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第四十四話 王からの召喚命令
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アルテア王国の王都は、熱病に浮かされていた。
その病の名は、『賢者の恵み』。
東の辺境からもたらされる奇跡の産物は、瞬く間に王都の貴族社会を席巻した。夜会で供されるワインは賢者の恵みでなければならず、貴婦人たちが楽しむ午後の茶会には、賢者の恵みのジャムが塗られたスコーンが欠かせない。そのロゴが入った品を持っているかどうかが、その者の地位と富、そして時代の流れを読むセンスを測る新たな指標となっていた。
この熱狂は、当然、王城の中枢にまで届いていた。
「……またか」
国王オルデウス・フォン・アルテアは玉座の間で宰相から差し出された報告書の山を見て、深くため息をついた。報告書の内容は、どれも同じだった。東の辺境からもたらされる経済的恩恵の莫大さと、その源泉である謎の『賢者』に関する、真偽不明の噂の数々。
「陛下。もはやこの事態を座視することはできませぬ」
老練な宰相が、憂いを帯びた声で進言した。
「『賢者の道』は我が国の物流を根底から変えました。商業都市『レイジ・シティ』は王都に匹敵するほどの商業拠点となりつつあります。そして、『賢者の恵み』ブランドは一部の貴族の間で、王家の御用達品よりも価値が高いとさえ囁かれる始末。これら全てが、我らが関知せぬ一人の人間の手によって、わずか数ヶ月のうちに成されたのです」
その言葉の重みを、オルデウスは誰よりも理解していた。
それは祝福であると同時に、呪いでもあった。国の統制の外で、国そのものを変えるほどの力が生まれている。これは、王国の統治体制に対する静かなる挑戦に他ならなかった。
「アリアからの報告書は読んだ。人知を超えた力、国家の根幹を揺るがす可能性、か。あいつにしては随分と歯切れの悪い報告だ」
「王女殿下も、かの地の異常事態を前に判断に迷っておられるのでしょう。それほどの何かが、あの村にはあるのです」
オルデウスは玉座から立ち上がった。窓の外に広がる、彼が治めるべき王都の景色を見下ろす。
「……このままでは、示しがつかぬ」
王の声は低く、そして揺るぎない決意に満ちていた。
「この国の王は、私だ。この国で起きる全てのことは、私の統治の下にあるべきだ。その『賢者』とやらが、何者であろうとも」
彼は宰相に向き直った。
「勅使を派遣する。私の名において、賢者レイジ・ノマドを王都に召喚せよ。彼が真に国を思う忠臣ならば、我が呼びかけに応えるだろう。もし、国を乱す不届き者ならば……」
オルデウスの目が鋭く光った。
「……その時は、力をもって王の権威を知らしめるまで」
数日後。
賢者の道を、一糸乱れぬ隊列を組んだ一団が進んでいた。先頭に立つのは白銀の鎧に身を包んだ壮年の騎士。その顔には深い皺が刻まれ、歴戦の強者だけが持つ威厳が漂っている。彼の名はグレイグ・フォン・ヴァレンシュタイン。アルテア王国近衛騎士団の団長にして、王国最強と謳われる男だった。
彼が率いるのは国王直属の近衛騎士十名。誰もが王国の紋章が刻まれた旗を掲げ、その様は、まさに王の権威そのものが移動しているかのようだった。
彼らが商業都市を抜け、村の入り口に姿を現した時、村人たちはその威容に息を呑み、道端にひれ伏した。
アリアは部下からの報告を受け、村の広場で勅使の一団を出迎えた。
「グレイグ団長。ご苦労様です。父上からの勅使とは、一体何事でございましょうか」
アリアは気丈に振る舞いながらも、内心では深い憂慮を覚えていた。
グレイグは馬上からアリアに一礼すると、重々しい口調で告げた。
「アリア様。陛下は、この地に住まう賢者レイジ・ノマド殿を王都へ召喚されるとの御命令です。我々は、その旨を伝え、賢者殿を王都までお連れするために参りました」
「……なんと」
アリアの表情がわずかに曇った。
(父上……。やはり、あの方の偉大さをまだご理解いただけていないのか)
彼女の脳裏に、レイジの言葉が蘇る。『国とか、どうでもいい』。
(あの方が、王の召喚如きでこの聖地を動かれるはずがない。この者たちの来訪は、かえって賢者様のお心を乱すだけだ)
「団長。賢者様は俗世との関わりを望まれぬ、超越した御方です。召喚などという形でその静寂を乱すのは、賢者様に対してあまりに無礼かと」
アリアは穏やかに、しかしはっきりと自らの懸念を伝えた。だが、グレイグは生真面目な顔で首を横に振った。
「王命は絶対です、アリア様。たとえ相手が何者であろうと、国王陛下の臣下であることに変わりはありません。我々は、任務を遂行するのみ」
その言葉に、アリアはそれ以上何も言えなかった。彼女もまた王国の騎士。王命の重さは誰よりも理解している。
「……分かりました。ならば私が案内しましょう。ですが、決して賢者様のご機嫌を損ねるような、無礼な振る舞いだけはなさらぬよう、お願い申し上げます」
アリアは祈るような気持ちで、勅使の一団をレイジの家へと導いた。
家の前では、リノがラボから顔を出し、物々しい雰囲気の一団を興味深そうに眺めていた。
グレイグは古びた家の前に立つと馬から降りた。そして、巻物を手に取り、朗々と腹の底から響き渡るような声で口上を述べ始めた。
「開門せよ! 国王陛下の勅命である! この家に住まう賢者、レイジ・ノマドに告ぐ!」
その声は村全体に響き渡るほどに大きく、そして荘厳だった。
「その類稀なる才、既に陛下の耳にも達しておられる! 陛下は汝の功績を高く評価され、直々に謁見を賜るとのこと! 速やかに支度を整え、我らと共に王都へ参上せよ! これは、王命である!」
王の権威を背負った、絶対の命令。それに逆らうことは王国への反逆を意味する。
アリアは固唾を飲んで、静まり返った家の扉を見つめていた。
その頃。
ようやく静かな午後を取り戻し、ベッドの上で最高の昼寝を堪能していた俺の耳に、地響きのような怒鳴り声が突き刺さった。
(……う、うるさい……)
俺は、眉間に深い皺を寄せた。
(なんだ、今度は。拡声器でも使ってるのか。誰だか知らんが、人の安眠を妨害するな……。王様? 召喚? 知るか、そんなもん……)
俺の意識は、不快な騒音に対する純粋な怒りと猛烈な眠気の間で、混沌としていた。
外では王国最強の騎士団長が、人生で最も荘厳な声で口上を続けている。
家の中ではその声を聞きながら、一人の男が「うるさいなあ、もう……」と、本気で寝返りを打とうとしていた。
この国の最高権力者からの命令は、彼にとってただの騒音以外の何物でもなかった。
その病の名は、『賢者の恵み』。
東の辺境からもたらされる奇跡の産物は、瞬く間に王都の貴族社会を席巻した。夜会で供されるワインは賢者の恵みでなければならず、貴婦人たちが楽しむ午後の茶会には、賢者の恵みのジャムが塗られたスコーンが欠かせない。そのロゴが入った品を持っているかどうかが、その者の地位と富、そして時代の流れを読むセンスを測る新たな指標となっていた。
この熱狂は、当然、王城の中枢にまで届いていた。
「……またか」
国王オルデウス・フォン・アルテアは玉座の間で宰相から差し出された報告書の山を見て、深くため息をついた。報告書の内容は、どれも同じだった。東の辺境からもたらされる経済的恩恵の莫大さと、その源泉である謎の『賢者』に関する、真偽不明の噂の数々。
「陛下。もはやこの事態を座視することはできませぬ」
老練な宰相が、憂いを帯びた声で進言した。
「『賢者の道』は我が国の物流を根底から変えました。商業都市『レイジ・シティ』は王都に匹敵するほどの商業拠点となりつつあります。そして、『賢者の恵み』ブランドは一部の貴族の間で、王家の御用達品よりも価値が高いとさえ囁かれる始末。これら全てが、我らが関知せぬ一人の人間の手によって、わずか数ヶ月のうちに成されたのです」
その言葉の重みを、オルデウスは誰よりも理解していた。
それは祝福であると同時に、呪いでもあった。国の統制の外で、国そのものを変えるほどの力が生まれている。これは、王国の統治体制に対する静かなる挑戦に他ならなかった。
「アリアからの報告書は読んだ。人知を超えた力、国家の根幹を揺るがす可能性、か。あいつにしては随分と歯切れの悪い報告だ」
「王女殿下も、かの地の異常事態を前に判断に迷っておられるのでしょう。それほどの何かが、あの村にはあるのです」
オルデウスは玉座から立ち上がった。窓の外に広がる、彼が治めるべき王都の景色を見下ろす。
「……このままでは、示しがつかぬ」
王の声は低く、そして揺るぎない決意に満ちていた。
「この国の王は、私だ。この国で起きる全てのことは、私の統治の下にあるべきだ。その『賢者』とやらが、何者であろうとも」
彼は宰相に向き直った。
「勅使を派遣する。私の名において、賢者レイジ・ノマドを王都に召喚せよ。彼が真に国を思う忠臣ならば、我が呼びかけに応えるだろう。もし、国を乱す不届き者ならば……」
オルデウスの目が鋭く光った。
「……その時は、力をもって王の権威を知らしめるまで」
数日後。
賢者の道を、一糸乱れぬ隊列を組んだ一団が進んでいた。先頭に立つのは白銀の鎧に身を包んだ壮年の騎士。その顔には深い皺が刻まれ、歴戦の強者だけが持つ威厳が漂っている。彼の名はグレイグ・フォン・ヴァレンシュタイン。アルテア王国近衛騎士団の団長にして、王国最強と謳われる男だった。
彼が率いるのは国王直属の近衛騎士十名。誰もが王国の紋章が刻まれた旗を掲げ、その様は、まさに王の権威そのものが移動しているかのようだった。
彼らが商業都市を抜け、村の入り口に姿を現した時、村人たちはその威容に息を呑み、道端にひれ伏した。
アリアは部下からの報告を受け、村の広場で勅使の一団を出迎えた。
「グレイグ団長。ご苦労様です。父上からの勅使とは、一体何事でございましょうか」
アリアは気丈に振る舞いながらも、内心では深い憂慮を覚えていた。
グレイグは馬上からアリアに一礼すると、重々しい口調で告げた。
「アリア様。陛下は、この地に住まう賢者レイジ・ノマド殿を王都へ召喚されるとの御命令です。我々は、その旨を伝え、賢者殿を王都までお連れするために参りました」
「……なんと」
アリアの表情がわずかに曇った。
(父上……。やはり、あの方の偉大さをまだご理解いただけていないのか)
彼女の脳裏に、レイジの言葉が蘇る。『国とか、どうでもいい』。
(あの方が、王の召喚如きでこの聖地を動かれるはずがない。この者たちの来訪は、かえって賢者様のお心を乱すだけだ)
「団長。賢者様は俗世との関わりを望まれぬ、超越した御方です。召喚などという形でその静寂を乱すのは、賢者様に対してあまりに無礼かと」
アリアは穏やかに、しかしはっきりと自らの懸念を伝えた。だが、グレイグは生真面目な顔で首を横に振った。
「王命は絶対です、アリア様。たとえ相手が何者であろうと、国王陛下の臣下であることに変わりはありません。我々は、任務を遂行するのみ」
その言葉に、アリアはそれ以上何も言えなかった。彼女もまた王国の騎士。王命の重さは誰よりも理解している。
「……分かりました。ならば私が案内しましょう。ですが、決して賢者様のご機嫌を損ねるような、無礼な振る舞いだけはなさらぬよう、お願い申し上げます」
アリアは祈るような気持ちで、勅使の一団をレイジの家へと導いた。
家の前では、リノがラボから顔を出し、物々しい雰囲気の一団を興味深そうに眺めていた。
グレイグは古びた家の前に立つと馬から降りた。そして、巻物を手に取り、朗々と腹の底から響き渡るような声で口上を述べ始めた。
「開門せよ! 国王陛下の勅命である! この家に住まう賢者、レイジ・ノマドに告ぐ!」
その声は村全体に響き渡るほどに大きく、そして荘厳だった。
「その類稀なる才、既に陛下の耳にも達しておられる! 陛下は汝の功績を高く評価され、直々に謁見を賜るとのこと! 速やかに支度を整え、我らと共に王都へ参上せよ! これは、王命である!」
王の権威を背負った、絶対の命令。それに逆らうことは王国への反逆を意味する。
アリアは固唾を飲んで、静まり返った家の扉を見つめていた。
その頃。
ようやく静かな午後を取り戻し、ベッドの上で最高の昼寝を堪能していた俺の耳に、地響きのような怒鳴り声が突き刺さった。
(……う、うるさい……)
俺は、眉間に深い皺を寄せた。
(なんだ、今度は。拡声器でも使ってるのか。誰だか知らんが、人の安眠を妨害するな……。王様? 召喚? 知るか、そんなもん……)
俺の意識は、不快な騒音に対する純粋な怒りと猛烈な眠気の間で、混沌としていた。
外では王国最強の騎士団長が、人生で最も荘厳な声で口上を続けている。
家の中ではその声を聞きながら、一人の男が「うるさいなあ、もう……」と、本気で寝返りを打とうとしていた。
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