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第4話:旅の始まりと幸運の片鱗
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追放されてから三日が過ぎた。
俺は街道と思われる獣道をひたすら歩き続けていた。
最初の二日間は、勇者パーティから解放された喜びで満ちていた。だが、さすがに三日も荒野を歩き続けると、その高揚感も少し落ち着いてくる。
代わりに主張を始めたのが、空腹だった。
「腹が減ったな……」
革袋に残っていた最後の干し肉を昨日の昼に食べてしまった。水筒の水も残りわずかだ。
ガイアスたちといた頃は、食料の心配などしたことがなかった。潤沢な活動資金で、常に最高級の保存食が用意されていたからだ。
今は違う。俺は無一文ではないが、金貨を使うあてがない。店も人もない荒野では、金などただの重い金属だ。
ふと、足元の茂みに鮮やかな赤い実がなっているのが見えた。
ベリーの一種だろうか。俺はしゃがみ込み、その実を一つ手に取って観察する。
パーティにいた頃、ポーションの材料となる薬草や、食べられる野草の知識を必死で覚えた。雑用係として、それくらいはできなければすぐに役立たずの烙印を押されるからだ。
「これは……クラウドベリーか。毒はないはずだ」
知識が役に立ったことに、少しだけ嬉しくなる。
俺は懐から小さな布袋を取り出し、夢中でその実を摘み始めた。これで少なくとも、今日の飢えはしのげる。
追放された時はどうなることかと思ったが、案外なんとかなるものだ。自分の力だけで食料を確保できたという事実が、ささやかな自信をくれた。
腹ごしらえを済ませ、再び歩き始めた時だった。
風に乗って、微かに人の声が聞こえてきた。
それも、ただの声ではない。恐怖に満ちた悲鳴だ。
「……面倒事はごめんだ」
俺は即座にそう判断し、踵を返そうとした。
もう英雄の真似事には付き合わない。俺はただの元荷物持ちだ。誰かを助ける力など持っていないし、危険に首を突っ込む義理もない。
そう、頭では分かっていた。
分かっていたのに、足が動かなかった。
悲鳴が、また聞こえる。今度はさっきよりも鮮明に。女の人の声だ。
俺は天を仰ぎ、本日何度目か分からないため息をついた。
どうやら俺の性分は、そう簡単には変わってくれないらしい。困っている人間を見過ごせない。我ながら、損な性格だと思う。
「ちょっと様子を見るだけだ。ちょっとだけ」
自分に言い訳をしながら、俺は声がした方へ慎重に足を向けた。茂みに身を隠し、音を立てないようにゆっくりと進む。
やがて視界が開け、その光景が目に飛び込んできた。
一台の立派な馬車が、数匹の緑色の小鬼に囲まれていた。
ゴブリンだ。一体一体は弱いが、群れると厄介な魔物として知られている。
馬車のそばでは、屈強な傭兵らしき男が二人、必死に剣を振るっていた。しかし、多勢に無勢だ。既に傭兵の一人は腕から血を流しており、動きが鈍い。
馬車の陰では、恰幅のいい商人とその妻らしき女性が震えている。状況は、誰が見ても絶望的だった。
俺はどうするべきか、瞬時に思考を巡らせた。
俺に戦闘能力はない。剣を握ったところで、ゴブリン一体倒せるかどうか怪しいものだ。飛び出していっても、犬死にするのが関の山だろう。
何か、俺にできることはないか。
そうだ、石だ。
石を投げてゴブリンの注意をこちらに引きつける。その隙に、商人たちが逃げる時間を稼ぐ。我ながら無謀な作戦だが、何もしないよりはましだ。
俺は足元から手頃な大きさの石を拾い上げた。
そして、茂みから飛び出すタイミングを計る。
傭兵の一人がゴブリンに突き飛ばされ、地面に倒れた。万事休すか。
「今だ!」
俺が石を投げつけようと腕を振りかぶった、まさにその時。
信じられない光景が、俺の目の前で繰り広げられた。
倒れた傭兵に止めを刺そうと、棍棒を振り上げたゴブリンがいた。
そのゴブリンが、なぜか何もないところで盛大に足をもたつかせた。
「ゴギャ!?」
奇妙な声を上げ、前のめりに倒れ込むゴブリン。その手からすっぽ抜けた棍棒が、綺麗な放物線を描いて宙を舞い、隣にいた仲間のゴブリンの側頭部をクリーンヒットした。
ゴツン、と鈍い音が響く。
殴られたゴブリンは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「……え?」
俺は腕を振り上げたまま、固まった。
それを皮切りに、ゴブリンたちの間に奇妙な連鎖反応が起き始めた。
仲間を殴ってしまったゴブリンは、何が起きたか分からず混乱している。それを見た別のゴブリンが、裏切ったと勘違いしたのか、そのゴブリンに殴りかかった。
「ギギィ!」
「ゴガァ!」
あっという間に、ゴブリンたちの間で醜い同士討ちが始まった。
馬車を囲んでいた残りのゴブリンたちは、その内輪揉めに気を取られている。
好機と見た傭兵が、傷を負いながらも反撃に転じようとした。
その傭兵に、リーダー格と思われる少し体の大きなゴブリンが気づき、雄叫びを上げて襲いかかろうとする。
だが、そのゴブリンが踏み出した一歩は、ぬるりとした苔の生えた石の上だった。
「ゴッ……!?」
見事に足を滑らせたゴブリンは、バランスを崩して地面に手をついた。
運が悪いことに、そこには仲間が落とした錆びた短剣が転がっていた。刃が、上を向いて。
ブスリ、と嫌な音がした。
ゴブリンは自分の手を見て、信じられないという顔で絶叫した。
その絶叫に驚いたのか、近くの木の上で休んでいたカラスの群れが一斉に飛び立った。
その羽ばたきで、偶然にも古くなっていた枝が折れる。
枝の先には、バスケットボールほどの大きさの蜂の巣があった。
それは見事に、ゴブリンたちの内輪揉めの中心へと落下した。
巣は砕け散り、中から羽音を響かせて怒り狂った蜂の大群が現れる。
その後の展開は、もはや阿鼻叫喚だった。
「ギギャアアアア!」
「ギイイイイイイ!」
蜂に刺されまくったゴブリンたちは、完全にパニック状態に陥った。敵も味方も関係ない。我先にと森の奥深くへと散り散りに逃げていく。
ほんの数十秒前の危機が、嘘のようだった。
後には、気絶したゴブリンや、同士討ちで傷を負ったゴブリンが数匹転がっているだけ。
戦いは、終わった。
俺が、石ころ一つ投げる前に。
傭兵も、商人も、そして俺自身も、目の前で起きた出来事が理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
やがて、我に返った商人が、茂みの中にいる俺の姿に気づいた。
「おお! あなたは!」
商人は俺の方へ駆け寄ってくると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、旅の方! あなた様が機転を利かせてくださったおかげで、我々は命拾いをいたしました!」
「え? あ、いや、俺は何も……」
「ご謙遜を! あなたが物音を立てて奴らの注意を引いてくださったのでしょう? なんという見事な陽動! まるで伝説の斥候のようですぞ!」
どうやら、俺が茂みでガサガサやっていたのを、ゴブリンたちを混乱させるための作戦だと勘違いしたらしい。
あまりにも都合の良い解釈だったが、商人たちの目には確信が宿っていた。
俺は否定するのも面倒になり、曖昧に口ごもるしかなかった。
「いやはや、助かりました。私はギルマスと申します。ささやかですが、ぜひお礼をさせてください」
ギルマスと名乗った商人は、そう言って俺に金貨を差し出した。
俺は慌てて首を横に振る。
「いえ、そんなつもりじゃ……。俺はただ、通りかかっただけですから」
「そうおっしゃらずに。そうだ、もしよろしければ、この先の村まで我々とご一緒しませんか? 護衛の者が手負いになってしまい、正直心細いのです。あなたのような方がいてくだされば、これほど心強いことはない!」
話を聞くと、彼らも辺境の村、アルカディアへ向かう途中だという。なんという偶然。
一人旅の心細さを感じていたのは俺も同じだ。道を尋ねる手間も省ける。
断る理由は、どこにもなかった。
「……分かりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺がそう言うと、ギルマスは顔を輝かせた。
こうして俺は、思いがけず旅の道連れを得ることになった。
馬車の荷台に揺られながら、俺はさっきの出来事を反芻する。
ゴブリンたちの自滅。そして、商人との出会い。
ツイてるな、と俺は思った。
追放されてから、なんだか運が良いことばかりが起きる。
その幸運が、俺自身の体に起因するものだとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
俺は街道と思われる獣道をひたすら歩き続けていた。
最初の二日間は、勇者パーティから解放された喜びで満ちていた。だが、さすがに三日も荒野を歩き続けると、その高揚感も少し落ち着いてくる。
代わりに主張を始めたのが、空腹だった。
「腹が減ったな……」
革袋に残っていた最後の干し肉を昨日の昼に食べてしまった。水筒の水も残りわずかだ。
ガイアスたちといた頃は、食料の心配などしたことがなかった。潤沢な活動資金で、常に最高級の保存食が用意されていたからだ。
今は違う。俺は無一文ではないが、金貨を使うあてがない。店も人もない荒野では、金などただの重い金属だ。
ふと、足元の茂みに鮮やかな赤い実がなっているのが見えた。
ベリーの一種だろうか。俺はしゃがみ込み、その実を一つ手に取って観察する。
パーティにいた頃、ポーションの材料となる薬草や、食べられる野草の知識を必死で覚えた。雑用係として、それくらいはできなければすぐに役立たずの烙印を押されるからだ。
「これは……クラウドベリーか。毒はないはずだ」
知識が役に立ったことに、少しだけ嬉しくなる。
俺は懐から小さな布袋を取り出し、夢中でその実を摘み始めた。これで少なくとも、今日の飢えはしのげる。
追放された時はどうなることかと思ったが、案外なんとかなるものだ。自分の力だけで食料を確保できたという事実が、ささやかな自信をくれた。
腹ごしらえを済ませ、再び歩き始めた時だった。
風に乗って、微かに人の声が聞こえてきた。
それも、ただの声ではない。恐怖に満ちた悲鳴だ。
「……面倒事はごめんだ」
俺は即座にそう判断し、踵を返そうとした。
もう英雄の真似事には付き合わない。俺はただの元荷物持ちだ。誰かを助ける力など持っていないし、危険に首を突っ込む義理もない。
そう、頭では分かっていた。
分かっていたのに、足が動かなかった。
悲鳴が、また聞こえる。今度はさっきよりも鮮明に。女の人の声だ。
俺は天を仰ぎ、本日何度目か分からないため息をついた。
どうやら俺の性分は、そう簡単には変わってくれないらしい。困っている人間を見過ごせない。我ながら、損な性格だと思う。
「ちょっと様子を見るだけだ。ちょっとだけ」
自分に言い訳をしながら、俺は声がした方へ慎重に足を向けた。茂みに身を隠し、音を立てないようにゆっくりと進む。
やがて視界が開け、その光景が目に飛び込んできた。
一台の立派な馬車が、数匹の緑色の小鬼に囲まれていた。
ゴブリンだ。一体一体は弱いが、群れると厄介な魔物として知られている。
馬車のそばでは、屈強な傭兵らしき男が二人、必死に剣を振るっていた。しかし、多勢に無勢だ。既に傭兵の一人は腕から血を流しており、動きが鈍い。
馬車の陰では、恰幅のいい商人とその妻らしき女性が震えている。状況は、誰が見ても絶望的だった。
俺はどうするべきか、瞬時に思考を巡らせた。
俺に戦闘能力はない。剣を握ったところで、ゴブリン一体倒せるかどうか怪しいものだ。飛び出していっても、犬死にするのが関の山だろう。
何か、俺にできることはないか。
そうだ、石だ。
石を投げてゴブリンの注意をこちらに引きつける。その隙に、商人たちが逃げる時間を稼ぐ。我ながら無謀な作戦だが、何もしないよりはましだ。
俺は足元から手頃な大きさの石を拾い上げた。
そして、茂みから飛び出すタイミングを計る。
傭兵の一人がゴブリンに突き飛ばされ、地面に倒れた。万事休すか。
「今だ!」
俺が石を投げつけようと腕を振りかぶった、まさにその時。
信じられない光景が、俺の目の前で繰り広げられた。
倒れた傭兵に止めを刺そうと、棍棒を振り上げたゴブリンがいた。
そのゴブリンが、なぜか何もないところで盛大に足をもたつかせた。
「ゴギャ!?」
奇妙な声を上げ、前のめりに倒れ込むゴブリン。その手からすっぽ抜けた棍棒が、綺麗な放物線を描いて宙を舞い、隣にいた仲間のゴブリンの側頭部をクリーンヒットした。
ゴツン、と鈍い音が響く。
殴られたゴブリンは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「……え?」
俺は腕を振り上げたまま、固まった。
それを皮切りに、ゴブリンたちの間に奇妙な連鎖反応が起き始めた。
仲間を殴ってしまったゴブリンは、何が起きたか分からず混乱している。それを見た別のゴブリンが、裏切ったと勘違いしたのか、そのゴブリンに殴りかかった。
「ギギィ!」
「ゴガァ!」
あっという間に、ゴブリンたちの間で醜い同士討ちが始まった。
馬車を囲んでいた残りのゴブリンたちは、その内輪揉めに気を取られている。
好機と見た傭兵が、傷を負いながらも反撃に転じようとした。
その傭兵に、リーダー格と思われる少し体の大きなゴブリンが気づき、雄叫びを上げて襲いかかろうとする。
だが、そのゴブリンが踏み出した一歩は、ぬるりとした苔の生えた石の上だった。
「ゴッ……!?」
見事に足を滑らせたゴブリンは、バランスを崩して地面に手をついた。
運が悪いことに、そこには仲間が落とした錆びた短剣が転がっていた。刃が、上を向いて。
ブスリ、と嫌な音がした。
ゴブリンは自分の手を見て、信じられないという顔で絶叫した。
その絶叫に驚いたのか、近くの木の上で休んでいたカラスの群れが一斉に飛び立った。
その羽ばたきで、偶然にも古くなっていた枝が折れる。
枝の先には、バスケットボールほどの大きさの蜂の巣があった。
それは見事に、ゴブリンたちの内輪揉めの中心へと落下した。
巣は砕け散り、中から羽音を響かせて怒り狂った蜂の大群が現れる。
その後の展開は、もはや阿鼻叫喚だった。
「ギギャアアアア!」
「ギイイイイイイ!」
蜂に刺されまくったゴブリンたちは、完全にパニック状態に陥った。敵も味方も関係ない。我先にと森の奥深くへと散り散りに逃げていく。
ほんの数十秒前の危機が、嘘のようだった。
後には、気絶したゴブリンや、同士討ちで傷を負ったゴブリンが数匹転がっているだけ。
戦いは、終わった。
俺が、石ころ一つ投げる前に。
傭兵も、商人も、そして俺自身も、目の前で起きた出来事が理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
やがて、我に返った商人が、茂みの中にいる俺の姿に気づいた。
「おお! あなたは!」
商人は俺の方へ駆け寄ってくると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、旅の方! あなた様が機転を利かせてくださったおかげで、我々は命拾いをいたしました!」
「え? あ、いや、俺は何も……」
「ご謙遜を! あなたが物音を立てて奴らの注意を引いてくださったのでしょう? なんという見事な陽動! まるで伝説の斥候のようですぞ!」
どうやら、俺が茂みでガサガサやっていたのを、ゴブリンたちを混乱させるための作戦だと勘違いしたらしい。
あまりにも都合の良い解釈だったが、商人たちの目には確信が宿っていた。
俺は否定するのも面倒になり、曖昧に口ごもるしかなかった。
「いやはや、助かりました。私はギルマスと申します。ささやかですが、ぜひお礼をさせてください」
ギルマスと名乗った商人は、そう言って俺に金貨を差し出した。
俺は慌てて首を横に振る。
「いえ、そんなつもりじゃ……。俺はただ、通りかかっただけですから」
「そうおっしゃらずに。そうだ、もしよろしければ、この先の村まで我々とご一緒しませんか? 護衛の者が手負いになってしまい、正直心細いのです。あなたのような方がいてくだされば、これほど心強いことはない!」
話を聞くと、彼らも辺境の村、アルカディアへ向かう途中だという。なんという偶然。
一人旅の心細さを感じていたのは俺も同じだ。道を尋ねる手間も省ける。
断る理由は、どこにもなかった。
「……分かりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺がそう言うと、ギルマスは顔を輝かせた。
こうして俺は、思いがけず旅の道連れを得ることになった。
馬車の荷台に揺られながら、俺はさっきの出来事を反芻する。
ゴブリンたちの自滅。そして、商人との出会い。
ツイてるな、と俺は思った。
追放されてから、なんだか運が良いことばかりが起きる。
その幸運が、俺自身の体に起因するものだとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
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