88 / 101
第八十七話 救国の英雄
しおりを挟む
俺が食後の心地よい惰眠から目覚めた頃、世界は完全に様変わりしていた。
商業都市『レイジ・シティ』で結ばれた講和条約は、その日のうちにアルテア、ガルニア両国の王によって正式に批准された。
その内容は、ガルニア帝国にとって建国以来、最も屈辱的なものだった。
一、ガルニア帝国は、アルテア王国への一切の敵対行為を永久に放棄する。
二、『国父レイジ・ノノマド』および、その聖域とされる東部辺境一帯への不可侵を、神々の名において誓約する。
三、今回の侵攻に対する賠償として、莫大な量の金銀、および希少鉱石をアルテア王国へ献上する。
誰もが帝国がこの条件を飲むはずがないと思った。だが皇帝ゲルハルトは、玉座の間でドルガン将軍から詳細な報告を聞き終えると、二つ返事でその条約に署名した。
彼の脳裏には、ただ一つの恐怖が焼き付いていた。
『神の怒りに、二度と触れてはならない』
こうして大陸の覇権を揺るがした大戦は、勃発からわずか二日にしてアルテア王国の歴史的な大勝利という形で幕を閉じた。
そのニュースが王都にもたらされた時、民衆の熱狂は頂点に達した。
「勝った! 我らが国があの帝国に勝ったのだ!」
「これも全て、国父様のおかげだ!」
王都は数日間にわたる盛大な祝祭に包まれた。人々は歌い、踊り、そして誰もが東の空に向かって救国の英雄の名を繰り返し叫んだ。
「レイジ・ノノマド! 我らが英雄!」
「国父様、万歳!」
その熱狂の渦は、やがて一つの巨大な物語を紡ぎ始めた。
酒場の吟遊詩人たちは、この奇跡的な勝利を壮大な叙事詩にして歌い上げた。
『――十万の闇が地を覆いし時、一人の英雄、東の地より立ち上がれり。彼は剣を取らず、軍を率いず。ただ、その深遠なる知恵と大いなる慈悲をもって天を動かし、地を割り、神の軍団を呼び覚ませり。血は一滴も流れず、ただ敵の驕れる心のみを砕き、平和をもたらせり。その名をレイジ・ノノマド。沈黙にして偉大なる、我らが救国の英雄なり――』
その詩は瞬く間に王国中に広まった。
子供たちは遊びの中で「レイジ様ごっこ」をし、若者たちはその圧倒的な力と無欲な生き様に憧憬の念を抱いた。
そして、その物語には人々の想像力という名の様々な尾ひれがついていった。
「聞いたか? 国父様は戦いの間、一睡もせずにたった一人で帝国軍と対峙し続けたそうだ」
「いや、俺が聞いた話じゃ、国父様はその身を無数に分身させ、全ての帝国兵の枕元に立ち、その過ちを諭したというぞ」
「国父様は、実はこの国を創った建国の祖王の生まれ変わりらしい。だから『国父』なのだ」
噂は噂を呼び、やがて揺るぎない『伝説』へと昇華していった。
国王オルデウスは、その熱狂を静かに、そして肯定的に見守っていた。
民が、一つの偉大な物語の下に結束することは、国の安定にとって何よりも重要なことだった。たとえ、その物語の真相が誰にも理解できない人知を超えたものであったとしても。
彼は宰相に命じた。
「国中の歴史家に、この度の戦いの記録を正式な正史として編纂させよ。その書のタイトルは『沈黙の英雄譚』とせよ」
国家公認の英雄伝説が、ここに誕生した。
その頃。
伝説の中心で神格化された英雄は。
ベッドの上で、完璧な静寂が戻ったことに心の底から安堵していた。
(……ようやく、本当に本当に静かになったな)
俺は、天使の寝床の雲のような心地よさに体を深く沈めていた。
戦争が終わったらしいことは、リノからの報告で何となく知っていた。帝国が莫大な賠償金を払ったことも。まあ、どうでもいい。俺の生活には何の関係もないことだ。
俺の関心は、ただ一つ。
(……炭酸水、ようやく完成したな)
俺は、思考だけでベッドサイドのテーブルに一つのグラスを運ばせた。
グラスの中では、透明な液体がぱちぱちと心地よい音を立てて小さな泡を弾けさせている。
俺が治水システムの応用で水に高圧で二酸化炭素を溶け込ませることに成功した、【全自動炭酸水製造機】の記念すべき第一号作品だった。
俺は、そのグラスを手に取り一口飲んだ。
シュワッ……!
喉を駆け抜ける爽快な刺激。
舌の上で弾ける無数の泡。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
これは革命だ。
俺の怠惰な食生活における、コペルクス的転回だ。
俺は早速、次のステップへと思考を巡らせた。
この炭酸水に畑で採れた果物のシロップを混ぜれば……。
レモンスカッシュ、オレンジソーダ、メロンソーダ。
無限の可能性が俺の脳内に広がっていく。
俺は、これから始まる新たなデザート開発計画に胸を躍らせていた。
外の世界で自分の名前が神の名のように崇められ、歴史書にその偉業が刻まれようとしていることなど。
そして、その『偉業』がとんでもない誤解と勘違いの上で成り立っていることなど。
全く、全く、知る由もなかった。
俺にとっての『勝利』とは、帝国の降伏ではなく、このグラス一杯の完璧な炭酸水。
ただ、それだけだったのだから。
商業都市『レイジ・シティ』で結ばれた講和条約は、その日のうちにアルテア、ガルニア両国の王によって正式に批准された。
その内容は、ガルニア帝国にとって建国以来、最も屈辱的なものだった。
一、ガルニア帝国は、アルテア王国への一切の敵対行為を永久に放棄する。
二、『国父レイジ・ノノマド』および、その聖域とされる東部辺境一帯への不可侵を、神々の名において誓約する。
三、今回の侵攻に対する賠償として、莫大な量の金銀、および希少鉱石をアルテア王国へ献上する。
誰もが帝国がこの条件を飲むはずがないと思った。だが皇帝ゲルハルトは、玉座の間でドルガン将軍から詳細な報告を聞き終えると、二つ返事でその条約に署名した。
彼の脳裏には、ただ一つの恐怖が焼き付いていた。
『神の怒りに、二度と触れてはならない』
こうして大陸の覇権を揺るがした大戦は、勃発からわずか二日にしてアルテア王国の歴史的な大勝利という形で幕を閉じた。
そのニュースが王都にもたらされた時、民衆の熱狂は頂点に達した。
「勝った! 我らが国があの帝国に勝ったのだ!」
「これも全て、国父様のおかげだ!」
王都は数日間にわたる盛大な祝祭に包まれた。人々は歌い、踊り、そして誰もが東の空に向かって救国の英雄の名を繰り返し叫んだ。
「レイジ・ノノマド! 我らが英雄!」
「国父様、万歳!」
その熱狂の渦は、やがて一つの巨大な物語を紡ぎ始めた。
酒場の吟遊詩人たちは、この奇跡的な勝利を壮大な叙事詩にして歌い上げた。
『――十万の闇が地を覆いし時、一人の英雄、東の地より立ち上がれり。彼は剣を取らず、軍を率いず。ただ、その深遠なる知恵と大いなる慈悲をもって天を動かし、地を割り、神の軍団を呼び覚ませり。血は一滴も流れず、ただ敵の驕れる心のみを砕き、平和をもたらせり。その名をレイジ・ノノマド。沈黙にして偉大なる、我らが救国の英雄なり――』
その詩は瞬く間に王国中に広まった。
子供たちは遊びの中で「レイジ様ごっこ」をし、若者たちはその圧倒的な力と無欲な生き様に憧憬の念を抱いた。
そして、その物語には人々の想像力という名の様々な尾ひれがついていった。
「聞いたか? 国父様は戦いの間、一睡もせずにたった一人で帝国軍と対峙し続けたそうだ」
「いや、俺が聞いた話じゃ、国父様はその身を無数に分身させ、全ての帝国兵の枕元に立ち、その過ちを諭したというぞ」
「国父様は、実はこの国を創った建国の祖王の生まれ変わりらしい。だから『国父』なのだ」
噂は噂を呼び、やがて揺るぎない『伝説』へと昇華していった。
国王オルデウスは、その熱狂を静かに、そして肯定的に見守っていた。
民が、一つの偉大な物語の下に結束することは、国の安定にとって何よりも重要なことだった。たとえ、その物語の真相が誰にも理解できない人知を超えたものであったとしても。
彼は宰相に命じた。
「国中の歴史家に、この度の戦いの記録を正式な正史として編纂させよ。その書のタイトルは『沈黙の英雄譚』とせよ」
国家公認の英雄伝説が、ここに誕生した。
その頃。
伝説の中心で神格化された英雄は。
ベッドの上で、完璧な静寂が戻ったことに心の底から安堵していた。
(……ようやく、本当に本当に静かになったな)
俺は、天使の寝床の雲のような心地よさに体を深く沈めていた。
戦争が終わったらしいことは、リノからの報告で何となく知っていた。帝国が莫大な賠償金を払ったことも。まあ、どうでもいい。俺の生活には何の関係もないことだ。
俺の関心は、ただ一つ。
(……炭酸水、ようやく完成したな)
俺は、思考だけでベッドサイドのテーブルに一つのグラスを運ばせた。
グラスの中では、透明な液体がぱちぱちと心地よい音を立てて小さな泡を弾けさせている。
俺が治水システムの応用で水に高圧で二酸化炭素を溶け込ませることに成功した、【全自動炭酸水製造機】の記念すべき第一号作品だった。
俺は、そのグラスを手に取り一口飲んだ。
シュワッ……!
喉を駆け抜ける爽快な刺激。
舌の上で弾ける無数の泡。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
これは革命だ。
俺の怠惰な食生活における、コペルクス的転回だ。
俺は早速、次のステップへと思考を巡らせた。
この炭酸水に畑で採れた果物のシロップを混ぜれば……。
レモンスカッシュ、オレンジソーダ、メロンソーダ。
無限の可能性が俺の脳内に広がっていく。
俺は、これから始まる新たなデザート開発計画に胸を躍らせていた。
外の世界で自分の名前が神の名のように崇められ、歴史書にその偉業が刻まれようとしていることなど。
そして、その『偉業』がとんでもない誤解と勘違いの上で成り立っていることなど。
全く、全く、知る由もなかった。
俺にとっての『勝利』とは、帝国の降伏ではなく、このグラス一杯の完璧な炭酸水。
ただ、それだけだったのだから。
55
あなたにおすすめの小説
追放されたので田舎でスローライフするはずが、いつの間にか最強領主になっていた件
言諮 アイ
ファンタジー
「お前のような無能はいらない!」
──そう言われ、レオンは王都から盛大に追放された。
だが彼は思った。
「やった!最高のスローライフの始まりだ!!」
そして辺境の村に移住し、畑を耕し、温泉を掘り当て、牧場を開き、ついでに商売を始めたら……
気づけば村が巨大都市になっていた。
農業改革を進めたら周囲の貴族が土下座し、交易を始めたら王国経済をぶっ壊し、温泉を作ったら各国の王族が観光に押し寄せる。
「俺はただ、のんびり暮らしたいだけなんだが……?」
一方、レオンを追放した王国は、バカ王のせいで経済崩壊&敵国に占領寸前!
慌てて「レオン様、助けてください!!」と泣きついてくるが……
「ん? ちょっと待て。俺に無能って言ったの、どこのどいつだっけ?」
もはや世界最強の領主となったレオンは、
「好き勝手やった報い? しらんな」と華麗にスルーし、
今日ものんびり温泉につかるのだった。
ついでに「真の愛」まで手に入れて、レオンの楽園ライフは続く──!
ファンタジーは知らないけれど、何やら規格外みたいです 神から貰ったお詫びギフトは、無限に進化するチートスキルでした
渡琉兎
ファンタジー
『第3回次世代ファンタジーカップ』にて【優秀賞】を受賞!
2024/02/21(水)1巻発売!
2024/07/22(月)2巻発売!(コミカライズ企画進行中発表!)
2024/12/16(月)3巻発売!
2025/04/14(月)4巻発売!
応援してくださった皆様、誠にありがとうございます!!
刊行情報が出たことに合わせて02/01にて改題しました!
旧題『ファンタジーを知らないおじさんの異世界スローライフ ~見た目は子供で中身は三十路のギルド専属鑑定士は、何やら規格外みたいです~』
=====
車に轢かれて死んでしまった佐鳥冬夜は、自分の死が女神の手違いだと知り涙する。
そんな女神からの提案で異世界へ転生することになったのだが、冬夜はファンタジー世界について全く知識を持たないおじさんだった。
女神から与えられるスキルも遠慮して鑑定スキルの上位ではなく、下位の鑑定眼を選択してしまう始末。
それでも冬夜は与えられた二度目の人生を、自分なりに生きていこうと転生先の世界――スフィアイズで自由を謳歌する。
※05/12(金)21:00更新時にHOTランキング1位達成!ありがとうございます!
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
授かったスキルが【草】だったので家を勘当されたから悲しくてスキルに不満をぶつけたら国に恐怖が訪れて草
ラララキヲ
ファンタジー
(※[両性向け]と言いたい...)
10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。
親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。
同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……──
※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました!
※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立
黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」
「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」
ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。
しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。
「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。
だが、彼らは知らなかった。
ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを!
伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。
これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
外れスキルは、レベル1!~異世界転生したのに、外れスキルでした!
武蔵野純平
ファンタジー
異世界転生したユウトは、十三歳になり成人の儀式を受け神様からスキルを授かった。
しかし、授かったスキルは『レベル1』という聞いたこともないスキルだった。
『ハズレスキルだ!』
同世代の仲間からバカにされるが、ユウトが冒険者として活動を始めると『レベル1』はとんでもないチートスキルだった。ユウトは仲間と一緒にダンジョンを探索し成り上がっていく。
そんなユウトたちに一人の少女た頼み事をする。『お父さんを助けて!』
暗殺者から始まる異世界満喫生活
暇人太一
ファンタジー
異世界に転生したが、欲に目がくらんだ伯爵により嬰児取り違え計画に巻き込まれることに。
流されるままに極貧幽閉生活を過ごし、気づけば暗殺者として優秀な功績を上げていた。
しかし、暗殺者生活は急な終りを迎える。
同僚たちの裏切りによって自分が殺されるはめに。
ところが捨てる神あれば拾う神ありと言うかのように、森で助けてくれた男性の家に迎えられた。
新たな生活は異世界を満喫したい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる