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第17話:アシュフォード鋼の誕生
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数週間の歳月を経て、領地を見下ろす高台に、巨大な製鉄炉「高殿(たたら)」がその威容を現した。
粘土と木材で組まれた巨大な建屋は、まるで小さな神殿のようだった。その中央に鎮座する箱型の炉。両脇には、巨大なシーソーのような天秤鞴(てんびんふいご)が備え付けられている。それは、この領地の技術の粋を集めた、鋼を生み出すための祭壇だった。
そして、運命の火入れの日が来た。
俺は製鉄の総責任者である「村下(むらげ)」として、作業の指揮を執る。炉の底には丁寧に木炭が敷き詰められ、その上に磁石で選り分けられた黒い砂鉄が投入された。
「火を入れろ!」
俺の号令と共に、炉に松明が投げ込まれる。パチパチという音を立てて燃え始めた炎は、ゆっくりと炉全体へと広がっていった。
「鞴、始め!」
合図と共に、選りすぐりの屈強な男たちが、天秤鞴に乗りリズミカルに足踏みを始めた。フオォー、フオォーという独特の音を立てて、鞴が交互に動き、炉の中へと安定した風を送り込み始める。
ここから三日三晩、火を絶やすことなく、砂鉄と木炭を交互に投入し続けるのだ。それは、人間の体力と精神力の限界に挑む、過酷な作業の始まりだった。
俺はほとんど眠らずに、炉のそばに付きっきりになった。
「村下」の仕事は、炉の温度を完璧にコントロールすることだ。俺は覗き窓から見える炎の色を絶えず観察し、その変化に応じて風の量や木炭を投入するタイミングを指示していく。
「風を少し弱めろ! 炎が白すぎる!」
「今だ! 砂鉄を入れろ!」
俺の指示は、まるで長年たたら製鉄に携わってきた大ベテランのようだった。職人たちは、俺の的確すぎる判断力に畏敬の念を抱きながら、一糸乱れぬ動きで作業をこなしていく。
交代で鞴を踏み続ける男たちの疲労は、尋常ではなかった。彼らが倒れそうになると、周りの者たちが声をかけ、水を与え、肩を貸す。その光景は、もはや単なる仕事ではなかった。領地の未来をかけた、共同体の戦いそのものだった。
エリアーナも、バルガスも、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
夜になっても、高殿は赤い光を放ち、周囲をぼんやりと照らし続ける。それはまるで、新しい時代を生み出すために鼓動する、巨大な心臓のようだった。
そして、三日目の夜明けが訪れた。
炉から発せられる音が、それまでとは微妙に変化しているのを俺は聞き取った。炎の色も、最終段階に入ったことを示している。
「総員、準備しろ! ケラを出すぞ!」
俺の声に、現場の空気が一気に張り詰めた。操業のクライマックス、「ケラ出し」の時が来たのだ。
職人たちが、長い鉄の棒を手に炉の前面に集まる。
俺の合図と共に、彼らは炉の壁の一角を突き崩し始めた。灼熱の熱気が、爆発するように溢れ出す。
「怯むな! 一気にやれ!」
男たちの雄叫びと共に、ついに炉の壁が大きく崩れ落ちた。
その向こうから、眩いほどの光を放つ、巨大な塊が姿を現す。
それは、真っ赤に輝く鉄の塊。たたら製鉄の産物、「ケラ」だった。
その大きさ、そして何よりその輝きは、職人たちがこれまで見てきたどの鉄とも全く違っていた。
「引けーっ!」
鎖が繋がれたケラを、男たちが総出で炉から引きずり出す。灼熱の塊がゴロリと地面に転がると、その場にいた誰もが、その神々しいまでの迫力に息を飲んだ。
数時間かけて、ケラはゆっくりと冷やされた。
鍛冶屋の親方が、大槌を手にケラの前に立つ。彼は緊張した面持ちで、力強く槌を振り下ろした。
ガキンッという甲高い音と共に、ケラの一部が砕け散る。
その断面を見た瞬間、親方の顔が驚愕に変わった。
「な……なんだ、この輝きは……」
断面は、不純物だらけの既存の鉄とは違い、まるで銀のように美しく、緻密な結晶構造がキラキラと輝いていた。
職人たちは、品質ごとにケラを砕き、選別していく。その中でも、ひときわ美しい輝きを放つ、最高品質の部分。
「これを『玉鋼(たまはがね)』と名付けよう」
俺の言葉に、誰も異論を唱える者はいなかった。
鍛冶屋の親方は、その玉鋼の欠片を一つ手に取ると、まるで宝物を扱うかのように自分の工房へと持ち帰った。
そして半日後、彼は一本の小刀を手に、俺たちの前に戻ってきた。
それは、何の装飾もない、ただの実用的な小刀だった。だが、その刀身には折り返し鍛錬によって生まれた、美しい波紋が浮かび上がっていた。
「リオ様。試していただきたい」
親方の目は、職人としての誇りと興奮で赤く充血していた。
テストの相手を務めるのは、バルガスだった。彼は訝しげな顔で、自分の腰から騎士団時代に使っていた長剣を抜き放つ。それは、王国の標準的な製法で作られた、実戦向きの剣だ。
「まさか、こんな小刀で俺の剣と打ち合うとでも?」
「試してみれば分かる」
俺が促すと、バルガスは半信半疑のまま、小刀を構えた親方と向き合った。
二つの刃が、火花を散らして交錯した。
キィィンッ!
これまで聞いたこともないような、高く、澄んだ金属音が響き渡る。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
バルガスの長剣が、刃と刃がぶつかった箇所から、ポッキリと折れて地面に落ちたのだ。
対する小刀は。
刃こぼれ一つ、していない。
「……馬鹿な」
バルガスは、折れた自分の剣と、無傷の小刀を、呆然と見比べた。騎士としての彼の常識が、今、目の前で粉々に砕け散ったのだ。
静寂を破ったのは、鍛冶屋の親方の雄叫びだった。
「うおおおお! やったぞ! これが、これが俺たちの鋼だ!」
その声に呼応するように、その場にいた全ての職人、全ての領民から、地鳴りのような歓声が巻き起こった。
俺は静かにその光景を眺めていた。
この「アシュフォード鋼」は、単に硬いだけの鉄ではない。それは、農具の耐久性を上げ、工具の精度を高め、水車の歯車をより頑丈にする。この領地の産業レベルを、根底から引き上げるための、まさに礎となるものだ。
エリアーナが、俺の隣で静かに呟いた。
「……とんでもないものを生み出してしまったわね、あなたは」
その目は、商売人としての冷静さを保ちながらも、隠しきれない興奮に揺れていた。
「この鋼で剣や鎧を作れば、王国の軍事バランスさえ変えられてしまう。これは……金では計れない価値があるわ」
彼女の言う通りだった。
この日、アシュフォード領は、未来そのものを手に入れた。
強靭で、美しく、無限の可能性を秘めた、鋼という名の未来を。
俺たちの革命は、これでまた一つ、決して後戻りのできない段階へと足を踏み入れたのだった。
粘土と木材で組まれた巨大な建屋は、まるで小さな神殿のようだった。その中央に鎮座する箱型の炉。両脇には、巨大なシーソーのような天秤鞴(てんびんふいご)が備え付けられている。それは、この領地の技術の粋を集めた、鋼を生み出すための祭壇だった。
そして、運命の火入れの日が来た。
俺は製鉄の総責任者である「村下(むらげ)」として、作業の指揮を執る。炉の底には丁寧に木炭が敷き詰められ、その上に磁石で選り分けられた黒い砂鉄が投入された。
「火を入れろ!」
俺の号令と共に、炉に松明が投げ込まれる。パチパチという音を立てて燃え始めた炎は、ゆっくりと炉全体へと広がっていった。
「鞴、始め!」
合図と共に、選りすぐりの屈強な男たちが、天秤鞴に乗りリズミカルに足踏みを始めた。フオォー、フオォーという独特の音を立てて、鞴が交互に動き、炉の中へと安定した風を送り込み始める。
ここから三日三晩、火を絶やすことなく、砂鉄と木炭を交互に投入し続けるのだ。それは、人間の体力と精神力の限界に挑む、過酷な作業の始まりだった。
俺はほとんど眠らずに、炉のそばに付きっきりになった。
「村下」の仕事は、炉の温度を完璧にコントロールすることだ。俺は覗き窓から見える炎の色を絶えず観察し、その変化に応じて風の量や木炭を投入するタイミングを指示していく。
「風を少し弱めろ! 炎が白すぎる!」
「今だ! 砂鉄を入れろ!」
俺の指示は、まるで長年たたら製鉄に携わってきた大ベテランのようだった。職人たちは、俺の的確すぎる判断力に畏敬の念を抱きながら、一糸乱れぬ動きで作業をこなしていく。
交代で鞴を踏み続ける男たちの疲労は、尋常ではなかった。彼らが倒れそうになると、周りの者たちが声をかけ、水を与え、肩を貸す。その光景は、もはや単なる仕事ではなかった。領地の未来をかけた、共同体の戦いそのものだった。
エリアーナも、バルガスも、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
夜になっても、高殿は赤い光を放ち、周囲をぼんやりと照らし続ける。それはまるで、新しい時代を生み出すために鼓動する、巨大な心臓のようだった。
そして、三日目の夜明けが訪れた。
炉から発せられる音が、それまでとは微妙に変化しているのを俺は聞き取った。炎の色も、最終段階に入ったことを示している。
「総員、準備しろ! ケラを出すぞ!」
俺の声に、現場の空気が一気に張り詰めた。操業のクライマックス、「ケラ出し」の時が来たのだ。
職人たちが、長い鉄の棒を手に炉の前面に集まる。
俺の合図と共に、彼らは炉の壁の一角を突き崩し始めた。灼熱の熱気が、爆発するように溢れ出す。
「怯むな! 一気にやれ!」
男たちの雄叫びと共に、ついに炉の壁が大きく崩れ落ちた。
その向こうから、眩いほどの光を放つ、巨大な塊が姿を現す。
それは、真っ赤に輝く鉄の塊。たたら製鉄の産物、「ケラ」だった。
その大きさ、そして何よりその輝きは、職人たちがこれまで見てきたどの鉄とも全く違っていた。
「引けーっ!」
鎖が繋がれたケラを、男たちが総出で炉から引きずり出す。灼熱の塊がゴロリと地面に転がると、その場にいた誰もが、その神々しいまでの迫力に息を飲んだ。
数時間かけて、ケラはゆっくりと冷やされた。
鍛冶屋の親方が、大槌を手にケラの前に立つ。彼は緊張した面持ちで、力強く槌を振り下ろした。
ガキンッという甲高い音と共に、ケラの一部が砕け散る。
その断面を見た瞬間、親方の顔が驚愕に変わった。
「な……なんだ、この輝きは……」
断面は、不純物だらけの既存の鉄とは違い、まるで銀のように美しく、緻密な結晶構造がキラキラと輝いていた。
職人たちは、品質ごとにケラを砕き、選別していく。その中でも、ひときわ美しい輝きを放つ、最高品質の部分。
「これを『玉鋼(たまはがね)』と名付けよう」
俺の言葉に、誰も異論を唱える者はいなかった。
鍛冶屋の親方は、その玉鋼の欠片を一つ手に取ると、まるで宝物を扱うかのように自分の工房へと持ち帰った。
そして半日後、彼は一本の小刀を手に、俺たちの前に戻ってきた。
それは、何の装飾もない、ただの実用的な小刀だった。だが、その刀身には折り返し鍛錬によって生まれた、美しい波紋が浮かび上がっていた。
「リオ様。試していただきたい」
親方の目は、職人としての誇りと興奮で赤く充血していた。
テストの相手を務めるのは、バルガスだった。彼は訝しげな顔で、自分の腰から騎士団時代に使っていた長剣を抜き放つ。それは、王国の標準的な製法で作られた、実戦向きの剣だ。
「まさか、こんな小刀で俺の剣と打ち合うとでも?」
「試してみれば分かる」
俺が促すと、バルガスは半信半疑のまま、小刀を構えた親方と向き合った。
二つの刃が、火花を散らして交錯した。
キィィンッ!
これまで聞いたこともないような、高く、澄んだ金属音が響き渡る。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
バルガスの長剣が、刃と刃がぶつかった箇所から、ポッキリと折れて地面に落ちたのだ。
対する小刀は。
刃こぼれ一つ、していない。
「……馬鹿な」
バルガスは、折れた自分の剣と、無傷の小刀を、呆然と見比べた。騎士としての彼の常識が、今、目の前で粉々に砕け散ったのだ。
静寂を破ったのは、鍛冶屋の親方の雄叫びだった。
「うおおおお! やったぞ! これが、これが俺たちの鋼だ!」
その声に呼応するように、その場にいた全ての職人、全ての領民から、地鳴りのような歓声が巻き起こった。
俺は静かにその光景を眺めていた。
この「アシュフォード鋼」は、単に硬いだけの鉄ではない。それは、農具の耐久性を上げ、工具の精度を高め、水車の歯車をより頑丈にする。この領地の産業レベルを、根底から引き上げるための、まさに礎となるものだ。
エリアーナが、俺の隣で静かに呟いた。
「……とんでもないものを生み出してしまったわね、あなたは」
その目は、商売人としての冷静さを保ちながらも、隠しきれない興奮に揺れていた。
「この鋼で剣や鎧を作れば、王国の軍事バランスさえ変えられてしまう。これは……金では計れない価値があるわ」
彼女の言う通りだった。
この日、アシュフォード領は、未来そのものを手に入れた。
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