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第3章
2 現れた妃候補
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「とりあえず、お茶をいれるので、どうぞ中へ」
「敵から施しは受けないわ」
「施し!? ただのお茶です」
へレーナはなかなか思い込みの激しい人物らしい。
「そこまでいうなら、店に入ってあげるわ。でも、お茶は飲まないわよ。毒が混ざっていたら困るもの」
長居されては困るけど、こんなところで話すのは、ちょっとした営業妨害である。
それも裏通りの道のど真ん中で、『リアムを奪いにきた』と大声で叫ばれたら、死ぬほど目立つ。
明日には――
『サーラちゃんにライバル出現!(わくわく)』
『リアム様はどっちを選ぶの!?』
――なんて、噂が流れるかもしれない。
「無理に勧めてません。では、これにて」
できれば、ここで面倒そうな相手との関係は終わらせておきたかった(本音)。
へレーナを置いて、先に店の中へ入っていくと、私の後を追いかけてきた。
「ちょ、ちょっとっ! あたしに恐れをなして逃げるつもり?」
「そうですね」
さらっと返答すると、へレーナはつまらなさそうな顔をした。
どうやら、ライバルとライバルの熱い戦いを期待していたらしい。
「おかしいわ。魔道具対決をしたっていうから期待してたのに、なんだかポヤンとしてて、印象が違うわね。おとなしい性格だっていう噂のほうが正しいのかしら?」
私の背後でぶつぶつ文句を言いながら、なにか考え込んでいる。
へレーナが想像していた私と違っていたようだ。
「あ、サーラ。おかえり」
狼獣人のフランは、耳が良く、私の帰りをいち早く察し、出迎えてくれた。
私のお気に入りの茶色の耳が、ぴょこぴょこ動いている。
隙あらば、この耳にぐりぐり顔を押しつけて、もふもふを堪能する。
そして、フランの空色の目が、私を冷たく見つめるというのが、いつもの流れ。
けれど、今日はできなかった。
なぜなら――
「サーラにみんなから贈り物が届いているよ」
「ひっ! こ、これは……」
「ちょっと気が早いけど、お祝いだってさ」
裏通りのみんな、工房の職人たち、狼獣人の一族から婚約祝いの贈り物が届けられ、山を作っていた。
「気が早いにもほどがあります。それに、婚約の話は誤解だって、ずっと言ってるじゃないですか」
みんなは私とリアムの話を聞いていないのに、花を渡されただけで『婚約か!?』と盛り上がっていた。
「おれも違うよって言ったよ。でも、パーティーの時、リアム様が花を手渡したのは事実だったから、否定できなくてさ。それに、えーと……」
フランはパーティー当日の記憶を思い出そうとしているようだった。
「ヒュランデル夫人が、男性が女性に花を贈るのは特別な意味があるって言い出してさ」
「あれは、宮廷魔道具師になったお祝いです!」
「エミリさんが、プロポーズの時くらいだって言ったんだっけ? そしたら、ニルソンさんが、きっとプロポーズだなって」
「犯人は複数いるようですね?」
人から人へ正しく伝えるのが、どれだけ難しいかわかった。
フランの話を聞いていたへレーナが、わなわなと体を震わせた。
「プロポーズ……? リアム様は【魔力なし】の公爵令嬢を妻にするの!?」
「その件については訂正が……」
ショックを受けるへレーナを見て、まだ婚約者というわけではないんですと訂正しようと思った。
だけど――
「あたしよりチビだし、丸顔だし、年下にしか見えない貧乳。リアム様。こんな女のどこがよかったのかしら」
へレーナの暴言に真顔になった。
「これで、あたしと同じ十八歳とか信じられない。どう見ても十六歳以下の間違いでしょ!」
――あっ……! そこまで言いますか?
特に貧乳呼ばわりは聞き捨てならない。
訂正もフォローもしないでおこうと心に決めた。
私も怒る時は怒るのである。
「師匠。おかえりなさい! 贈り物を片付けるの手伝います」
「ラーシュ、ありがとうございます」
可愛い笑顔を浮かべ、奥の工房から出てきたのは、ルーカス様の息子であるラーシュ。
ラーシュは母親譲りの銀髪と青い目を持つ綺麗な顔立ちの男の子だ。
私がラーシュの可愛さに浄化されていると、へレーナはクスッと笑った。
「誰かと思ったら、失脚したノルデン公爵の孫のラーシュじゃない」
「へレーナさん。お久しぶりです」
紳士的なラーシュに対して、へレーナは違っていた。
「母親は幽閉、祖父は流刑。ノルデン公爵家は領地をほとんど王家に没収されて、落ちぶれたそうね」
「母の実家が大変だということは知っています。けれど、罪を償うために、必要なことだと、おじいさまとおばあさまからお聞きしました」
おじいさまとおばあさまというのは、国王陛下と王妃様のことだ。
――ラーシュの聡明さに、へレーナもきっと驚くでしょう。
しっかりしたラーシュの受け答えに、私は師匠として誇らしく、感心していたけれど、へレーナはそうではなかった。
「【魔力なし】の孫を王宮から追い出す理由ができて喜んでいるわよ」
「そんなことありません! 国王陛下と王妃様はラーシュが王宮を去って、とても寂しく思ってます!」
強い口調で否定した私をヘレーナはくすりと笑った。
「ご存じ? ヴィフレア王家から、【魔力なし】が出たのは初めてよ。王家の恥だって、お父様は言ってたわ」
ラーシュは下を向き、ぎゅっと唇を噛んだ。
そんなラーシュをフランがかばう。
「ラーシュは恥なんかじゃないぞ! 魔道具師見習いとして、ここで修行中だし、剣の腕もすごいんだからな!」
フランの言葉にラーシュは顔をあげて、恥ずかしそうに笑った。
私がホッとしていると、ヘレーナは声をたてて笑いだした。
「情けないわねぇ。獣人ごときにかばわれて喜ぶなんて! 獣人が対等な態度で、口をきくなんて信じられないわ」
「ラーシュはお前とは違うんだよ」
「生意気ね!」
へレーナが魔石のついた剣の束に、手を触れさせた瞬間、ラーシュがサッと前に出る。
「師匠、フラン先輩。ぼくのことは気にしないでください。これくらい慣れているので平気です」
ラーシュは争いを止めるため、私とフランに微笑んでみせた。
そのラーシュの落ち着いた態度に、他家の子息や令嬢から馬鹿にされたり、嫌がらせを受けるのは、初めてではないとわかった。
「いいえ。ラーシュ。平気ではありません」
私の様子が変わったことに、ヘレーナは気づき、警戒して後ろへ下がる。
「ラーシュもフランも私にとって、大切な存在です。馬鹿にされるのが、慣れているなんて、この先、絶対に言わせません!」
店内にいるお客様たちも集まってきて、へレーナに言った。
「そうだぞ! 何様なのか知らないが、ラーシュ様にひどいことを言うな!」
「ラーシュ様は嫌な顔ひとつせず、どんなものでも【修復】依頼を引き受けてくださる立派な方だよ!」
「フラン君だって。優しいし、とってもカッコいいんだからっ!」
店のアイドルであるラーシュとフラン。
二人を馬鹿にした罪は大きく、人がどんどん集まってきた。
人々の怒りを感じたへレーナは焦りだした。
「これが真の力! とんでもない女だわ。あなたは人心を惑わす恐ろしい悪女ね!」
「真の力? 惑わす……? 悪女?」
なにを言っているかわからず、首をかしげると、へレーナはぎろりとこちらをにらんできた。
さっきまで子供呼ばわりしていたくせに、突然の悪女呼び。
少なくとも、年齢と立場はグレードアップされたみたいだった。
「あたしはこの悪女を倒し、リアム様を救い出す!」
「リアムは自由で、私にまったく囚われていませんけど……」
「待っていてくださいね! リアム様っ!」
へレーナの中では、完全に私は悪者で、なにを言っても聞いてもらえそうにない。
「これから、あたしはアールグレーン公爵家の恐ろしい悪女と争うのね」
「アールグレーン公爵家とは縁を切ってます」
「リアム様の妃の座をめぐるライバル同士の熱い戦いが始まる!」
「いえ。私はまったく熱くないですし、とても冷静です」
ヘレーナは一人で盛り上がり、なにを言っても聞いてもらえない。
マイワールドに突入している。
「あたしとあなたはライバルよ!」
指を突きつけ、ライバル宣言されてしまった。
「押し倒してでも、リアム様をモノにしてみせるわ」
「押し倒して!?」
剣を使うへレーナの鍛えられた筋肉には説得力があった。
押し倒されたリアムを想像してみる――悪くない。
「ぜひ見たいですね。最強と呼ばれ、余裕たっぷりの彼。そんな彼が女性に押し倒される! いつもは生意気な彼が慌てるなんて……美味しい。ごちそうさまでした」
「は? なにを言ってるの? もしかして変態?」
「そうだぞ」
味方のはずのフランが、へレーナの『変態』の発言を肯定する。
「サーラは変態だ。油断すると耳に顔を埋められて、匂いをかがれる」
「変態!」
「ちょ、ちょっとやめてください。私の名誉にかかわります! フランの茶色の耳って、もふもふしてるんですよ!? もふもふに逆らえないでしょう!」
「こんな変態に、リアム様を奪われるわけにはいかないわ」
フランをもふもふした罪は重く、へレーナのライバル心を煽ってしまったようだ。
「氷の中に閉じ込められていた間、リアム様が一番親しかった女性はあたしよ!」
氷の中に閉じ込められて十年。
へレーナは十年前の当時、八歳である。
「うん。八歳……。八歳のレディですか……。まあ、そうですね」
「なっ!? 余裕? 余裕ぶっていられるも今のうちだけよ。あたしはこれから、王宮に住むの」
へレーナは羨ましいでしょという顔をして言った。
「一度、ルーカス様の妃になったあなたなら、それがなにを意味するかわかるわよね?」
「リアムの妃候補の一人として、王宮で暮すということですか」
「そうよ」
私とへレーナのやり取りを傍観していたお客様たちが、ざわめいた。
「四大公爵家の令嬢相手じゃ、リアム様でも冷たくできないわよ」
「サーラちゃんも王宮へ行くのかしら? リアム様を奪われるわけにはいかないものね」
「でも、王宮へ行ってしまったら、このお店はどうなるの?」
不安な声が広がる。
私はきっぱり言い切った。
「私は商会の女主人ですから、ここを離れません」
へレーナの笑い声が響いた。
「あなたが油断している間に、あたしはリアム様の妃の座を奪えそうだわ。せいぜい頑張ってね。女主人さん?」
言うだけ言って、へレーナは私に背中を向けた。
「そうそう。ルーカス様の妃はサンダール家が狙ってるわ。今のあなたはサンダール家とフォルシアン家を敵に回しているの。それを忘れないでね?」
――それって、私の命を狙ってるってことですか?
先日のノルデン公爵家の暗殺騒ぎを思い出し、背筋が寒くなった。
フランがへレーナと私の間に入る。
「サーラはおれが守る」
「ぼくだって!」
フランとラーシュは、へレーナをにらんだ。
「この裏通りで、好きにできると思うな!」
「そうだ! 何度でも撃退してやる!」
近所の人たちまで、騒ぎを聞いて駆けつけてきてくれた。
この裏通りで、私を暗殺するのは不可能だと、ノルデン公爵家の一件で他の公爵家も思い知っているはずだ。
「生意気な連中ね! お父様に言って、罰してやるんだから!」
――十年前、サーラは誰にも助けを求められなかった。
ルーカス様の妃に決まり、周囲は彼女を敵視した。
実家は守ってくれるけど、冷たい態度と道具扱い。
夫のルーカス様は他の女と浮気……そして、氷漬けにされて殺された。
私はリアムにも感謝してるけど、体をくれたサーラにも感謝している。
だから、せめて、サーラを氷の中に閉じ込めた犯人だけは捕まえたいのだ。
ぎゅっと拳を握りしめ、前を向いた。
「誰を敵に回したとしても、十年前とは違います。簡単に殺されるとは思わないでくださいね」
そう言い放った私に、へレーナは戸惑いの表情を浮かべた。
「誰も暗殺するなんて言ってないわ。おとなしいって聞いてたけど、全然違うわね」
「そうですね。氷の中から生還したので、吹っ切れました」
「そう。今日は挨拶だけだったけど、次は違うわ。覚悟しておきなさい」
分が悪いと感じたのか、ヘレーナはそんな捨て台詞を残して、慌てて店から出ていった。
――これはルーカス様の妃候補になった時と同じ状況では?
気づけば、十年前と同じ状況に立たされていた。
――これは、好都合かもしれません。私がリアムの婚約者になると聞いて、犯人は焦るはず。
ヘレーナのように、【魔力なし】の私が王子の妃になることに反対している人なら、十年前と同じように命を狙って、私の前に現れるかもしれない。
少なくとも、一度は妃の座を失った私が、リアムと婚約したと知ったら、心穏やかではいられないと思う。
――うまくいけば、犯人を誘き寄せることができる。
氷の中に閉じ込めた犯人を!
「敵から施しは受けないわ」
「施し!? ただのお茶です」
へレーナはなかなか思い込みの激しい人物らしい。
「そこまでいうなら、店に入ってあげるわ。でも、お茶は飲まないわよ。毒が混ざっていたら困るもの」
長居されては困るけど、こんなところで話すのは、ちょっとした営業妨害である。
それも裏通りの道のど真ん中で、『リアムを奪いにきた』と大声で叫ばれたら、死ぬほど目立つ。
明日には――
『サーラちゃんにライバル出現!(わくわく)』
『リアム様はどっちを選ぶの!?』
――なんて、噂が流れるかもしれない。
「無理に勧めてません。では、これにて」
できれば、ここで面倒そうな相手との関係は終わらせておきたかった(本音)。
へレーナを置いて、先に店の中へ入っていくと、私の後を追いかけてきた。
「ちょ、ちょっとっ! あたしに恐れをなして逃げるつもり?」
「そうですね」
さらっと返答すると、へレーナはつまらなさそうな顔をした。
どうやら、ライバルとライバルの熱い戦いを期待していたらしい。
「おかしいわ。魔道具対決をしたっていうから期待してたのに、なんだかポヤンとしてて、印象が違うわね。おとなしい性格だっていう噂のほうが正しいのかしら?」
私の背後でぶつぶつ文句を言いながら、なにか考え込んでいる。
へレーナが想像していた私と違っていたようだ。
「あ、サーラ。おかえり」
狼獣人のフランは、耳が良く、私の帰りをいち早く察し、出迎えてくれた。
私のお気に入りの茶色の耳が、ぴょこぴょこ動いている。
隙あらば、この耳にぐりぐり顔を押しつけて、もふもふを堪能する。
そして、フランの空色の目が、私を冷たく見つめるというのが、いつもの流れ。
けれど、今日はできなかった。
なぜなら――
「サーラにみんなから贈り物が届いているよ」
「ひっ! こ、これは……」
「ちょっと気が早いけど、お祝いだってさ」
裏通りのみんな、工房の職人たち、狼獣人の一族から婚約祝いの贈り物が届けられ、山を作っていた。
「気が早いにもほどがあります。それに、婚約の話は誤解だって、ずっと言ってるじゃないですか」
みんなは私とリアムの話を聞いていないのに、花を渡されただけで『婚約か!?』と盛り上がっていた。
「おれも違うよって言ったよ。でも、パーティーの時、リアム様が花を手渡したのは事実だったから、否定できなくてさ。それに、えーと……」
フランはパーティー当日の記憶を思い出そうとしているようだった。
「ヒュランデル夫人が、男性が女性に花を贈るのは特別な意味があるって言い出してさ」
「あれは、宮廷魔道具師になったお祝いです!」
「エミリさんが、プロポーズの時くらいだって言ったんだっけ? そしたら、ニルソンさんが、きっとプロポーズだなって」
「犯人は複数いるようですね?」
人から人へ正しく伝えるのが、どれだけ難しいかわかった。
フランの話を聞いていたへレーナが、わなわなと体を震わせた。
「プロポーズ……? リアム様は【魔力なし】の公爵令嬢を妻にするの!?」
「その件については訂正が……」
ショックを受けるへレーナを見て、まだ婚約者というわけではないんですと訂正しようと思った。
だけど――
「あたしよりチビだし、丸顔だし、年下にしか見えない貧乳。リアム様。こんな女のどこがよかったのかしら」
へレーナの暴言に真顔になった。
「これで、あたしと同じ十八歳とか信じられない。どう見ても十六歳以下の間違いでしょ!」
――あっ……! そこまで言いますか?
特に貧乳呼ばわりは聞き捨てならない。
訂正もフォローもしないでおこうと心に決めた。
私も怒る時は怒るのである。
「師匠。おかえりなさい! 贈り物を片付けるの手伝います」
「ラーシュ、ありがとうございます」
可愛い笑顔を浮かべ、奥の工房から出てきたのは、ルーカス様の息子であるラーシュ。
ラーシュは母親譲りの銀髪と青い目を持つ綺麗な顔立ちの男の子だ。
私がラーシュの可愛さに浄化されていると、へレーナはクスッと笑った。
「誰かと思ったら、失脚したノルデン公爵の孫のラーシュじゃない」
「へレーナさん。お久しぶりです」
紳士的なラーシュに対して、へレーナは違っていた。
「母親は幽閉、祖父は流刑。ノルデン公爵家は領地をほとんど王家に没収されて、落ちぶれたそうね」
「母の実家が大変だということは知っています。けれど、罪を償うために、必要なことだと、おじいさまとおばあさまからお聞きしました」
おじいさまとおばあさまというのは、国王陛下と王妃様のことだ。
――ラーシュの聡明さに、へレーナもきっと驚くでしょう。
しっかりしたラーシュの受け答えに、私は師匠として誇らしく、感心していたけれど、へレーナはそうではなかった。
「【魔力なし】の孫を王宮から追い出す理由ができて喜んでいるわよ」
「そんなことありません! 国王陛下と王妃様はラーシュが王宮を去って、とても寂しく思ってます!」
強い口調で否定した私をヘレーナはくすりと笑った。
「ご存じ? ヴィフレア王家から、【魔力なし】が出たのは初めてよ。王家の恥だって、お父様は言ってたわ」
ラーシュは下を向き、ぎゅっと唇を噛んだ。
そんなラーシュをフランがかばう。
「ラーシュは恥なんかじゃないぞ! 魔道具師見習いとして、ここで修行中だし、剣の腕もすごいんだからな!」
フランの言葉にラーシュは顔をあげて、恥ずかしそうに笑った。
私がホッとしていると、ヘレーナは声をたてて笑いだした。
「情けないわねぇ。獣人ごときにかばわれて喜ぶなんて! 獣人が対等な態度で、口をきくなんて信じられないわ」
「ラーシュはお前とは違うんだよ」
「生意気ね!」
へレーナが魔石のついた剣の束に、手を触れさせた瞬間、ラーシュがサッと前に出る。
「師匠、フラン先輩。ぼくのことは気にしないでください。これくらい慣れているので平気です」
ラーシュは争いを止めるため、私とフランに微笑んでみせた。
そのラーシュの落ち着いた態度に、他家の子息や令嬢から馬鹿にされたり、嫌がらせを受けるのは、初めてではないとわかった。
「いいえ。ラーシュ。平気ではありません」
私の様子が変わったことに、ヘレーナは気づき、警戒して後ろへ下がる。
「ラーシュもフランも私にとって、大切な存在です。馬鹿にされるのが、慣れているなんて、この先、絶対に言わせません!」
店内にいるお客様たちも集まってきて、へレーナに言った。
「そうだぞ! 何様なのか知らないが、ラーシュ様にひどいことを言うな!」
「ラーシュ様は嫌な顔ひとつせず、どんなものでも【修復】依頼を引き受けてくださる立派な方だよ!」
「フラン君だって。優しいし、とってもカッコいいんだからっ!」
店のアイドルであるラーシュとフラン。
二人を馬鹿にした罪は大きく、人がどんどん集まってきた。
人々の怒りを感じたへレーナは焦りだした。
「これが真の力! とんでもない女だわ。あなたは人心を惑わす恐ろしい悪女ね!」
「真の力? 惑わす……? 悪女?」
なにを言っているかわからず、首をかしげると、へレーナはぎろりとこちらをにらんできた。
さっきまで子供呼ばわりしていたくせに、突然の悪女呼び。
少なくとも、年齢と立場はグレードアップされたみたいだった。
「あたしはこの悪女を倒し、リアム様を救い出す!」
「リアムは自由で、私にまったく囚われていませんけど……」
「待っていてくださいね! リアム様っ!」
へレーナの中では、完全に私は悪者で、なにを言っても聞いてもらえそうにない。
「これから、あたしはアールグレーン公爵家の恐ろしい悪女と争うのね」
「アールグレーン公爵家とは縁を切ってます」
「リアム様の妃の座をめぐるライバル同士の熱い戦いが始まる!」
「いえ。私はまったく熱くないですし、とても冷静です」
ヘレーナは一人で盛り上がり、なにを言っても聞いてもらえない。
マイワールドに突入している。
「あたしとあなたはライバルよ!」
指を突きつけ、ライバル宣言されてしまった。
「押し倒してでも、リアム様をモノにしてみせるわ」
「押し倒して!?」
剣を使うへレーナの鍛えられた筋肉には説得力があった。
押し倒されたリアムを想像してみる――悪くない。
「ぜひ見たいですね。最強と呼ばれ、余裕たっぷりの彼。そんな彼が女性に押し倒される! いつもは生意気な彼が慌てるなんて……美味しい。ごちそうさまでした」
「は? なにを言ってるの? もしかして変態?」
「そうだぞ」
味方のはずのフランが、へレーナの『変態』の発言を肯定する。
「サーラは変態だ。油断すると耳に顔を埋められて、匂いをかがれる」
「変態!」
「ちょ、ちょっとやめてください。私の名誉にかかわります! フランの茶色の耳って、もふもふしてるんですよ!? もふもふに逆らえないでしょう!」
「こんな変態に、リアム様を奪われるわけにはいかないわ」
フランをもふもふした罪は重く、へレーナのライバル心を煽ってしまったようだ。
「氷の中に閉じ込められていた間、リアム様が一番親しかった女性はあたしよ!」
氷の中に閉じ込められて十年。
へレーナは十年前の当時、八歳である。
「うん。八歳……。八歳のレディですか……。まあ、そうですね」
「なっ!? 余裕? 余裕ぶっていられるも今のうちだけよ。あたしはこれから、王宮に住むの」
へレーナは羨ましいでしょという顔をして言った。
「一度、ルーカス様の妃になったあなたなら、それがなにを意味するかわかるわよね?」
「リアムの妃候補の一人として、王宮で暮すということですか」
「そうよ」
私とへレーナのやり取りを傍観していたお客様たちが、ざわめいた。
「四大公爵家の令嬢相手じゃ、リアム様でも冷たくできないわよ」
「サーラちゃんも王宮へ行くのかしら? リアム様を奪われるわけにはいかないものね」
「でも、王宮へ行ってしまったら、このお店はどうなるの?」
不安な声が広がる。
私はきっぱり言い切った。
「私は商会の女主人ですから、ここを離れません」
へレーナの笑い声が響いた。
「あなたが油断している間に、あたしはリアム様の妃の座を奪えそうだわ。せいぜい頑張ってね。女主人さん?」
言うだけ言って、へレーナは私に背中を向けた。
「そうそう。ルーカス様の妃はサンダール家が狙ってるわ。今のあなたはサンダール家とフォルシアン家を敵に回しているの。それを忘れないでね?」
――それって、私の命を狙ってるってことですか?
先日のノルデン公爵家の暗殺騒ぎを思い出し、背筋が寒くなった。
フランがへレーナと私の間に入る。
「サーラはおれが守る」
「ぼくだって!」
フランとラーシュは、へレーナをにらんだ。
「この裏通りで、好きにできると思うな!」
「そうだ! 何度でも撃退してやる!」
近所の人たちまで、騒ぎを聞いて駆けつけてきてくれた。
この裏通りで、私を暗殺するのは不可能だと、ノルデン公爵家の一件で他の公爵家も思い知っているはずだ。
「生意気な連中ね! お父様に言って、罰してやるんだから!」
――十年前、サーラは誰にも助けを求められなかった。
ルーカス様の妃に決まり、周囲は彼女を敵視した。
実家は守ってくれるけど、冷たい態度と道具扱い。
夫のルーカス様は他の女と浮気……そして、氷漬けにされて殺された。
私はリアムにも感謝してるけど、体をくれたサーラにも感謝している。
だから、せめて、サーラを氷の中に閉じ込めた犯人だけは捕まえたいのだ。
ぎゅっと拳を握りしめ、前を向いた。
「誰を敵に回したとしても、十年前とは違います。簡単に殺されるとは思わないでくださいね」
そう言い放った私に、へレーナは戸惑いの表情を浮かべた。
「誰も暗殺するなんて言ってないわ。おとなしいって聞いてたけど、全然違うわね」
「そうですね。氷の中から生還したので、吹っ切れました」
「そう。今日は挨拶だけだったけど、次は違うわ。覚悟しておきなさい」
分が悪いと感じたのか、ヘレーナはそんな捨て台詞を残して、慌てて店から出ていった。
――これはルーカス様の妃候補になった時と同じ状況では?
気づけば、十年前と同じ状況に立たされていた。
――これは、好都合かもしれません。私がリアムの婚約者になると聞いて、犯人は焦るはず。
ヘレーナのように、【魔力なし】の私が王子の妃になることに反対している人なら、十年前と同じように命を狙って、私の前に現れるかもしれない。
少なくとも、一度は妃の座を失った私が、リアムと婚約したと知ったら、心穏やかではいられないと思う。
――うまくいけば、犯人を誘き寄せることができる。
氷の中に閉じ込めた犯人を!
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だからずっと、支えてきたのだ。
貴方に被せられた汚名も、寝る間も惜しんで捧げてきた苦労も全て無視をして……
もう振り向いてくれない貴方のため、人生を捧げていたのに。
「君は王妃に相応しくはない」と一蹴して、貴方は私を捨てる。
胸を穿つ悲しみ、耐え切れぬ悔しさ。
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