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第三十九話 領主の感謝と新たな誤解
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俺が『星降りの塩』を手に入れてから数日後。俺の家の前に、一台の豪華な馬車が止まった。村にあるどんな馬車よりも大きく、磨き上げられた車体には見慣れない紋章が刻まれている。
(……なんだ、あれ)
ベッドの中から、俺はその様子をぼんやりと眺めていた。面倒ごとでなければいいが。
馬車の扉が開き、肥満気味の、いかにも裕福そうな身なりの男が降りてきた。絹の服を身にまとい、指にはこれみよがしに宝石の指輪が光っている。男は、家の周りを警備するアリアの騎士たちを見て一瞬怯んだが、すぐに尊大な態度を取り戻し、騎士団のリーダー格に話しかけた。
「わ、私は、この地を治める領主、バナザール伯爵である! 何やら、王家の騎士様方がおられるとは聞いていたが……。して、この家の主はおるか! 賢者殿にお目通りを願いたい!」
領主、バナザール。彼の名は、俺も聞き覚えがあった。欲深く、領民からの評判はあまり良くない男だ。
アリアの騎士は、領主の登場にも全く動じることなく、冷ややかに言い放った。
「賢者様は、俗人との面会を望まれぬ。お引き取り願おう」
「な、無礼な! 私はこの地の領主だぞ! 王家の騎士とて、私を無碍にはできまい!」
「我らは王命にあらず。アリア様の直属の騎士団である。我らにとって、賢者様の安寧こそが最優先事項。たとえ相手が領主であろうと、例外はない」
騎士は一歩も引かない。バナザールは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたが、屈強な騎士たちに囲まれ、どうすることもできないようだった。
俺は、そのやり取りを他人事のように眺めていた。
(……いいぞ、もっとやれ)
あの女騎士の存在も、たまには役に立つものだ。面倒な客人を、勝手に追い払ってくれる。
だが、状況は俺が望まない方向へと進んだ。
その騒ぎを聞きつけたのか、宿屋からアリア本人が現れたのだ。
「騒がしいぞ。何事だ」
「アリア様! こ、この者たちが……!」
バナザールは、アリアの姿を認めるなり、泣きつくように駆け寄った。だが、アリアの視線は氷のように冷たかった。
「領主バナザール。貴殿がここに来た目的は、分かっている。賢者様の偉業にあやかり、自らの手柄にしようという魂胆だろう。浅ましい」
「ひっ……! い、いえ、滅相もございません!」
バナザールは、アリアの威圧感に完全に気圧されていた。
アリアは、ふう、と一つ息をついた。
「……だが、貴殿の来訪は、賢者様もお見通しかもしれん。私が判断することではない。……通してやれ」
「しかし、アリア様!」
「よい。ただし、面会が許されるかは、賢者様のお心一つだ」
騎士たちが、渋々道を開けた。バナザールは、供え物として持ってきたのだろう、大きな桐の箱を従者に持たせ、恐る恐る俺の家の扉へと近づいてきた。
(……おい、余計なことをするな、女騎士)
俺は、心の中で悪態をついた。
コン、コン。
控えめなノックの音。俺は、もちろん無視を決め込んだ。
「け、賢者様……! わ、私は、この地を治めます、バナザールと申します! この度の、賢者様が成された偉業、領民を代表し、心より御礼申し上げます!」
扉の向こうから、緊張で上擦った声が聞こえてくる。
「つきましては、ささやかではございますが、感謝の印をお持ちいたしました! どうか、お納めいただけませんでしょうか!」
それでも俺は、無言を貫いた。どうせ居留守を使えば、諦めて帰るだろう。
だが、バナザールは諦めなかった。
「賢者様! この道のおかげで、我が領地の経済は、未曾有の活性化を遂げております! 民は豊かになり、笑顔が戻りました! これも全て、賢者様の深き慈悲の心のおかげにございます!」
彼は、扉の前で、延々と俺への賛辞を並べ立て始めた。その声が、俺の貴重な午睡の時間を、じわじわと蝕んでいく。
(……うるさい)
もう、限界だった。
俺は、思考だけで、扉に設置しておいた簡易的な音声再生システムを起動した。登録しておいた、俺の不機嫌な声。
『……置いて、去れ』
その、冷たく短い一言が、扉を通して外に響き渡った。
その言葉を聞いた瞬間、バナザールは、ビクリと豚のような体を震わせた。
そして、次の瞬間。彼の顔は、感極まったようにくしゃくしゃに歪んだ。
「……おお」
彼は、その場に膝から崩れ落ちた。
「おお……! 賢者様……! 我が感謝の心を、お受け取りくださるのですね……!」
彼は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、扉に向かって何度も何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……! このバナザール、賢者様への忠誠を、今ここに誓いますぞ……!」
彼は従者に合図し、桐の箱を恭しく扉の前に置かせると、まるで聖地から離れるのを惜しむかのように、何度も振り返りながら、馬車へと戻っていった。
その一部始終を、アリアは冷めた目で見つめていた。
(……やはり、こうなったか)
彼女には、全てが分かっていた。
(あの方は、バナザールのような俗物と、言葉を交わすことすら時間の無駄だとお考えなのだ。だが、その感謝の心だけは、無下にはされない。なんと、なんと寛大で、そして合理的な御判断だ)
彼女の中で、俺の「ただ面倒だから追い返した」だけの行動は、またしても聖人の慈悲深い行いへと、完璧に変換されていた。
俺は、外が静かになったのを確認すると、思考だけで供物を家の中へと回収させた。
桐の箱を開けてみると、中には大量の金貨がぎっしりと詰まっていた。
「……ほう」
思わず、声が漏れた。
これで、当分、生活費に困ることはないだろう。いや、一生遊んで暮らせるかもしれない。
(あのデブ、意外と役に立つじゃないか)
俺は、鼻歌交じりで金貨を眺めた。
この金が、バナザールが領民から搾り取った税金であることなど、俺は知る由もなかった。
そして、この臨時収入が、俺の怠惰な生活に、さらなる面倒ごとを引き寄せることになるということも。
(……なんだ、あれ)
ベッドの中から、俺はその様子をぼんやりと眺めていた。面倒ごとでなければいいが。
馬車の扉が開き、肥満気味の、いかにも裕福そうな身なりの男が降りてきた。絹の服を身にまとい、指にはこれみよがしに宝石の指輪が光っている。男は、家の周りを警備するアリアの騎士たちを見て一瞬怯んだが、すぐに尊大な態度を取り戻し、騎士団のリーダー格に話しかけた。
「わ、私は、この地を治める領主、バナザール伯爵である! 何やら、王家の騎士様方がおられるとは聞いていたが……。して、この家の主はおるか! 賢者殿にお目通りを願いたい!」
領主、バナザール。彼の名は、俺も聞き覚えがあった。欲深く、領民からの評判はあまり良くない男だ。
アリアの騎士は、領主の登場にも全く動じることなく、冷ややかに言い放った。
「賢者様は、俗人との面会を望まれぬ。お引き取り願おう」
「な、無礼な! 私はこの地の領主だぞ! 王家の騎士とて、私を無碍にはできまい!」
「我らは王命にあらず。アリア様の直属の騎士団である。我らにとって、賢者様の安寧こそが最優先事項。たとえ相手が領主であろうと、例外はない」
騎士は一歩も引かない。バナザールは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたが、屈強な騎士たちに囲まれ、どうすることもできないようだった。
俺は、そのやり取りを他人事のように眺めていた。
(……いいぞ、もっとやれ)
あの女騎士の存在も、たまには役に立つものだ。面倒な客人を、勝手に追い払ってくれる。
だが、状況は俺が望まない方向へと進んだ。
その騒ぎを聞きつけたのか、宿屋からアリア本人が現れたのだ。
「騒がしいぞ。何事だ」
「アリア様! こ、この者たちが……!」
バナザールは、アリアの姿を認めるなり、泣きつくように駆け寄った。だが、アリアの視線は氷のように冷たかった。
「領主バナザール。貴殿がここに来た目的は、分かっている。賢者様の偉業にあやかり、自らの手柄にしようという魂胆だろう。浅ましい」
「ひっ……! い、いえ、滅相もございません!」
バナザールは、アリアの威圧感に完全に気圧されていた。
アリアは、ふう、と一つ息をついた。
「……だが、貴殿の来訪は、賢者様もお見通しかもしれん。私が判断することではない。……通してやれ」
「しかし、アリア様!」
「よい。ただし、面会が許されるかは、賢者様のお心一つだ」
騎士たちが、渋々道を開けた。バナザールは、供え物として持ってきたのだろう、大きな桐の箱を従者に持たせ、恐る恐る俺の家の扉へと近づいてきた。
(……おい、余計なことをするな、女騎士)
俺は、心の中で悪態をついた。
コン、コン。
控えめなノックの音。俺は、もちろん無視を決め込んだ。
「け、賢者様……! わ、私は、この地を治めます、バナザールと申します! この度の、賢者様が成された偉業、領民を代表し、心より御礼申し上げます!」
扉の向こうから、緊張で上擦った声が聞こえてくる。
「つきましては、ささやかではございますが、感謝の印をお持ちいたしました! どうか、お納めいただけませんでしょうか!」
それでも俺は、無言を貫いた。どうせ居留守を使えば、諦めて帰るだろう。
だが、バナザールは諦めなかった。
「賢者様! この道のおかげで、我が領地の経済は、未曾有の活性化を遂げております! 民は豊かになり、笑顔が戻りました! これも全て、賢者様の深き慈悲の心のおかげにございます!」
彼は、扉の前で、延々と俺への賛辞を並べ立て始めた。その声が、俺の貴重な午睡の時間を、じわじわと蝕んでいく。
(……うるさい)
もう、限界だった。
俺は、思考だけで、扉に設置しておいた簡易的な音声再生システムを起動した。登録しておいた、俺の不機嫌な声。
『……置いて、去れ』
その、冷たく短い一言が、扉を通して外に響き渡った。
その言葉を聞いた瞬間、バナザールは、ビクリと豚のような体を震わせた。
そして、次の瞬間。彼の顔は、感極まったようにくしゃくしゃに歪んだ。
「……おお」
彼は、その場に膝から崩れ落ちた。
「おお……! 賢者様……! 我が感謝の心を、お受け取りくださるのですね……!」
彼は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、扉に向かって何度も何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……! このバナザール、賢者様への忠誠を、今ここに誓いますぞ……!」
彼は従者に合図し、桐の箱を恭しく扉の前に置かせると、まるで聖地から離れるのを惜しむかのように、何度も振り返りながら、馬車へと戻っていった。
その一部始終を、アリアは冷めた目で見つめていた。
(……やはり、こうなったか)
彼女には、全てが分かっていた。
(あの方は、バナザールのような俗物と、言葉を交わすことすら時間の無駄だとお考えなのだ。だが、その感謝の心だけは、無下にはされない。なんと、なんと寛大で、そして合理的な御判断だ)
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俺は、外が静かになったのを確認すると、思考だけで供物を家の中へと回収させた。
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「……ほう」
思わず、声が漏れた。
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