Can't Stop Fall in Love

桧垣森輪

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☆こーひーぶれいく☆番外編

美月と忘年会①

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☆書籍には載らなかった、総務課最後の忘年会のくだりです。

********************************************

「羽田野さん、この前お願いした注文書はもうできてる?」
 自分のデスクでパソコン作業中だった私に声を掛けたのは、同じ総務課ではあるが数年先輩にあたる中堅の男性社員だった。
「え……、注文書、ですか?」
 仕事の手を止めて頭を巡らせるけど、何を言われているのか実はよくわからない。なぜならこの人に仕事を頼まれた覚えがまったくないからだ。
 それなのに聞き返された男性社員は、あからさまに不快な顔を見せる。
「今日までにやっといてって、メモを貼っておいたはずなんだけど?」
 彼は人差し指で私のパソコンのディスプレイをトントンと叩く。当然そこにはメモなど貼られていない。
「すいません、メモを見た覚えがありません」
 今日は朝からずっとデスクワークをしていたから、そんなメモがあれば目に入るはずだけど、本当に見覚えがなかったので素直に答えた。
 なのに彼はこれ見よがしに肩を竦めるとハアーッとわざとらしく長い息を吐く。まるで私がミスしたかのような仕草にカチンと来ていたら、さらに煽るような言葉を投げつけてきた。
「秘書課に移る引っ越し作業で捨てちゃったんじゃないの? そりゃあ、専務秘書に比べたら取るに足らない仕事かもしれないけど、まだ君は総務課に在籍してるんだから今の仕事を全うしてくれなきゃ困るんだけど?」
 ──なにそれ!?
 彼の言葉は間違いなく私の神経を逆撫でした。
 私がいつ、秘書に比べて総務の仕事を軽視したというのか。会社に入ってまだ1年目だけれど、私は総務の仕事に誇りを持っていた。出来ることならこのまま続けたいとさえ思っている。
 専務秘書に比べたら取るに足らない仕事だと?
 そんな風に言うなんて、貴方の方がよっぽど総務の仕事を軽視してるんじゃないの?
 だいたい仕事の指示をするならメモ書きじゃなくて直接依頼するか、少なくともメモを貼っておいたからくらいの伝言はするべきだ。自分のことは棚に上げて責任を人に押し付けるとか、マジありえないんだけど。
 怒りに任せて言いたいことを吐き出そうかとも思ったが、ここで私が言い返せば事態はさらに悪化する。今はそんなことよりも、まずその注文書とやらを作らなくてはいけない。
 デスクに置いた小さなデジタル時計を見るともうすぐ終業時刻というところ。こんなくだらないことに費やす時間が惜しかった。
「申し訳ありませんでした。今からすぐに作ります」
 不本意ながらも頭を下げると、ブツブツ言いながらも彼は自分のデスクへと戻っていった。
 私もさっさと仕事に取り掛かかるために椅子に座り直すと、背後から小さな笑い声とともに心無い会話が耳に飛び込んできた。
「調子に乗ってるんじゃないの?」
「どうやって専務に取り入ったか知らないけど、あれじゃ先も見えてるわよね」
 聞こえた瞬間、背中が凍りついたかと思った。
 自分のことを言われている。それはわかったけれど、振り返って声の出先を確かめる勇気はない。
「……羽田野ちゃん、大丈夫?」
 隣の席から太田さんが心配そうに声を掛ける。
「さっきのあの人、同期がどんどん出世してるのに自分だけ取り残されちゃってるの。完全なやっかみだから、気にしなさんな」
 黒木さんはゴシップ情報を交えながら、引き出しからチョコレートを取り出すと差し入れだと分けてくれた。
 二人とも、ここ最近の私の置かれている状況を知っているのだろう。心配してくれる先輩たちのお陰で沈みかけた心をなんとか引き上げると、受け取ったチョコレートを口の中に放り込んで、頬に力を入れておもいきり口角を引き上げた。
「大丈夫です。すぐに作業します」

 異動の発表があってから、少しずつではあるが身の回りで不可思議なことが起きていた。
 最初のうちは私の姿を見るために総務課を訪れる人数──主に女子社員が増えたり、廊下ですれ違うたびにヒソヒソと囁き合う声が聞こえる程度だったのが、課長が異動理由を説明した頃から、今度はちょっとした紛失物が多くなった。
 給湯室で補充したばかりだった茶葉が茶筒ごと消えていたり、机の上に置いていたはずの資料がなぜかゴミ箱の中に捨てられていたり。だから消えたメモの理由も予想がつく。そして先ほどの誹謗中傷。
 ──つまり、私は嫌がらせを受けているのだ。
 それだけ、輝翔さんが女子社員にとっての憧れの人だということ。好きな芸能人に熱愛報道や結婚報道が出た時に、思い余って相手の女性にカミソリを送ったりするのと同じ心境なのだろう。
 だけど、私個人に対する嫌がらせならまだしも、仕事に影響が出ることは勘弁してもらいたい。
 今日はもともと残業する予定だったけど、帰りはもっと深くなりそうだ。
 タイミングよくマナーモードにしていたスマホが震えた。着信ランプの色から、輝翔さんからのメールなのがわかる。こっそり開くと、すっかり見慣れた一文が書かれていた。
『ごめん、今日も仕事で帰りが遅くなる』
 同じように忙しい輝翔さんとは、ここ数日顔を合わせていない。今までも仕事中に会わないことなんかざらだったのに、さみしいと感じてしまうのは私が少なからず弱っているからなのかもしれない。
 嫌がらせを受けることはある程度は覚悟していたとはいえ、実際に受けるとやっぱりへこむなぁ……。
 これまで私はこういった類の仕打ちを受けたことはない。大学まで続く一貫教育の学校で、今と同じように注目の的であった輝翔さんと親しく接する機会が多かったというのに、これまで無事に過ごしてきたということは、それだけ私が輝翔さんや兄に守られてきたからだと思う。
 今だって、輝翔さんに話せばなんらかの対応をしてくれるだろう。
 だけどそれは嫌だった。輝翔さんに頼って輝翔さんの力で敵を排除したとしても、自分のためにはならない。輝翔さんの庇護の下で仕事をしたって反感を買うだけだし、この程度のことで輝翔さんの手を煩わせたくもない。
 それに、嫌がらせをする人たちの気持ちもわかるしね。
 自ら望んで輝翔さんの秘書になりたいと願ったわけではないけれど、輝翔さんと一緒にいたいとは思った。だからこれくらいのことは、自分だけでなんとかしないといけない。
 とはいっても、具体的になにをすればいいのかもわからないので、今のところは無視するしかないのだけど。
 私と輝翔さんの関係は社内の人間には秘密にしているから、誰にも相談できないのは辛いが、家族にでも話せばそれこそ輝翔さんに筒抜けになるからそれもできない。外部の友人であれば少しくらい愚痴ったっていいだろうけど、師走の時期に慶ちゃんと佳奈美を呼び出しても、付き合ってくれるかな?
 とりあえず溜まった仕事を片付けて早く家に帰ろう。輝翔さんに返事を打つ間も惜しんで、パソコンと向き合った。

*****

 クリスマスからの日々はあっという間に過ぎて、気がつけば今年最後の就業日。それは私が総務課で過ごす最後の1日だった。
「皆さん、今年も一年お疲れ様でした。異動になる方たちもまた新しい部署でそれぞれ頑張ってください。それでは乾杯!」
 課長の挨拶で、それぞれが手にしたグラスを掲げ、和やかな雰囲気で会が始まる。今日は総務課の忘年会であり、私を含む異動が決まった社員の壮行会。会社の近くの居酒屋のお座敷を貸し切りにして、今年一年の労をねぎらっていた。
「しっかし、今年の年末はいつにも増して慌ただしかったわねー」
 ビールジョッキを傾けながら、太田さんは心底疲れたといったように首を回した。
「……ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
 ただでさえ忙しい最中にも関わらず、私の問題で二人の手を煩わせたのは不徳の致すところである。手にしていたチューハイをテーブルに置き、私は太田さんと黒木さんに深々と頭を下げた。
「羽田野ちゃんのせいじゃないわよ。しかし、なんだったのかね、アレ。」
 太田さんに促されて頭を上げると、おつまみに手を伸ばしながら黒木さんがなにやら思案していた。
 黒木さんの言うアレとは、年末にかけて多発していたパソコントラブルのことである。
 ここ最近、会社のあちこちで突然PCがブラックアウトするという不可解な事件が多発していた。
 うちの会社にも情報管理課というIT専門の部署があるのだけれど、いかんせん時期が時期だけに年末年始のセキュリティ準備が忙しく、手が回らない時には総務課にヘルプ申請が来るのだけれど。
「騒がせるだけ騒がせて、実質的な被害はなかったですもんね。いったい何が目的なんでしょう?」
 テーブルに盛られたから揚げを頬張りながら、自分も振り回された事件について思い返してみた。
 関係部署からの電話要請を受けて何度か出動はしたものの、ウイルスの侵入やサイバー攻撃であれば私たち素人では手が出せない。とにかく現場に出向いて原因を特定することを命じられたが、ブラックアウトは一定時間が過ぎると自動的に回復し、不思議とデータ等にも影響は出ていなかった。しいて言うなら、一定時間パソコンが使えなくなった社員がその日処理しきれなかった仕事を残業することになるという程度。
「でも、羽田野ちゃん的には助かったよね」 
 ジョッキを飲み干した太田さんが、お代わりを注文しながら私に笑いかける。
 時間も部署も不定期だけど、被害者は主に女子社員が多く、彼女らによればブラックアウトは決まってメール画面を開いている時に起きるのだそうだ。最初は日に何度もブラックアウトを起こす人もいた。その内に原因がメールにあるということがわかって、必要最低限でしか使用しない社員が増えたおかげなのか、いつの間にか私への嫌がらせメールも来なくなった。
「私は知っている、か。いったいどういうことなんだろうね?」
 私は知っている──。
 ブラックアウトの直前、パソコン画面に『I know.』という文字が浮かび上がるのだそうだ。
 年末に起きたミステリーに、ゴシップ好きな黒木さんは興味深々な様子だった。
「もしかして、羽田野ちゃんを守るための専務の差し金だったりしてね。」
 ニヤリと口の端を上げた黒木さんにいきなり輝翔さんの名前を出されて、ギョッとした。
「ま、まさか、そんな……」
 そんなことはない、と思う。だって輝翔さんには、私が嫌がらせを受けているという状況は伏せている。いくら輝翔さんが勘の鋭い人だとしても、直接的に顔を合わせる機会の少ない職場でのことなんて知る由もないのだから。
「んで、実際のところはどうなの? 玉の輿一直線なの?」
「──ぶほぉっ!」
 黒木さんに続いて太田さんも身を乗り出してその話に突っ込んでくるので、思わずチューハイを吹き出してしまった。
「な、なにを急に……。ああ、濡れちゃった。ちょっと、お手洗いに行ってきます」
 ナイス、吹き出し。もはや伝統芸。こぼれたお酒を拭うために席を外し、その場からは逃れることに成功した。
 仮に輝翔さんが私の嫌がらせを知っていたとしても、他人のパソコンを遠隔操作するのは、忙しい業務を思えば不可能なことだ。誰の意図かは知らないが嫌がらせが沈静化して助かったことは確かだけれど、輝翔さんとの仲を疑われるのは勘弁してもらいたい。
 第一、私がこんな目に遭うようになったのは輝翔さんのせいなんだから。いくら身にかかる火の粉を払ったとしても、根本は何も変わっていない。身を守るためにも、これ以上社内で輝翔さんとのことを知られないようにするのが一番の得策なんだと思う。
 そりゃ、いつまでも隠し続けておくわけにはいかないし、卑怯なのはわかっている。でも、専属秘書になるというだけであれだけの嫌がらせがあったんだから、もしもお付き合いしていることがばれたらと考えると背筋が寒くなる。太田さんや黒木さんを信用していないわけではないが、やっぱり人の口には戸は立てられない。
 後ろめたさは残っても、やっぱりこの件に関しては他言無用を貫こうと再度心に決めたのは、お手洗いを出てすぐだった。
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