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第五十九話 自動送還システム
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帝国諜報機関『黒き蠍』は活動方針を情報戦へとシフトさせた。だが、その成果は芳しくなかった。
商業都市『レイジ・シティ』に潜入した諜報員たちは、商人たちの異常なまでの結束力と賢者に対する狂信的なまでの忠誠心を前に、全く情報を引き出せずにいた。金の力も脅しも彼らには通じなかった。「商業神様の怒りに触れる」ことを、彼らは死ぬこと以上に恐れていたのだ。
村への潜入はアリア率いる『聖騎士団』によって完全に阻まれていた。彼らの警備はもはや国境守備隊のそれを凌駕しており、蟻一匹這い出る隙もなかった。
「……手詰まりか」
報告を受けた皇帝ゲルハルトは、玉座の間で苛立ちを隠せずにいた。
人、物、金の流れ。その全てが、あの『賢者』というブラックボックスに吸い込まれ、そこから出てくる情報は神話と伝説だけ。
「……やはり、直接叩くしかないのか」
皇帝の脳裏に、軍の派遣という最終手段が浮かび始めた。
その頃ヴォルフラムは、最後の望みをかけて新たな駒を送り込んでいた。
それはゼクスのような戦闘や潜入に特化した『影』ではない。人の心を操ることに特化した特殊な諜報員だった。幻術や魅了の魔法を得意とし、どんな堅固な精神にも巧みに嘘と疑念を植え付けることができる、『囁き(ウィスパー)』と呼ばれる女。
彼女の任務は、アリア王女に接触しその精神を内側から崩壊させること。賢者への絶対的な信仰に小さな亀裂を入れることだった。
女は吟遊詩人を装い、巧みに騎士団の警戒網を潜り抜け村へと潜入した。そしてアリアが子供たちに剣を教えている広場で美しい歌声を披露し、ごく自然に彼女の注意を引くことに成功した。
「見事な歌声だな。旅の者か」
アリアは、その美しい歌声に警戒しながらも興味を示した。
「はい、アリア様。私はただ詩を紡ぎ、英雄の物語を歌い継ぐ者。賢者様の噂を聞きこの地まで参りました」
女はアリアの警戒心を解くため、自ら賢者への賛辞を口にした。そして会話の端々で巧みに毒を混ぜていく。
「それにしてもアリア様ほどの方がこのような辺境で警備の任につかれているとは。王都では皆、貴女様の不在を嘆いておりますよ」
「賢者様はあれほどの御力を持ちながら、なぜアリア様のような忠臣をいつまでもお側に置かれぬのでしょう。私にはそれが不思議でなりません」
それはアリアの心の最も柔らかい部分を的確に突く言葉だった。
(……確かに。私はあの方のお役に立てているのだろうか。ただ外で番犬をしているだけではないのか)
女の言葉はアリアの献身的な心に、ほんのわずかな、しかし確かな影を落とした。
その夜。
女はアリアが一人で夜風にあたっているのを見計らい、最後の仕上げにかかった。
「アリア様。お許しください。私は見てしまいました。賢者様の家に出入りする美しいエルフの姿を。二人は毎夜、楽しげに語らっておられるとか……」
それはリノの存在を仄めかし、アリアの嫉妬心を煽る巧妙な嘘だった。
アリアの表情がわずかに強張る。
その一瞬の心の隙。
女はそれを見逃さなかった。彼女の瞳の奥が妖しく光る。
魅了の魔法。相手の脳に偽りの情報を真実として刷り込む、禁断の術。
(……堕ちろ。王女。お前の信仰など、この程度……)
女が勝利を確信した、その瞬間。
バチンッ!
女の体から火花のようなものが散った。
「……きゃっ!?」
女はまるで感電したかのように、その場に飛び上がった。
彼女が放った魅了の魔法はアリアに届く寸前で、見えない壁に弾き返され術者である彼女自身に跳ね返ってきたのだ。
「……な、何が」
女は混乱した。アリアは魔法に抵抗した様子など微塵もなかった。
「……今、何かしたか?」
アリアは怪訝な顔で女を見ている。彼女自身、何が起きたのか分かっていなかった。
その時だった。
女の足元の影が、ぬるりと蠢いた。
そしてその影の中から数本の黒い触手のようなものが伸び、彼女の足首に絡みついた。
「ひっ……!?」
悲鳴を上げる間もなく、女は影の中へとずるずると引きずり込まれていく。
まるで沼に沈むかのように。
「……助け……」
彼女が最後に見たのは、何事もなかったかのように静かに夜風に吹かれるアリアの姿だった。
アリアは目の前で女が影に消えるのを見て、ようやく事態を理解した。
「……敵襲か!」
彼女は剣を抜いた。だが、もう遅い。女の姿は影の中に完全に消え去っていた。
アリアは呆然とその場に立ち尽くした。
(……今のは。私を、守ってくれたのか? あの方が……)
そうだ。そうでなければ説明がつかない。自分が気づかぬうちに敵の魔の手が迫っていた。それをあの家から、あの方が、見えざる力で払いのけてくださったのだ。
(私が一瞬でもあの方を疑いかけたから……。その心の隙を敵に突かれたというのか。なんという、なんという未熟さだ、私は!)
アリアは、その場に膝から崩れ落ちた。
自分の不甲斐なさと、そしてそれでもなお自分を守ってくれたレイジの(と彼女が信じる)大いなる慈悲に、彼女はただ涙を流すしかなかった。
その頃。
俺はベッドの中で静かな怒りに震えていた。
俺の【絶対安寧空間創造システム】はアップデートされていた。
それは物理的な侵入者だけでなく、俺のテリトリーに向けられる悪意ある『魔力』や『精神干渉』をも自動で検知し、排除する機能だった。
そして先ほど、システムが明確な敵意を持った精神干渉魔法を検知したのだ。
標的はアリア。
(……あの女騎士、うっとうしいが俺の家の周りの警備員としてはまあまあ役に立っている。そいつを精神攻撃で無力化しようなど、とんだ不届き者だ)
俺の警備員に手を出すな。
それは俺の安眠を間接的に妨害する行為だ。
俺はためらうことなく捕縛送還システムを起動した。
ただし、今回はただ森に置いてくるだけでは生ぬるい。
俺はシステムに新たなオプションを追加した。
名を、【記憶改竄・自動送還システム】。
捕縛した対象の記憶からこの村に関する全ての情報を綺麗さっぱり消去する。そして最も効果的なお仕置きとして、彼女が最も嫌がるであろう記憶を代わりに植え付ける。
最後に、帝国諜報機関の本部のど真ん中に自動で転移させる。
数時間後。
帝国諜報機関『黒き蠍』の本部。その中央広場に突如空間が歪み、一人の女が放り出された。
それはアルテア王国に送り込んだはずの『囁き』だった。
彼女はひどく混乱した様子で周囲を見回している。
「……ここは? 私は、何を……?」
駆け寄った仲間の諜報員が彼女に問いかけた。
「おい、しっかりしろ! アルテアでの任務はどうした!」
その言葉に、女は顔を真っ青にした。そしてこの世の終わりかのような絶叫を上げた。
「いやあああああ! 蜘蛛! 蜘蛛! 私の体から蜘蛛が湧いてくるうううう!」
彼女の脳内には、ゼクスが見た悪夢が完璧にコピー&ペーストされていた。
帝国最高の精神攻撃の専門家は、自らが最も得意とする術によって完全に破壊されたのだった。
ヴォルフラムは、その報告を受け鉄仮面の下で初めて冷や idéesをかいた。
「……駄目だ。我々は手を出してはならないものに、手を出してしまったのかもしれん」
その頃、俺は。
面倒な害虫をまた一匹駆除したことに満足し、再び安らかな眠りについていた。
商業都市『レイジ・シティ』に潜入した諜報員たちは、商人たちの異常なまでの結束力と賢者に対する狂信的なまでの忠誠心を前に、全く情報を引き出せずにいた。金の力も脅しも彼らには通じなかった。「商業神様の怒りに触れる」ことを、彼らは死ぬこと以上に恐れていたのだ。
村への潜入はアリア率いる『聖騎士団』によって完全に阻まれていた。彼らの警備はもはや国境守備隊のそれを凌駕しており、蟻一匹這い出る隙もなかった。
「……手詰まりか」
報告を受けた皇帝ゲルハルトは、玉座の間で苛立ちを隠せずにいた。
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「……やはり、直接叩くしかないのか」
皇帝の脳裏に、軍の派遣という最終手段が浮かび始めた。
その頃ヴォルフラムは、最後の望みをかけて新たな駒を送り込んでいた。
それはゼクスのような戦闘や潜入に特化した『影』ではない。人の心を操ることに特化した特殊な諜報員だった。幻術や魅了の魔法を得意とし、どんな堅固な精神にも巧みに嘘と疑念を植え付けることができる、『囁き(ウィスパー)』と呼ばれる女。
彼女の任務は、アリア王女に接触しその精神を内側から崩壊させること。賢者への絶対的な信仰に小さな亀裂を入れることだった。
女は吟遊詩人を装い、巧みに騎士団の警戒網を潜り抜け村へと潜入した。そしてアリアが子供たちに剣を教えている広場で美しい歌声を披露し、ごく自然に彼女の注意を引くことに成功した。
「見事な歌声だな。旅の者か」
アリアは、その美しい歌声に警戒しながらも興味を示した。
「はい、アリア様。私はただ詩を紡ぎ、英雄の物語を歌い継ぐ者。賢者様の噂を聞きこの地まで参りました」
女はアリアの警戒心を解くため、自ら賢者への賛辞を口にした。そして会話の端々で巧みに毒を混ぜていく。
「それにしてもアリア様ほどの方がこのような辺境で警備の任につかれているとは。王都では皆、貴女様の不在を嘆いておりますよ」
「賢者様はあれほどの御力を持ちながら、なぜアリア様のような忠臣をいつまでもお側に置かれぬのでしょう。私にはそれが不思議でなりません」
それはアリアの心の最も柔らかい部分を的確に突く言葉だった。
(……確かに。私はあの方のお役に立てているのだろうか。ただ外で番犬をしているだけではないのか)
女の言葉はアリアの献身的な心に、ほんのわずかな、しかし確かな影を落とした。
その夜。
女はアリアが一人で夜風にあたっているのを見計らい、最後の仕上げにかかった。
「アリア様。お許しください。私は見てしまいました。賢者様の家に出入りする美しいエルフの姿を。二人は毎夜、楽しげに語らっておられるとか……」
それはリノの存在を仄めかし、アリアの嫉妬心を煽る巧妙な嘘だった。
アリアの表情がわずかに強張る。
その一瞬の心の隙。
女はそれを見逃さなかった。彼女の瞳の奥が妖しく光る。
魅了の魔法。相手の脳に偽りの情報を真実として刷り込む、禁断の術。
(……堕ちろ。王女。お前の信仰など、この程度……)
女が勝利を確信した、その瞬間。
バチンッ!
女の体から火花のようなものが散った。
「……きゃっ!?」
女はまるで感電したかのように、その場に飛び上がった。
彼女が放った魅了の魔法はアリアに届く寸前で、見えない壁に弾き返され術者である彼女自身に跳ね返ってきたのだ。
「……な、何が」
女は混乱した。アリアは魔法に抵抗した様子など微塵もなかった。
「……今、何かしたか?」
アリアは怪訝な顔で女を見ている。彼女自身、何が起きたのか分かっていなかった。
その時だった。
女の足元の影が、ぬるりと蠢いた。
そしてその影の中から数本の黒い触手のようなものが伸び、彼女の足首に絡みついた。
「ひっ……!?」
悲鳴を上げる間もなく、女は影の中へとずるずると引きずり込まれていく。
まるで沼に沈むかのように。
「……助け……」
彼女が最後に見たのは、何事もなかったかのように静かに夜風に吹かれるアリアの姿だった。
アリアは目の前で女が影に消えるのを見て、ようやく事態を理解した。
「……敵襲か!」
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アリアは呆然とその場に立ち尽くした。
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そうだ。そうでなければ説明がつかない。自分が気づかぬうちに敵の魔の手が迫っていた。それをあの家から、あの方が、見えざる力で払いのけてくださったのだ。
(私が一瞬でもあの方を疑いかけたから……。その心の隙を敵に突かれたというのか。なんという、なんという未熟さだ、私は!)
アリアは、その場に膝から崩れ落ちた。
自分の不甲斐なさと、そしてそれでもなお自分を守ってくれたレイジの(と彼女が信じる)大いなる慈悲に、彼女はただ涙を流すしかなかった。
その頃。
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それは物理的な侵入者だけでなく、俺のテリトリーに向けられる悪意ある『魔力』や『精神干渉』をも自動で検知し、排除する機能だった。
そして先ほど、システムが明確な敵意を持った精神干渉魔法を検知したのだ。
標的はアリア。
(……あの女騎士、うっとうしいが俺の家の周りの警備員としてはまあまあ役に立っている。そいつを精神攻撃で無力化しようなど、とんだ不届き者だ)
俺の警備員に手を出すな。
それは俺の安眠を間接的に妨害する行為だ。
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彼女の脳内には、ゼクスが見た悪夢が完璧にコピー&ペーストされていた。
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