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第一話 役立たずの呪術師
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じめつく湿気とカビの匂いが鼻をつく。迷宮特有の不快な空気に、支援術師のノア・アークライトは小さく眉をひそめた。視線の先では、勇者アレス率いるパーティがオークの群れと激しく切り結んでいる。
「ノア! 敵の動きが速い! デバフをかけろ!」
パーティの盾役である騎士ライオネルが、大盾でオークの棍棒を受け止めながら怒鳴った。その巨体は小刻みに震え、限界が近いことを示している。
「分かっています!」
ノアは短く応じると、神経を集中させて詠唱を始めた。彼のスキルは【呪物錬成】。本来は物質に呪いを付与する生産系のスキルだが、戦闘中は敵に直接呪いをかけることで弱体化、つまりデバフ効果を発揮する。
「──蠢く悪意よ、その足を鈍らせ、その腕を萎えさせよ。『減速』『筋力低下』」
ノアの指先から、黒い靄のような魔力が数条に分かれて放たれる。靄はオークたちにまとわりつき、その巨体に染み込んでいった。途端に、獣じみた勢いで暴れていたオークたちの動きが目に見えて鈍くなる。
「よし、今だ! 全員、一斉に叩くぞ!」
勇者アレスが高らかに号令をかける。彼の持つ聖剣がまばゆい光を放ち、一閃でオークの首を薙ぎ払った。それに続くように、ライオネルの重い一撃が別のオークの頭蓋を砕き、魔術師アイザックの放った炎の槍が残りの一体を黒焦げにした。
戦闘はあっという間に終わった。しかし、仲間たちのノアを見る目は冷たい。
「ちっ、ノアのデバフは発動が遅いんだよ。もう少しでライオネルがやられるところだったぞ」
アレスは聖剣についた血を乱暴に振り払い、忌々しげに吐き捨てた。彼は聖剣に選ばれた勇者で、パーティの絶対的なリーダーだ。その言葉に誰も逆らえない。
「申し訳ありません、アレス様。ですが、あれが最速でして……」
「言い訳はいい。お前のスキルは地味で効果も分かりづらい。本当に役に立っているのか怪しいもんだ」
その言葉が、ノアの胸に深く突き刺さる。役に立っているのか。それは彼自身がずっと抱いてきた疑問だった。
彼の【呪物錬成】は、敵のステータスを数パーセント下げるだけの地味な能力だ。アレスの聖剣技のように敵を一撃で屠る派手さもなければ、アイザックの魔法のように広範囲を殲滅する力もない。パーティの回復を一手に担う聖女オリヴィアのように、誰からも感謝されるような力でもない。
ただ、敵を少しだけ弱くする。それだけだ。
「そんなことありません。ノアさんのデバフがあったからこそ、私たちは今まで無事に戦えてきたんです」
かばってくれたのは、聖女のオリヴィアだった。彼女だけは、いつもノアの働きを認めてくれていた。だが、その優しさも今のノアには少しつらい。
「オリヴィアは甘すぎる。こいつはパーティのお荷物だ。なあ、みんなもそう思うだろ?」
アレスが同意を求めると、ライオネルとアイザックは気まずそうに目をそらしながらも、小さく頷いた。その仕草が、何よりも雄弁に彼らの本音を物語っていた。
居場所がない。このパーティに、自分の価値はない。そんな絶望的な感情が、じわじวとノアの心を蝕んでいく。
迷宮の探索はその後も続いた。しかし、パーティの雰囲気は最悪だった。些細なミスをアレスが執拗に責め立て、そのたびにノアは縮こまる。連携は乱れ、消耗だけが激しくなっていく。
そして、最下層の手前でそれは起こった。
「グオオオオオ!」
これまでとは比較にならないほど巨大なオーガが、通路を塞ぐように現れた。その手には巨大な鉄の棍棒。その威圧感だけで、パーティの動きが止まる。
「くそっ、迷宮の主か! ノア、すぐにデバフを!」
「は、はい!」
ノアは震える声で応じ、必死に呪文を詠唱する。だが、オーガの魔力抵抗が異常に高いのか、黒い靄は弾かれ、十分な効果を発揮できない。
「なんだ、効いてないじゃないか! 役立たずめ!」
アレスの罵声が飛ぶ。その言葉に動揺したのか、盾役のライオネルが一瞬、動きを止めた。オーガはその隙を見逃さない。振り下ろされた棍棒が、ライオネルの大盾を凄まじい衝撃と共に粉砕した。
「ぐあああっ!」
ライオネルは壁まで吹き飛ばされ、ぐったりと動かなくなる。
「ライオネル!」
オリヴィアの悲鳴が響く。彼女が慌てて回復魔法をかけようとするが、オーガの次の標的は彼女だった。
「まずい!」
アレスが聖剣を構えて突撃する。アイザックも最大火力の魔法を放つが、オーガは構わずオリヴィアに迫る。絶体絶命の瞬間だった。
「させるか!」
ノアは咄嗟に前に出ていた。彼にできることは一つしかない。自らの体を犠牲にする、禁じ手の呪術。
「──我が身を代償に、汝の力を封じる! 『呪怨の枷』!」
それは、自らの生命力を削って相手を強制的に弱体化させる危険な呪いだ。ノアの体から大量の魔力と生命力が吸い出され、目の前が真っ暗になる。だが、その代償は大きかった。黒い鎖のような呪いがオーガの全身を縛り上げ、その動きを完全に止める。
「アレス! 今です!」
最後の力を振り絞って叫ぶ。アレスはその好機を逃さなかった。聖剣が閃光を放ち、オーガの心臓を正確に貫く。巨体は悲鳴を上げる間もなく、光の粒子となって消滅した。
静寂が戻る。ノアはその場に崩れ落ち、荒い息を繰り返した。全身が鉛のように重い。生命力を使いすぎたせいで、指一本動かすのも億劫だった。
「……助かった」
誰かがそう呟いた。安堵の空気が流れる。しかし、それも束の間だった。
「ふざけるなよ、ノア」
冷え冷えとした声が、ノアに投げつけられた。見上げると、勇者アレスが忌々しげな表情で彼を見下ろしている。
「お前のせいで、このパーティはめちゃくちゃだ」
「え……?」
意味が分からなかった。自分は命を懸けて仲間を救ったはずだ。
「お前のデバフが最初から効いていれば、ライオネルが大怪我をすることもなかった。そもそも、お前のような不吉な力を持つやつがいるから、迷宮の主まで出てきたんじゃないのか?」
理不尽な言い分だった。だが、アレスは本気でそう信じているようだった。
「もう我慢の限界だ。ノア・アークライト。お前は今日限りでこのパーティを追放する」
追放。その言葉は、まるで遠い世界の響きのように聞こえた。
「そ、そんな……。俺は今まで、パーティのために……」
「黙れ。お前はただの役立たずだ。いや、お荷物以下の疫病神だ。さっさと失せろ。お前の顔も見たくない」
アレスは冷酷に言い放つと、怪我をしたライオネルに肩を貸し、さっさと背を向けた。アイザックも無言でそれに続く。
「待ってください、アレス様! それはあんまりです!」
オリヴィアだけが、ノアをかばおうと声を上げた。
「ノアさんがいなければ、私たちは全滅していました! それに、彼のデバフがなければ、道中の戦闘ももっと厳しかったはずです!」
「うるさいぞ、オリヴィア。お前は優しすぎるんだ。こいつの呪いが、いつか俺たち自身に向けられるかもしれないんだぞ。そんな危険なやつを、これ以上置いておくわけにはいかない」
アレスはオリヴィアの言葉をまったく聞かず、一方的に話を打ち切った。
「いいか、ノア。これが餞別だ。二度と俺たちの前に現れるな」
アレスは革袋を一つ、ノアの足元に放り投げた。中には、雀の涙ほどの金貨が入っているのだろう。それは、これまでの貢献に対する報酬ではなく、厄介払いのための手切れ金だった。
ノアは何も言えなかった。ただ、呆然と彼らの背中が遠ざかっていくのを見つめることしかできない。
必死に貢献してきたつもだった。自分の非力さを呪いながらも、自分にできる精一杯のことをしてきた。その結果がこれだった。
冷たい石の床に、じわりと温かいものが落ちる。それが自分の涙だと気づくのに、少し時間がかかった。
こうして、ノ.ア・アークライトは、人類の希望である勇者パーティから追放された。彼の支援がどれほど重要だったのか、彼を切り捨てた勇者たちがその代償を支払うことになるのは、もう少し先の話である。
「ノア! 敵の動きが速い! デバフをかけろ!」
パーティの盾役である騎士ライオネルが、大盾でオークの棍棒を受け止めながら怒鳴った。その巨体は小刻みに震え、限界が近いことを示している。
「分かっています!」
ノアは短く応じると、神経を集中させて詠唱を始めた。彼のスキルは【呪物錬成】。本来は物質に呪いを付与する生産系のスキルだが、戦闘中は敵に直接呪いをかけることで弱体化、つまりデバフ効果を発揮する。
「──蠢く悪意よ、その足を鈍らせ、その腕を萎えさせよ。『減速』『筋力低下』」
ノアの指先から、黒い靄のような魔力が数条に分かれて放たれる。靄はオークたちにまとわりつき、その巨体に染み込んでいった。途端に、獣じみた勢いで暴れていたオークたちの動きが目に見えて鈍くなる。
「よし、今だ! 全員、一斉に叩くぞ!」
勇者アレスが高らかに号令をかける。彼の持つ聖剣がまばゆい光を放ち、一閃でオークの首を薙ぎ払った。それに続くように、ライオネルの重い一撃が別のオークの頭蓋を砕き、魔術師アイザックの放った炎の槍が残りの一体を黒焦げにした。
戦闘はあっという間に終わった。しかし、仲間たちのノアを見る目は冷たい。
「ちっ、ノアのデバフは発動が遅いんだよ。もう少しでライオネルがやられるところだったぞ」
アレスは聖剣についた血を乱暴に振り払い、忌々しげに吐き捨てた。彼は聖剣に選ばれた勇者で、パーティの絶対的なリーダーだ。その言葉に誰も逆らえない。
「申し訳ありません、アレス様。ですが、あれが最速でして……」
「言い訳はいい。お前のスキルは地味で効果も分かりづらい。本当に役に立っているのか怪しいもんだ」
その言葉が、ノアの胸に深く突き刺さる。役に立っているのか。それは彼自身がずっと抱いてきた疑問だった。
彼の【呪物錬成】は、敵のステータスを数パーセント下げるだけの地味な能力だ。アレスの聖剣技のように敵を一撃で屠る派手さもなければ、アイザックの魔法のように広範囲を殲滅する力もない。パーティの回復を一手に担う聖女オリヴィアのように、誰からも感謝されるような力でもない。
ただ、敵を少しだけ弱くする。それだけだ。
「そんなことありません。ノアさんのデバフがあったからこそ、私たちは今まで無事に戦えてきたんです」
かばってくれたのは、聖女のオリヴィアだった。彼女だけは、いつもノアの働きを認めてくれていた。だが、その優しさも今のノアには少しつらい。
「オリヴィアは甘すぎる。こいつはパーティのお荷物だ。なあ、みんなもそう思うだろ?」
アレスが同意を求めると、ライオネルとアイザックは気まずそうに目をそらしながらも、小さく頷いた。その仕草が、何よりも雄弁に彼らの本音を物語っていた。
居場所がない。このパーティに、自分の価値はない。そんな絶望的な感情が、じわじวとノアの心を蝕んでいく。
迷宮の探索はその後も続いた。しかし、パーティの雰囲気は最悪だった。些細なミスをアレスが執拗に責め立て、そのたびにノアは縮こまる。連携は乱れ、消耗だけが激しくなっていく。
そして、最下層の手前でそれは起こった。
「グオオオオオ!」
これまでとは比較にならないほど巨大なオーガが、通路を塞ぐように現れた。その手には巨大な鉄の棍棒。その威圧感だけで、パーティの動きが止まる。
「くそっ、迷宮の主か! ノア、すぐにデバフを!」
「は、はい!」
ノアは震える声で応じ、必死に呪文を詠唱する。だが、オーガの魔力抵抗が異常に高いのか、黒い靄は弾かれ、十分な効果を発揮できない。
「なんだ、効いてないじゃないか! 役立たずめ!」
アレスの罵声が飛ぶ。その言葉に動揺したのか、盾役のライオネルが一瞬、動きを止めた。オーガはその隙を見逃さない。振り下ろされた棍棒が、ライオネルの大盾を凄まじい衝撃と共に粉砕した。
「ぐあああっ!」
ライオネルは壁まで吹き飛ばされ、ぐったりと動かなくなる。
「ライオネル!」
オリヴィアの悲鳴が響く。彼女が慌てて回復魔法をかけようとするが、オーガの次の標的は彼女だった。
「まずい!」
アレスが聖剣を構えて突撃する。アイザックも最大火力の魔法を放つが、オーガは構わずオリヴィアに迫る。絶体絶命の瞬間だった。
「させるか!」
ノアは咄嗟に前に出ていた。彼にできることは一つしかない。自らの体を犠牲にする、禁じ手の呪術。
「──我が身を代償に、汝の力を封じる! 『呪怨の枷』!」
それは、自らの生命力を削って相手を強制的に弱体化させる危険な呪いだ。ノアの体から大量の魔力と生命力が吸い出され、目の前が真っ暗になる。だが、その代償は大きかった。黒い鎖のような呪いがオーガの全身を縛り上げ、その動きを完全に止める。
「アレス! 今です!」
最後の力を振り絞って叫ぶ。アレスはその好機を逃さなかった。聖剣が閃光を放ち、オーガの心臓を正確に貫く。巨体は悲鳴を上げる間もなく、光の粒子となって消滅した。
静寂が戻る。ノアはその場に崩れ落ち、荒い息を繰り返した。全身が鉛のように重い。生命力を使いすぎたせいで、指一本動かすのも億劫だった。
「……助かった」
誰かがそう呟いた。安堵の空気が流れる。しかし、それも束の間だった。
「ふざけるなよ、ノア」
冷え冷えとした声が、ノアに投げつけられた。見上げると、勇者アレスが忌々しげな表情で彼を見下ろしている。
「お前のせいで、このパーティはめちゃくちゃだ」
「え……?」
意味が分からなかった。自分は命を懸けて仲間を救ったはずだ。
「お前のデバフが最初から効いていれば、ライオネルが大怪我をすることもなかった。そもそも、お前のような不吉な力を持つやつがいるから、迷宮の主まで出てきたんじゃないのか?」
理不尽な言い分だった。だが、アレスは本気でそう信じているようだった。
「もう我慢の限界だ。ノア・アークライト。お前は今日限りでこのパーティを追放する」
追放。その言葉は、まるで遠い世界の響きのように聞こえた。
「そ、そんな……。俺は今まで、パーティのために……」
「黙れ。お前はただの役立たずだ。いや、お荷物以下の疫病神だ。さっさと失せろ。お前の顔も見たくない」
アレスは冷酷に言い放つと、怪我をしたライオネルに肩を貸し、さっさと背を向けた。アイザックも無言でそれに続く。
「待ってください、アレス様! それはあんまりです!」
オリヴィアだけが、ノアをかばおうと声を上げた。
「ノアさんがいなければ、私たちは全滅していました! それに、彼のデバフがなければ、道中の戦闘ももっと厳しかったはずです!」
「うるさいぞ、オリヴィア。お前は優しすぎるんだ。こいつの呪いが、いつか俺たち自身に向けられるかもしれないんだぞ。そんな危険なやつを、これ以上置いておくわけにはいかない」
アレスはオリヴィアの言葉をまったく聞かず、一方的に話を打ち切った。
「いいか、ノア。これが餞別だ。二度と俺たちの前に現れるな」
アレスは革袋を一つ、ノアの足元に放り投げた。中には、雀の涙ほどの金貨が入っているのだろう。それは、これまでの貢献に対する報酬ではなく、厄介払いのための手切れ金だった。
ノアは何も言えなかった。ただ、呆然と彼らの背中が遠ざかっていくのを見つめることしかできない。
必死に貢献してきたつもだった。自分の非力さを呪いながらも、自分にできる精一杯のことをしてきた。その結果がこれだった。
冷たい石の床に、じわりと温かいものが落ちる。それが自分の涙だと気づくのに、少し時間がかかった。
こうして、ノ.ア・アークライトは、人類の希望である勇者パーティから追放された。彼の支援がどれほど重要だったのか、彼を切り捨てた勇者たちがその代償を支払うことになるのは、もう少し先の話である。
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