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第五十五話:社交界という戦場
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王宮の大広間は、アッシュが以前経験した夜会とは比べ物にならないほど壮麗で、そして巨大だった。天井からはいくつものシャンデリアが下がり、その光は何千もの宝石のように煌めいている。帝国中から集まった貴族たちのドレスや宝飾品がその光を反射して、まるで星空の中にいるかのような錯覚さえ覚えさせた。
アッシュが『帝国の薔薇』セレスティアを伴って広間に入場した瞬間、その場の空気が一変した。ざわめきが波のように広がり、全ての視線が彼ら二人に集中する。
『辺境の悪魔』と『帝国の薔薇』。帝国で今最も注目されている二人が、腕を組んで現れたのだ。その衝撃は計り知れない。
「まさか、あの二人が……!?」
「ヴァーミリオン侯爵家が、あの成り上がりに付いたというのか!」
「これは、帝国の勢力図が大きく変わるぞ……」
貴族たちの驚愕、警戒、嫉妬、そして計算といった感情が激しく渦巻くのを、アッシュは肌で感じていた。彼らの登場は、それ自体がこの社交界という戦場における強力な先制攻撃となっていた。
「……すごい注目ね。少しは感謝なさい」
セレスティアがアッシュの耳元で皮肉を込めて囁いた。
「ああ、感謝しているさ。最高の隠れ蓑になってくれる」
アッシュも静かに囁き返した。
二人は周囲の視線を意に介さず、優雅に広間を進んでいく。アッシュの背後には、メイドとして完璧な所作を身につけたリリアが影のように付き従っていた。
アッシュはグラスを片手に、スキルを最大まで発動させていた。この夜会は、彼にとって情報収集の絶好の機会だった。誰が敵で、誰が味方になり得るのか。誰が弱みを抱え、誰が野心を燃やしているのか。その全てが、彼の目には数値となって映し出されていた。
彼はセレスティアに小声で指示を出す。
「十時の方向にいる青いドレスの小太りの男。あれは財務卿だ。感情は『強欲:95』『自己保身:90』。分かりやすい汚職役人だな。おそらく長兄アルフォンスの派閥だろう」
「三時の方向の銀髪の老人。宮内卿だ。感情は『憂国:80』『無力感:70』。帝国を憂いているが、派閥の力がなく動けない。改革派に引き入れられる可能性がある」
「そして、中央のテーブルにいる連中。あれが我が兄アルフォンスの派閥の主だった者たちだ。皆、俺に対して強い『敵意』と『警戒』を向けているな」
セレスティアは、アッシュの分析の速さと正確さに内心で舌を巻いていた。彼女が長年かけて築き上げてきた情報網でさえ、ここまで人間の内面を深く、そして瞬時に見抜くことはできない。これが彼のスキルの力。恐ろしく、そしてあまりにも強力な武器。
やがて、貴族たちが次々とアッシュの元へ挨拶に訪れ始めた。
「これは、アッシュ侯爵殿。この度のご活躍、実に見事でしたな」
笑顔で近づいてくる伯爵の感情は、「嫉妬:80」。
「ええ、全ては陛下のご威光と幸運のおかげです」
アッシュは完璧な謙遜で返す。
「侯爵殿の武勇伝、ぜひ我らにもお聞かせ願いたい」
軍服姿の将軍の感情は、「利用価値:90」。
「武勇などとんでもない。私はただ、仲間たちに助けられただけですよ」
アッシュは仲間を大切にする誠実なリーダーを演じる。
彼は相手の感情を読み取り、その人物が最も聞きたいであろう言葉を的確に選び出して返す。ある者には謙遜を、ある者には自信を、またある者には共感を。その巧みな人心掌握術によって、彼は敵意を和らげ、好意を引き出し、警戒心を解いていった。
その様子を、少し離れた場所からアルフォンス・フォン・ヴェルヘイムが苦々しい表情で見ていた。
(あの出来損ないめが……!いつの間にこれほどの弁舌と度胸を身につけたのだ……!)
彼の感情は「憎悪」と「焦り」で黒く燃え上がっていた。自分が築き上げてきた派閥の人間が、次々と弟の周りに集まっていく。その光景は彼のプライドを酷く傷つけた。
アルフォンスはついに自ら動くことを決意した。彼は取り巻きを引き連れて、アッシュの元へと進み出た。
「アッシュ。久しぶりだな」
その声は親しげだったが、瞳の奥は笑っていなかった。
「これは、アルフォンス兄上。今宵もお美しいですな」
アッシュは優雅に一礼した。
二人の公爵家の子息の対面に、周囲の貴族たちは固唾を飲んで注目した。
アルフォンスはアッシュの背後に立つリリアを一瞥すると、わざとらしく大きな声で言った。
「それにしても驚いたよ。お前があのセレスティア殿と懇意にしているとはな。だが、英雄として帝都の社交界にデビューするのだ。従者くらい、もっとまともな者を選んだらどうだ?例えば、その獣人の娘のように出自の知れぬ者をそばに置くのは、侯爵としての品位を疑われるぞ」
再びリリアを貶めることで、アッシュの権威を失墜させようという陰湿な攻撃だった。
リリアの肩が微かに震える。
だが、アッシュは動じなかった。彼はアルフォンスの言葉を待っていたかのように、悲しげな表情を浮かべた。
「……兄上。あなたの仰ることも分かります。ですが、彼女は……リリアは違うのです」
アッシュはリリアの手を優しく取ると、彼女を自分の隣へと導いた。
「彼女は、私が辺境で死にかけていた時、自らの命を顧みずに私を看病してくれた恩人なのです。彼女がいなければ、今の私はありませんでした。出自など関係ありません。彼女は私の命の恩人であり、誰よりも信頼できる私の家族なのです」
アッシュはまるで舞台役者のように、感動的な物語を語り上げた。もちろん、全てが彼の作り話だった。だが、その真に迫った演技とリリアの可憐な姿は、周囲の貴族たちの心を強く打った。
彼らの感情に「同情」「感動」、そしてアルフォンスに対する「嫌悪」が生まれる。
「なんと、健気な……」
「出自で人を判断するとは、アルフォンス様も器が小さい」
「それに引き換え、アッシュ侯爵はなんと情の深いお方だ……」
アルフォンスの策略は完全に裏目に出た。彼はアッシュの評判を落とすどころか、逆に自分の器の小ささを露呈し、アッシュを悲劇の主人公として引き立てる結果となってしまった。
アルフォンスの顔が屈辱に赤く染まる。彼の感情が「怒り:99」に振り切れた。
アッシュはそんな兄に追い打ちをかけるように、穏やかな笑みを向けた。
「さあ兄上。堅い話はこれくらいにして、一杯いかがですか?兄弟、水入らずで」
その言葉は、勝者から敗者への残酷な宣告だった。
この夜、帝都の社交界という戦場で、アッシュは最初の、そして決定的な勝利を収めた。彼は敵を特定し、味方候補をリストアップし、そして最大の敵である兄の鼻を公衆の面前でへし折ったのだ。
夜会が終わり、帰りの馬車の中で、セレスティアは呆れたような、それでいて感心したような声で言った。
「……あなた、本当に悪魔ね」
「言ったはずだ。褒め言葉として受け取っておくと」
アッシュは窓の外に流れる帝都の夜景を見ながら、静かに答えた。
彼の頭の中では、すでに次の計画が動き始めていた。今夜リストアップした敵と味方。その駒を、これからどう動かしていくか。
彼の本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。
アッシュが『帝国の薔薇』セレスティアを伴って広間に入場した瞬間、その場の空気が一変した。ざわめきが波のように広がり、全ての視線が彼ら二人に集中する。
『辺境の悪魔』と『帝国の薔薇』。帝国で今最も注目されている二人が、腕を組んで現れたのだ。その衝撃は計り知れない。
「まさか、あの二人が……!?」
「ヴァーミリオン侯爵家が、あの成り上がりに付いたというのか!」
「これは、帝国の勢力図が大きく変わるぞ……」
貴族たちの驚愕、警戒、嫉妬、そして計算といった感情が激しく渦巻くのを、アッシュは肌で感じていた。彼らの登場は、それ自体がこの社交界という戦場における強力な先制攻撃となっていた。
「……すごい注目ね。少しは感謝なさい」
セレスティアがアッシュの耳元で皮肉を込めて囁いた。
「ああ、感謝しているさ。最高の隠れ蓑になってくれる」
アッシュも静かに囁き返した。
二人は周囲の視線を意に介さず、優雅に広間を進んでいく。アッシュの背後には、メイドとして完璧な所作を身につけたリリアが影のように付き従っていた。
アッシュはグラスを片手に、スキルを最大まで発動させていた。この夜会は、彼にとって情報収集の絶好の機会だった。誰が敵で、誰が味方になり得るのか。誰が弱みを抱え、誰が野心を燃やしているのか。その全てが、彼の目には数値となって映し出されていた。
彼はセレスティアに小声で指示を出す。
「十時の方向にいる青いドレスの小太りの男。あれは財務卿だ。感情は『強欲:95』『自己保身:90』。分かりやすい汚職役人だな。おそらく長兄アルフォンスの派閥だろう」
「三時の方向の銀髪の老人。宮内卿だ。感情は『憂国:80』『無力感:70』。帝国を憂いているが、派閥の力がなく動けない。改革派に引き入れられる可能性がある」
「そして、中央のテーブルにいる連中。あれが我が兄アルフォンスの派閥の主だった者たちだ。皆、俺に対して強い『敵意』と『警戒』を向けているな」
セレスティアは、アッシュの分析の速さと正確さに内心で舌を巻いていた。彼女が長年かけて築き上げてきた情報網でさえ、ここまで人間の内面を深く、そして瞬時に見抜くことはできない。これが彼のスキルの力。恐ろしく、そしてあまりにも強力な武器。
やがて、貴族たちが次々とアッシュの元へ挨拶に訪れ始めた。
「これは、アッシュ侯爵殿。この度のご活躍、実に見事でしたな」
笑顔で近づいてくる伯爵の感情は、「嫉妬:80」。
「ええ、全ては陛下のご威光と幸運のおかげです」
アッシュは完璧な謙遜で返す。
「侯爵殿の武勇伝、ぜひ我らにもお聞かせ願いたい」
軍服姿の将軍の感情は、「利用価値:90」。
「武勇などとんでもない。私はただ、仲間たちに助けられただけですよ」
アッシュは仲間を大切にする誠実なリーダーを演じる。
彼は相手の感情を読み取り、その人物が最も聞きたいであろう言葉を的確に選び出して返す。ある者には謙遜を、ある者には自信を、またある者には共感を。その巧みな人心掌握術によって、彼は敵意を和らげ、好意を引き出し、警戒心を解いていった。
その様子を、少し離れた場所からアルフォンス・フォン・ヴェルヘイムが苦々しい表情で見ていた。
(あの出来損ないめが……!いつの間にこれほどの弁舌と度胸を身につけたのだ……!)
彼の感情は「憎悪」と「焦り」で黒く燃え上がっていた。自分が築き上げてきた派閥の人間が、次々と弟の周りに集まっていく。その光景は彼のプライドを酷く傷つけた。
アルフォンスはついに自ら動くことを決意した。彼は取り巻きを引き連れて、アッシュの元へと進み出た。
「アッシュ。久しぶりだな」
その声は親しげだったが、瞳の奥は笑っていなかった。
「これは、アルフォンス兄上。今宵もお美しいですな」
アッシュは優雅に一礼した。
二人の公爵家の子息の対面に、周囲の貴族たちは固唾を飲んで注目した。
アルフォンスはアッシュの背後に立つリリアを一瞥すると、わざとらしく大きな声で言った。
「それにしても驚いたよ。お前があのセレスティア殿と懇意にしているとはな。だが、英雄として帝都の社交界にデビューするのだ。従者くらい、もっとまともな者を選んだらどうだ?例えば、その獣人の娘のように出自の知れぬ者をそばに置くのは、侯爵としての品位を疑われるぞ」
再びリリアを貶めることで、アッシュの権威を失墜させようという陰湿な攻撃だった。
リリアの肩が微かに震える。
だが、アッシュは動じなかった。彼はアルフォンスの言葉を待っていたかのように、悲しげな表情を浮かべた。
「……兄上。あなたの仰ることも分かります。ですが、彼女は……リリアは違うのです」
アッシュはリリアの手を優しく取ると、彼女を自分の隣へと導いた。
「彼女は、私が辺境で死にかけていた時、自らの命を顧みずに私を看病してくれた恩人なのです。彼女がいなければ、今の私はありませんでした。出自など関係ありません。彼女は私の命の恩人であり、誰よりも信頼できる私の家族なのです」
アッシュはまるで舞台役者のように、感動的な物語を語り上げた。もちろん、全てが彼の作り話だった。だが、その真に迫った演技とリリアの可憐な姿は、周囲の貴族たちの心を強く打った。
彼らの感情に「同情」「感動」、そしてアルフォンスに対する「嫌悪」が生まれる。
「なんと、健気な……」
「出自で人を判断するとは、アルフォンス様も器が小さい」
「それに引き換え、アッシュ侯爵はなんと情の深いお方だ……」
アルフォンスの策略は完全に裏目に出た。彼はアッシュの評判を落とすどころか、逆に自分の器の小ささを露呈し、アッシュを悲劇の主人公として引き立てる結果となってしまった。
アルフォンスの顔が屈辱に赤く染まる。彼の感情が「怒り:99」に振り切れた。
アッシュはそんな兄に追い打ちをかけるように、穏やかな笑みを向けた。
「さあ兄上。堅い話はこれくらいにして、一杯いかがですか?兄弟、水入らずで」
その言葉は、勝者から敗者への残酷な宣告だった。
この夜、帝都の社交界という戦場で、アッシュは最初の、そして決定的な勝利を収めた。彼は敵を特定し、味方候補をリストアップし、そして最大の敵である兄の鼻を公衆の面前でへし折ったのだ。
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「……あなた、本当に悪魔ね」
「言ったはずだ。褒め言葉として受け取っておくと」
アッシュは窓の外に流れる帝都の夜景を見ながら、静かに答えた。
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