「働きたくない…」と本気で祈ったら怠惰の神が降臨。【フルオート】で身の回りを快適にしていたら、インフラを整備した救国の英雄になっていた

夏見ナイ

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第五十五話 隣国の影

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アルテア王国の平和な日常。その光が強ければ強いほど、その隣では濃い影が生まれる。

大陸中央に覇を唱える軍事大国ガルニア帝国。
その首都ガレリアの中心に聳え立つ黒曜石の城。皇帝の執務室は、冷たい静寂に包まれていた。

玉座に座すのは、皇帝ゲルハルト・フォン・ガルニア。鷲のような鋭い眼光と鍛え上げられた壮年の肉体を持つ、大陸最強の男。彼の前ではいかなる猛将も、狡猾な政治家も、ただひれ伏すしかない。

その皇帝の前に一人の男が膝をついていた。影のように気配のないその男は、帝国諜報機関『黒き蠍(ブラックスコーピオン)』の長、ヴォルフラム。

「……続けよ」

皇帝の低く地を這うような声が、静寂を破った。

「はっ。アルテア王国、東部辺境における一連の不可解な事象について最終報告を」

ヴォルフラムは表情を一切変えることなく、淡々と事実を述べ始めた。その声はまるで機械のように感情がなかった。

「第一に、街道の出現。王都と東の辺境を結ぶ主要街道が、一夜にして我が帝国の誇る軍用道路をも凌ぐ品質の石畳道路に置き換わりました。これにより、アルテア王国の東部への物資輸送能力および派兵能力は、従来の十倍以上に跳ね上がったと試算されます」

皇帝ゲルハルトの眉がわずかに動いた。

「第二に、商業都市の出現。街道の終着点に、これまた一夜にして大規模な商業都市が出現。現在、王国中の商人が集う一大物流拠点となっており、莫大な富を生み出しております」

「第三に、新興ブランド『賢者の恵み』。この商業都市を起点とする産物が王都の経済を席巻。その品質は我が帝国の宮廷御用達品をも上回るとの評価。既に一部は闇市場を通じて、帝国内にも流入しております」

ヴォルフラムは一度言葉を切った。そして、最も信じがたい報告を静かに告げた。

「そして第四に、先日の大洪水。我が国境付近の州も甚大な被害を受けた、あの未曾有の天災です。アルテア王国全土もまた壊滅的な打撃を受けました。……ただ一点を除いて」

「……東の辺境か」

皇帝が静かに呟いた。

「御意。かの地は浸水被害ゼロ。それどころか洪水の濁流を利用し、新たに巨大な貯水湖を造成したとの情報。これにより同地域の農業生産性は、今後さらに飛躍的に向上するものと見られます」

玉座の間に再び沈黙が落ちた。
ヴォルフラムが報告した事象は、その一つ一つが国家の常識を覆すほどの異常事態だった。それがこの数ヶ月の間に、立て続けに一つの地域で起きている。

「……偶然、か」

皇帝が嘲るように言った。

「偶然で道が生まれるか。偶然で町が建つか。偶然で天災が恵みに変わるか」

「ありえませぬ。全ての事象の背後には、明確な『意志』が存在します」

「その『意志』の正体は分かったのか。アルテアの王、オルデウスの差し金か。それともどこか別の国が裏で糸を引いているのか」

ヴォルフラムは静かに首を横に振った。

「アルテア王家は我々と同様、この事態を後追いで認識したに過ぎませぬ。彼らもまた混乱の渦中にあるかと。全ての源泉は、ただ一点に集約されます」

「……申せ」

「『賢者』、あるいは『国父』と呼ばれる、レイジ・ノマドなる謎の人物。全ての奇跡は、この男がその地に現れて以降に発生しております」

ゲルハルトは玉座の肘掛けを指でゆっくりと叩いた。コツ、コツ、という無機質な音だけが部屋に響く。

「魔術師か? 古代の遺物を発見したのか? あるいは……異世界からの来訪者か」

「全ては憶測の域を出ませぬ。ですが、一つだけ確かなことが。このレイジ・ノマドという存在は、我が帝国の覇権にとって看過できぬ脅威となりつつあります」

ヴォルフラムの言葉に、ゲルハルトは深く頷いた。

力こそが全て。それがガルニア帝国の国是だ。圧倒的な軍事力で周辺諸国を威圧し、大陸の支配者として君臨してきた。アルテア王国など、いつでも蹂躙できる取るに足らない小国。そう思っていた。

だが今、その小国が未知の力によって急速に牙を研いでいる。

経済力、物流能力、そして何より天災すらも克服する謎の超技術。それらが軍事力に転用された時、一体どうなるか。

「……面白い」

皇帝ゲルハルトの口元に獰猛な笑みが浮かんだ。

「アルテアの腑抜けた王が、どこからか面白い玩具を拾ってきたらしい。だが子供に過ぎたる玩具は、怪我の元だということを教えてやらねばなるまい」

彼は玉座からゆっくりと立ち上がった。その影が巨大な獣のように壁に映る。

「ヴォルフラム」

「はっ」

「『黒き蠍』の最高の駒をアルテアに放て」

その言葉に、初めてヴォルフラムの鉄面皮がわずかに揺らいだ。

「……『影(シャドウ)』を、でございますか」

「そうだ。噂や伝聞ではない。確かな『事実』を持ち帰らせよ。その賢者とやらの正体。力の源泉。そして可能であるならば……」

皇帝の目が冷たく光った。

「その力ごと帝国に持ち帰れ、とな」

「……御意に」

ヴォルフラムは深く頭を下げると、影に溶け込むようにしてその場から姿を消した。

後に残された皇帝ゲルハルトは一人、執務室の窓から東の空を睨みつけていた。その先にある、急速に力をつけ始めた小国を。

「賢者か、国父か。知らぬが……」

彼の口から低い呟きが漏れた。

「神であろうと、我が覇道の前に立つならば引きずり下ろし、喰らうまで」

大陸の覇者の黒い野心が動き出した。

その頃。
アルテア王国の聖域とされる村で。

俺は完璧な静寂の中、ベッドの上で最高の昼寝を堪能していた。
アリアは村の子供たちに剣を教えながら、この平和が永遠に続くことを祈っていた。
リノはラボの中で治水システムの膨大なデータを前に、法悦の表情でペンを走らせていた。

誰も気づいていなかった。

自分たちの穏やかな日常に、大陸最強の軍事国家から放たれた最も深く、そして最も危険な『影』が、静かに忍び寄りつつあることに。

嵐はまだ終わってはいなかった。
本当の嵐は、これから始まろうとしていたのだ。
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