無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第七十九話:感情のノイズ

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『奈落の蛇』の幹部を五日間で見つけ出す。その無謀な狩りが始まった。アッシュは宰相としての公務をキルヒアイスに任せ、自らは帝都の闇へと深く潜っていった。彼の武器はただ一つ、自らのスキル【感情経済】が捉える不自然な感情のノイズだけだった。

最初の二日間は、全く成果が上がらなかった。
アッシュはリリアとガイウスだけを伴い、身分を隠して帝都中を歩き回った。暴動が起きた貧民街、殺人があった裏路地、貴族たちの欲望が渦巻く夜会。彼は負の感情が溜まりやすい場所を、しらみつぶしに調査していった。

スキルは常に膨大な量の情報を彼に送り込んでくる。怒り、悲しみ、嫉妬、絶望。帝都はまさに負の感情の坩堝だった。だが、彼が求める『ノイズ』は、そのあまりにも巨大な感情の奔流の中に埋もれてしまい、なかなか姿を現さなかった。

「……まるで、嵐の海で特定の魚を探すようなものだな」
三日目の夜。一行は『北風商会』の地下室で疲労困憊していた。
「アッシュ様、ご無理なさらないでください」
ジョセフが心配そうに声をかける。アッシュはこの三日間ほとんど眠らずにスキルを酷使し続けていた。その顔には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。

「時間はない」
アッシュは短く答えると、再び帝都の地図を睨みつけた。
「奴らは俺たちが探していることに気づいているはずだ。だが、儀式の準備を止めることはできない。必ずどこかでボロを出す」

彼はこれまでの調査で得た僅かな手がかりを整理していた。
ノイズは常に同じ場所で発生するわけではない。それはまるで移動しているかのように、帝都の各地で瞬間的に現れては消える。
そして、そのノイズが発生する場所には一つの共通点があった。それは社会的地位の高い人間が集まる場所――高級レストラン、オペラハウス、そして貴族たちのサロンだった。

「奴らの幹部は、貧民街の扇動者や裏路地の殺人鬼ではない」
アッシュは結論を導き出した。
「帝都の支配者層。貴族や大商人、あるいは高位の聖職者。その中に紛れ込んでいる」
それは最も厄介で、そして最も効果的な潜伏方法だった。

「今夜、帝国美術館で王家主催の慈善オークションが開かれる」
アッシュは招待状の一枚を指差した。
「帝国の全ての有力者がそこに集まる。もし奴らの幹部が貴族社会に紛れているのなら、必ずその会場に現れるはずだ。今夜が勝負だ」

その夜。アッシュはヴェルヘイム公爵としてセレスティアを伴い、帝国美術館へと向かった。ガイウスとリリアは彼の護衛として、周囲の闇に紛れて警護にあたっていた。
美術館のホールは着飾った貴族たちで埋め尽くされていた。誰もが偽りの笑みを浮かべ、腹を探り合い、自らの富と権力を誇示している。

アッシュはその偽善的な空間の中心に立ち、スキルを最大まで解放した。
見栄、嫉妬、欲望、軽蔑。おびただしい数の感情が彼の意識に流れ込んでくる。その情報の濁流の中からたった一つの異質なノイズを探し出す。それは精神を極限まですり減らす過酷な作業だった。

彼は貴族たち一人一人に挨拶を交わしながら、その感情をスキャンしていく。
軍務卿、法務大臣、宮内卿……。誰もがそれぞれの欲望や悩みを抱えている。だが、アッシュが求める『ノイズ』はどこにも感じられなかった。

(……ここにも、いないのか……?)
焦りが彼の心をかすめる。タイムリミットはあと二日。

その時だった。
アッシュの脳裏に、キーンという耳鳴りのような不快なノイズが走った。
それはこれまで感じたどのノイズよりも強く、そして鮮明だった。

『来た……!』

アッシュは周囲に気づかれぬよう、ゆっくりとノイズの発信源を探った。
それはホールの隅にある一つのテーブルから発せられていた。そこには数名の貴婦人たちが扇を片手に談笑している。
その中心にいるのは妙齢の妖艶な魅力を持つ女性だった。彼女は芸術を司る文化庁の長官、イザベラ侯爵夫人。詩や音楽を愛する穏やかで知的な女性として、社交界では知られた存在だった。

だが、アッシュのスキルが映し出す彼女の内面は、その穏やかな仮面とは全くかけ離れたものだった。
彼女の感情は完璧に制御されていた。喜びも悲しみも怒りもほとんど感じられない。まるで能面のように平坦だった。
しかし、その平坦な感情の水面のさらに奥深く。アッシュはそれを見つけた。
黒く、冷たく、そして全てを嘲笑うかのような巨大な「悪意」。そして、その悪意を源として、周囲の貴婦人たちの「嫉妬」や「虚栄心」の感情を僅かに、しかし確実に『増幅』させている不自然な力の流れ。

(……見つけたぞ、『奈落の蛇』)

アッシュは平静を装いながら、セレスティアにだけ聞こえるように小声で囁いた。
「セレスティア。十時の方向、イザベラ侯爵夫人。奴が俺たちの探していた『幹部』だ」

セレスティアはアッシュの言葉に息を呑んだ。イザベラ侯爵夫人? あの穏やかで芸術を愛する彼女が? にわかには信じがたかった。だが、アッシュの赤い瞳に宿る絶対的な確信を見て、彼女はゴクリと唾を飲んだ。

「どうするの? ここで捕らえる?」

「いや、まだだ」
アッシュは首を横に振った。
「証拠がない。それに、ここで騒ぎを起こせば他の仲間に逃げられる。今はただ泳がせて、奴の尻尾を掴む」

アッシュはイザベラ侯爵夫人に、何気ない様子で近づいていった。
「これは、イザベラ侯爵夫人。今宵のあなたのドレスは、まるで夜空に咲く月の花のようにお美しい」
彼は完璧な貴公子の笑みを浮かべて、彼女の手に優雅に口づけをした。

イザベラは優雅に微笑み返した。
「まあ、アッシュ公。お上手ですこと」

二人の視線が一瞬、交錯する。
アッシュの赤い瞳と、イザベラの微笑みの奥に隠された蛇のように冷たい瞳。
それは互いが互いの正体に気づいたことを無言のうちに確認し合う、静かで、しかし熾烈な戦いの始まりを告げる火花だった。

狩りは最終段階へと移行した。
獲物は見つかった。
あとはその狡猾な蛇をどうやって罠にかけ、その牙を抜くか。
アッシュの頭脳は新たなゲームの盤面を高速で構築し始めていた。
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