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第五十二話 完璧なる治水
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茶色い津波が、村へと迫る。
大地を削り、木々をなぎ倒し、全てを飲み込む濁流の壁。その轟音は世界の終わりの咆哮のようだった。
「ああ……神よ……」
高台の集会所から村人たちの絶望のため息が漏れる。アリアは固く目を閉じた。騎士として民を守りきれなかった。その無力感が彼女の肩に重くのしかかる。
濁流が村の境界線である畑に到達する、まさにその寸前。
何の前触れもなく、異変は起きた。
ゴゴゴゴゴ……!
濁流の目の前の地面が、まるで巨大な口を開けるかのように一直線に裂けたのだ。幅数十メートルにも及ぶ巨大な亀裂。その底は闇に包まれて見えない。
村人たちが何事かと目を見開く間もなく、迫っていた濁流がその巨大な亀裂へと凄まじい勢いで吸い込まれていった。
滝のように流れ落ちる濁流。大地が水を飲むという表現が生ぬるいほどの圧倒的な光景。あれほど猛威を振るっていた津波は、村に一滴の水も届かせることなく全てが地の底へと消えていく。
「……な」
アリアは、信じられない光景に閉じていた目を見開いた。
「水が……消えていく……?」
村人たちも何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
だが、奇跡はそれだけでは終わらなかった。
濁流を吐き出していたシオン川そのものの勢いが、みるみるうちに弱まっていくのだ。暴れ狂う龍のようだった川の流れが、まるで首を締められたかのように穏やかさを取り戻していく。
川の上流で何かが起きている。
【自動流量調整ダム】の巨大なゲートが、予測された最大流量に合わせてゆっくりとその開度を絞っていた。川の心臓を人の手、いや、俺の思考が完璧にコントロールした瞬間だった。
そして、第三の奇跡。
村人たちの視線の先、村を通り過ぎた下流の低湿地帯に新たな湖が生まれつつあった。
地下放水路に吸い込まれた濁流が全てそこに流れ込んでいたのだ。広大な【多目的遊水地】が、暴れ川のエネルギーを静かに、そして完全に受け止めていた。
ほんの数分前まで村を飲み込もうとしていた天災の脅威は、跡形もなく消え去っていた。
後に残されたのは、穏やかさを取り戻した川と、村の手前にぽっかりと口を開けた巨大な水路の入り口、そして下流に生まれた広大な湖だけ。
村は、無傷だった。
静寂が辺りを支配する。やがて、誰かがか細い声で呟いた。
「……賢者様だ」
その一言が引き金だった。
「賢者様が我々を救ってくださったんだ!」
「うおおおおお! 賢者様、万歳!」
絶望の淵から引き上げられた村人たちは、歓喜の声を爆発させた。彼らは互いに抱き合い、涙を流し、そして村の外れにある俺の家に向かってひれ伏し、祈りを捧げ始めた。
アリアは、その輪の中心でただ立ち尽くしていた。
彼女の騎士としての常識、王族としての価値観、その全てが今、目の前で起きた奇跡によって粉々に打ち砕かれた。
天災。
それは人の力が及ばぬ神の領域。
人間はただそれに耐え、生き延びるしかない無力な存在。
そう、信じていた。
だが、あの男は。
あの怠惰な男は、それをいとも容易くねじ伏せて見せた。
川の流れを読み、雨を予測し、大地を造り変え、そして天災そのものを完全に制御下に置いた。
(……あれは、人間ではない)
アリアは天を仰いだ。いつの間にか嵐は過ぎ去り、雲の切れ間から神々しい光が差し込んでいる。
(あの方は、我々が住むこの世界のルールそのものを創り出すことができる存在なのだ。我々が神と呼ぶものと、一体何が違うというのだ……)
彼女の信仰は、もはや疑う余地のない絶対的なものへと変わっていた。
ラボでは、リノが水晶玉に映し出される全てのシステムの完璧な連携を見て、静かに涙を流していた。
「……美しい」
彼女の口から漏れたのは、その一言だけだった。
ダム、放水路、遊水地。それぞれが互いの機能を補い合い、一つの生命体のように調和して機能する。その光景は彼女にとって、どんな古代魔法の奥義よりも、どんな精霊の歌よりも、完璧で、そして美しかった。
「マスター……。あなたこそが、この世界の『真理』そのものだ」
その頃。
全ての奇跡を成し遂げた張本人は。
ベッドの上で、脳内に表示されるシステムレポートを眠たげな目で確認していた。
《洪水被害シミュレーション結果との比較:誤差0.003%》
《浸水被害:ゼロ》
《システム全機能:正常稼働中》
「……よし。完璧だな」
俺は満足げに頷いた。
これで俺の家が流される心配はなくなった。俺の安眠は守られた。
目的は達成された。
俺は再び羽毛布団を深くかぶり、心地よい疲労感に身を任せた。
「……ふぅ。これで安心して寝られる」
外の世界で自分の存在が神格化され、新たな伝説が生まれようとしていることなど、俺の安眠の前では些細なことに過ぎなかった。
大地を削り、木々をなぎ倒し、全てを飲み込む濁流の壁。その轟音は世界の終わりの咆哮のようだった。
「ああ……神よ……」
高台の集会所から村人たちの絶望のため息が漏れる。アリアは固く目を閉じた。騎士として民を守りきれなかった。その無力感が彼女の肩に重くのしかかる。
濁流が村の境界線である畑に到達する、まさにその寸前。
何の前触れもなく、異変は起きた。
ゴゴゴゴゴ……!
濁流の目の前の地面が、まるで巨大な口を開けるかのように一直線に裂けたのだ。幅数十メートルにも及ぶ巨大な亀裂。その底は闇に包まれて見えない。
村人たちが何事かと目を見開く間もなく、迫っていた濁流がその巨大な亀裂へと凄まじい勢いで吸い込まれていった。
滝のように流れ落ちる濁流。大地が水を飲むという表現が生ぬるいほどの圧倒的な光景。あれほど猛威を振るっていた津波は、村に一滴の水も届かせることなく全てが地の底へと消えていく。
「……な」
アリアは、信じられない光景に閉じていた目を見開いた。
「水が……消えていく……?」
村人たちも何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
だが、奇跡はそれだけでは終わらなかった。
濁流を吐き出していたシオン川そのものの勢いが、みるみるうちに弱まっていくのだ。暴れ狂う龍のようだった川の流れが、まるで首を締められたかのように穏やかさを取り戻していく。
川の上流で何かが起きている。
【自動流量調整ダム】の巨大なゲートが、予測された最大流量に合わせてゆっくりとその開度を絞っていた。川の心臓を人の手、いや、俺の思考が完璧にコントロールした瞬間だった。
そして、第三の奇跡。
村人たちの視線の先、村を通り過ぎた下流の低湿地帯に新たな湖が生まれつつあった。
地下放水路に吸い込まれた濁流が全てそこに流れ込んでいたのだ。広大な【多目的遊水地】が、暴れ川のエネルギーを静かに、そして完全に受け止めていた。
ほんの数分前まで村を飲み込もうとしていた天災の脅威は、跡形もなく消え去っていた。
後に残されたのは、穏やかさを取り戻した川と、村の手前にぽっかりと口を開けた巨大な水路の入り口、そして下流に生まれた広大な湖だけ。
村は、無傷だった。
静寂が辺りを支配する。やがて、誰かがか細い声で呟いた。
「……賢者様だ」
その一言が引き金だった。
「賢者様が我々を救ってくださったんだ!」
「うおおおおお! 賢者様、万歳!」
絶望の淵から引き上げられた村人たちは、歓喜の声を爆発させた。彼らは互いに抱き合い、涙を流し、そして村の外れにある俺の家に向かってひれ伏し、祈りを捧げ始めた。
アリアは、その輪の中心でただ立ち尽くしていた。
彼女の騎士としての常識、王族としての価値観、その全てが今、目の前で起きた奇跡によって粉々に打ち砕かれた。
天災。
それは人の力が及ばぬ神の領域。
人間はただそれに耐え、生き延びるしかない無力な存在。
そう、信じていた。
だが、あの男は。
あの怠惰な男は、それをいとも容易くねじ伏せて見せた。
川の流れを読み、雨を予測し、大地を造り変え、そして天災そのものを完全に制御下に置いた。
(……あれは、人間ではない)
アリアは天を仰いだ。いつの間にか嵐は過ぎ去り、雲の切れ間から神々しい光が差し込んでいる。
(あの方は、我々が住むこの世界のルールそのものを創り出すことができる存在なのだ。我々が神と呼ぶものと、一体何が違うというのだ……)
彼女の信仰は、もはや疑う余地のない絶対的なものへと変わっていた。
ラボでは、リノが水晶玉に映し出される全てのシステムの完璧な連携を見て、静かに涙を流していた。
「……美しい」
彼女の口から漏れたのは、その一言だけだった。
ダム、放水路、遊水地。それぞれが互いの機能を補い合い、一つの生命体のように調和して機能する。その光景は彼女にとって、どんな古代魔法の奥義よりも、どんな精霊の歌よりも、完璧で、そして美しかった。
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その頃。
全ての奇跡を成し遂げた張本人は。
ベッドの上で、脳内に表示されるシステムレポートを眠たげな目で確認していた。
《洪水被害シミュレーション結果との比較:誤差0.003%》
《浸水被害:ゼロ》
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「……よし。完璧だな」
俺は満足げに頷いた。
これで俺の家が流される心配はなくなった。俺の安眠は守られた。
目的は達成された。
俺は再び羽毛布団を深くかぶり、心地よい疲労感に身を任せた。
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