無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第十六話:領内の無法者

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岩盤崩落の現場から村へ戻る道は、行きよりもさらに重苦しい空気に満ちていた。ボルグとその仲間たちは、誰一人として口を開かなかった。彼らの感情は、「絶望:85」「無力感:90」という暗い数値に染まりきっている。希望を求めて踏み出した先で、さらに巨大な絶望の壁に突き当たったのだ。その衝撃は、彼らの心をへし折るのに十分だった。

館に戻ると、ボルグはアッシュの前に立ち、吐き捨てるように言った。
「見たかよ、領主様。あれが俺たちの現実だ。あんたの言う『温室』とやらでちまちま野菜を育てたところで、何になる。水がなけりゃ、この村はいずれ干上がって終わりだ」

その言葉には、もはや敵意や嘲笑はなかった。ただ、全てを諦めきった者の、乾いた響きがあるだけだった。

「だから、まずは目の前のことから片付ける」
アッシュは冷静に答えた。
「治水は巨大な事業だ。準備も計画も必要になる。今は、賭けの対象である温室を完成させ、食料を確保することに集中する。一つずつ、できることからやらなければ、何も始まらない」

アッシュの落ち着き払った態度は、ボルグには理解できなかった。だが、今の彼には反論する気力さえ残っていないようだった。彼は仲間たちと共に、力なく自分たちの住処へと帰っていった。

その日から、村の空気は再び澱み始めた。温室建設を手伝う者たちの間にも、治水問題の絶望感が伝染し、作業の効率は目に見えて落ちていった。誰もが、自分たちのやっていることが無意味な延命措置に過ぎないのではないかと感じ始めていた。

そんな重苦しい雰囲気を切り裂いたのは、文明の光ではなく、暴力の炎だった。

その夜。人々が寝静まった頃、けたたましい犬の鳴き声と、男たちの怒声、そして女性の悲鳴が静寂を破った。
「何事だ!」
館で仮眠をとっていたサイモンが、即座に剣を掴んで飛び起きた。アッシュもまた、音もなくベッドから起き上がり、窓の隙間から丘の下の様子を窺った。

村の中心部で、複数の松明の光が乱暴に揺れていた。二十人ほどの男たちが、村の家々に押し入り、住民たちを引きずり出している。その手には錆びた剣や手斧が握られていた。盗賊団だ。

「食料を出しやがれ!隠しても無駄だぞ!」
リーダー格らしき大柄な男が、老人の胸ぐらを掴んで吼えている。彼の感情は「強欲:90」「残虐性:70」「油断:60」。この村を完全に見下しきっている。

領民たちは、なすすべもなく恐怖に震えていた。「恐怖:95」「絶望:80」。武器を持った暴力の前では、彼らはあまりにも無力だった。盗賊たちは、わずかな干し肉や黒パンを奪い、抵抗しようとした者を容赦なく殴りつけた。

「アッシュ殿!ご指示を!」
サイモンがアッシュを振り返る。彼の瞳には、騎士としての怒りと、戦いへの覚悟が燃えていた。「義憤:85」。

「待て」
アッシュは彼を制した。
「お前一人で飛び出しても、返り討ちに遭うだけだ。敵の数と力量を見極めろ」

「しかし、村人たちが!」

「今は耐えるしかない」
アッシュの声は、氷のように冷たかった。彼の視線は、村で起きている惨状ではなく、スキルが示す感情の数値の動きだけを追っていた。

丘の下では、ボルグが数人の若者と共に、農具を手に盗賊たちと対峙していた。
「てめえら、いい加減にしやがれ!」
ボルグは大きな鍬を構え、威嚇するように叫ぶ。彼の感情は「怒り:90」と仲間を守ろうとする「責任感:80」、そして自らの無力さへの「恐怖:50」で乱れていた。

「ああ?なんだ、この村にもまだ威勢のいいのが残ってたか」
盗賊のリーダーが、下卑た笑みを浮かべてボルグに近づく。
「その鍬で何ができる?畑でも耕すのか?」

次の瞬間、リーダーの剣が一閃した。ボルグは咄嗟に鍬で受け止めるが、金属と木がぶつかる鈍い音と共に、鍬の柄は真っ二つに折れた。ボルグは衝撃で尻餅をつき、呆然とリーダーを見上げる。

「分かったか、ガキ。これが現実だ」
リーダーはボルグを見下ろし、その仲間たちが若者たちを取り囲む。絶対的な力の差。ボルグの感情から「怒り」が消え、「屈辱:95」「無力感:90」という暗い数値が彼の心を塗りつぶした。

その時だった。
「そこまでだ、下衆共!」
鋭い声と共に、一体の影が丘の上から駆け下りてきた。サイモンだ。アッシュの制止を振り切り、彼は単身で飛び出していったのだ。

「誰だてめえは!」
盗賊の一人がサイモンに斬りかかるが、サイモンの剣はそれを容易く弾き返し、逆に相手の腕を切り裂いた。帝国騎士としての剣技は、ならず者のそれとは次元が違う。サイモンは一人で数人の盗賊を相手に、一歩も引かない攻防を繰り広げた。

「ほう、こいつは手応えがありそうだ!」
盗賊のリーダーが、面白そうにサイモンへと向かっていく。多勢に無勢。サイモンがどれだけ腕が立とうと、いずれは体力を消耗し、追い詰められるのは時間の問題だった。

アッシュは、館の窓からその全てを冷静に観察していた。ジョセフが、心配そうに彼の横顔を見つめている。
「アッシュ様……よろしいのですか?」

「ああ」
アッシュは静かに頷いた。
「これでいい。これで、奴らは思い知ったはずだ。自分たちの無力さを。そして、本当の安全とは、誰かが与えてくれるものではなく、自分たちの手で勝ち取るしかないということを」

アッシュの言葉通り、領民たちの感情は「恐怖」と「絶望」の中で、静かに変質し始めていた。自分たちを守ろうと戦うサイモンの姿。なすすべもなく打ちのめされたボルグの姿。その光景は、彼らの心に巣食っていた「諦観」という名の病を、暴力的に治療していた。

やがて、盗賊たちは満足したのか、あるいは手負いのサイモンを相手にするのが面倒になったのか、奪った食料を抱えて引き上げていった。リーダーは去り際に、丘の上の館を指差した。
「次は、あの館の備蓄をいただきに来るぜ。楽しみに待ってな!」

嵐が去った後、村には静寂と、うめき声だけが残された。数人が怪我を負い、ほとんどの家がけちな食料を奪われた。サイモンも肩に浅い傷を負い、悔しげに唇を噛んでいた。ボルグは、折れた鍬を握りしめたまま、地面に座り込んで動かなかった。

翌朝、広場に集まった領民たちの顔には、昨夜の恐怖と絶望が色濃く残っていた。彼らの視線は、ただ一点、丘の上から下りてくるアッシュに集中していた。その視線には、非難と、疑念と、そして僅かな、最後の望みが混じっていた。

一人の老人が、震える声でアッシュに問いかけた。
「領主様……あんたは、俺たちに安全を約束したじゃねえか……。あれは、嘘だったのか……?」

その問いは、全員の心の声だった。一度は信じかけた希望が、一夜にして打ち砕かれたのだ。彼らのアッシュに対する「信頼」の数値は、ほぼゼロに戻っていた。

アッシュは、集まった領民たちをゆっくりと見渡した。そして、静かに、しかし力強く言い放った。

「ああ、昨日の約束は守れなかった。すまない」

彼は、まず自らの非を認めた。その意外な言葉に、領民たちはどよめいた。

「だから、約束を一つ追加する」

アッシュは、盗賊たちが去っていった北西の渓谷を指差した。

「奪われたものは、奪い返す。やられたら、やり返す。次は、俺たちが奴らの根城に乗り込む番だ」

その宣言は、あまりにも無謀に響いた。だが、その声には、領民たちの心を再び揺さぶる、不思議な力が込められていた。絶望の底に突き落とされた彼らの心に、復讐という名の、新たな炎が灯ろうとしていた。
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