「働きたくない…」と本気で祈ったら怠惰の神が降臨。【フルオート】で身の回りを快適にしていたら、インフラを整備した救国の英雄になっていた

夏見ナイ

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第二十七話 嵐の前の静けさ

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アリアが宿屋に戻った時、夜は既に更けていた。護衛の騎士たちは、主君の帰りを蝋燭の灯りの下で、固い表情で待ち続けていた。

「アリア様!」

彼女の姿を認めると、騎士たちは一斉に立ち上がった。その顔には、安堵と、そして隠しきれない疑問の色が浮かんでいる。

アリアは彼らの前に立ち、静かに、しかし揺るぎない声で告げた。

「これより、我々はしばらくこの村に滞在する」

「……は? 滞在、でございますか?」

騎士の一人が、戸惑いの声を上げる。アリアは静かに頷いた。

「そうだ。王都へは、調査が長引いている旨を伝える伝令を出す。異論は認めない」

その翡翠色の瞳には、もはや以前のような怒りも、失望もなかった。そこにあるのは、自らの使命を見出した者の、静かで燃えるような決意だった。騎士たちは、主君のその変化に気圧され、ただ「御意に」と頭を下げるしかなかった。

部屋に戻ったアリアは、一人、窓の外に浮かぶ月を見上げた。

(あの方は、我々が思うような英雄ではない。地位も、名誉も、富も求めない。ただ、己の信じる道を、誰にも知られず歩んでおられる)

彼女の脳裏に、レイジの怠惰で無気力な姿が浮かぶ。だが、今の彼女には、それが全く違うものに見えていた。

(そうだ。あの方は、我々に試練を与えておられるのかもしれない。目に見えるものだけに惑わされず、真実を見抜く目を我々が持っているのかを。そして私は、その最初の試練に、見事に落ちた)

深い自己嫌悪と、それ以上に深い畏敬の念が、彼女の胸を満たした。

(私にできることは、あの方の邪魔をしないこと。そして、あの方がこの地で成し遂げようとしている偉業が、何者にも妨げられることのないよう、この身を以て守護することだ)

王女騎士アリア・フォン・アルテアは、その夜、静かに剣を抜き、月光に照らされた刃に、新たな誓いを立てた。

一方、その頃。俺の家では、奇妙な同居生活が始まっていた。

翌朝、俺が目を覚ますと、寝室の扉のすぐ外に、人の気配がした。俺はうんざりしながら、思考だけで扉を開けた。

そこには、エルフの魔術師リノが、正座の姿勢でぴんと背筋を伸ばし、俺が起きてくるのを待ち構えていた。その手には、羊皮紙と羽ペンが握られている。

「おはようございます、マスター! 素晴らしいお目覚めですね! 早速ですが、本日の『一日一問』、よろしいでしょうか!」

彼女の瞳は、徹夜明けの研究者のようにギラギラと輝いていた。

「……ああ」

俺は欠伸をしながら、生返事をした。

「では、質問です! この家の掃除が、なぜ術者の指示なく、毎朝定刻に自動で開始されるのですか! 時間経過をトリガーとした条件分岐プログラムが組み込まれているのですか! それとも、大気中の魔素量の変化を感知して……」

「……タイマーだ」

俺は一言だけ答えると、さっさと厨房へ向かった。

背後で、リノが「タイマー! なんてシンプルな! だが、魔法で正確な時間を計測し、それを発動条件にするとは! 恐るべき発想の転換!」と興奮気味に呟き、羊皮紙に何かを猛烈な勢いで書き殴っているのが見えた。

先が思いやられた。

その日から、俺の生活は微妙に変化した。

朝食は、いつものように全自動でテーブルに並べられる。だが、その向かいの席には、リノが座るようになった。彼女は食事もそこそこに、俺の食べる様子や、食器がひとりでに片付けられていく様を、穴が開くほど観察し、詳細なメモを取っている。

昼間は、彼女はラボと化した物置にこもっていることが多かった。時折、中から「分かった!」「いや、違う!」などと奇声が聞こえてくるが、俺は聞こえないふりをした。俺の安眠さえ妨害されなければ、それでいい。

風呂に入る時が、一番厄介だった。俺が湯船に浸かっていると、リノは当然のように風呂場の外に陣取り、給湯システムから流れ出る魔力の波長を、水晶玉を使って分析し始めた。

「この安定した熱量変換効率……。マスター、もしかして、魔力の位相を反転させて……」

「質問は、一日一個までだ」

俺が冷たく言うと、彼女は「むぅ」と唇を尖らせながらも、それ以上は何も言わなかった。ルールは、かろうじて守っているらしい。

アリアの方も、宣言通り村に滞在していた。

彼女は騎士たちに命じ、村の周辺、特に俺の家の周囲の警備を、これ以上ないほど厳重なものにした。

「賢者様の静寂を、何人たりとも乱してはならん。不審な者は、即座に捕縛せよ」

その結果、俺の家は、王女の私兵によって守られる、鉄壁の要塞と化した。時折、供物を持ってこようとした村人まで追い返され、バルガス村長が慌ててアリアに事情を説明する、という一幕もあった。

アリア自身は、剣の稽古に打ち込むか、あるいは村の子供たちに剣術の初歩を教えるなどして過ごしていた。だが、その視線は、常に俺の家の方角を向いていた。まるで、聖地を見守る神殿の守護騎士のように。

こうして、数日が過ぎた。

村には、奇妙な安定が訪れた。

村人たちは、賢者の恵みと王女の庇護の下、かつてないほどの平和と繁栄を謳歌している。
アリアは、レイジという偉大なる聖人(という勘違い)の存在を確信し、自らの使命に燃えている。
リノは、レイジという最高の研究対象(というおもちゃ)を手に入れ、知的好奇心を存分に満たしている。

そして、俺は。

家に変なエルフが一人増え、家の周りがやけに物々しくなったことを除けば、いつも通り、ベッドの上で怠惰な生活を送っていた。

誰もが、それぞれの思い込みの中で、奇妙なバランスを保っていた。

それは、まるで巨大な嵐が訪れる前の、束の間の凪のような、静かで、どこか歪んだ日常だった。
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