離縁された妻ですが、旦那様は本当の力を知らなかったようですね?

椿蛍

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第3章

8 これは仕返しですか?

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「リアム様を頼るなんて卑怯よっ!」
「卑怯って……。そっちは兵士を連れてるじゃないですか」

 しかも、人数でいえば向こうのほうが圧倒的に多い。
 温度を感じさせないリアムの青い目が、へレーナと兵士に向けられる。
 どれだけ怖いのか、あちらは怯えた様子で後ずさった。
 リアムはゆっくりと視線を動かし、市場の惨状を確認する。

「へレーナ。誰がお前にこれを許した」
「あたしはただ妃候補として、リアム様のお仕事を手伝っただけですわ!」
「手伝い? これが俺の手伝いだと? サーラを捕まえようとしたことも?」
「あたしの仕事の邪魔をしたからですわ」

 それを聞いた獣人や市場の人たちは、へレーナを非難した。

「仕事を邪魔したのはそっちだ!」
「俺は荷馬車の荷台を焼かれた」
「うちは商品を並べたワゴンを壊されたよ」
「修理代も馬鹿にならん! どうしてくれるんだ!」

 怒りが暴動に変わりそうな雰囲気に、慌てたのか、ヘレーナが魔石のついたブレスレットに触れる。

 ――まさか魔術を使う気?

 それを察したリアムは詠唱を必要としない風魔法を使い、ヘレーナの手を弾く。
 小さなかまいたちとはいえ、ヘレーナがはめていた手袋が破れた。
 ヘレーナの目が、キッとリアムをにらみつけた。

「リアム様はフォルシアン公爵令嬢であるあたしではなく、こんな暴言を吐く者たちをかばうのですか?」
「俺は立場に関係なく、自分が正しいと思ったほうを選ぶ」

 リアムが味方してくれると知り、人々の気持ちはひとまず落ち着いた。
 ハンマーの柄を握る私の手に、リアムの手が重なる。
 必要ないと言うことだと思い、構えていたハンマーを下ろす。

「俺に魔法ではなく、魔術を使われたくないのであれば、今すぐ王宮へ戻り、自室で処罰を待て」

 魔術での攻撃は魔法よりも威力がある。
 リアムの脅しに、ヘレーナが屈するだろうと誰もが思った。
 けれど――

「罰? あたしを罰するなんて、リアム様にはできませんわ」

 へレーナは楽しげな口調でリアムに言った。

「どういう意味だ?」
「ルーカス様から、市場の撤去について許可をいただいておりますの」

 へレーナはルーカス様のサインが入った承諾書を私たちに見せた。
 そこには『王都にふさわしくない不衛生な市場の撤去を許可する』と書かれている。

「小汚い市場を綺麗にしたいと言ったら、喜んでサインしてくださいましたわ!」

 王家の紋章が入った承諾書。
 第一王子のルーカス様のサインは本物で、王宮もこれを認めたことになる。
 この命令を無効にするには、さらに上の国王陛下か王妃様のサインが必要だ。
 もしくは、リアムが宮廷魔術師長として王宮に異議を申し立てるか……
 でも、その場合、緊急時を除き、承認されるまで時間がかかる。

「俺たちの市場がなくなってしまうのか」
「明日から、どこで買い物をすればいいの?」

 途方に暮れた人々に、私はなにもできなかった。
 私に第一王子の命令を無効にする力はない。

 ――でも、みんなの生活がかかってる。どうしたらいいの?

 私の心を見透かしたかのように、へレーナが笑う。

「【魔力なし】のサーラができることなんて、たかがしれているのよ。ここは魔術師の国。平民や獣人が、好き勝手に商売ができると思わないことね!」

 魔術師の国だと、声高に宣言したへレーナ。
 それを聞いたリアムの顔に、怒りの色が浮かぶ。

「なるほど。これは俺への仕返しでもあるのか」

 リアムのパーティーでの発言が、フォルシアン公爵の怒りを買い、その仕返しとして獣人が働く場を奪おうとしているのだと気づいた。

「仕返しではありません。リアム様のためです。貴族を敵に回せば、大変なことになるとおわかりいただけたはず」

 リアムが発言を撤回し、自分の非を認めないと、嫌がらせはずっと続くということだろうか。
 へレーナはルーカス様からもらった承諾書をなびかせた。

「リアム様。あたしを王宮へ送っていただけないかしら?」
 
 リアムがエスコートしやすいようにか、ヘレーナはスッと手を差し出す。

「断る」

 即答されたヘレーナは、ムッとした表情を浮かべた。

「送ってくださったら、この承諾書を取り下げでもいいのよ?」
 
 さすがにここまで言われたら、リアムはへレーナを王宮まで送るのではと、全員が思った。
 けれど、リアムは甘くなかった。

「簡単に取り下げられると思っているのか?」
「どういうことですの?」
「兄上は必ず見返りを求める。そのサインの見返りは、フォルシアン公爵家の自分への協力だ」
「協力……?」

 へレーナはそこまで考えていなかったのか、驚いた表情で承諾書を見る。

「王宮へ戻り、兄上に聞いてみるといい。それを理由に自分の望みを要求してくるはずだ」
「で、でも、ルーカス様は快く協力してくれて……」
「自分の手駒が増えてよかったと思っているだろうな」
「手駒……あたしが手駒?」

 へレーナは動揺し、パニックになっている。
 それをリアムは無感情で眺めていた。

 ――リアムを怒らせると、無口でなにを考えてるかわからない男から、冷血漢へ進化するんですね。

 気をつけようと思っていると、リアムは私の心が読んだのか、じろりとこちらをにらんできた。

「私は味方! み・か・たですよ?」

 恐ろしいことに、リアムは味方の私にまで牙を向けてきた。
 へレーナは慌てふためき、兵士たちに命じる。

「王宮へ戻るわよ! 早くして!」
「へレーナ様? 市場はどうするんですか?」
「まだ撤去が完了しておりませんが?」
「残りは明日よ! また来ればいいでしょ!」
 
 ヘレーナの行動は早かった。
 馬術の腕も鍛えられているのか、さっと馬に乗り、急いで王宮へ戻っていった。
 兵士たちが焦って、その後を追う。
 馬のひづめの音が、市場から遠ざかり、これ以上、破壊される心配はなくなった。

「とりあえず、帰ってくれましたね」
「だが、嫌がらせは止まらない。これは俺がフォルシアン公爵を怒らせたせいだ」

 リアムの表情は変わらなかったけれど、後悔する気持ちが伝わってきた。

「リアムは自分の気持ちを言わなければよかったと思ってるんですか?」
「ああ」

 リアムが自分の気持ちを口にしない理由は、自分のせいで誰かが傷ついたり、苦しんだりするのが嫌だからだ。
 今回のように、嫌がらせを受けたのは、きっと初めてじゃない。
 兄であるルーカス様は、リアムが欲しいと思ったものを奪い、強大な魔力を妬む魔術師たちは邪魔をする。
 
 ――天才と呼ばれていても恵まれているわけじゃないんですね。

 私は魔道具師の道具をウエストポーチから取り出すと、スキル【修復】で、焦げた荷台を元通りにした。

「サーラちゃん! ありがとう!」
「助かるよ!」

 元気がなかった人々に笑顔が戻る。

「壊れた物は、私とラーシュで【修復】します。安心してください」

 すぐに市場を再開できなくても、壊れたものを【修復】することはできる。

「エヴェルさん。明日、ヘレーナが兵士を連れてまたやってくるでしょう。その前に、市場にあるものをすべて避難させたいのですが、手伝ってもらえますか?」
「もちろんです」

 エヴェルさんは他の狼獣人たちに声をかけ、店を一時的に解体していく。
 重い荷物も軽々運べるから、今日中に避難できそうだ。
 狼獣人のみんなは、お礼に果物や野菜をもらい、しばらく食べるものに困ることはないだろう。
 それは貴族たちが知らない王都の姿だ。

「私はリアムが王様になったら、どんな国にしたいか聞けてよかったです。【魔力なし】も獣人もヴィフレア王国で楽しく暮らしていけたらって、私も思ってます」

 リアムは無言だった。
 ふたたび自分の気持ちを隠してしまったリアム。
 貴族たちの変化を諦めたリアムが、このまま王になったら――不吉な予感がして、首を横を振った。

「リアム! 私は市場の再開に向けて、なにができるか考えます! 私の諦めの悪さは、知っているでしょう?」
「しぶとさもな」

 憎まれ口を叩けるなら、まだ大丈夫そうだ。
 リアムが少し笑った気がして、ほっとした。
 
 ――でも、安心はしていられない。

 へレーナの口ぶりだと、明日からまたやってくるようだったし、市場以外を破壊されないとも限らない。
 それに、狼獣人たちの働く場所を考えなくてはならなかった。

「ようやく暮らしも楽になり、一族の人間を奴隷商人に売らなくて済むようになった矢先にこれか」
「市場の人たちにも、やっと馴染んできたのに……」

 狼獣人たちの落胆する気持ちは、私にもわかる。
 裏通りの市場とはいえ、獣人が王都に店を持つのは、これが初めてのことだった。
 市場の人たちは嫌な顔ひとつせず、受け入れてくれた。
 エヴェルさんが不安そうに、私に尋ねた。

「サーラ様。傭兵ギルドにあるカフェは大丈夫でしょうか?」
「そうですね。市場が再開するまでは、傭兵ギルドの手伝いをして、彼女たちを守ってください」
「はい」

 市場に店を出せないため、収入は傭兵ギルドのカフェと宿舎の手伝い、食堂の経営だけに限られる。
 傭兵ギルドの中にあるから、兵士たちも簡単に手は出せないだろう。
 けれど、フォルシアン公爵家が竜や魔獣を警戒し、常に兵力を維持しているのであれば、油断は禁物。
 きっと多くの兵力を保有し、凄腕の傭兵たちを雇っているに違いない。
 貴族に雇われるのは、腕のたつ奴隷や傭兵である。

 ――でも、へレーナと一緒にいた兵は、傭兵ではなく、フォルシアン公爵家の正規の兵でしたね。

 しっかりした鎧と馬を持っていたことを考えたら、お金欲しさにフォルシアン公爵家に仕えている貴族の息子かもしれない。
 貴族だからこそ、リアムの発言が面白くなくて、フォルシアン公爵家に同調したと思われる。

「リアム。少し気になったことがあって……」
「なんだ?」
「フォルシアン公爵家の兵士ですが、魔獣や竜と戦うのは、別の兵士でしょうか?」
「気づいたか」
「身なりが良すぎます」

 貴族のお坊っちゃまたちが、竜に向かっていく姿を想像できなかったのである。

「最近では、公爵家の一族は戦わず、傭兵を雇っている」

 フォルシアン公爵家の一族が、体を鍛えているのは見てわかった。
 でも、汚れひとつないピカピカの鎧は新品そのもの。
 違和感がありすぎた。

「フォルシアン家は金で傭兵を雇い、腕のたつ奴隷を買っている。いつ死んでもいいようにな」
「でも、傭兵だけでは無理でしょう?」
「いざとなったら、傭兵を囮にして背後から魔術を撃つ」
「そんな……」

 リアムで感覚が麻痺しているけれど、魔術を連続で使える魔術師は滅多にいない。
 魔力を増幅させたり、精霊を呼び出したりするには、補助的な魔道具を必要とする。
 多少なりとも時間がかかるのだ。

「ひどいですね……。でも、捨て駒にされるってわかっているのに、傭兵が集まるんですか?」
「報酬がでかいからな。多くの借金を抱えた者が、集まると聞く」

 死と引き換えですよと言いかけて、言葉をのみ込んだ。
 家族を助けるため、お金を必要としていたフランを思い出したからだ。
 まだフランのお父さんもお兄さんも見つかっていない。
 考え込んで黙った私に、市場の人たちが言った。

「サーラちゃん。市場が早く再開できるように頼むよ」
「サーラちゃんも知っているでしょう? 私たちの稼ぎじゃ大通りの商品は高くて買えないの」

 市場で商売を営む人だけでなく、買い物客も集まって、ショックを受けている。
 
「なんとかしないと……」
「そうだな。だが、よりにもよって兄上が関わっているのか。面倒なことになったな」

 ヘレーナの様子からいって、ルーカス様とフォルシアン公爵家は協力関係ではない。
 ルーカス様はリアムが指名される前に、四大公爵を味方につけ、利用しようとしているのだろうか……

 ――ルーカス様はまだ王位を諦めていない。

 フォルシアン公爵は力の強いリアムを王にしたいという気持ちがある。
 だから、簡単にルーカス様になびくとは思えないけど、ヘレーナとの結婚を断れば、どうなるかわからない。

「フォルシアン公爵令嬢か。兄上の結婚相手になればいいものを」
「えっ!? どうなるかわからないのは、フォルシアン公爵の命ですか?」

 リアムが言うと冗談に聞こえない……冗談じゃないのだろうけど。

「面倒だからって、まとめて潰そうとしないでください」

 一応、釘にならない釘をさしておく。
 冷血漢から、魔王へ進化するリアム。
 敵を力でねじ伏せようとするスタイルは、今日も絶好調ノリノリでる気満タンである。

「とりあえず、リアム。店に帰って今後の(穏便な)作戦を考えましょう。力だけでは、憎しみしか生み出しませんよ?」
「煙突を一撃で【粉砕】するハンマーを持ったお前に言われてもな」
「傘ですよ」

 スッと傘のようにハンマーを持って誤魔化した。

「なにが傘だ! 苦しい言い逃れをするな。どう見てもハンマーだ」
「傘にもなるんです!」
「今日は快晴だ」
「にわか雨が降るかもしれないじゃないですか」

 そんな言い争いをしながら、店へ戻ろうとすると、道の真ん中で絶望する男性が一人ただずんでいた。
 その男性は両手を広げ、市場に向かって叫んだ。

「これはどういうことだ! からあげはどこだ!」

 どうやら、からあげ店の大ファンのようだ。
 絶望している人は、この辺では見かけない雰囲気を漂わせ、金髪に金の瞳をしている。
 不思議な空気を持つ男性で、異国風の服装をしていた。
 頭に布を巻き、魔石ではなく、普通の宝石を身につけていることから、ヴィフレア人ではないと思った。

「あのー……。すみません。実は市場が破壊されてしまいまして、しばらく店を開けそうにないんです」
「破壊された? いったい誰がそんな真似を?」

 金色の瞳が狂暴に光った。
 その瞳に気圧されてしまう。

「え、えーと。国のルールというか、なんというか……」
「国? なんと愚かな国か!」

 あまりの衝撃に耐えきれず、地面に膝をつけ、声を張り上げた。

「そこまでか?」
「リアム。やめてください。食べ物に執着しない人にはわからないんですよ」

 私には彼の気持ちが痛いほどわかる。

「なんとか再開できるよう頑張りますから、また来てください」
「本当か?」
「はい」
「そうか。わかった……。早く再開されることを願っている」

 どこか気品が漂う異国の人は、そう言って去っていった。

「からあげの魔術師に囚われた子羊が、行き場を失って迷子になってますね」
「迷子になっているのはお前の思考だ。なにが囚われた子羊だ。あの男は子羊じゃない。あれは……」
「お客様に失礼なことを言わないでください」

 リアムが私になにか言おうとしていたのを遮った。

「買ってくれるなら、どんな方でもお客様。関係ありません」
「まあ、俺は構わないが……」

 からあげを食べれなかった男性の背中が泣いている。
 
「リアム。市場の再開に向けて頑張りましょう!」
「頑張るのはいいが、無茶はするなよ」
「わかってます!」
「……どうだろうな」

 リアムの視線は、私のハンマーへ向けられていた。
 多少の無理はしかたない。
 すでに私は、ルーカス様の承諾書を無効にする方法を考えていたのだった。
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