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第二十五話:鉄の街ドベルグ
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ヴァイスラントを後にして三日。馬車は、帝国最北の鉱山都市ドベルグへと到着した。その街の第一印象は、煙と音、そして鉄の匂いだった。休むことなく煙を吐き出す無数の煙突が、空を灰色に染めている。街の至る所から、鍛冶場が槌を打つ甲高い金属音が鳴り響き、地面を抉る採掘の低い振動が足元から伝わってくる。
「……すごい活気だ」
護衛の若者の一人が、呆然と呟いた。彼が生まれ育った静かなヴァイスラントとは、何もかもが対極にある世界だった。道を行き交う人々は、屈強な鉱夫や、鋭い目つきの商人、そして腰に剣を提げた傭兵たち。誰もが足早で、その目には野心と欲望の光がギラギラと宿っていた。
アッシュは馬車の中から、スキルで街全体の空気をスキャンしていた。
「活力:80」「欲望:95」「警戒:70」「競争心:85」
希望すら失われたヴァイスラントとは、感情の質が全く違う。ここは、誰もが何かを求め、奪い合い、成り上がろうとする欲望の坩堝だ。
「まずは宿を確保し、それから情報収集だ」
アッシュの指示で、一行は街の中央広場に近い、比較的大きな宿屋に部屋を取った。馬車と護衛を宿に残し、アッシュとジョセフは身なりを整えて街へと繰り出す。
最初の目的地は、薬師ギルドだった。重厚な木の扉を開けると、薬草の独特な匂いが鼻をつく。カウンターの奥に座る初老の男は、値踏みするような目でアッシュたちを一瞥した。
「いらっしゃい。何の御用で?」
男の感情は「 탐欲:80」「軽蔑:60」。アッシュの華奢な見た目と、ジョセフの古びた執事服を見て、大した金は持っていないと判断したのだろう。
「腹部に深い剣創を負った者がいる。化膿が酷く、高熱が続いている。それを癒せるだけの強力なポーションか、あるいは腕利きの薬師を紹介していただきたい」
ジョセフが、丁寧な物腰で用件を告げた。
男は鼻で笑った。
「お生憎様。そんな重傷に効くような上級ポーションは、今朝、男爵様が全て買い占めていかれたよ。次の入荷はいつになるか分からねえな。腕利きの薬師も、みんな貴族様のお抱えだ。あんた方のような、どこの馬の骨とも知れん連中に紹介できる御仁はいないね」
その言葉は、丁寧な口調とは裏腹に、明確な拒絶だった。彼の感情に「嘘:30」という数値が混じっている。在庫が全くないわけではないのだろう。だが、自分たちのような身元不明の者には売らない、あるいは法外な値段を吹っかけるつもりなのだ。
「そこを何とか……」
ジョセフが食い下がろうとしたが、アッシュは彼の肩を軽く叩いて制した。
「分かった。邪魔をしたな」
アッシュはあっさりと踵を返す。ギルドを出ると、ジョセフが悔しそうな顔で言った。
「アッシュ様、申し訳ございません。私の交渉では……」
「お前のせいではない。相手がこちらを対等な交渉相手と見ていないだけだ。正規のルートでは時間がかかりすぎる。次に行くぞ」
次に二人が向かったのは、職人たちが集まるギルドだった。ここでも結果は同じだった。
「治水工事の技術者?はっ、そんなもん、引く手あまただぜ。ヴァイスラントだと?冗談だろ。誰がそんな死の土地に行くかよ」
建築ギルドの親方は、アッシュたちを追い払うように手を振った。彼の感情は「無関心:90」。交渉のテーブルにすら着く気がなかった。
薬も、人材も、正規のルートでは手に入らない。ドベルグのギルドは、よそ者、特にヴァイスラントのような見捨てられた土地の者に対して、あまりにも閉鎖的だった。彼らにとって、アッシュたちは搾取すべきカモか、関わる価値もないゴミでしかなかったのだ。
その夜、宿屋の一室で作戦会議が開かれた。護衛の若者たちの顔には、失望の色が浮かんでいる。
「駄目だ……。これじゃあ、何のためにここまで来たのか……」
ジョセフもまた、厳しい表情で黙り込んでいた。長年の執事としての経験と人脈も、この鉄の街では通用しなかった。
沈黙を破ったのは、アッシュだった。
「予想通りの結果だ。だが、これで分かった。この街で何かを手に入れるには、表の看板を叩いても意味がない」
アッシュは、窓の外に広がるドベルグの夜景に目をやった。昼間の活気とは違う、より危険で、猥雑な光が街を支配している。
「この街には、表の顔と裏の顔がある。光が強ければ、影もまた濃くなる。俺たちが必要なものは、その影の中にこそあるはずだ」
「影、と申しますと……?」
ジョセフが問い返す。
アッシュは、昼間に街を歩きながら集めた、断片的な情報を頭の中で組み立てていた。傭兵たちの会話、商人たちの噂話、そして、スキルが読み取った人々の感情の澱み。その全てが、一つの場所を指し示していた。
「この街には、奴隷市場があるらしい」
その言葉に、部屋の空気が凍り付いた。ジョセフも、護衛の若者たちも、息を呑んでアッシュを見つめる。奴隷。それは、人道を外れた、社会の最も暗い部分だった。
「正気ですか、アッシュ様!」
ジョセフが、珍しく強い口調で諌めた。
「奴隷市場など、まともな人間が足を踏み入れる場所ではございません!危険すぎます!」
「危険は承知の上だ」
アッシュは冷静に答えた。
「だが、そこは金さえ払えば、あらゆるものが手に入る場所でもある。腕利きの職人が、借金のカタに売られているかもしれない。没落した貴族に仕えていた薬師がいるかもしれない。あるいは、この世界の人間ではない、特殊な知識や能力を持った者がいるかもしれない」
アッシュの赤い瞳が、冷徹な光を宿していた。
「正規のルートが駄目なら、裏から行くまでだ。目的を達成するためなら、手段は選ばん。ガイウスの命と、ヴァイスラントの未来がかかっているんだ」
その覚悟に満ちた言葉に、誰も反論できなかった。ジョセフは唇を固く結び、やがて深く頭を下げた。主の決定に従う。それが彼の忠誠だった。
「明日、市場が開くのは日没後だ。準備をしておく」
アッシュは、それだけを告げると、再び窓の外に視線を戻した。彼の視線の先には、街の最も薄暗い一角があった。そこから、他のどの場所よりも濃く、深く、そしておびただしい数の負の感情が、黒い靄のように立ち上っているのが見えていた。
「絶望」「恐怖」「憎悪」「諦観」。
それは、かつて彼がヴァイスラントで見た光景とよく似ていた。だが、その規模と密度は、比較にさえならないほどおぞましかった。
アッシュは、そのおぞましい感情の渦の中にこそ、自分たちが求める「宝」が眠っていることを、確信していた。
「……すごい活気だ」
護衛の若者の一人が、呆然と呟いた。彼が生まれ育った静かなヴァイスラントとは、何もかもが対極にある世界だった。道を行き交う人々は、屈強な鉱夫や、鋭い目つきの商人、そして腰に剣を提げた傭兵たち。誰もが足早で、その目には野心と欲望の光がギラギラと宿っていた。
アッシュは馬車の中から、スキルで街全体の空気をスキャンしていた。
「活力:80」「欲望:95」「警戒:70」「競争心:85」
希望すら失われたヴァイスラントとは、感情の質が全く違う。ここは、誰もが何かを求め、奪い合い、成り上がろうとする欲望の坩堝だ。
「まずは宿を確保し、それから情報収集だ」
アッシュの指示で、一行は街の中央広場に近い、比較的大きな宿屋に部屋を取った。馬車と護衛を宿に残し、アッシュとジョセフは身なりを整えて街へと繰り出す。
最初の目的地は、薬師ギルドだった。重厚な木の扉を開けると、薬草の独特な匂いが鼻をつく。カウンターの奥に座る初老の男は、値踏みするような目でアッシュたちを一瞥した。
「いらっしゃい。何の御用で?」
男の感情は「 탐欲:80」「軽蔑:60」。アッシュの華奢な見た目と、ジョセフの古びた執事服を見て、大した金は持っていないと判断したのだろう。
「腹部に深い剣創を負った者がいる。化膿が酷く、高熱が続いている。それを癒せるだけの強力なポーションか、あるいは腕利きの薬師を紹介していただきたい」
ジョセフが、丁寧な物腰で用件を告げた。
男は鼻で笑った。
「お生憎様。そんな重傷に効くような上級ポーションは、今朝、男爵様が全て買い占めていかれたよ。次の入荷はいつになるか分からねえな。腕利きの薬師も、みんな貴族様のお抱えだ。あんた方のような、どこの馬の骨とも知れん連中に紹介できる御仁はいないね」
その言葉は、丁寧な口調とは裏腹に、明確な拒絶だった。彼の感情に「嘘:30」という数値が混じっている。在庫が全くないわけではないのだろう。だが、自分たちのような身元不明の者には売らない、あるいは法外な値段を吹っかけるつもりなのだ。
「そこを何とか……」
ジョセフが食い下がろうとしたが、アッシュは彼の肩を軽く叩いて制した。
「分かった。邪魔をしたな」
アッシュはあっさりと踵を返す。ギルドを出ると、ジョセフが悔しそうな顔で言った。
「アッシュ様、申し訳ございません。私の交渉では……」
「お前のせいではない。相手がこちらを対等な交渉相手と見ていないだけだ。正規のルートでは時間がかかりすぎる。次に行くぞ」
次に二人が向かったのは、職人たちが集まるギルドだった。ここでも結果は同じだった。
「治水工事の技術者?はっ、そんなもん、引く手あまただぜ。ヴァイスラントだと?冗談だろ。誰がそんな死の土地に行くかよ」
建築ギルドの親方は、アッシュたちを追い払うように手を振った。彼の感情は「無関心:90」。交渉のテーブルにすら着く気がなかった。
薬も、人材も、正規のルートでは手に入らない。ドベルグのギルドは、よそ者、特にヴァイスラントのような見捨てられた土地の者に対して、あまりにも閉鎖的だった。彼らにとって、アッシュたちは搾取すべきカモか、関わる価値もないゴミでしかなかったのだ。
その夜、宿屋の一室で作戦会議が開かれた。護衛の若者たちの顔には、失望の色が浮かんでいる。
「駄目だ……。これじゃあ、何のためにここまで来たのか……」
ジョセフもまた、厳しい表情で黙り込んでいた。長年の執事としての経験と人脈も、この鉄の街では通用しなかった。
沈黙を破ったのは、アッシュだった。
「予想通りの結果だ。だが、これで分かった。この街で何かを手に入れるには、表の看板を叩いても意味がない」
アッシュは、窓の外に広がるドベルグの夜景に目をやった。昼間の活気とは違う、より危険で、猥雑な光が街を支配している。
「この街には、表の顔と裏の顔がある。光が強ければ、影もまた濃くなる。俺たちが必要なものは、その影の中にこそあるはずだ」
「影、と申しますと……?」
ジョセフが問い返す。
アッシュは、昼間に街を歩きながら集めた、断片的な情報を頭の中で組み立てていた。傭兵たちの会話、商人たちの噂話、そして、スキルが読み取った人々の感情の澱み。その全てが、一つの場所を指し示していた。
「この街には、奴隷市場があるらしい」
その言葉に、部屋の空気が凍り付いた。ジョセフも、護衛の若者たちも、息を呑んでアッシュを見つめる。奴隷。それは、人道を外れた、社会の最も暗い部分だった。
「正気ですか、アッシュ様!」
ジョセフが、珍しく強い口調で諌めた。
「奴隷市場など、まともな人間が足を踏み入れる場所ではございません!危険すぎます!」
「危険は承知の上だ」
アッシュは冷静に答えた。
「だが、そこは金さえ払えば、あらゆるものが手に入る場所でもある。腕利きの職人が、借金のカタに売られているかもしれない。没落した貴族に仕えていた薬師がいるかもしれない。あるいは、この世界の人間ではない、特殊な知識や能力を持った者がいるかもしれない」
アッシュの赤い瞳が、冷徹な光を宿していた。
「正規のルートが駄目なら、裏から行くまでだ。目的を達成するためなら、手段は選ばん。ガイウスの命と、ヴァイスラントの未来がかかっているんだ」
その覚悟に満ちた言葉に、誰も反論できなかった。ジョセフは唇を固く結び、やがて深く頭を下げた。主の決定に従う。それが彼の忠誠だった。
「明日、市場が開くのは日没後だ。準備をしておく」
アッシュは、それだけを告げると、再び窓の外に視線を戻した。彼の視線の先には、街の最も薄暗い一角があった。そこから、他のどの場所よりも濃く、深く、そしておびただしい数の負の感情が、黒い靄のように立ち上っているのが見えていた。
「絶望」「恐怖」「憎悪」「諦観」。
それは、かつて彼がヴァイスラントで見た光景とよく似ていた。だが、その規模と密度は、比較にさえならないほどおぞましかった。
アッシュは、そのおぞましい感情の渦の中にこそ、自分たちが求める「宝」が眠っていることを、確信していた。
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