無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第十八話:燻る魂に火を灯せ

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「ガイウス・ノルド」。その名を呼ばれた瞬間、廃屋の中の空気が凍った。酒瓶を呷っていた大男の動きが止まり、十年という歳月を経て初めて、その虚ろな瞳に何かが宿った。それは怒りであり、驚愕であり、そして何よりも、忘れたはずの過去を抉り出されたことへの深い痛みだった。

「……その名を、どこで聞いた」
絞り出すような低い声。それは錆び付いた鉄が擦れるような、不快な音だった。彼の感情が激しく揺れ動く。「怒り:70」「警戒:80」。死んだはずの心が、無理やり叩き起こされたかのように痙攣していた。

「やっぱり無駄足だったみてえだな。こいつはもう、ただの酔っ払いだ」
ボルグが侮蔑を込めて吐き捨て、踵を返そうとした。サイモンもまた、伝説の英雄のあまりにも惨めな姿に言葉もなく、ただ悲痛な表情で俯いていた。

だが、アッシュは動じなかった。彼は、震える魂の奥底に見える僅かな光だけを見つめていた。

「貴殿の名は、帝国では戦死として扱われている。だが、貴殿は死んではいない。ただ、ここで十年もの間、死んだように生きていただけだ」
アッシュの言葉は、同情も憐憫も含まない、ただの事実だった。その容赦のない事実が、ガイウスの心をさらに逆撫でする。

「小僧が……何を知っている!」
ガイウスは唸るように叫び、手にした酒瓶を床に叩きつけた。ガシャン、とけたたましい音を立てて瓶が砕け散る。
「俺の何を知っているというのだ!俺は負けた!部下を皆殺しにされ、この腕を失い、全てを失った敗軍の将だ!そんな俺に、今更何の用だ!」

彼の感情が爆発する。「自己嫌悪:95」「怒り:90」「絶望:99」。積み重なった十年分の絶望が、濁流となって溢れ出していた。

「ああ、知っているさ」
アッシュは、その濁流を真っ向から受け止めた。
「貴殿は負けた。だが、敵の罠に嵌ったからではない。貴殿が守ろうとした民を見捨てきれなかったからだ。騎士としての誇りが、貴殿を敗北させた」

アッシュの言葉に、ガイウスの動きが再び止まった。アッシュは、ジョセフから得た断片的な情報と、目の前の男の感情から、事件の真相を正確に推測していた。彼は、非戦闘員である村人たちを守るために危険な撤退路を選び、そこで敵の奇襲に遭ったのだ。

「部下たちは、貴殿の正義を信じて死んでいった。彼らは、敗北を恥じてはいない。恥じているのは、生き残ってしまった貴殿だけだ」

「黙れ……」
ガイウスの巨体が、わななくと震えた。

「黙らない」
アッシュは一歩前に出た。
「俺は、貴殿を慰めに来たのではない。戦いを挑みに来た」

アッシュは、小屋の外、村の方角を指差した。
「この村は、無法者たちの餌場にされている。昨夜も盗賊の襲撃があり、食料は奪われ、人々は傷つけられた。彼らは武器を持たず、ただ恐怖に震えることしかできない。かつて貴殿が守ろうとした民と、何ら変わりはない」

その言葉は、鋭い槍となってガイウスの心の最も深い部分を突き刺した。彼の脳裏に、炎に包まれた村と、助けを求める人々の顔が蘇る。守れなかった命。見捨てざるを得なかった人々。彼の「絶望」の根源。

「俺は、奴らを討つ。だが、俺には兵を率いる術がない。この騎士殿は勇敢だが、将の器ではない。そこの若者は、ただの猪武者だ」
アッシュはサイモンとボルグを一瞥する。二人は何も言い返せない。
「だから、貴殿が必要だ。ガイウス・ノルド。貴殿の戦術眼と、経験が」

アッシュは、ガイウスの目を見据えて言った。その赤い瞳は、揺らぐことのない絶対的な確信に満ちていた。

「俺は貴殿に、盗賊団討伐の全権を委ねる。兵の訓練、作戦立案、全てだ。俺は、貴殿を信じる」

信じる。その言葉が、ガイウスの心の最後の壁を打ち砕いた。十年もの間、誰からも忘れられ、ただの罪人、ただの廃人として扱われてきた彼を、目の前の少年は「将軍」として必要だと言った。敗北者ではなく、英雄として。

ガイウスの感情ウィンドウが、激しく点滅した。「絶望」の数値に亀裂が入り、その隙間から、消えかけた熾火が炎となって燃え上がる。
「義憤:70」「誇り:80」。そして、今までなかった新しい感情が生まれた。
「闘志:50」

「……俺は、もう……」
ガイウスは、力なく垂れ下がった左袖を見た。失われた腕。彼の絶望の象徴。
「この腕では、もはや剣は振るえん……」

「剣を振るうだけが戦いではないだろう」
アッシュは静かに言い放った。
「貴殿の本当の武器は、その腕ではない。その頭脳と、その魂だ。貴殿の剣は、まだ錆びてはいないはずだ」

その言葉が、最後の引き金となった。
ガイウスは、ゆっくりと、しかし確かな足取りで立ち上がった。十年ぶりに、彼の背筋がまっすぐに伸びる。その巨体から発せられる威圧感に、ボルグは思わず後ずさった。虚ろだった瞳には、かつて「帝国の獅子」と呼ばれた男の、鋭い光が戻っていた。

「……小僧。お前、名はなんという」

「アッシュだ。ただのアッシュだ」

ガイウスは、アッシュの目を数秒間見つめた後、ふっと息を吐いた。それは、自嘲と、そして新たな決意が混じったような、不思議な響きを持っていた。

「よかろう。アッシュ。その喧嘩、買ってやる」

彼は残った右手で、壁に立てかけてあった一本の錆びついた長剣を掴んだ。
「この腕一本、この命、貴様に預けよう。代わりに、俺に兵をくれ。あの下衆共を叩き潰すための、な」

その瞬間、小屋の中の空気は完全に入れ替わった。そこにいたのはもはや廃人ではない。ヴァイスラントの、そしてアッシュの軍の、最初の総司令官が誕生した瞬間だった。

ボルグとサイモンは、その圧倒的な変貌ぶりを、ただ呆然と見つめていることしかできなかった。
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