む覚悟はあった。
だが、その時だった。
ギィ……。
古びた蝶番が軋む音を立てて、扉がゆっくりと内側へ開いた。
アリアは咄嗟に剣の柄に手をかけた。中から何者かが現れる。アリアは身構えた。
しかし、そこに人の姿はなかった。ただ、扉が開いただけだ。まるで、見えない誰かが「どうぞ」と招き入れたかのように。
「……何?」
アリアは戸惑ったが、これも好機と捉えた。彼女は慎重に、一歩ずつ家の中へと足を踏み入れた。
家の中は、意外なほど清潔だった。床には塵一つなく、窓ガラスは磨き上げられている。だが、生活感は希薄だった。家具は最低限のものしかなく、がらんとした印象を受ける。
そして、部屋の奥。簡素なベッドの上に、一人の男が横たわっているのが見えた。
おそらく、この家の主だろう。
男は、アリアが入ってきたことにも気づいていないのか、こちらに背を向けたまま微動だにしない。寝ているのか? いや、それにしては気配が静かすぎる。
アリアは、静かにベッドへと近づいた。
「……そこの男。私が誰か分かっているのか」
声をかけるが、返事はない。アリアの堪忍袋の緒が切れかかった。彼女は男の肩に手をかけ、強引にこちらを向かせようとした。
その瞬間、男が億劫そうに寝返りを打った。
そして、ゆっくりとこちらを振り向いた。
年の頃は二十歳前後だろうか。寝癖のついた黒髪に、眠たげな瞳。顔立ちは悪くないが、全く覇気が感じられない。まるで、魂が半分抜け落ちているかのようだ。
それが、アリアとレイジの最初の出会いだった。
俺は、ベッドの上から目の前の女を見上げた。
銀色の鎧に、燃えるような赤い髪。気の強そうな眉の下で、翡翠色の瞳がこちらを睨みつけている。腰には立派な剣。なるほど、確かに騎士のようだ。王女と名乗っていたが、その威厳も感じられる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
(……誰だか知らんが、人の安眠を妨害するなよ)
それが、俺の偽らざる本音だった。
「……何の用だ」
俺が、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、そして不機嫌な響きをしていた。
その態度に、アリアの眉がつり上がった。
「貴様、私が誰か分かって言っているのか! 私はアルテア王国第一王女、アリア・フォン・アルテアだぞ!」
「……ああ、そうか。で、王女様が、こんな辺鄙な場所の、俺のベッドの横で、一体何の用だ?」
俺は欠伸を噛み殺しながら言った。敬意など、一欠片もなかった。俺にとって、相手が王女だろうが村人だろうが、俺の睡眠を妨げる厄介者であることに変わりはない。
アリアは、絶句した。
彼女の頭の中は、大混乱に陥っていた。
この男が、賢者?
一夜にして大地を創り変え、聖なる泉を湧かせたという、あの?
嘘だ。
アリアの直感が、全力でそう叫んでいた。
目の前の男からは、知性も、威厳も、カリスマ性も、何一つ感じられない。あるのは、底なしの倦怠感と、他人への無関心だけだ。その瞳は、まるで光を失った沼のように淀んでいる。
こんな男が、あの奇跡を起こしたなど、到底信じられない。
「……貴様が、この村で『賢者』と呼ばれている男か」
アリアは、侮蔑を隠そうともせずに問いかけた。
「さあな。村の連中が勝手に言ってるだけだ。俺はレイジ。ただのレイジだ」
「では、聞く。この村で起きているという数々の奇跡。あれは、貴様の仕業か?」
「奇跡? 何のことだか分からんな」
俺は、しらばっくれた。井戸を掘ったのも、畑を作ったのも、全ては俺の個人的な都合だ。村のためなどでは断じてない。それをいちいち説明するのも面倒だった。
アリアは、その答えを聞いて確信した。
(やはり、偽物か!)
この男は、詐欺師だ。おそらく、偶然手に入れた古代の魔道具か何かを使い、村人たちを騙しているに違いない。そして、村人たちからの供物で、こうして怠惰な生活を送っているのだ。
許せない。
アリアの心に、正義の炎が燃え上がった。
純朴な村人たちを騙し、その信仰心を利用する。これほど卑劣な行いがあるだろうか。
「……貴様の嘘は、全て見抜いている」
アリアは、冷たく言い放った。その翡翠色の瞳は、絶対零度の光を宿している。
「村人たちを騙し、怠惰に暮らす。そんなことが許されると思うな。今すぐ、その化けの皮を剥いでくれる」
アリアの手が、再び剣の柄にかかる。その全身から放たれる殺気にも似たプレッシャーに、普通の人間なら竦み上がるだろう。
だが、俺は。
(……話が、長い)
ただ、それしか思わなかった。
(早く帰ってくれないかな。もう一眠りしたいんだが)
俺とアリア。二人の間には、絶望的なまでに深い認識の溝が横たわっていた。
アリアは、レイジを「村人を騙す怠惰な詐欺師」と断定し、失望と怒りを募らせる。
一方のレイジは、アリアを「安眠を妨害する面倒な女」としか認識していなかった。
この最悪の出会いが、後に国を揺るがすほどの巨大な勘違いの始まりになることを、まだ二人は知らなかった。
彼女は一つ深呼吸をすると、意を決して扉をノックした。
コン、コン。
静かな昼下がりに、乾いた音が響く。
……応答はない。
アリアは眉をひそめ、もう一度、今度は少し強く扉を叩いた。
ドンドン。
「開けてくれ! 王家の名において、アリア・フォン・アルテアが面会を求める!」
張りのある声が、家の周囲に響き渡る。だが、やはり家の中は静まり返ったままだ。
その頃、ベッドの上で微睡んでいた俺は、外から聞こえる騒音に顔をしかめていた。
(……うるさい。また村の連中か? いや、女の声だな。王家がどうとか言っているが、何の冗談だ)
俺は完全に無視を決め込むことにした。俺の怠惰な生活のルール、その第一条は「来客には応対しない」だ。俺が扉を開けるのは、よほどの非常事態か、あるいはピザの配達人が来た時くらいだ。もちろん、この世界にピザはない。
アリアは、扉の前で腕を組んだ。完全な居留守だ。これほどの無礼、王女として生きてきた中で受けたことがない。
(やはり、まともな相手ではないのか……)
怒りがこみ上げてくる。彼女は騎士だ。必要とあらば、この扉を蹴破ってでも中に踏み込む覚悟はあった。
だが、その時だった。
ギィ……。
古びた蝶番が軋む音を立てて、扉がゆっくりと内側へ開いた。
アリアは咄嗟に剣の柄に手をかけた。中から何者かが現れる。アリアは身構えた。
しかし、そこに人の姿はなかった。ただ、扉が開いただけだ。まるで、見えない誰かが「どうぞ」と招き入れたかのように。
「……何?」
アリアは戸惑ったが、これも好機と捉えた。彼女は慎重に、一歩ずつ家の中へと足を踏み入れた。
家の中は、意外なほど清潔だった。床には塵一つなく、窓ガラスは磨き上げられている。だが、生活感は希薄だった。家具は最低限のものしかなく、がらんとした印象を受ける。
そして、部屋の奥。簡素なベッドの上に、一人の男が横たわっているのが見えた。
おそらく、この家の主だろう。
男は、アリアが入ってきたことにも気づいていないのか、こちらに背を向けたまま微動だにしない。寝ているのか? いや、それにしては気配が静かすぎる。
アリアは、静かにベッドへと近づいた。
「……そこの男。私が誰か分かっているのか」
声をかけるが、返事はない。アリアの堪忍袋の緒が切れかかった。彼女は男の肩に手をかけ、強引にこちらを向かせようとした。
その瞬間、男が億劫そうに寝返りを打った。
そして、ゆっくりとこちらを振り向いた。
年の頃は二十歳前後だろうか。寝癖のついた黒髪に、眠たげな瞳。顔立ちは悪くないが、全く覇気が感じられない。まるで、魂が半分抜け落ちているかのようだ。
それが、アリアとレイジの最初の出会いだった。
俺は、ベッドの上から目の前の女を見上げた。
銀色の鎧に、燃えるような赤い髪。気の強そうな眉の下で、翡翠色の瞳がこちらを睨みつけている。腰には立派な剣。なるほど、確かに騎士のようだ。王女と名乗っていたが、その威厳も感じられる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
(……誰だか知らんが、人の安眠を妨害するなよ)
それが、俺の偽らざる本音だった。
「……何の用だ」
俺が、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、そして不機嫌な響きをしていた。
その態度に、アリアの眉がつり上がった。
「貴様、私が誰か分かって言っているのか! 私はアルテア王国第一王女、アリア・フォン・アルテアだぞ!」
「……ああ、そうか。で、王女様が、こんな辺鄙な場所の、俺のベッドの横で、一体何の用だ?」
俺は欠伸を噛み殺しながら言った。敬意など、一欠片もなかった。俺にとって、相手が王女だろうが村人だろうが、俺の睡眠を妨げる厄介者であることに変わりはない。
アリアは、絶句した。
彼女の頭の中は、大混乱に陥っていた。
この男が、賢者?
一夜にして大地を創り変え、聖なる泉を湧かせたという、あの?
嘘だ。
アリアの直感が、全力でそう叫んでいた。
目の前の男からは、知性も、威厳も、カリスマ性も、何一つ感じられない。あるのは、底なしの倦怠感と、他人への無関心だけだ。その瞳は、まるで光を失った沼のように淀んでいる。
こんな男が、あの奇跡を起こしたなど、到底信じられない。
「……貴様が、この村で『賢者』と呼ばれている男か」
アリアは、侮蔑を隠そうともせずに問いかけた。
「さあな。村の連中が勝手に言ってるだけだ。俺はレイジ。ただのレイジだ」
「では、聞く。この村で起きているという数々の奇跡。あれは、貴様の仕業か?」
「奇跡? 何のことだか分からんな」
俺は、しらばっくれた。井戸を掘ったのも、畑を作ったのも、全ては俺の個人的な都合だ。村のためなどでは断じてない。それをいちいち説明するのも面倒だった。
アリアは、その答えを聞いて確信した。
(やはり、偽物か!)
この男は、詐欺師だ。おそらく、偶然手に入れた古代の魔道具か何かを使い、村人たちを騙しているに違いない。そして、村人たちからの供物で、こうして怠惰な生活を送っているのだ。
許せない。
アリアの心に、正義の炎が燃え上がった。
純朴な村人たちを騙し、その信仰心を利用する。これほど卑劣な行いがあるだろうか。
「……貴様の嘘は、全て見抜いている」
アリアは、冷たく言い放った。その翡翠色の瞳は、絶対零度の光を宿している。
「村人たちを騙し、怠惰に暮らす。そんなことが許されると思うな。今すぐ、その化けの皮を剥いでくれる」
アリアの手が、再び剣の柄にかかる。その全身から放たれる殺気にも似たプレッシャーに、普通の人間なら竦み上がるだろう。
だが、俺は。
(……話が、長い)
ただ、それしか思わなかった。
(早く帰ってくれないかな。もう一眠りしたいんだが)
俺とアリア。二人の間には、絶望的なまでに深い認識の溝が横たわっていた。
アリアは、レイジを「村人を騙す怠惰な詐欺師」と断定し、失望と怒りを募らせる。
一方のレイジは、アリアを「安眠を妨害する面倒な女」としか認識していなかった。
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