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第三十七話 王の天秤と迫る足音
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王都アルカディア。荘厳な王城の一室で、国王アルトリウスは、密偵シャドウからの報告を静かに聞いていた。玉座にある時とは違い、彼の顔には為政者としての深い苦悩が浮かんでいる。
「――以上が、境界都市バザールにおける呪術師ノア、及びその店【ノアの箱舟】に関する調査結果の全てです」
シャドウは、影のように淡々と、しかし正確に事実を述べた。
「勇者アレス様の報告には、多分に私怨が含まれているかと。ノアという男は、人心を惑わす危険人物というよりは、むしろ人々の苦しみに寄り添う、一種の救済者と呼ぶべき存在でした」
その言葉に、国王の隣に控えていた宰相が、ほう、と興味深げな声を漏らす。
「しかし」とシャドウは続けた。「彼の力は、紛れもなく本物。そして規格外です。人の心を見抜き、常識ではありえない奇跡を起こすその力は、もし悪しき者の手に渡れば、あるいは彼自身が悪意に染まれば、国家を揺るがす災厄となりうる可能性もまた、否定できません」
アルトリウスは、指を組み、深く目を閉じた。天秤が、彼の心の中で揺れ動く。片方には、聖剣に選ばれた勇者の名誉と秩序。もう片方には、未知数の力を持つ辺境の奇跡。
「シャドウ、ご苦労であった。引き続き、その動向を監視せよ。だが、決して接触はするな」
「御意」
シャドウは音もなく部屋を辞し、再び影の中へと消えていった。
「陛下。いかがなさいますか」
宰相が問う。
「アレスの報告は、やはり虚偽であったか。あの男の器の小ささが、この国にとっての最大の呪いかもしれん」
国王は、自嘲するように呟いた。
「だが、あのノアという男……。ただの在野の奇跡では済まされんかもしれんな。今は静観する。だが、いずれ何らかの形で、我らの管理下に置く必要があろう」
王の決断は、まだ保留された。しかし、その視線は確かに、遠い西の辺境へと注がれていた。王都の思惑は、静かに、だが着実に【ノアの箱舟】へと伸び始めていた。
その頃、境界都市バザールは、収穫祭を間近に控え、活気に満ち溢れていた。
【ノアの箱舟】も、その喧騒の中心にあった。
「どうだ、エリオ! この『自動味見スプーン』! 料理の味見をすると、最適な塩加減を教えてくれるんだ!」
「その代償は?」
「三回に一回、とんでもなく的外れなことを言う」
「……改良の余地がありそうだな」
ノアとエリオは、工房で新たな発明に夢中になっていた。彼らにとって、人々の日常を少しだけ楽しく、豊かにすることが、何よりの喜びだった。
そんな平和なある日。店を訪れたのは、冒険者ギルドの職員だった。彼は、カウンターにいたルナに、一枚の依頼書を手渡す。
「ルナさん、これはギルドからの緊急の相談なんだが……」
依頼書に書かれていたのは、近隣の森で、本来この時期には見られないはずの狂暴な魔物が多数目撃されているという報告だった。
「ただの季節外れの行動とは思えん。何かが、森の奥で起きている可能性がある。ギルドとしても調査隊を出すが、【ノアの箱舟】さんにも、何か対策となるような道具を作ってはいただけないだろうか」
ルナは、依頼書を読みながら眉をひそめた。最近、こうした不穏な噂を耳にすることが増えている。
「分かりました。ギルドからの正式な依頼とあらば、お受けしましょう。何かあれば、こちらからも情報を提供します」
職員が帰った後、ルナは店のメンバー全員を集めた。
「どうやら、きな臭くなってきたな」
ルナが状況を説明すると、皆の表情が引き締まる。
「魔物、ですか……。もし街にまで来たら……」
アンナが、不安そうに呟く。
「大丈夫だ、アンナ。俺たちがいる」
クロエが、頼もしく彼女の肩を叩いた。
「僕も、街を守るための防衛魔法の準備をしておく。何かあっても、すぐに対応できるように」
エリオも、魔法理論の書物を片手に、決意を新たにする。
ノアは、窓の外の賑やかな街並みを見つめていた。子供たちが笑い声を上げ、人々が平和に暮らしている。それは、彼がこの街に来て手に入れた、かけがえのない宝物だった。
(守らなければ……)
この日常を、仲間たちを、そしてこの街を。
彼は、工房へと向かった。炉に、静かに火を入れる。彼の心は、もう決まっていた。求められるのは、日常を彩る楽しい道具だけではない。大切なものを守るための、強力な力を持つ武具や防具。その製作に、彼は全力を注ぐ覚悟を決めた。
王都からの静かな圧力。そして、魔王軍の不穏な活動の兆し。二つの大きな影が、この辺境の小さな箱舟へと、ゆっくりと、しかし確実に迫りつつあった。
だが、ノアも、彼の仲間たちも、もう無力な存在ではない。彼らは、自らの力で運命に立ち向かうための準備を、静かに始めていた。
「――以上が、境界都市バザールにおける呪術師ノア、及びその店【ノアの箱舟】に関する調査結果の全てです」
シャドウは、影のように淡々と、しかし正確に事実を述べた。
「勇者アレス様の報告には、多分に私怨が含まれているかと。ノアという男は、人心を惑わす危険人物というよりは、むしろ人々の苦しみに寄り添う、一種の救済者と呼ぶべき存在でした」
その言葉に、国王の隣に控えていた宰相が、ほう、と興味深げな声を漏らす。
「しかし」とシャドウは続けた。「彼の力は、紛れもなく本物。そして規格外です。人の心を見抜き、常識ではありえない奇跡を起こすその力は、もし悪しき者の手に渡れば、あるいは彼自身が悪意に染まれば、国家を揺るがす災厄となりうる可能性もまた、否定できません」
アルトリウスは、指を組み、深く目を閉じた。天秤が、彼の心の中で揺れ動く。片方には、聖剣に選ばれた勇者の名誉と秩序。もう片方には、未知数の力を持つ辺境の奇跡。
「シャドウ、ご苦労であった。引き続き、その動向を監視せよ。だが、決して接触はするな」
「御意」
シャドウは音もなく部屋を辞し、再び影の中へと消えていった。
「陛下。いかがなさいますか」
宰相が問う。
「アレスの報告は、やはり虚偽であったか。あの男の器の小ささが、この国にとっての最大の呪いかもしれん」
国王は、自嘲するように呟いた。
「だが、あのノアという男……。ただの在野の奇跡では済まされんかもしれんな。今は静観する。だが、いずれ何らかの形で、我らの管理下に置く必要があろう」
王の決断は、まだ保留された。しかし、その視線は確かに、遠い西の辺境へと注がれていた。王都の思惑は、静かに、だが着実に【ノアの箱舟】へと伸び始めていた。
その頃、境界都市バザールは、収穫祭を間近に控え、活気に満ち溢れていた。
【ノアの箱舟】も、その喧騒の中心にあった。
「どうだ、エリオ! この『自動味見スプーン』! 料理の味見をすると、最適な塩加減を教えてくれるんだ!」
「その代償は?」
「三回に一回、とんでもなく的外れなことを言う」
「……改良の余地がありそうだな」
ノアとエリオは、工房で新たな発明に夢中になっていた。彼らにとって、人々の日常を少しだけ楽しく、豊かにすることが、何よりの喜びだった。
そんな平和なある日。店を訪れたのは、冒険者ギルドの職員だった。彼は、カウンターにいたルナに、一枚の依頼書を手渡す。
「ルナさん、これはギルドからの緊急の相談なんだが……」
依頼書に書かれていたのは、近隣の森で、本来この時期には見られないはずの狂暴な魔物が多数目撃されているという報告だった。
「ただの季節外れの行動とは思えん。何かが、森の奥で起きている可能性がある。ギルドとしても調査隊を出すが、【ノアの箱舟】さんにも、何か対策となるような道具を作ってはいただけないだろうか」
ルナは、依頼書を読みながら眉をひそめた。最近、こうした不穏な噂を耳にすることが増えている。
「分かりました。ギルドからの正式な依頼とあらば、お受けしましょう。何かあれば、こちらからも情報を提供します」
職員が帰った後、ルナは店のメンバー全員を集めた。
「どうやら、きな臭くなってきたな」
ルナが状況を説明すると、皆の表情が引き締まる。
「魔物、ですか……。もし街にまで来たら……」
アンナが、不安そうに呟く。
「大丈夫だ、アンナ。俺たちがいる」
クロエが、頼もしく彼女の肩を叩いた。
「僕も、街を守るための防衛魔法の準備をしておく。何かあっても、すぐに対応できるように」
エリオも、魔法理論の書物を片手に、決意を新たにする。
ノアは、窓の外の賑やかな街並みを見つめていた。子供たちが笑い声を上げ、人々が平和に暮らしている。それは、彼がこの街に来て手に入れた、かけがえのない宝物だった。
(守らなければ……)
この日常を、仲間たちを、そしてこの街を。
彼は、工房へと向かった。炉に、静かに火を入れる。彼の心は、もう決まっていた。求められるのは、日常を彩る楽しい道具だけではない。大切なものを守るための、強力な力を持つ武具や防具。その製作に、彼は全力を注ぐ覚悟を決めた。
王都からの静かな圧力。そして、魔王軍の不穏な活動の兆し。二つの大きな影が、この辺境の小さな箱舟へと、ゆっくりと、しかし確実に迫りつつあった。
だが、ノアも、彼の仲間たちも、もう無力な存在ではない。彼らは、自らの力で運命に立ち向かうための準備を、静かに始めていた。
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