無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第六十一話:汚職の証拠

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財務卿オズワルド・フォン・ミュラーという巨大な象を倒すための狩りが始まった。だがその象はあまりにも狡猾で、その分厚い皮は幾重もの嘘と隠蔽で守られていた。

『北風商会』の地下室は、帝国で最も密度の濃い情報が集まる場所と化していた。壁に貼られた帝都の地図には無数のピンと付箋が貼られ、それらが赤い糸で複雑に結ばれている。アッシュは、その巨大な情報の網の中心に座り、まるで蜘蛛のように獲物の動きを待っていた。

「アッシュ侯爵。財務省の公式記録です」
改革派のリーダー、キルヒアイスが分厚い書類の束を机に置いた。彼の目の下には連日の徹夜作業による隈ができていた。
「奇妙な点がいくつか。特定の商会への税の還付金が不自然に多い。また、軍事物資の調達予算がここ数年で三割も増加している。しかし前線の兵士の装備は旧態依然のままです」

それは公的な記録から読み取れる不正の「匂い」だった。だが匂いだけではミュラーを断罪できない。彼は全ての書類を合法的に見えるよう完璧に偽装していた。

「ミュラー卿の愛人についての情報よ」
次に報告したのはセレスティアだった。彼女は貴族社会の裏情報に通じている。
「宝石商の記録によれば、ミュラー卿は毎月のように高価なネックレスや指輪を『マリア』という名の女性に贈っているわ。彼女は帝都の高級地区にある豪奢な屋敷に住んでいる。その維持費だけでも彼の公式な俸給では到底賄えないはずよ」

これもまた強力な状況証拠だった。だがミュラーは「個人的な贈り物だ」と言い逃れるだろう。決定的な一打にはならない。

アッシュの情報網も、ミュラーの裏の顔を次々と暴き出していた。
「報告します。ミュラー卿は週に一度、アルフォンス様の派閥に属する武器商人と高級娼館で密会しております」
「ミュラー卿の私有地である森で違法な伐採が行われ、その木材が記録に残らず売却されているのを確認しました」

断片的な情報がパズルのピースのように集まってくる。横領、収賄、密会。腐敗の全体像はぼんやりとだが浮かび上がってきた。しかし全てのピースを繋ぎ合わせる最も重要な『証拠』が見つからない。ミュラーという男は金の流れを複雑に分岐させ、決して尻尾を掴ませなかった。

「……奴め、思った以上に用意周到だ」
キルヒアイスが悔しげに呟いた。
調査が難航していることを察知したのか、ミュラーは警戒を強め金の動きをぴたりと止めてしまった。これ以上外部からの調査を続けても、新たな情報は得られないだろう。

「外部からの調査には限界がある」
アッシュは静かに結論を下した。
「ならば、内側からこじ開けるまでだ」

彼の視線は、部屋の隅に控えていた一人の少女に向けられた。銀色の髪を持つ彼の忠実な護衛、リリアだ。
「リリア。お前の出番だ」

リリアは、その言葉を待っていたかのように顔を上げた。その大きな瞳には主の役に立てるという喜びと強い決意が宿っている。
「はい、アッシュ様」

アッシュの新たなターゲットはミュラーの私邸、その中でも最も厳重に警備され彼の秘密が眠っているであろう場所――書斎だった。
「今夜、ミュラーの屋敷に忍び込め。目的は奴が隠しているはずの『裏帳簿』だ。金の流れを詳細に記録した不正の証拠。それを見つけ出し持ち帰れ」

それはあまりにも危険な任務だった。ミュラーの屋敷は城砦のように警備が固められている。見つかれば生きては帰れないだろう。
「アッシュ様、それは……!」
ジョセフが案じる声を上げた。

だがリリアは微塵も怯まなかった。
「必ず見つけ出してきます。アッシュ様のために」

その夜、領地の空を舞った銀色の影が再び帝都の闇を駆けた。リリアは黒い夜装束に身を包み、まるで闇に溶け込むようにしてミュラーの広大な屋敷の敷地へと侵入した。
彼女の獣人としての感覚は、人間の警備網などないに等しかった。風の音に紛れた足音、壁の向こうの心臓の鼓動、遠くで交わされる囁き声。その全てを感知し、彼女は完璧なルートで警備の隙間を縫っていく。

やがて彼女は目的の書斎の窓の下へとたどり着いた。窓には頑丈な鉄格子が嵌められている。
だがリリアは少しも動じなかった。彼女はギムリが特別に作った細い鋼のワイヤーを取り出すと鍵穴に差し込んだ。数秒間、耳を澄ませて内部の構造を探る。カチリ、と小さな音が響き錠前はいとも簡単に開いた。

書斎の中はインクと古い紙の匂いが満ちていた。壁一面に本棚が並び、中央には巨大な執務机が鎮座している。リリアはアッシュの指示通り、まずは隠し金庫の類を探した。だが壁を叩いても床板を剥がしても、それらしきものは見つからない。

(どこだ……どこに隠している……?)
時間は刻一刻と過ぎていく。焦りがリリアの心をかすめる。

その時、彼女の耳に付けられた小さな通信用の魔道具からアッシュの静かな声が聞こえてきた。
『焦るな、リリア。奴は金庫のような分かりやすい場所には隠さない。もっと日常に溶け込んだ場所に隠しているはずだ』

アッシュは地下室で屋敷の設計図を広げながら、リアルタイムでリリアに指示を送っていた。
『匂いを追え、リリア。お前の鼻を使え。ただの紙やインクの匂いではない。長年金のやり取りに使われた紙に染み付いた人間の欲望の匂いだ。古い汗とインク、そして金属の匂いが混じり合った独特の匂いを』

リリアは目を閉じて嗅覚を極限まで研ぎ澄ませた。
書斎に満ちる様々な匂いの中から、彼女は一つの微かな違和感を嗅ぎ取った。
それは巨大な執務机。その引き出しの一番奥から発せられていた。

彼女は慎重に引き出しを開けた。中にはありふれた書類が詰まっているだけに見える。だが彼女が引き出しの底板に触れた時、そこが二重底になっていることに気づいた。
底板を外すと、そこには黒い革で装丁された一冊の分厚い帳簿が静かに横たわっていた。

(これだ……!)
リリアは帳簿を手に取ると、すぐさまその場を離れようとした。

だがその瞬間、書斎の扉がゆっくりと開く音がした。
ミュラー財務卿が寝酒でも飲みに来たのか、蝋燭を手に部屋に入ってきたのだ。
リリアは咄嗟にカーテンの影に身を隠した。心臓が早鐘のように打つ。

ミュラーは鼻歌交じりで机の上の酒瓶に手を伸ばした。そしてふと、机の引き出しが僅かに開いていることに気づき眉をひそめた。
「……気のせいか?」
彼は引き出しをきちんと閉めると、酒瓶を持って部屋を出て行った。

嵐は紙一重で過ぎ去った。
リリアはミュラーの足音が完全に遠ざかるのを待ってから、音もなく窓から脱出した。

『北風商会』の地下室。
リリアが持ち帰った黒い革張りの帳簿を、アッシュは静かに机の上に置いた。
ページをめくると、そこにはミュラーの几帳面な文字で帝国の腐敗の歴史そのものが記されていた。
いつ、誰から、いくら賄賂を受け取ったのか。その金を誰に流し、どんな見返りを得たのか。アルフォンスの派閥に流れた金の詳細も克明に記録されていた。

それはミュラー自身が、いつか裏切られた時のための「保険」として書き溜めていた地獄の記録だった。

アッシュはその帳簿を静かに閉じた。
その赤い瞳は、これから始まる断罪劇を思い描き冷たい光を放っていた。

「チェックメイトだ、財務卿」

最初のターゲットを社会的に抹殺するための完璧な凶器が、今、彼の手に握られた。
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