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第65話:完全なる敗北
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見の間から逃げるように退室したセドリックは、迎賓館へと戻る馬車の中で抜け殻のようになっていた。
隣に座る老伯爵も、他の使節たちも誰一人として口を開くことができない。馬車の中は墓場のような沈黙に支配されていた。
セドリックの脳裏には先ほどの光景が何度も何度も繰り返し再生されていた。
美しく変わり果てたリリアーナの姿。
彼女を慈しむように抱きしめるアシュレイの腕。
そして「私の未来の皇妃だ」と告げた、あの絶対的な覇者の声。
負けた。
あらゆる面で、完全に。
その事実が彼の心をじわじわと蝕んでいく。
自分が捨てたものがどれほど価値のある宝だったのか。そしてそれを手に入れた男が、どれほど手の届かない存在なのか。
今さらになってその全てを思い知らされたのだ。
迎賓館に戻ると、セドリックは自室に閉じこもった。
「どうすれば……どうすればいい……」
彼は獣のように部屋の中をうろつき回った。
このまま国へ帰れば待っているのは破滅だけだ。聖女を連れ戻すという最後の希望も断たれた今、彼に打つ手はもう残されていない。
兄からは王位継承権を完全に剥奪されるだろう。臣下たちからは国を傾けた愚か者として蔑まれる。民衆の憎悪は全て自分一人に向けられるに違いない。
その未来を想像しただけで、全身が震えた。
「まだだ……まだ終わってはいない……」
彼は何かに取り憑かれたように呟いた。
リリアーナがダメなら別の方法があるはずだ。武力で奪うか? いや、帝国の軍事力の前では赤子の手をひねるようなものだ。金で買収するか? あの氷の皇子が金で動く男だとは到底思えない。
思考は堂々巡りを繰り返すばかり。
その堂々巡りの中で、彼の心は徐々に、しかし確実に正常な判断力を失っていった。
嫉妬と屈辱、そして破滅への恐怖が彼の精神を歪めていく。
全てあの女が悪いのだ。
私をこんなにも惨めな気持ちにさせたリリアー-ナが。
そして私のものを奪ったアシュレイが。
その歪んだ憎悪が、彼の心の中で黒い炎となって燃え上がった。
翌日。
バークレイ王国の使節団は、帝国側からの正式な退去勧告を受けた。
「これ以上の滞在は両国の友好を損なうだけだ。速やかに出国されたし」
それは外交辞令を一切無視した最後通告だった。
もはや彼らに選択肢はなかった。
荷物をまとめ帝都を後にする使節団の馬車列は、来た時とは比べ物にならないほど陰鬱な空気に包まれていた。
セドリックは馬車の窓から遠ざかっていく皇城を見つめていた。
その美しい白亜の城が自分を嘲笑っているかのように見えた。
彼の瞳にはもはや理性のかけらも残っていなかった。ただ全てを失った男の、空虚で狂気に満ちた光だけが揺らめいている。
「……これで、よかったのですかな」
老伯爵が力なく呟いた。
セドリックは何も答えなかった。
彼はただ唇の端に不気味な笑みを浮かべていた。
それは敗北を認めた者の笑みではなかった。
全てを失った代わりに何か別の恐ろしいものを手に入れてしまった者の、歪んだ笑みだった。
完全なる敗北。
それはセドリックに己の無力さを教え、彼から全てを奪い去った。
しかしその絶望の底で、彼は新たな道を見つけてしまったのかもしれない。
光を求めることを諦めた者が安易に手を伸ばす、甘く危険な闇への道を。
帝都エルミリアの城門を使節団の馬車が静かに通り過ぎていく。
その姿を城壁の上からレオナルドが冷たい目で見下ろしていた。
「……嵐はまだ始まったばかりかもしれんな」
彼は誰に言うでもなくそう呟いた。
セドリックの瞳に宿っていた狂気の光を、歴戦の騎士である彼が見逃すはずはなかった。
愚かな王子の敗北は決して物語の終わりではなかったのだ。
それは大陸全土を巻き込む、より大きな悲劇のほんの序章に過ぎなかった。
隣に座る老伯爵も、他の使節たちも誰一人として口を開くことができない。馬車の中は墓場のような沈黙に支配されていた。
セドリックの脳裏には先ほどの光景が何度も何度も繰り返し再生されていた。
美しく変わり果てたリリアーナの姿。
彼女を慈しむように抱きしめるアシュレイの腕。
そして「私の未来の皇妃だ」と告げた、あの絶対的な覇者の声。
負けた。
あらゆる面で、完全に。
その事実が彼の心をじわじわと蝕んでいく。
自分が捨てたものがどれほど価値のある宝だったのか。そしてそれを手に入れた男が、どれほど手の届かない存在なのか。
今さらになってその全てを思い知らされたのだ。
迎賓館に戻ると、セドリックは自室に閉じこもった。
「どうすれば……どうすればいい……」
彼は獣のように部屋の中をうろつき回った。
このまま国へ帰れば待っているのは破滅だけだ。聖女を連れ戻すという最後の希望も断たれた今、彼に打つ手はもう残されていない。
兄からは王位継承権を完全に剥奪されるだろう。臣下たちからは国を傾けた愚か者として蔑まれる。民衆の憎悪は全て自分一人に向けられるに違いない。
その未来を想像しただけで、全身が震えた。
「まだだ……まだ終わってはいない……」
彼は何かに取り憑かれたように呟いた。
リリアーナがダメなら別の方法があるはずだ。武力で奪うか? いや、帝国の軍事力の前では赤子の手をひねるようなものだ。金で買収するか? あの氷の皇子が金で動く男だとは到底思えない。
思考は堂々巡りを繰り返すばかり。
その堂々巡りの中で、彼の心は徐々に、しかし確実に正常な判断力を失っていった。
嫉妬と屈辱、そして破滅への恐怖が彼の精神を歪めていく。
全てあの女が悪いのだ。
私をこんなにも惨めな気持ちにさせたリリアー-ナが。
そして私のものを奪ったアシュレイが。
その歪んだ憎悪が、彼の心の中で黒い炎となって燃え上がった。
翌日。
バークレイ王国の使節団は、帝国側からの正式な退去勧告を受けた。
「これ以上の滞在は両国の友好を損なうだけだ。速やかに出国されたし」
それは外交辞令を一切無視した最後通告だった。
もはや彼らに選択肢はなかった。
荷物をまとめ帝都を後にする使節団の馬車列は、来た時とは比べ物にならないほど陰鬱な空気に包まれていた。
セドリックは馬車の窓から遠ざかっていく皇城を見つめていた。
その美しい白亜の城が自分を嘲笑っているかのように見えた。
彼の瞳にはもはや理性のかけらも残っていなかった。ただ全てを失った男の、空虚で狂気に満ちた光だけが揺らめいている。
「……これで、よかったのですかな」
老伯爵が力なく呟いた。
セドリックは何も答えなかった。
彼はただ唇の端に不気味な笑みを浮かべていた。
それは敗北を認めた者の笑みではなかった。
全てを失った代わりに何か別の恐ろしいものを手に入れてしまった者の、歪んだ笑みだった。
完全なる敗北。
それはセドリックに己の無力さを教え、彼から全てを奪い去った。
しかしその絶望の底で、彼は新たな道を見つけてしまったのかもしれない。
光を求めることを諦めた者が安易に手を伸ばす、甘く危険な闇への道を。
帝都エルミリアの城門を使節団の馬車が静かに通り過ぎていく。
その姿を城壁の上からレオナルドが冷たい目で見下ろしていた。
「……嵐はまだ始まったばかりかもしれんな」
彼は誰に言うでもなくそう呟いた。
セドリックの瞳に宿っていた狂気の光を、歴戦の騎士である彼が見逃すはずはなかった。
愚かな王子の敗北は決して物語の終わりではなかったのだ。
それは大陸全土を巻き込む、より大きな悲劇のほんの序章に過ぎなかった。
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