Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

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第二章 ふた月前

14 大晦日、提督たちの思い

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 明日、陽が昇れば新しい年が始まる。
 そんな師走も押し迫った大晦日の夕刻。
 帝都のはるか南、海軍最大の基地である軍港ターラントを、3隻の軍艦が右舷に夕日を浴びつつ出港していった。ターラントから実に4500キロの彼方にある、ベーリング海のパトロールのためである。



 最初にキールの漁船が帝国でもノールでもない正体不明の軍艦から攻撃を受け、急遽編成された第一艦隊の最新鋭艦「インビンシブル」を旗艦とした探索艦隊を派遣したのはすでに述べた。
 以降海軍は、主力の第一艦隊と第二艦隊を再編成し、速力が速く、脚が長い、つまり航続距離が長く、しかもある程度の反撃力を備えた4つの部隊に分け、順次ローテーションで問題の海域を遊弋(ゆうよく)、パトロールさせ、未確認の艦影を捕捉するべく、警戒にあたっていた。
「インビンシブル」の隊に続いて第一艦隊の「ミカサ」を旗艦にした第一分隊が警備についてからもう20日ほどになる。今、第一分隊は、現場海域の警備を戦艦「ビスマルク」を旗艦とする第二分隊に引き継いでターラントへの帰投の航路に乗っているはずだ。
 出港したのは第三分隊の3隻。第一艦隊の戦艦「エンタープライズ」、重巡洋艦「フリードリヒ・デア・グロッセ」、そして第二艦隊の重巡「バイエルン」である。今パトロール任務に就いている第二分隊から任務を引き継ぐべく、艦隊最大戦速に近い時速20ノットで夕陽を背にし、ほぼ真東でベーリング海に向かう。
 分隊を指揮するのは第二艦隊「バイエルン」座乗のシュペングラー海軍少将だった。
 通常、艦隊を編成し序列を定める場合、最も攻撃力・防御力があり、速力も早く、排水量も大きな舟が先頭に立つ。もし交戦ともなれば真っ先に敵と接触するし敵に対し最初に有効弾を放って味方の照準を援けるし、反対に敵はまず先頭の舟を狙うからである。
 この場合は第一艦隊の最新鋭戦艦「ミカサ」級の「エンタープライズ」が最強の船である。指揮するシュペングラー提督も当然に「エンタープライズ」に乗り、艦隊の先頭に立つべきであった。
 しかし、この一水兵から叩き上げた海の男は乗り慣れた巡洋艦にこだわった。戦艦の方がブリッジが広く配下の幕僚の仕事がしやすいのを敢えて、である。
「バイエルン」のブリッジに立つシュペングラーは言った。
「歳をとると住み慣れた舟に愛着がわくものでなァ・・・」
 年齢では先に中将で退役して予備役となったワワン前第一艦隊司令長官よりも上のはず。
 しかし、この白い頬髭の温厚そうな貌を恰幅のいいネイビーブルーの軍服の上に乗せてニコニコしている老提督は、キャプテンシートにも座らず、終始揺れる暗いブリッジに立ち前方の青い海の彼方を見つめ続けていた。



「左舷11時の方向、艦影見ゆ! 距離、およそ一万五千! 」
 左舷で監視についていた水兵が叫んだ。
「第一分隊のミカサと思われます」
 第一艦隊から派遣されてきている参謀が呟いた。
 うむ。
 シュペングラーはかぶりを振り、双眼鏡を向けた。
 第一艦隊旗艦「ミカサ」以下3艦からなる第一分隊からは、もう3日前に帰投する旨暗号通信が入っている。今は第二分隊である戦艦「ビスマルク」、重巡「グナイゼナウ」、「ティルピッツ」にパトロールを引き継いでターラントへ向け帰港中なのだ。
「対航する船舶より発光信号! 貴隊の任務の無事を祈る、です! 」
 帆船時代から叩き上げた海の男だ。信号兵に翻訳される前に文意はわかっていた。そして、旗艦のブリッジに同乗している、同じネイビーブルーでもやけに古めかしく仰々しい金モールを垂らした肋骨服、蒸気軍艦には不似合いな軍服に身を包んだ海軍士官も、自ら発光信号を読んだ。
「シュペングラー提督、帝国海軍には古き良き海軍の伝統が息づいておりますな」
 まだ若いが亜麻色の頬髭を生やした背の高いノール海軍士官は穏やかに微笑んだ。

 今月初め。
 せっかく漁に出たのに未確認の船舶から艦砲で追い払われたキールの気の毒な漁船の一件が起きて以来、海軍は暗号以外の無線通信を一斉に封じた。しかも乱数表のキーも10日ごとに換える徹底を施した。言うまでもなく通信傍受への措置、電波統制である。
 まだ何処のものとも知れず、どれほどの全容を持つかもわからない。
 だが、「インビンシブル」が持ち帰ったいくつかの証拠から、この海のはるか彼方に帝国海軍に匹敵する海軍勢力が存在するのは、まず間違いないものと判断された。
 内閣府のヤン総裁は、海軍のパトロール行動のための補給基地を置くべく、ノール領南カムチャツカ島の一時租借を打診するのに合わせ、ノール海軍の武官派遣を強く要請した。パトロールに同行してもらうためである。
「帝国に邪心はなく、この際むしろ積極的に両国の友好を深めたい! 」
この措置には帝国のそのような意図があることは明らかだった。
 第一、第二分隊の出港には間に合わなかったが、この第三分隊が出港する直前、キールを母港とする快速の救難連絡艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」が4名のノール海軍士官を乗せてターラントに滑り込んで来た。今「バイエルン」の艦上にノール海軍士官が乗り組んでいるのはそうした事情による。
 昨年、帝国海軍の象徴とも言える第一艦隊旗艦「ミカサ」の拿捕未遂事件が起き、第一艦隊司令長官ワワン中将がその責任を取って海軍から去った。
 シュペングラーより4つも若いワワン中将の退役を知り、そろそろわしも、と思っていた。無論、余生をオカに上がってのんびり過ごしたいという我欲ではない。いつまでも老体が居座って若い者たちのジャマになっては、との思いからである。どのような組織にも新陳代謝は必要だ。帝国にも、愛する海軍にも。
 だがその矢先、チナ戦役が起きた。シュペングラーも第二艦隊第二戦隊司令として「バイエルン」に座乗して参戦した。そしてそれから一年が経ち、今度こそそろそろ、と思っていたら今回のこの騒ぎだ。ワワン中将の後を襲って新たに「ミカサ」に乗り込んだ新司令長官フレッチャー中将からも、
「シュペングラ―提督! 今こそ閣下のお力を存分に発揮していただく時であります! 」
 自分より10も若い、あの漲るエネルギーを発散しまくっている闘魂のカタマリのような新進気鋭の男に両手を取られて懇願されては、退役の「た」の字も口に出せなかった。
「では、老体にムチ打って、さらにお国のために尽くすと致します・・・」
 そういうよりほか、なかったのである。
 しかし、お陰で憂いは消えた。この際、愛する海軍のためにこの「バイエルン」の艦上で生涯を終える覚悟を決め、ターラントを出て来たのであった。

 今しも「ミカサ」以下「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」の第一分隊3隻が、もう陽の落ちた黒い海を「バイエルン」の左舷を西に向かって去ろうとしていた。

 この日のために、帝国海軍はあったのです。フレッチャー閣下、いよいよ、我が帝国海軍の正念場が来ましたな・・・。

 第二艦隊第二戦隊司令シュペングラーもまた布袋顔をさらに綻ばせてノール海軍士官の賛意に謝辞を表し、傍らの参謀に指示をした。
「『我、任務を全うせんとす』 そう送ってくれたまえ」
 そして、ふたたび前方の暮れなずむ海を見つめた。
「アイ、サー! 発光信号送ります! 」
 右手を額に翳す敬礼の後、ブリッジ左舷に出ていった信号兵がカシャカシャと信号灯を操作するのを聞いた。
 シュペングラーは、旗艦「ミカサ」のブリッジで闘魂を発散しまくっているだろう若き司令長官の心中を思いつつ、敬礼を送った。




「第三分隊『バイエルン』より発光信号! 『我、任務を全うせんとす』です! 」
 うむっ!
 第一艦隊司令長官フレッチャー中将は力を込めてかぶりを振り、左舷を通過しつつある第三分隊の3隻に敬礼を送った。
 インビンシブルがもたらした情報に基づき、帝国軍最高司令官である帝国皇帝の命により、未知なる勢力による海上勢力を把握、その実態と規模を調査する目的で出動した第一分隊を率いたフレッチャー中将は、頭脳明晰にして熱血の闘魂を持つ提督として、名実ともに帝国海軍を代表する海軍軍人であった。
 海軍兵学校を首席で卒業後は実働部隊はもとより作戦部や軍政の経験も積んだ、帝国海軍始まって以来の秀才と謳われた男だった。
 だが、単なるアタマでっかちではない。現場においては兵の士気を最も重視し、気合と気概だけが敵の意志を打ち砕くという固い信念を持った軍人でもあった。良き兵とは与えられた条件の中で最善を尽くして目標を達成する兵のことを言うという哲学も持っていた。彼の乗る舟は常に気合が張り詰め、それが砲術だけでなく機関部の隅々まで浸透し、射撃訓練ではどの艦よりも高い命中率を誇り、どの艦よりも速く戦場を疾駆した。

 しかし、非常な秀才であるだけに、フレッチャーには今回の事件の真の問題が見えていた。
 この「ミカサ」級を設計したのはルメイという元海軍大佐であったことはすでに述べた。当初は口径200ミリの主砲を搭載する予定だったことも、その計画が認められず、失意のうちに設計のフィールドから追われてしまったことも、それが遠因となってチナに亡命を図り、失敗して命を落としたことも。
 決して部下たちには見せないが、フレッチャーはそれだけの、つまり主砲を大口径にすれば済む問題ではないと思っていた。
 まず、戦略の問題がある。
 もし、未確認の海上勢力が大方の見方通りアメリカ大陸を根拠地とするものであった場合。
 もし仮に、相手が非友好的な性質を持ち、覇権主義的な態度に出て、帝国がこれと交戦する可能性が出てきた場合。
 ある程度のところまで進出するとするなら、それはどの辺りまでか。まず地理的な情報すらが全くと言っていいほどないのだ。
 もし相手に制海権を渡さぬという意思を固めるなら、まず現在の艦隊の編成を大幅に変更せねばならない。つまり、近海戦闘を目的としたものではなく、遠洋に出て戦う航洋型の艦隊に編成し直さねばならない。
 具体的には、個々の艦の航続距離を今の3~4千キロから1万キロ以上のものにせねば。それには設計から抜本的な改革をせねばならない。当然個艦の大きさ、排水量も増す。現在海軍最大の船はこの5千トンの「ミカサ」級4隻だが、それを満足するには少なくとも1万トン級以上の船にする必要がある。さらに石炭を燃料とするよりもより燃焼効率のいい重油を燃料とする機関に変更するべきだ。
 港湾設備にも大改修が必要だ。
 帝国最大の軍港はこの第一第二艦隊の母港ターラントだが、4隻が停泊し補給修理を受けられる埠頭やドックはわずかしかない。しかも短すぎるし、ガントリークレーンも足りない。現在の3倍から4倍ほどの規模のものが必要になる。
 さらに戦術面だ。
 陸地の沿岸で作戦するのと広い外洋で作戦するのとでは戦術が全く違ってくる。
 今は目視と高速の通報艦に頼っている索敵は、航空機を用いたものに変える必要がある。いち早く敵影を発見することが戦闘では非常に重要になって来るからである。
 すでに航空工廠が水上機の試作機を開発したということだが、個々の艦にカタパルトなりを搭載して運用するのは艦の規模から言ってムリがある。当面は旧式の巡洋艦を改造して水上機母艦としこれに複数の水上機を搭載して艦隊に随伴させる。
工業技術院で開発中のレーダーが完成すれば各艦に搭載することが出来よう。しかし、いずれにしても途方もないカネがかかる。
 そして、外交。
 ドンやノールはどう出るだろう。
 今まで両者が曲がりなりにも帝国に従っているのはこれまで知られている世界では帝国に比肩しうる勢力がなかったからだ。もしその概念が崩れた場合。つまり、未知なる勢力が帝国と同等かこれを上回るような場合は、これまでの外交地図は大きく変わるに違いない。
 最後に、最も重要なファクターが、カネだ。
 国の財政はこの莫大な支出に耐えるだろうか。
 軍政のフィールドにもいたことがあるフレッチャーは、帝国の財務状況がカツカツであることを知っていた。今も、北の地に同盟国を作って防衛を肩代わりさせることによって軍団数を減らす算段を講じたりしているほどだ。
 新たな産業を創出し、雇用を増やし、国民所得を殖やすことによって国力を高めねば。
 今さらながら、帝国は改めて富国強兵の路を強化せねばならないだろう。

「長官、よろしければご自室でお休みになられては? もう艦長も幕僚の方々もおられませんし。ターラントへの到着は日の出後になるでしょう」
「ミカサ」副長のチェン中佐がコーヒーをくれた。黒髪で名前の通りチナ人だが、帝国と海軍を愛することには誰にも譲らない忠誠心のカタマリのような男だった。
 彼は昨年の拿捕未遂事件の際に乗り込んで来たチナ兵に銃で撃たれ重傷を負いつつも決して艦を渡さなかった「ミカサの英雄」だった。
「おお! ありがとう、副長! そうだな。わたしがここにいては、キミたちも安心して仕事に専念できまい。夜の夜中に急に抜き打ちで射撃演習など言い出されてはキミも困るだろう? 」
 フレッチャーのお茶目なジョークに中佐も破顔した。
「では、お言葉に甘えて休むとしよう。美味しいコーヒーをありがとう、中佐」
「お休みなさい、長官! 」
 長官が退出されます!
 ブリッジの当番兵と副長の敬礼に見送られ、フレッチャーは暗い艦橋を後にした。
 自室に向かうタラップを降りていると、ふと、昨年の事件を思い出した。
 ルメイか・・・。
 惜しい男だった。自尊心と名誉欲が高すぎたがゆえに破滅の路を選んでしまったが、あの男の才能が、今にあればな・・・。
 死んだルメイ大佐とフレッチャーは兵学校の同期だった。
 海軍の少なくない士官、特に若い士官の間では、ルメイ大佐は正しかった、と彼を追放した海軍上層部を詰る向きがあるのも知っていた。もちろん、フレッチャーは知らないフリをしていた。
 彼が今ここにいれば、嬉々として新しい戦艦の設計に没頭していたことだろう。この「ミカサ」が時代遅れの巡洋艦に見えるような、巨大で強力な船を作っていることだろう・・・。

 未知の勢力があるなら一刻でも早く是非この目で見てみたい!
 そう思って臨んだパトロール任務だったが、彼の第一分隊は何も発見できず、今配置についている第二分隊も現在まで連絡はない。
 だが、それとは裏腹に、彼の心中には出来るならば発見が十日でも一日でも遅くなりますように、との思いもあった。
 帝国の今の状況では、到底海の総力戦を戦うことはできない。
 なまじ秀才だけに、フレッチャーはそうした内心の不安を隠して部下たちを鼓舞、統率せねばならなかった。
 もうすぐ、陽が昇る。
 いにしえのヤーパンでは太陽を神として崇めていたというのを聞いたことがる。
 今、フレッチャーはなんにでもすがりたい思いでいっぱいだった。
 兵たちに見られるわけには行かない。陽が昇ったら、自室で願いをかけてみよう。
 どうか、帝国の平和が一日でも長く保たれますように、と。















 アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ

 52 信号灯 について




 回光通信機(かいこうつうしんき)は、光の明滅による視覚的通信(発光信号)を行う軍用通信機である。うち光源に太陽光の反射を用いるものは、ヘリオグラフ(en)と呼ばれる。これに対して、電球など人工光源を利用する方式は信号灯(en:Signal lamp)と呼ばれる。通信にはモールス符号を用いることが多い。




 アメリカ海軍第七艦隊指揮艦ブルーリッジの信号灯。
 向かって左側にあるレバーを操作することでブラインドを開閉させる。
 Tucker M. Yates - http://www.navy.mil/view_image.asp?id=22943, パブリック・ドメイン,  https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=91632による

 1903年(明治36年)頃に撮影された日本陸軍の回光通信機
 高島信義 - 日本陸海軍写真帖, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=101344705による


 最後の4枚は横須賀三笠公園に現存する大日本帝国海軍連合艦隊旗艦三笠です。小生のムスメが撮影しましたw
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