無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第四十話:戦端、開かれる

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ヴァイスラントを包む緊張は、一本の矢によって破られた。
国境線を越え、ヴァイスラント領の監視小屋に深々と突き刺さったその矢には、一枚の羊皮紙が結びつけられていた。それは、バルツァー伯爵の名で記された、傲慢極まりない最後通牒だった。

『罪人アッシュ・フォン・ヴェルヘイムへ告ぐ。貴殿らの不法な武装と、帝国への反逆的態度は、断じて許されるものではない。即刻、全ての武器を放棄し、首謀者である貴殿が我が軍門に下るならば、他の領民の命だけは保証してやろう。返答は不要。明日の日の出までに降伏の使者が来なければ、我が軍は貴殿らを反逆者として殲滅する』

その文面は、村の広場で読み上げられ、領民たちの間に怒りの嵐を巻き起こした。
「ふざけるな!」
「誰が降伏などするか!」
「俺たちの故郷を、好きにはさせんぞ!」

彼らの感情は、「怒り:95」「闘志:90」。バルツァー伯爵の傲慢な脅迫は、皮肉にも、ヴァイスラントの民の心を最後の最後で一つに固める役割を果たした。

領主の館、作戦司令室。
アッシュは、その最後通牒を無表情に丸めると、暖炉の炎の中に投げ入れた。羊皮紙は、あっという間に燃え上がり、黒い灰と化した。

「……ついに、来たか」
ガイウスが、低い声で呟いた。彼の傷はまだ完治していないが、その瞳には将としての闘志が燃え盛っている。

「敵の動きは?」
アッシュは、斥候として放っていたカイルからの報告を待った。
やがて、息を切らしたカイルが司令室に駆け込んできた。
「報告します!バルツァー伯爵領の国境付近に、大軍が集結中!その数、およそ千!軍旗から、グランツ帝国の国境警備軍で間違いありません!」

千。その数字が、部屋の空気を重くする。
「我々の予想通り、バルツァーの兵は前面に出さず、グランツの連中を主力として使う気のようですな」
サイモンが、苦々しい表情で分析する。

「敵将は、グランツ帝国の将軍、ゲルハルト。勇猛だが、功を焦る癖があり、短期決戦を好む男だ」
アッシュは、事前に集めた情報を冷静に告げた。
「彼は、我々をただの農民の集まりだと侮っている。明日の夜明けと共に、一気に村へとなだれ込んでくるだろう」

「迎え撃つ準備は、できております」
ブロックが、防衛設備の配置図を広げながら言った。
「村へ至る道は一本。その道には、落とし穴、獣避けの罠、そして頭上からは丸太を落とす仕掛けを三重に設置済みです」

「武具も、義勇兵全員に行き渡っております」
ギムリが、自信に満ちた声で付け加えた。
「わしの打った剣と鎧は、帝国の騎士団のものにも劣りませんぞ」

準備は、万端だった。だが、それでも千対百という圧倒的な戦力差は、誰もが拭いがたい「不安」を抱かせるのに十分だった。

軍議が終わり、それぞれが持ち場へと戻っていく。司令室には、アッシュとセレスティアの二人だけが残された。
「……本当に、勝てると思っているの?」
セレスティアが、静かに問いかけた。彼女は、この戦いに参加することを決めたが、その心にはまだ、合理的な計算に基づいた敗北の予感が渦巻いていた。

「勝てるかどうかではない。勝つんだ」
アッシュは、窓の外に広がる、星空の下のヴァイスラントを見つめていた。
「俺は、チェスで負けたことがない。なぜだか分かるか?」

「……あなたが、卑怯な手を好むからでしょう」
セレスティアは、皮肉を込めて答えた。

「それもある」
アッシュは、あっさりと認めた。
「だが、最大の理由は、相手が駒を動かす前に、常に三手先、五手先を読んでいるからだ。相手がなぜその駒をそこに置いたのか。次にどこへ動かしたいのか。その狙いを全て読み切り、その上で、相手が最も嫌がる場所に、こちらの駒を置く」

彼は、セレスティアに向き直った。
「戦争も、同じだ。敵将ゲルハルトの頭の中は、今、ヴァイスラントを蹂躙し、手柄を立てることで満ちている。彼の思考は、直線的で、単純だ。だからこそ、読みやすい」

アッシュの赤い瞳が、まるで盤上の全てを見通すかのように、静かに輝いていた。
「俺は、彼が望む盤上では戦わない。俺が作り上げた、俺のルールが支配する盤上で、彼を踊らせるだけだ」

その絶対的な自信は、セレスティアの心に巣食う不安を、わずかに和らげた。この少年は、狂っているのかもしれない。だが、その狂気には、不可能を可能にするかもしれない、不思議な説得力があった。

夜が、静かに更けていく。
ヴァイスラントの村は、嵐の前の静けさに包まれていた。家々の窓からは明かりが消え、人々はそれぞれの場所で、武器を手に、あるいは祈りを捧げながら、運命の夜明けを待っていた。

やがて、東の空が、血のように赤く染まり始めた。
地平線の彼方から、地響きが伝わってくる。それは、千の軍勢が上げる、進軍の足音だった。
黒い点の集まりが、次第にその輪郭をはっきりとさせていく。掲げられた軍旗には、グランツ帝国を示す双頭の鷲の紋章が描かれていた。

「……来たか」
村の物見櫓の上で、ボルグが緊張に声を震わせた。

戦端は、開かれた。
帝国の誰もが知らない北の果てで、歴史の流れを左右するかもしれない、絶望的な戦いが、今、始まろうとしていた。アッシュの描いた脚本通りに、最初の駒が、盤上へと踏み出してきたのだ。
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