異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ

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第48話:父との決別

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マナメーターの成功は、王立アカデミーに大きな衝撃を与えた。俺の研究室には、連日多くの学者たちが訪れ、魔導科学という新しい学問の可能性について、熱心な議論が交わされるようになった。
俺の立場は、単なる「辺境の英雄」から、「新進気鋭の若き賢者」へと変わりつつあった。それは、マリウス公爵のような保守派貴族からの風当たりを和らげる効果はなかったが、少なくともアカデミーという知の牙城において、俺たちの活動に一定の正当性を与えてくれた。
だが、その平穏は、長くは続かなかった。
新たな嵐は、俺たちの最も身近な場所、エリアーナの過去から吹きつけてきた。

その日、アシュフォード商会の王都屋敷に、一台の豪奢な馬車が、何の予告もなく乗り付けてきた。
その馬車の紋章を見た執事は、血相を変えて俺たちの元へ駆け込んできた。
「リオ様、エリアーナ様! ヴ、ヴァイス伯爵様が、お見えになりました!」
ヴァイス伯爵。エリアーナの実の父親だ。
俺たちが王都に来てから、伯爵は娘からの「絶縁状」に激怒し、沈黙を保っていた。その彼が、自らこの屋敷に乗り込んできた。それが何を意味するのか、俺たちには痛いほど分かっていた。
エリアーナの顔から、すっと血の気が引いた。だが、彼女はすぐに気丈な表情を取り戻し、俺に向かって静かに頷いた。
「……会いましょう。いつかは、決着をつけなければならないと思っていたことだわ」

応接室の重厚な扉を開けると、そこには一人の壮年の男が、ふんぞり返るようにソファに座っていた。
年の頃は五十代だろうか。贅沢な暮らしで肥え太った体に、いかにも高価そうな装飾品をじゃらじゃらと身につけている。だが、その目は商売人特有の鋭さを持ち、獲物を見定めるような光を放っていた。彼が、エリアーナの父、オーギュスト・フォン・ヴァイス伯爵。
彼は、俺の姿を値踏みするように一瞥すると、完全に無視を決め込み、娘であるエリアーナに向かって、怒りを滲ませた声で言った。
「エリアーナ! いつまでこのような馬鹿な真似を続けるつもりだ! お前のせいで、ヴァイス家がどれほど社交界で笑いものになっているか、分かっているのか!」
それは、娘の身を案じる父親の言葉ではなかった。家の体面が傷つけられたことに対する、自己中心的な怒りだった。
エリアーナは、そんな父の姿を、冷たい目で見つめ返した。
「お久しぶりですわ、お父様。相変わらず、ご自分のことばかりなのですね」
「な、なんだ、その口の利き方は! この私に向かって!」
オーギュスト伯爵は、激昂して立ち上がった。
「お前は、この辺境の小僧に誑かされているのだ! 目を覚ませ! マリウス公爵家との縁談を破談にし、家の名誉に泥を塗った罪、どう償うつもりだ!」
「罪、ですって?」
エリアーナは、自嘲気味に鼻で笑った。「私が犯した罪は、ただ一つ。お父様の、都合の良い道具であることを、やめたことですわ」
その言葉は、二人の間の溝が、もはや修復不可能なほどに深いことを示していた。
オーギュスト伯爵は、娘の反抗的な態度に、怒りで顔を真っ赤にしていたが、やがて何かを思い出したように、ふっと狡猾な笑みを浮かべた。
「……フン、まあよい。過ぎたことを、今さら責めても仕方あるまい。それよりも、本題に入ろうか」
彼は、ソファに再び腰を下ろすと、今度は俺の方に視線を向けた。
「リオ・アシュフォードとか言ったな。小僧。お前の噂は、嫌というほど耳に入っておる。石鹸、ガラス、そして最近では、アカデミーで『魔導科学』などという、得体の知れんものを広めているそうじゃないか」
その目は、俺の技術がもたらす「利益」を、正確に計算している商人の目だった。
「単刀直入に言おう。お前たちの、そのアシュフォード商会とやら。我がヴァイス家の傘下に入れ。そうすれば、マリウス公爵からの圧力も、我が家の力でねじ伏せてやろう。そして、お前たちの生み出す利益は、我が家と折半だ。悪い話ではあるまい?」
それは、マリウス公爵が提示したものと、ほとんど同じ提案だった。だが、そこには「娘を返せ」という、より個人的で、粘着質な欲望が絡みついていた。
俺が口を開く前に、エリアーナが、決然とした声で割り込んだ。
「お断りいたします」
「なんだと?」
「アシュフォード商会は、リオ様と私が、二人で築き上げてきたものです。誰の傘下にも入るつもりはありません。ましてや、あなたのような、人を道具としか見ない方の下につくなど、冗談ではありませんわ」
彼女の言葉に、オーギュスト伯爵の顔が、怒りでみるみるうちに歪んでいく。
「エリアーナ……! この、恩知らずめが! 誰のおかげで、お前が何不自由なく生きてこられたと思っている!」
「ええ、感謝していますわ」とエリアーナは、静かに、しかしはっきりと返した。「何不自由なく、心を殺して生きる術を教えてくださったことには、心から」
その言葉は、オーギュスト伯爵の心を、深く抉ったようだった。彼は、一瞬言葉に詰まった。
だが、彼は諦めなかった。彼は、娘の最大の弱点を突いてきた。
「……ならば、力ずくで分からせてやるまでだ。リオ・アシュフォード。お前が娘を解放し、商会の全ての利権を我がヴァイス家に譲渡するという誓約書に、今ここで署名しろ。さもなくば」
彼は、脅すように言った。「お前の故郷、アシュフォード領がどうなるか、分からんぞ。マリウス公爵がお前たちを潰したがっているのは知っている。私が公爵に少しばかりの資金援助をし、『アシュフォード討伐』の後押しをしてやってもいいのだ。そうなれば、お前の家族や領民が、どうなるかな?」
それは、最も卑劣で、最も効果的な脅迫だった。俺たちの、最大の弱点である、故郷を人質に取ってきたのだ。
俺の背後で、バルガスが怒りに身を震わせるのが分かった。
だが、その脅迫に立ち向かったのは、俺ではなかった。
エリアーナだった。
彼女は、震える父の前に、静かに一歩踏み出した。そして、俺と、バルガスと、この部屋にいる全ての者を守るように、両腕を広げた。
「……もう、やめて」
その声は、震えていたが、鋼のような強さを持っていた。
「私を道具として扱うのも、私の大切な人たちを脅すのも、もうたくさんです」
彼女は、父の目を、生まれて初めて、まっすぐに見据えた。
「お父様。私はもう、あなたの道具ではありません。私は、エリアーナ・フォン・ヴァイスという、一人の人間です」
その瞳には、涙が浮かんでいた。だが、それは悲しみの涙ではなかった。過去の自分と決別し、新しい自分として生まれ変わるための、力強い決意の涙だった。
「この商会は、私の誇りです。リオ様は、私の力を信じ、対等なパートナーとして認めてくれた、たった一人の人です。この人たちと、私たちが築き上げてきたこの場所を、あなたなんかに、絶対に壊させはしない!」
その魂の叫びは、オーギュスト伯爵の心を、完全に打ちのめした。
彼は、娘のそのあまりにも強い眼差しに、気圧され、たじろいだ。彼は、自分が育ててきたはずの「お人形」が、いつの間にか、自分の手の届かない、気高く、そして強い一人の女性へと成長してしまっていたことを、今、この瞬間、認めざるを得なかった。
彼は、何も言い返せないまま、悪態をつくように立ち上がると、逃げるように部屋を去っていった。
嵐が、過ぎ去った。
応接室には、静寂だけが残された。
エリアーナは、その場に崩れ落ちるように、ソファに座り込んだ。彼女の肩は、小さく震えていた。
俺は、何も言わずに、彼女の隣に座った。
「……強かったな」
俺がそう言うと、彼女は顔を上げて、涙で濡れた顔のまま、ふっと笑った。
「当たり前でしょう? 私は、アシュフォード商会の、代表なのだから」
その笑顔は、これまで俺が見たどの笑顔よりも、美しく、そして力強かった。
父との決別。それは、エリアーナにとって、最も辛く、そして最も必要な戦いだった。
彼女は、その戦いに、見事に勝利したのだ。
俺たちの結束は、この試練を経て、さらに強固なものとなった。
だが、同時に、ヴァイス伯爵という、新たな敵を作ってしまったこともまた、事実だった。
マリウス公爵と、ヴァイス伯爵。二人の強欲な貴族が、もし手を組むことになれば。
アシュフォード領は、再び、深刻な脅威に晒されることになるだろう。
俺は、静かに、次の戦いの始まりを予感していた。
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