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第4章
26 秘密の話
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「ちょっ……!? 私の魔道具は魔獣を殺す用じゃないですからね!?」
「お前、俺をなんだと思っているんだ」
リアムは私がやったのと同じように、銃口を太陽に向けた。
私が使った時は、魔石が少しきらめいた程度だったのに、リアムの時は銃の魔石が美しく輝いていた。
【雨】の魔石から雨粒状の青い光が散り、空気に水が浸透したかのように見える。
リアムは魔石が持つ本来の力を引き出し、魔術を使った。
「【風の乙女】」
『それは幻影。風を奏で大地に響かせる。幽閉された乙女は風に焦がれる』
長い緑色の髪を持つ乙女が現れ、陽色の瞳を空へ向けた。
妖精のような姿をし、手には【竪琴】を持っている。
シルフィーネがひとつ音色を奏でると、風が起きて、【雨】がさらに遠くへ広がった。
「空を見て!」
「なんて大きな虹!」
庭を散策していた人が声を上げ、部屋の中から眺めていた人は、窓を開けて顔を覗かせた。
「まるで、虹が世界を覆っているみたいだわ……」
エリサさんは空を見上げ、目を細めた。
そして、小さなスケッチブックを取り出して、風景を描きだした。
ちらりと見えたスケッチブックには、アルトとリリヤが使っていたティーカップの絵があった。
――子供たちが使っていたカップは、エリサさんが描いたものだったんですね。
それを知っていたアルトとリリヤが、あのカップのほうがいいと言ったのは、当たり前だ。
二人のために、エリサさんが描いたものだったから――
「リアムさまはやっぱりすごいや!」
「わたし、こんな大きな虹を見たのはじめて!」
大喜びのアルトとリリヤに、リアムは言った。
「この虹は、サーラの魔道具があったからできたことだ。魔術師は魔道具なしでは魔術を使えない」
魔法は生まれながらに使えるものだけど、魔術はそうじゃない。
アルトとリリヤは私をジッと見つめた。
「サーラおねえさま、おみやげをありがとう」
「とてもキラキラしててきれい!」
二人の笑顔が嬉しかった。
そして、誰もが青い空にかかる虹を眺めていた。
遠い町や村からも、この大きな虹は見えたはずだ。
「リアム、ありがとうございます。魔術ってすごいですね!」
「たまには、こういうふうに魔術を使うのも悪くない」
リアムはそう言って、アルトとリリヤに水鉄砲を渡した。
「リリヤ、ぼくたちも虹を作ろう!」
「うん! 魔術はまだうまく使えないから、魔法にしよ~!」
先ほどとは違って、嬉しそうな顔で水鉄砲を受け取ってくれた。
「ふーん。これがサーラの魔道具か。たしかに変わってるね~」
虹が消えた空の下、ユディンが現れた。
「ユディン、やっと来たか」
「嫌だな~。リアム様が怖くて逃げてたみたいに言われるのは心外ですよ」
ユディンは妻と子を心配し、ここへやってきたのか、彼の視線の先にはエリサとリリヤ、アルトがいた。
無事であることを確認すると、空色の目をこちらへ向けた。
「まさか、サーラの魔道具をリアム様が使うとは思いませんでした」
「面白い魔道具だ。俺が興味も持ち、使っても別におかしくない」
「リアム様が興味を持っているのは、魔道具だけですか?」
ユディンは意味深な視線を私へ送る。
――もしや、許されない愛の末、駆け落ち作戦を実行中?
リアムがユディンの作戦にどう乗っていくのかと思っていたら、返ってきた答えは真面目なものだった。
「ユディン。さっさとサーラにサインする紙を渡せ。俺は王都へ戻る」
「あれ? 王都へ戻るんですか? せっかく二人が駆け落ちするチャンスを与えてあげたのにな~」
「兄上とサンダール公爵に、この国を渡せない」
リアムの言葉を聞いたユディンは驚き、それから笑った。
そのユディンの顔は、今までになく嬉しそうに見えた。
「……リアム様から、その言葉を聞きたかったんですよ。魔術師の王であるリアム様の口からね」
リアムは王になることを心から望んでいないのではないかと、ユディンは思っていたようだ。
私もほんの少しだけ疑っていた。
ルーカス様のように、王になることにたいして執着がないように見えたからだ。
でも、そうではないらしい。
「そう思えたのは、サーラのおかげだ。俺はサーラのそばにいることで、今まで接することのない人間と関わり、この国に住む人々について考えさせられた」
「リアム……」
リアムは第二王子で宮廷魔術師長という地位にいる。
獣人や裏通りの人たち、ニルソンさんや他国出身のヒュランデル夫人――リアムの立場を考えたら、関わることがない人々だ。
「ユディン。路地裏の人間を目の届かない場所へ隠すのではなく、導いてやるのが領主の役目だ」
「ご忠告、感謝します。リアム様が王になるのであれば、こちらもやり方を変えるしかないですからね」
ユディンはふざけていなかった。
でも、リアムが王になれば――条件付きである。
ルーカス様が即位したなら、ユディンは今まで通りのやり方を維持するだろう。
日和見と言われようが、アールグレーン公爵家はそうやって生き残った家柄だ。
「はい、サーラ。この紙にサインしたら、帰っていいよ~」
リアムと話して満足したのか、ユディンは私にあっさりサインする紙を渡した。
たしかに親戚たちから注目を浴びているし、条件は整っている。
整っているけれど――
「なんだか私には適当ですね……」
私への雑な扱いは、以前と同じような気がするのは気のせい?
私としては、これで王都の屋敷をもらえるし、仕事があるから早く帰れる。
それはいいとしても、ユディンの目的は、私ではなく最初からリアムだったのかもしれないと疑ってしまう。
「リアムは王都へ戻って大丈夫ですか?」
「兄上が俺を嫌ってるのは、以前と変わらない。今まで通りだ」
全然、大丈夫じゃなさそうだ。
ユディンを公爵として認めるというサインをし、紙をユディンに渡す。
「アールグレーン公爵家は中立を維持しますよ」
ユディンはリアムに敵に回らないと約束した。
日和見なアールグレーン公爵家にとって、立ち位置をはっきり明言するのは珍しいことだ。
「いつものことだろう」
けれど、リアムは手厳しく、ユディンは苦笑した。
「サーラ、フラン。帰るぞ」
「あっ! ちょっと待ってください。エリサさんに用事があるんです」
いつの間にか、エリサさんはスケッチブックを隠してしまっていた。
もしかしたら、ユディンに知られたくないのかもしれない。
「エリサさん。少しだけ時間をいただいてもよろしいですか?」
エリサさんは不思議そうな顔で私を見た。
「構いませんけど、なんでしょう?」
「ええっと、橋のほうで話したほうがいいと思います」
池にかかる白い橋を指差した。
エリサさんはうなずいてくれたけど、ユディンのほうは違う。
私がエリサさんになにを言うのだろうかと、ユディンは警戒していた。
なので、去る前に精一杯の悪い顔をして、ユディンに言った。
「女同士の秘密の話ですよ」
「女同士の秘密? エリサに変なことを吹き込まないでもらいたいな」
「後ろ暗いことがないなら、堂々としていてください」
特に秘密でもなんでもなかったけど、ユディンが動揺しているのを眺め、私はにやりと笑った。
リアムとフランは『また適当なことを言ってる』という顔をしていた。
アルトとリリヤは魔道具に夢中で、虹を作って遊んでいる。
まだまだ無邪気な五歳である。
エリサさんは私とともに白い橋がかかる池のほうへ歩いていく。
「サーラ様の魔道具ですけれど、人々を感動させる素敵な魔道具でしたわ」
「ありがとうございます。でも、エリサさんだって、人を感動させることができる力をお持ちですよね?」
「私は……」
エリサさんはうつむいた。
「客間に飾ってあった絵は、エリサさんが描いた絵ですよね。それから、アルトとリリヤのカップの絵も」
「よくおわかりになりましたね」
「絵のセンスはありませんが、目利きだけはなかなかなんですよ」
橋の真ん中まで歩き、私たちは足を止めた。
この世界で貴族女性が働くというのは、珍しく難しい。
でも、エリサさんなら引き受けてくれる気がしたのだ。
「エリサさん。私の商会の専属図案家になっていただけませんか?」
「私の絵は趣味でやっているだけですし……」
「本当に趣味ですか?」
エリサさんは言葉に詰まった。
携帯していたのは、メモ帳ほどの大きさのスケッチブックと鉛筆。
ドレスに隠して持ち歩くくらい描くのが好きなのだ。
「私の魔道具はヴィフレア王国だけでなく、遠い国々まで売られます。たくさんの人の目に触れるでしょう」
エリサさんの顔つきが変わった。
空を眺め、その目は虹の向こうまで見ているような気がした。
「カップや鍋の図案をお願いすることになると思います。大きな絵ではありませんし、公爵夫人の仕事の合間に、楽しみの一つとしてやってみませんか?」
「たしかに、それくらいの大きさのものなら……」
エリサさんの心が大きく揺らいでいるのがわかった。
「もし、私と関わることで、ユディンお兄様に迷惑がかかるのであれば、エリサさんは偽名を使ってもいいと思いますし」
エリサさんは公爵家のほうを見た。
「私は画家になる夢を捨て、ユディン様に嫁ぎました」
「夢を捨てて……」
「ユディン様を愛しているから、後悔はしていませんわ。それに妻になれるのも、私だけでしたから」
私とエリサさんが話しているのをユディンが遠くから見張っていた。
そんなユディンを見て、エリサさんは微笑んだ。
「でも、時々思うんです。もし、画家になる道を選んでいたら、どんな人生になっていたのかしらって」
後悔はしていなくても、夢を捨てきれなかったエリサさん。
こっそり絵を続けていたのが、その証拠である。
もちろん、ユディンはそれに気づいていただろうけど、『妻にならなくてもいい』とは言えなかったのだ。
ユディンにとって触れられる唯一の女性が、エリサさんだけだったから――
「だったら、選んでみませんか? もっと人生が楽しくなる道を!」
私が手を差し出すと、エリサさんは静かに微笑み、私の手を取った。
「ユディン様に叱られてしまうかもしれませんわ」
「その時は一緒に怒られます。なんなら、リアムに頼んで守ってもらいましょう! リアムは最強ですからね」
「リアム様と本当に仲がよろしいんですね」
「ま、まあ……友達として……? その……お世話されてるっていうか……」
ごにょごにょ言っている私をエリサさんはくすりと笑った。
「サーラ様。昨晩は騙してしまい、申し訳ありませんでした」
「いいんですよ。だって、ユディンお兄様の策略でしょう? それに、リアムは本気になれば、部屋から出られたんですから、気にしないでください」
エリサさんは『あらまあ』と小さく驚いた。
「お二人は本当に恋人同士なんですね」
「えっ!? こっ、恋人? 今のはそういう意味ではっ……」
「リアム様が好きでもない女性と一晩を過ごすなんてあり得ませんもの」
思わず、リアムのほうを見てしまった。
リアムは無表情だったけど、私はきっと変な顔をしていたはずだ。
いつもと同じ顔なんてできるわけない――だって、リアムの好きな人が私かもなんて、そんなことってあるの!?
「お前、俺をなんだと思っているんだ」
リアムは私がやったのと同じように、銃口を太陽に向けた。
私が使った時は、魔石が少しきらめいた程度だったのに、リアムの時は銃の魔石が美しく輝いていた。
【雨】の魔石から雨粒状の青い光が散り、空気に水が浸透したかのように見える。
リアムは魔石が持つ本来の力を引き出し、魔術を使った。
「【風の乙女】」
『それは幻影。風を奏で大地に響かせる。幽閉された乙女は風に焦がれる』
長い緑色の髪を持つ乙女が現れ、陽色の瞳を空へ向けた。
妖精のような姿をし、手には【竪琴】を持っている。
シルフィーネがひとつ音色を奏でると、風が起きて、【雨】がさらに遠くへ広がった。
「空を見て!」
「なんて大きな虹!」
庭を散策していた人が声を上げ、部屋の中から眺めていた人は、窓を開けて顔を覗かせた。
「まるで、虹が世界を覆っているみたいだわ……」
エリサさんは空を見上げ、目を細めた。
そして、小さなスケッチブックを取り出して、風景を描きだした。
ちらりと見えたスケッチブックには、アルトとリリヤが使っていたティーカップの絵があった。
――子供たちが使っていたカップは、エリサさんが描いたものだったんですね。
それを知っていたアルトとリリヤが、あのカップのほうがいいと言ったのは、当たり前だ。
二人のために、エリサさんが描いたものだったから――
「リアムさまはやっぱりすごいや!」
「わたし、こんな大きな虹を見たのはじめて!」
大喜びのアルトとリリヤに、リアムは言った。
「この虹は、サーラの魔道具があったからできたことだ。魔術師は魔道具なしでは魔術を使えない」
魔法は生まれながらに使えるものだけど、魔術はそうじゃない。
アルトとリリヤは私をジッと見つめた。
「サーラおねえさま、おみやげをありがとう」
「とてもキラキラしててきれい!」
二人の笑顔が嬉しかった。
そして、誰もが青い空にかかる虹を眺めていた。
遠い町や村からも、この大きな虹は見えたはずだ。
「リアム、ありがとうございます。魔術ってすごいですね!」
「たまには、こういうふうに魔術を使うのも悪くない」
リアムはそう言って、アルトとリリヤに水鉄砲を渡した。
「リリヤ、ぼくたちも虹を作ろう!」
「うん! 魔術はまだうまく使えないから、魔法にしよ~!」
先ほどとは違って、嬉しそうな顔で水鉄砲を受け取ってくれた。
「ふーん。これがサーラの魔道具か。たしかに変わってるね~」
虹が消えた空の下、ユディンが現れた。
「ユディン、やっと来たか」
「嫌だな~。リアム様が怖くて逃げてたみたいに言われるのは心外ですよ」
ユディンは妻と子を心配し、ここへやってきたのか、彼の視線の先にはエリサとリリヤ、アルトがいた。
無事であることを確認すると、空色の目をこちらへ向けた。
「まさか、サーラの魔道具をリアム様が使うとは思いませんでした」
「面白い魔道具だ。俺が興味も持ち、使っても別におかしくない」
「リアム様が興味を持っているのは、魔道具だけですか?」
ユディンは意味深な視線を私へ送る。
――もしや、許されない愛の末、駆け落ち作戦を実行中?
リアムがユディンの作戦にどう乗っていくのかと思っていたら、返ってきた答えは真面目なものだった。
「ユディン。さっさとサーラにサインする紙を渡せ。俺は王都へ戻る」
「あれ? 王都へ戻るんですか? せっかく二人が駆け落ちするチャンスを与えてあげたのにな~」
「兄上とサンダール公爵に、この国を渡せない」
リアムの言葉を聞いたユディンは驚き、それから笑った。
そのユディンの顔は、今までになく嬉しそうに見えた。
「……リアム様から、その言葉を聞きたかったんですよ。魔術師の王であるリアム様の口からね」
リアムは王になることを心から望んでいないのではないかと、ユディンは思っていたようだ。
私もほんの少しだけ疑っていた。
ルーカス様のように、王になることにたいして執着がないように見えたからだ。
でも、そうではないらしい。
「そう思えたのは、サーラのおかげだ。俺はサーラのそばにいることで、今まで接することのない人間と関わり、この国に住む人々について考えさせられた」
「リアム……」
リアムは第二王子で宮廷魔術師長という地位にいる。
獣人や裏通りの人たち、ニルソンさんや他国出身のヒュランデル夫人――リアムの立場を考えたら、関わることがない人々だ。
「ユディン。路地裏の人間を目の届かない場所へ隠すのではなく、導いてやるのが領主の役目だ」
「ご忠告、感謝します。リアム様が王になるのであれば、こちらもやり方を変えるしかないですからね」
ユディンはふざけていなかった。
でも、リアムが王になれば――条件付きである。
ルーカス様が即位したなら、ユディンは今まで通りのやり方を維持するだろう。
日和見と言われようが、アールグレーン公爵家はそうやって生き残った家柄だ。
「はい、サーラ。この紙にサインしたら、帰っていいよ~」
リアムと話して満足したのか、ユディンは私にあっさりサインする紙を渡した。
たしかに親戚たちから注目を浴びているし、条件は整っている。
整っているけれど――
「なんだか私には適当ですね……」
私への雑な扱いは、以前と同じような気がするのは気のせい?
私としては、これで王都の屋敷をもらえるし、仕事があるから早く帰れる。
それはいいとしても、ユディンの目的は、私ではなく最初からリアムだったのかもしれないと疑ってしまう。
「リアムは王都へ戻って大丈夫ですか?」
「兄上が俺を嫌ってるのは、以前と変わらない。今まで通りだ」
全然、大丈夫じゃなさそうだ。
ユディンを公爵として認めるというサインをし、紙をユディンに渡す。
「アールグレーン公爵家は中立を維持しますよ」
ユディンはリアムに敵に回らないと約束した。
日和見なアールグレーン公爵家にとって、立ち位置をはっきり明言するのは珍しいことだ。
「いつものことだろう」
けれど、リアムは手厳しく、ユディンは苦笑した。
「サーラ、フラン。帰るぞ」
「あっ! ちょっと待ってください。エリサさんに用事があるんです」
いつの間にか、エリサさんはスケッチブックを隠してしまっていた。
もしかしたら、ユディンに知られたくないのかもしれない。
「エリサさん。少しだけ時間をいただいてもよろしいですか?」
エリサさんは不思議そうな顔で私を見た。
「構いませんけど、なんでしょう?」
「ええっと、橋のほうで話したほうがいいと思います」
池にかかる白い橋を指差した。
エリサさんはうなずいてくれたけど、ユディンのほうは違う。
私がエリサさんになにを言うのだろうかと、ユディンは警戒していた。
なので、去る前に精一杯の悪い顔をして、ユディンに言った。
「女同士の秘密の話ですよ」
「女同士の秘密? エリサに変なことを吹き込まないでもらいたいな」
「後ろ暗いことがないなら、堂々としていてください」
特に秘密でもなんでもなかったけど、ユディンが動揺しているのを眺め、私はにやりと笑った。
リアムとフランは『また適当なことを言ってる』という顔をしていた。
アルトとリリヤは魔道具に夢中で、虹を作って遊んでいる。
まだまだ無邪気な五歳である。
エリサさんは私とともに白い橋がかかる池のほうへ歩いていく。
「サーラ様の魔道具ですけれど、人々を感動させる素敵な魔道具でしたわ」
「ありがとうございます。でも、エリサさんだって、人を感動させることができる力をお持ちですよね?」
「私は……」
エリサさんはうつむいた。
「客間に飾ってあった絵は、エリサさんが描いた絵ですよね。それから、アルトとリリヤのカップの絵も」
「よくおわかりになりましたね」
「絵のセンスはありませんが、目利きだけはなかなかなんですよ」
橋の真ん中まで歩き、私たちは足を止めた。
この世界で貴族女性が働くというのは、珍しく難しい。
でも、エリサさんなら引き受けてくれる気がしたのだ。
「エリサさん。私の商会の専属図案家になっていただけませんか?」
「私の絵は趣味でやっているだけですし……」
「本当に趣味ですか?」
エリサさんは言葉に詰まった。
携帯していたのは、メモ帳ほどの大きさのスケッチブックと鉛筆。
ドレスに隠して持ち歩くくらい描くのが好きなのだ。
「私の魔道具はヴィフレア王国だけでなく、遠い国々まで売られます。たくさんの人の目に触れるでしょう」
エリサさんの顔つきが変わった。
空を眺め、その目は虹の向こうまで見ているような気がした。
「カップや鍋の図案をお願いすることになると思います。大きな絵ではありませんし、公爵夫人の仕事の合間に、楽しみの一つとしてやってみませんか?」
「たしかに、それくらいの大きさのものなら……」
エリサさんの心が大きく揺らいでいるのがわかった。
「もし、私と関わることで、ユディンお兄様に迷惑がかかるのであれば、エリサさんは偽名を使ってもいいと思いますし」
エリサさんは公爵家のほうを見た。
「私は画家になる夢を捨て、ユディン様に嫁ぎました」
「夢を捨てて……」
「ユディン様を愛しているから、後悔はしていませんわ。それに妻になれるのも、私だけでしたから」
私とエリサさんが話しているのをユディンが遠くから見張っていた。
そんなユディンを見て、エリサさんは微笑んだ。
「でも、時々思うんです。もし、画家になる道を選んでいたら、どんな人生になっていたのかしらって」
後悔はしていなくても、夢を捨てきれなかったエリサさん。
こっそり絵を続けていたのが、その証拠である。
もちろん、ユディンはそれに気づいていただろうけど、『妻にならなくてもいい』とは言えなかったのだ。
ユディンにとって触れられる唯一の女性が、エリサさんだけだったから――
「だったら、選んでみませんか? もっと人生が楽しくなる道を!」
私が手を差し出すと、エリサさんは静かに微笑み、私の手を取った。
「ユディン様に叱られてしまうかもしれませんわ」
「その時は一緒に怒られます。なんなら、リアムに頼んで守ってもらいましょう! リアムは最強ですからね」
「リアム様と本当に仲がよろしいんですね」
「ま、まあ……友達として……? その……お世話されてるっていうか……」
ごにょごにょ言っている私をエリサさんはくすりと笑った。
「サーラ様。昨晩は騙してしまい、申し訳ありませんでした」
「いいんですよ。だって、ユディンお兄様の策略でしょう? それに、リアムは本気になれば、部屋から出られたんですから、気にしないでください」
エリサさんは『あらまあ』と小さく驚いた。
「お二人は本当に恋人同士なんですね」
「えっ!? こっ、恋人? 今のはそういう意味ではっ……」
「リアム様が好きでもない女性と一晩を過ごすなんてあり得ませんもの」
思わず、リアムのほうを見てしまった。
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