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第16話:産業のコメ、鉄を作る
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エリアーナ・フォン・ヴァイスという強力なパートナーを得て、アシュフォード商会は驚くべき速さでその形を整えていった。
彼女の仕事ぶりは、まさに冷徹かつ合理的。王都から呼び寄せた有能な文官を使い、帳簿の付け方から在庫管理、人員配置に至るまで、俺が感覚で進めてきた曖昧な部分を次々と明確なシステムへと落とし込んでいく。
「いいこと、リオ。あなたの仕事は最高の『製品』を作ること。私の仕事は、その製品から最高の『利益』を生み出すこと。役割分担は明確にしましょう」
応接室を改造した商会の仮オフィスで、エリアーナはきっぱりと言った。彼女の周りには、領内の産品に関する報告書や、近隣都市の市場価格をまとめた羊皮紙が山のように積まれている。
石鹸は、まず近隣の富裕層や旅館向けに販売する。ガラスは、王都の貴族や大聖堂に的を絞って売り込む。醤油と味噌は、その価値を理解させるため、まずは高級レストランと提携して、新しい食文化そのものを売り出す。
彼女が立てる販売戦略は、的確で、野心的で、そして何より俺が思いつきもしなかったものばかりだった。
だが、計画を進めるうちに、共通の大きな壁が立ちはだかった。
「生産が、需要に全く追いついていないわ」
エリアーナは、眉間に皺を寄せながら報告した。
「石鹸を作るための大鍋が足りない。醤油を仕込むための樽を作るための道具が足りない。ガラスを加工するための工具も、農地を拡大するための農具も、何もかもが足りていない。そして、今ある道具はすぐに刃こぼれしたり、壊れたりする。これでは話にならないわ」
彼女の指摘は、俺も痛感していたことだった。
全てのボトルネックは、一つの問題に集約される。
それは、この世界の「鉄」の品質の低さだった。
この世界で主流の製鉄法は、塊錬鉄法と呼ばれる原始的なものだ。鉄鉱石を炭と一緒に不完全に燃焼させ、海綿状の鉄の塊を取り出す。この方法は効率が悪く、出来上がった鉄にはスラグと呼ばれる不純物が多く含まれている。脆く、硬さにムラがあり、農具や工具の材料としてはあまりにも心許ない。
俺たちの改革は、常にこの脆弱な土台の上にあった。どんなに優れた設計図を描いても、それを形にする素材の質が低ければ、性能は頭打ちになる。
アシュフォード領の産業レベルを、もう一段階、いや二段階引き上げるためには、避けて通れない道があった。
産業の米、全ての工業の基礎となる、鉄。
そのものを作ることから、始めなければならない。
「エリアーナ、新しいプロジェクトを始める」
俺の言葉に、彼女は羊皮紙の山から顔を上げた。
「次の製品は、鉄だ」
「鉄ですって? 鉄なら、どこの鍛冶場でも作っているじゃない」
「違う。俺たちが作るのは、そんなものとは全くの別物だ。強靭で、粘りがあり、加工しやすい。本当の意味での『鋼』を生み出すんだ」
俺の脳裏には、前世の日本で見た、刀鍛冶のドキュメンタリーが鮮やかに蘇っていた。日本刀を生み出す、世界でも類を見ない高品質な鋼「玉鋼」。それを生み出すのが、伝統的な製鉄法「たたら製鉄」だった。
低温でじっくりと時間をかけて砂鉄を還元することで、不純物の少ない、極めて純粋な鉄を取り出す技術。この世界の高温で一気に燃やすだけの製鉄法とは、思想そのものが正反対だった。
「俺たちの手で、この領地に本物の鉄を生み出す。それが、全ての産業の土台を強固にする、最も確実な方法だ」
俺の真剣な眼差しに、エリアーナはゴクリと喉を鳴らした。彼女はすぐに、高品質な鉄がもたらす戦略的な価値を理解したようだった。
「……分かったわ。資金は、商会から最大限融通しましょう。あなたが必要だと思うものは、全て用意して」
彼女の力強い言葉に、俺は頷いた。
俺は再び、鍛冶屋の親方と大工の棟梁、そしてゴードンまで呼び集めた。水車小屋の成功以来、彼らは俺が「新しいことを始める」と聞くと、子供のように目を輝かせて集まるようになっていた。
俺は彼らの前で、新しい製鉄炉の設計図を広げた。
それは、ガラス溶解炉よりもさらに巨大で、複雑な構造をしていた。粘土で作られた箱型の炉本体、その両脇には「天秤鞴(てんびんふいご)」と呼ばれるシーソーのような形の巨大な送風装置が描かれている。
「こ、これはまた……とんでもない代物ですな」
大工の棟梁が、感嘆の声を漏らす。
「これから俺たちは、鉄を作る。いや、『鋼』を作る。この炉は、そのための心臓だ。名を『高殿(たたら)』という」
俺は、たたら製鉄の原理を説明した。
鉄鉱石ではなく、川で採れる砂鉄を使うこと。低温で三日三晩、燃やし続けること。そして、この炉の最大の特徴である、天秤鞴について。
「このシーソーのような鞴を二人一組で交互に踏み続ける。そうすることで、炉の中に、途切れることのない安定した風を送り込むんだ。ガラス炉のように強力な風ではない。だが、長く、静かに燃え続ける炎こそが、砂鉄から最高の鉄を引き出す鍵になる」
職人たちは、真剣な顔で聞き入っていた。ガラス炉とは全く違うアプローチに、彼らの知的好奇心が刺激されているのが分かった。
「鉄の質が変わるってのは、本当ですかい、リオ様」
鍛冶屋の親方が、最も重要な点を突いてきた。
「ああ、本当だ。この炉から生まれる鉄は、お前たちが知っている鉄とは全く違う。鍛えれば鍛えるほどに強靭になり、鋭い刃物にも、頑丈な工具にも、精密な機械の部品にもなるだろう。お前たちの仕事が、根底から変わるはずだ」
その言葉が、決定打だった。
自分たちの技術を、さらに高みへと引き上げてくれる。その可能性に、職人たちの魂が震えたのだ。
「面白え! やってやろうじゃねえか、リオ様!」
「鉄作りなんざ、わしらの本職だ! 誰にも文句は言わせねえ!」
プロジェクトは、満場一致で採択された。
領地を巻き込んだ、四度目の挑戦が始まった。
ゴードンが率いる農夫たちは、領内の川という川を巡り、磁石を使って砂鉄を集め始めた。子供たちまでが、遊び感覚で砂鉄集めに参加している。
大工たちは、高殿を建てるための、水はけの良い高台を選定し、巨大な建屋の建設に取り掛かった。
そして鍛冶屋たちは、炉の心臓部である天秤鞴の製作と、炉壁に使う最高品質の粘土を探し始めた。
エリアーナは、商会の資金を惜しみなく投入し、食料や資材の補給路を確保した。彼女の完璧なロジスティクスが、プロジェクトを強力に下支えしている。
領地の全ての力が、一つの目標に向かって結集していく。
俺は建設が始まった高殿の基礎を眺めながら、静かな興奮を感じていた。
農業、衛生、食、動力、素材。そして、今度は全ての産業の根幹をなす、鉄。
このアシュフォード領は、もはや単なる貧乏貴族の領地ではない。それは、新しい時代を生み出すための、巨大な実験工場そのものだ。
この炉に火が灯る時、俺たちは単なる鉄ではなく、未来そのものを手に入れることになる。
その確信が、俺の胸に熱く燃え上がっていた。
彼女の仕事ぶりは、まさに冷徹かつ合理的。王都から呼び寄せた有能な文官を使い、帳簿の付け方から在庫管理、人員配置に至るまで、俺が感覚で進めてきた曖昧な部分を次々と明確なシステムへと落とし込んでいく。
「いいこと、リオ。あなたの仕事は最高の『製品』を作ること。私の仕事は、その製品から最高の『利益』を生み出すこと。役割分担は明確にしましょう」
応接室を改造した商会の仮オフィスで、エリアーナはきっぱりと言った。彼女の周りには、領内の産品に関する報告書や、近隣都市の市場価格をまとめた羊皮紙が山のように積まれている。
石鹸は、まず近隣の富裕層や旅館向けに販売する。ガラスは、王都の貴族や大聖堂に的を絞って売り込む。醤油と味噌は、その価値を理解させるため、まずは高級レストランと提携して、新しい食文化そのものを売り出す。
彼女が立てる販売戦略は、的確で、野心的で、そして何より俺が思いつきもしなかったものばかりだった。
だが、計画を進めるうちに、共通の大きな壁が立ちはだかった。
「生産が、需要に全く追いついていないわ」
エリアーナは、眉間に皺を寄せながら報告した。
「石鹸を作るための大鍋が足りない。醤油を仕込むための樽を作るための道具が足りない。ガラスを加工するための工具も、農地を拡大するための農具も、何もかもが足りていない。そして、今ある道具はすぐに刃こぼれしたり、壊れたりする。これでは話にならないわ」
彼女の指摘は、俺も痛感していたことだった。
全てのボトルネックは、一つの問題に集約される。
それは、この世界の「鉄」の品質の低さだった。
この世界で主流の製鉄法は、塊錬鉄法と呼ばれる原始的なものだ。鉄鉱石を炭と一緒に不完全に燃焼させ、海綿状の鉄の塊を取り出す。この方法は効率が悪く、出来上がった鉄にはスラグと呼ばれる不純物が多く含まれている。脆く、硬さにムラがあり、農具や工具の材料としてはあまりにも心許ない。
俺たちの改革は、常にこの脆弱な土台の上にあった。どんなに優れた設計図を描いても、それを形にする素材の質が低ければ、性能は頭打ちになる。
アシュフォード領の産業レベルを、もう一段階、いや二段階引き上げるためには、避けて通れない道があった。
産業の米、全ての工業の基礎となる、鉄。
そのものを作ることから、始めなければならない。
「エリアーナ、新しいプロジェクトを始める」
俺の言葉に、彼女は羊皮紙の山から顔を上げた。
「次の製品は、鉄だ」
「鉄ですって? 鉄なら、どこの鍛冶場でも作っているじゃない」
「違う。俺たちが作るのは、そんなものとは全くの別物だ。強靭で、粘りがあり、加工しやすい。本当の意味での『鋼』を生み出すんだ」
俺の脳裏には、前世の日本で見た、刀鍛冶のドキュメンタリーが鮮やかに蘇っていた。日本刀を生み出す、世界でも類を見ない高品質な鋼「玉鋼」。それを生み出すのが、伝統的な製鉄法「たたら製鉄」だった。
低温でじっくりと時間をかけて砂鉄を還元することで、不純物の少ない、極めて純粋な鉄を取り出す技術。この世界の高温で一気に燃やすだけの製鉄法とは、思想そのものが正反対だった。
「俺たちの手で、この領地に本物の鉄を生み出す。それが、全ての産業の土台を強固にする、最も確実な方法だ」
俺の真剣な眼差しに、エリアーナはゴクリと喉を鳴らした。彼女はすぐに、高品質な鉄がもたらす戦略的な価値を理解したようだった。
「……分かったわ。資金は、商会から最大限融通しましょう。あなたが必要だと思うものは、全て用意して」
彼女の力強い言葉に、俺は頷いた。
俺は再び、鍛冶屋の親方と大工の棟梁、そしてゴードンまで呼び集めた。水車小屋の成功以来、彼らは俺が「新しいことを始める」と聞くと、子供のように目を輝かせて集まるようになっていた。
俺は彼らの前で、新しい製鉄炉の設計図を広げた。
それは、ガラス溶解炉よりもさらに巨大で、複雑な構造をしていた。粘土で作られた箱型の炉本体、その両脇には「天秤鞴(てんびんふいご)」と呼ばれるシーソーのような形の巨大な送風装置が描かれている。
「こ、これはまた……とんでもない代物ですな」
大工の棟梁が、感嘆の声を漏らす。
「これから俺たちは、鉄を作る。いや、『鋼』を作る。この炉は、そのための心臓だ。名を『高殿(たたら)』という」
俺は、たたら製鉄の原理を説明した。
鉄鉱石ではなく、川で採れる砂鉄を使うこと。低温で三日三晩、燃やし続けること。そして、この炉の最大の特徴である、天秤鞴について。
「このシーソーのような鞴を二人一組で交互に踏み続ける。そうすることで、炉の中に、途切れることのない安定した風を送り込むんだ。ガラス炉のように強力な風ではない。だが、長く、静かに燃え続ける炎こそが、砂鉄から最高の鉄を引き出す鍵になる」
職人たちは、真剣な顔で聞き入っていた。ガラス炉とは全く違うアプローチに、彼らの知的好奇心が刺激されているのが分かった。
「鉄の質が変わるってのは、本当ですかい、リオ様」
鍛冶屋の親方が、最も重要な点を突いてきた。
「ああ、本当だ。この炉から生まれる鉄は、お前たちが知っている鉄とは全く違う。鍛えれば鍛えるほどに強靭になり、鋭い刃物にも、頑丈な工具にも、精密な機械の部品にもなるだろう。お前たちの仕事が、根底から変わるはずだ」
その言葉が、決定打だった。
自分たちの技術を、さらに高みへと引き上げてくれる。その可能性に、職人たちの魂が震えたのだ。
「面白え! やってやろうじゃねえか、リオ様!」
「鉄作りなんざ、わしらの本職だ! 誰にも文句は言わせねえ!」
プロジェクトは、満場一致で採択された。
領地を巻き込んだ、四度目の挑戦が始まった。
ゴードンが率いる農夫たちは、領内の川という川を巡り、磁石を使って砂鉄を集め始めた。子供たちまでが、遊び感覚で砂鉄集めに参加している。
大工たちは、高殿を建てるための、水はけの良い高台を選定し、巨大な建屋の建設に取り掛かった。
そして鍛冶屋たちは、炉の心臓部である天秤鞴の製作と、炉壁に使う最高品質の粘土を探し始めた。
エリアーナは、商会の資金を惜しみなく投入し、食料や資材の補給路を確保した。彼女の完璧なロジスティクスが、プロジェクトを強力に下支えしている。
領地の全ての力が、一つの目標に向かって結集していく。
俺は建設が始まった高殿の基礎を眺めながら、静かな興奮を感じていた。
農業、衛生、食、動力、素材。そして、今度は全ての産業の根幹をなす、鉄。
このアシュフォード領は、もはや単なる貧乏貴族の領地ではない。それは、新しい時代を生み出すための、巨大な実験工場そのものだ。
この炉に火が灯る時、俺たちは単なる鉄ではなく、未来そのものを手に入れることになる。
その確信が、俺の胸に熱く燃え上がっていた。
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