異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ

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第52話:世界最初の産声

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ゴッ……!

鈍く、しかし腹の底に響くような、重い音。
これまで沈黙を守っていた鉄の巨人が、その体内で凄まじい圧力を受け止め、初めて動いた音だった。
高圧の蒸気に押し出されたピストンが、巨大なクランクシャフトを力強く押し動かす。その動きに連動して、部屋の隅に鎮座していた直径二メートルはあろうかという巨大なフライホイール(弾み車)が、ギシリと音を立てて、わずかに回転した。
「……動いた」
誰かが、掠れた声で呟いた。
だが、動きはそれきりだった。ピストンはシリンダーの一番奥まで達したところで、動きを止めてしまった。
「まだだ! バルブを切り替えろ!」
俺は、もう一つのバルブを操作した。今度は、シリンダーの反対側から蒸気を送り込み、同時に、押し出し終わった側の蒸気を排出させるためのバルブだ。
プシューッという音と共に、使い終わった蒸気が排出され、入れ替わりに新しい高圧蒸気で、ピストンが今度は逆方向へと力強く押し戻される。

ゴッ……!

再び、重い作動音。
フライホイールが、先程とは逆方向に、さらに大きく回転した。
往復運動。
俺は、息つく間もなく、二つのバルブをリズミカルに、手動で操作し続けた。
蒸気を送り込み、ピストンを押し出す。
蒸気を排出し、逆から送り込み、ピストンを引き戻す。
ゴッ……! ガコン!
ゴッ……! ガコン!
ピストンの往復運動に合わせて、巨大なフライホイールは、徐々に、しかし確実に、その回転速度を上げていく。
初めは、ぎこちなく揺れるだけだった鉄の輪が、やがて滑らかな、連続的な回転運動へと変わっていった。
シュゴオオオオオ。
シュゴオオオオオ。
鉄の巨人が、ついに安定した呼吸を始めた。
それは、規則正しく、力強く、そしてどこまでも続くかのような、生命の鼓動そのものだった。
作業小屋の中にいた誰もが、その光景に釘付けになっていた。
鍛冶屋の親方も、大工の棟梁も、自分たちが生み出した機械が、まるで生き物のように動き続ける姿を、信じられないものを見る目で、ただ呆然と見つめていた。
エリアーナは、その鉄の塊が生み出す、圧倒的なパワーの奔流に、商売人としての直感を震わせていた。これが、どれほどの富と、どれほどの変革をもたらすことになるのか。
シルフィは、自分のマナが、目の前の巨大な機械を動かす原動力となっている事実に、畏敬と、そして誇らしさを感じていた。
バルガスは、この力が軍事的に転用された時の、恐るべき可能性を想像し、背筋に冷たいものを感じていた。
そして俺は。
俺は、この世界で初めて響き渡る、蒸気機関の産声を聞きながら、万感の思いに包まれていた。
これは、ただの機械ではない。
これは、一つの時代の終わりと、新しい時代の始まりを告げる、号砲なのだ。
人力や、家畜の力に頼っていた、旧時代の終わり。
人間の知性が生み出した「動力」によって、世界が動いていく、新時代の始まり。
俺たちは今、歴史が動く、そのまさに中心に立っていた。

「……やった」
俺は、誰に言うでもなく呟いた。
「やったぞ……!」
その言葉が、魔法を解いた。
静まり返っていた作業小屋が、次の瞬間、爆発的な歓声に包まれた。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
職人たちは、抱き合い、肩を叩き合い、涙を流して成功を喜び合った。自分たちの技術が、不可能を可能にした。その達成感が、彼らの胸を熱くしていた。
「やったな、リオ様!」
「本当に動きやがった! 俺たちの鉄の塊が!」
彼らは、泥と油にまみれた手で、俺を担ぎ上げ、何度も宙に放り投げた。
その熱狂の中心で、俺は、空を見上げながら笑っていた。
心からの、満ち足りた笑みだった。
国王からの勅命。マリウス公爵からの圧力。そんなものは、この瞬間、どうでもよかった。
ただ、純粋に、技術者として、一つの偉業を成し遂げた喜びが、俺の全身を満たしていた。

その日の夜、ささやかな祝賀会が開かれた。
エリアーナが用意した上等な酒を酌み交わしながら、俺たちは、力強く動き続ける魔導蒸気機関を、いつまでも見飽きることなく眺めていた。
「しかし、リオ」とエリアーナが言った。「この機械、たしかに凄まじい力を持っているわ。でも、あなたが二つのバルブを操作し続けなければ、動かないのでしょう? これでは、鉱山の排水ポンプとして、実用的とは言えないんじゃないかしら」
彼女の指摘は、的確だった。
俺は、ニヤリと笑って答えた。
「もちろん、次の手は考えてあるさ」
俺は、設計図の束の中から、一枚の新しい図面を取り出した。
「見てくれ。これは、『スライドバルブ機構』だ。フライホイールの回転を利用して、二つのバルブを、自動で、完璧なタイミングで開閉させるための仕組みさ」
その図面には、クランクと連動した偏心輪が、スライドバルブを往復運動させ、蒸気の流れを自動的に切り替える、精巧なメカニズムが描かれていた。
それを見た職人たちの目が、再び輝き始めた。
「な、なるほど……! 機械自身の力で、機械を制御するのか!」
「これさえあれば、リオ様がいなくても、こいつは勝手に動き続けるってことか!」
俺たちの挑戦は、まだ終わらない。
この鉄の巨人に、自律的な心臓を与える。それが、俺たちの次のステップだった。
鉱山の排水問題解決まで、あと一息。
俺は、力強く回り続けるフライホイールの向こうに、この国に産業革命の嵐が吹き荒れる、輝かしい未来を、はっきりと見ていた。
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