Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

kei

文字の大きさ
9 / 112
第一章 三ヶ月前

08 小うるさい上司

しおりを挟む
 
「・・・何をしておる」
 見上げれば、見慣れたくもないけど見慣れている小うるさい上司の顔があった。
「閣下! 」
「かっかではない。何をしておるのだと訊いている」
 もちろん、飛び起きて正座した。ここは道場であり、礼儀は大事だ。しかも、相手は上司。しかも、いつもクドクド説教ばかり垂れられている。が、ヤヨイも負けてはいなかった。
「か、閣下こそ何をしにおいでになったんです? それにここは神聖な道場ですよ! サンダルは脱いでください! 」

 帝国陸軍の軍装の歴史は古代ローマの重装歩兵をまねたところから始まっていた。
 すなわち、短いテュニカの上に甲冑と羽飾りの着いた兜をつけ、諸刃の剣を持ち足元は編み上げの軍用サンダル。
それが、鉄砲の登場で虚飾を排し混戦時の擦過傷から兵を守る必要から、アタマは鉄のヘルメット。そして下半身に厚手のレギンスを穿くようになり、ここ最近では空挺部隊の登場で厚手のダブダブのトラウザースにジッパー付きのジャケット、そしてロングブーツを着用する部隊まで現れた。
 北部の部隊は徐々に空挺部隊の仕様に変更するようになったが、帝都他南部の駐屯地に勤務する兵たちの軍服はまだまだ旧来の伝統を守っていた。兵から将官に至るまで、テュニカにレギンスに編み上げサンダル。帝国は、暑いのである。

 すると、カーキ色の軍服の閣下が素直にサンダルを脱ぎ、しかもヤヨイの前に正座したからビミョーに違和感が否めなかった。
「ちょっと第一軍団に用があったのだ。それでついでにお前の様子を見に来てみればやはり・・・。芳しくないウワサが流れてきていたのだ。お前が授業中に居眠りをしている、という」
 あっちゃー・・・。
 何も言えなかった。事実だからである。それで『バツゲーム』をさせられていたのだから。
「お前が特務に入ってもう2年になる。少しはわたしの苦労もわかろうと期待したのがバカだった。士官ともあろうものが、候補生たちの大切な授業の妨害をしようとは・・・。陸士の教授たちのイヤミは絶品だったぞ。
『アイゼネス・クロイツ』の英雄ともなればどんな狼藉も許される。士官たるを目指す候補生たちの励みになると言うものですな』
 わたしがどんな気持ちだったか、お前には、わかるまいな・・・」
 ぐっ! 
 事実だけに、何も言えなかった。
「たしかに、徴兵途中のお前を特務に引っ張り、陸士も経ていないお前を異例中の異例ながら士官に任官させたのはわたしかもしれん。
 だが、それはお前自身が選んだ道ではないか。
 しかもお前の陸軍特務少尉という肩書は正式なものだ。
 お前は、我が帝国海軍の最新鋭戦艦を強奪しようとしたチナの企みを粉砕し、敵の海上戦力を根こそぎ撃破した。その功績に報いるため、前第一艦隊司令長官たるワワン退役中将自らが起案し、陸海軍の参謀総長、軍令部長、さらに内閣府総裁のヤン閣下までが賛同し授与されたものだ。誰にも文句は言わせんし、『ヤヨイ・ヴァインライヒ少尉』の名は知らなくとも、帝国内に『アイゼネス・クロイツの軍神マルスの娘』を知らぬ者はいない。
 だがな、ヤヨイ。
 誰であれ、学校を卒業し社会に出れば、それがどのような組織であれ、マナーやしきたりと言うものは存在するのだ。士官学校も出ていないお前に士官の肩書はいかがなものか、とガンコなことを言う者もいる。
 そういう者たちを『しきたりバカ』と侮蔑するのは簡単だが、世の中には意外にバカが多いのもまた、事実なのだ。
 社会人たる者、内心はどうあれ、そうしたしきたりを尊重し付き合う気持ちも必要なものなのだ。先ほど、お前はわたしの非礼を指摘したではないか。そうした配慮は不用意に敵を作らぬためには必要なのだ。
 お前は優秀な頭脳を持ち、秀でた技を持ち、敵に勇敢に立ち向かう勇気も併せ持ってはいるが、これからはそうした立派な社会人たるに相応しい礼儀も備えねば。
 しかも、お前は一児の母でもあるではないか。お前の息子タオにとり、誇れる母親になろうという気持ちがあってしかるべきであろう。それを・・・」
 クドクドクドクド、 クドクドクドクド、 クドクドクドクド、 クドクドクドクド・・・。
 ・・・。
 陸軍少将だけに、マッチョのマルチネス軍曹のクドクドにさらに何倍も磨きがかかった理路整然たる説教を垂れられた。
 こういう場合、下手に口答えするとさらにクドクドの質と量が増すのを経験で知っていた。なので、黙って項垂れ、とにかく、時が過ぎ去るのを待った。
 いつの間にか、クドクドが終わった。やっと気が済んだのだろう。
「まあいい。形だけにしろ、士官学校には通ったのだ。陸士と陸軍のウルサ方、『しきたりバカ』たちにもいくつか手を打っておいた。多少イヤミを言われることもあろうが、もう表立ってお前の階級を攻撃する者はおらんだろう」
 え? まさか、ホントに?!
 ヤヨイの顔が急にパッと明るくなった。
「じゃあ、もう士官学校は終わりですね! 」
「いつまでもお前をタタミの上でノンキに昼寝させておくわけにも行かなくなったのだ。そろそろ働いてもらわねばならなくなってきたのでな」
 ほんに、この、クッソ、ムカツくオヤジめ・・・。
「明日、航空工廠に行け。そこで指示を受けろ」
「もしかして、新型の機体ですか? 」
 エージェントでありアサシンであるだけでなく、ヤヨイは偵察機のパイロットであり飛行教官でもあった。新型機が出るたびにテストを担うテストパイロットでもある。
「まあ、そうだ。ゲタバキ、つまりフロート付きの水上機をテストするのだ。それが終わればターラントに赴き、実際に海の上での離発着をテストする。いいな? 」
 ほんに・・・。手間のかかる小娘だわい。
 言葉には出さずとも、小うるさいウリル少将の顔にはそう言いたげなトゲが浮かんでいた。


 ヤヨイが上司ウリル少将からクドクド十乗倍の説教を垂れられている、その場を、道場の入り口から垣間見ているふたつの影があった。
 一人は近衛軍団所属フェルディナント・シュタルケ陸軍中尉であり、もう一人は第一軍団所属の記章を着けた金の樫の葉、刈り上げた金髪の陸軍大尉だった。
「例の『アイゼネス・クロイツ』だ」
「はい。直接見るのは初めてです」
「できれば、彼女を仲間に引き入れたいものだな」
 驚いて金髪の大尉の顔を顧みたフェルディナントだった。













 史実 「二ニ六事件」メモ その4
 五・一五事件

 五・一五事件(ごいちごじけん)は、1932年 (昭和7年)5月15日に日本で起きたクーデタ事件。
 井上日召の影響を受けた海軍青年将校が陸軍士官学校生徒や愛郷塾生らと協力し、内閣総理大臣官邸・立憲政友会本部・日本銀行・警視庁などを襲撃し、第29代内閣総理大臣の犬養毅が暗殺された。
 二・二六事件に至るまでの数年は、軍による一連のテロ行為やクーデター未遂が頻発した時期であった。最も顕著なものが五・一五事件で、この事件では若い海軍士官が犬養毅首相を暗殺した上に、各地を襲撃した。この事件は、将来クーデターを試みる際には、兵力を利用する必要があることを陸軍の青年士官たち (五・一五事件の計画を知ってはいたが関与しなかった)に認識させた点で重要である。



 犬養が殺害される際に、犬養と元海軍中尉山岸宏との間で交わされた「話せばわかる」「問答無用、撃て!」というやり取りはよく知られているが、「話せばわかる」という言葉は犬養の最期の言葉というわけではない。前述の通り、犬養は銃弾を撃ち込まれたあとも意識があったとされている。
山岸元中尉はこう言い残している。
『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。若い私たちは興奮状態です。『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです。」
 また、三上卓元海軍中尉は裁判で次のように証言している。
「食堂で首相が私を見つめた瞬間、拳銃の引き金を引いた。弾がなくカチリと音がしただけでした。すると首相は両手をあげ『まあ待て。そう無理せんでも話せばわかるだろう』と二、三度繰り返した。それから日本間に行くと『靴ぐらいは脱いだらどうじゃ』と申された。私が『靴の心配は後でもいいではないか。何のために来たかわかるだろう。何か言い残すことはないか』というと何か話そうとされた。」
「その瞬間山岸が『問答いらぬ。撃て。撃て』と叫んだ。黒岩勇が飛び込んできて一発撃った。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した。」

 犬養首相の孫の犬養道子 ((いぬかい みちこ、1921年 - 2017年)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。首相を務めた犬養毅の孫にあたる。)は著書『花々と星々と』にて、現場に居た母親の証言を引用する形で、祖父の発言を次のように述懐している。

「『まあ、せくな』ゆっくりと、祖父は議会の野次を押さえる時と同じしぐさで手を振った。『撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう。ついて来い』 そして、日本間に誘導して、床の間を背に中央の卓を前に座り、煙草盆をひきよせると一本を手に取り、ぐるりと拳銃を擬して立つ若者にもすすめてから、『まあ靴でもぬげや、話を聞こう』」


 興味深いのは、この事件の中で決起士官の思想的指導者であった西田 税 (にしだ みつぎ、1901年(明治34年)- 1937年(昭和12年)までもが襲撃され、重傷を負っていることです。
 西田は5・15の決起将校たちを「まだ時期が早い」といって諫めたそうですが、それを、「面倒だから一緒に殺してしまえ」と。
 決起将校たちのあまりな短慮に驚くとともに、この西田が後に2・26事件の思想的指導者として北一輝らとともに逮捕され銃殺されるのは歴史の皮肉ですね。



 "東京朝日新聞 号外(昭和7年5月15日付)"。木堂が頭部を撃たれて重態であることなどが報道されている。また、日付が4月15日と間違って印刷されており、混乱している様子がうかがえる。
 Tokyo Asahi Shimbun - http://www.maroon.dti.ne.jp/inukai.bokudo/toku.html, パブリック・ドメイン,  https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=120256710による


 襲撃直後の首相官邸の日本間の玄関の様子
 毎日新聞社 -  https://wedge.ismcdn.jp/mwimgs/7/b/900/img_7b9e74a4ea2ce5ebb65861dca8815637590091.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=130475200による



 Portrait of Inukai Tsuyoshi (犬養毅, 1855 – 1932)
 不明 - この画像は国立国会図書館のウェブサイトから入手できます。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=586464による
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

銀河太平記

武者走走九郎or大橋むつお
SF
 いまから二百年の未来。  前世紀から移住の始まった火星は地球のしがらみから離れようとしていた。火星の中緯度カルディア平原の大半を領域とする扶桑公国は国民の大半が日本からの移民で構成されていて、臣籍降下した扶桑宮が征夷大将軍として幕府を開いていた。  その扶桑幕府も代を重ねて五代目になろうとしている。  折しも地球では二千年紀に入って三度目のグローバリズムが破綻して、東アジア発の動乱期に入ろうとしている。  火星と地球を舞台として、銀河規模の争乱の時代が始まろうとしている。

処理中です...