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第二章 ふた月前
17 アサシン、時々、テストパイロット
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「うえっくしょいあうんっ!・・・」
「少尉、どうしました? カゼですか? 」
ヘッドセットから、後部席の声が聞こえた。
操縦桿を把持しつつ、垂れる鼻水をズズっと啜ってヤヨイは応えた。
「いいえ、違うわ。また誰かがわたしの悪口を言っているのよ、きっと! 」
帝国海軍初の水上偵察機、「W1」は、高度600を維持しつつ、帝都の周囲をなぞるように、旋回し続けていた。
「Wasseraufklärungsflugzeuge (水上偵察機)」の頭文字をとって「W1」と名付けられた機体は、すでに実戦配備している「R1」「R2」に続く、帝国航空工廠が開発した新型偵察機である。今旧式巡洋艦を改装中の「水上機母艦」に複数搭載され、艦隊に付随して偵察作戦を行う、その試験機、初号機だ。
それまでの単葉機に比べ、時代が逆戻りしたような複葉機。しかも、先行した2機種が横に並んだ複座だったのに比べ縦に、前後に並んだ複座、2人乗りの機体だった。
3日前、初めてこの飛行機を飛ばすにあたり、航空工廠の担当官が説明してくれた。
「本来なら今まで同様単葉機としたかったんですが、水上機は陸上機と違い艦船に搭載しますのでね。あまり翼を大きくとれません。しかも、機体そのものの重量に加えて大きなフロートを着けます。その分、重量も空気抵抗も増しますので、揚力を確保する必要があったんです。そこで複葉機としました。多少、不格好ですけどね。もっと強力なエンジンができるまではこれがベストなのです」
帝国初の動力飛行機である「R1」型から飛行船の建造まで常に開発の先頭に立っている、まさに軍事科学の最前線にいる人だった。そのくせ優秀なのを鼻にかけることもない。ヤヨイもバカロレアの理学部院生出身、理系女子だ。このメガネをかけた、少しソバカスのある素朴な人柄、金髪、壮年の主任が気に入っていた。
その担当官と航空工廠のスタッフ、そして分解された「W1」と共に帝都の西、その名も「Westsee (西の湖)」に行った。
「西の湖」は、帝都の北から西南に流れるテヴェレ河が注ぎ込む、帝都の面積の半分ほどもある大きな湖だ。
夏ともなれば帝都の庶民層の多くが湖水浴に訪れる。西駅から汽車で一駅の手軽なリゾート地。だが今は冬。人影もまばらだ。
国防省の指示で湖畔への立ち入りが制限され、地元の漁業者も操業を停止された。機密保持のためではなく、危ないからである。
「とにかく、急ぐのだ! 我々には時間がない! 」
国防省海軍軍務局長の厳命により、3台のトラックで移送されてきた飛行機はただちに組み立てられ、翌日には、機体上面を濃紺に、下部を淡い灰色に塗装した飛行機が湖水に浮かんだ。
「初日は離水、首尾が良ければ二日目から航続距離の試験を行います。フロートには予備の燃料タンクが入っていますが、今はガソリンの代わりに七割がた水が入っています。満タンでどれほど滑走が必要かも調べたいので」
本来ならばガソリンを満タンにすればいい。だが、これはテストだ。万が一トラブルを起こして不時着したり墜落した場合、少しでも炎上する可能性を排除したかった。
ブリーフィングを終え、飛行服のヤヨイはスタッフ一名と共に機内に乗り込んだ。
乗り込むパイロットも、機体を繋いでいた舫(もやい)を解くスタッフも小舟を漕いで飛行機に近づく。奇妙な気分だ。
操縦席は前。でも、前だと前方の上方が翼でよく見えない。空が見えないのは、やだな・・・。
心なしかフロートが沈み過ぎのような気もするが・・・。
舟から機体に飛び移り、乗り込んだ。急ごしらえのせいか座席がしっくりこない。操縦桿を左右に振る。下の翼の外側エルロン、OK。前後に押して引きつつ、後ろを振り向く。やっぱり、前だと後ろの水平尾翼のエレベーターも見えにくい。後ろを向いたままフットペダル。垂直尾翼のラダー、OK! フラップレバー下げ、エルロンの内側のフラップが下がる。戻す。 OK!
「R1」ではスタート時に人力でプロペラを回したが、「R2」からセルスターターが付いた。もちろん、この「W1」もだ。海の上では人力でプロペラを回すことはできない。当たり前だ。
スイッチ、ON!
ぶろろろろろろろ・・・。
プロペラは勢いよく回り出した。
「少尉! 」
後ろの席のスタッフが絶叫していた。絶叫しないと、聞こえないからだ。彼はすでにゴーグルも付け自分のヘッドセットを指していた。忘れていた。操縦席の左に掛けてあったヤツを着けた。声が入って来た。
―― 準備よろしければ後部の舫を解きます! ――
開発主任の声が入って来た。
そうなのだ。水上機はアイドリング状態でも前に進んでしまう。だから、後ろにプカプカ浮いている小舟のスタッフがフロートに結んだ舫に手をかけていた。
「Got it. (了解) 」
―― 舵をチェックしてください。左から出てる小さなスティックです ――」
「あ、そうだったわ」
人差し指ほどのレバーが左に立っていた。前後に動かす。
―― 舵、OKです ――
「じゃあ、行きます。フィル、いい? 」
振り向いて後部席のスタッフに首を傾げた。
「OKです。いつでも! 」
フィル、と呼ばれたスタッフは親指を立てた。
「あー、舫、解いてください」
―― 舫、解きました ――
「では、リバーステストを行い、テイク・オフします」
―― 了解・・・ ――
フラップを一杯に下げ、右のスロットルを前にやや倒す。プロペラが勢いを増し、水上機はゆっくりと加速し始めた。風は穏やか。もうちょっとあったほうが都合がいいのだが。湖面も静か。
機が湖の中ほどよりやや手前辺りに来て、ヤヨイは舵を右に切った。最も長い距離を取れるコースの端に向かいながら、スロットル手前のボタンのカバーを外す。すると、今まで受けていたプロペラの起こす風がなくなり、逆に背中に風を感じる。空気が前に押し出される。水上機が滑走する速度がみるみる落ちて行く。
可変ピッチプロペラは今回の「W1」で初めて採用された装置だった。一枚一枚のプロペラを捩じって向きを変えると逆回転させるのと同じになる。後進をかけることができるのだ。これによって着水後の滑走距離を短くすることが可能になり、艦船への回収時間を節約できる。
「可変ピッチ、良好」
―― 了解 ――
「タクシングする」
ヤヨイは風を読んだ。
南、やや西に寄った風が帝都方向に吹いていた。
機首を東に向ける。湖の北東、テヴェレ河の河口辺りをスタート地点にする。そこからの距離が最も長くとれるし、風も真向いではないがやや左前から受けることができる。離陸、ではなかった、離水に有利になる。
スタート位置に着いた。
舵を左に切り、西南の方角に機首を向けた。アタマの上に上げていたゴーグルをはめた。
「離陸、じゃなかった、離水します! 」
―― 神々の御加護を ――
スタッフの声が入った。左手を上げ、親指を立てた。
「フィル、行くわよ! 」
―― お願いします! ――
スロットルをグイ、一杯に前に倒した。エンジンの回転が一気に上がった。フロートがやや上を向き、「W1」は湖面を滑り出した。
が、なかなかスピードが上がらない。やっぱり、重いのだ。
「重いわ」
―― 今、100(ノット)! ――
※ 1ノット=1.8キロ。 この場合は時速約180キロ
「チェック! 」
だが、まだ翼が風をはらむ気配がなかった。
―― 130! ――
「チェック! 」
機体はもう湖の1/3を超えて半分に近づこうとしていた。
すこしエレベーターを上げ気味か。
上げ過ぎると危険だ。だがここは、経験だった。
操縦桿をやや引いた。じわ、機体がビミョーに上を向いたのが感覚でわかる。
―― 140! ――
「チェック! やっぱ、重い! 」
―― V1 です! ――
地上スタッフが伝えてきた。「V1」とは離陸決心点だ。
「まだ上がらない! 」
―― 160! ――
「R1」ならとうに離陸できている速度。ややフロートが上がり水を切り始めているのがわかった。
―― フロート、離水してます! ――
水の抵抗が、無くなった。
「ローテーション! 」
操縦桿をやや強引にグッと引きエレベーターを一杯に上げる。機体がもうハッキリ上を向く。スピードが上がっているから失速することはない。
だが、滑走が長すぎた。
すでに「W1」は湖面の4/5を滑走し、もう湖畔に立つ高い木々が目の前に迫っていた。まるで、緑の壁!
さらに引いた。もう、一杯!
ざざっ!
機体に軽い衝撃を感じた。が、ヤヨイの機は西の湖、湖畔に立つ背の高いケヤキの林を、飛び越えた。
「ふう・・・」
ヤヨイはゴーグルを上げた。額の汗が目まで流れ落ちていた。
―― さすがですね、少尉! ――
後ろでフィルがノンキそうな声を上げた。
無事再び湖水に着水した後、原因がわかった。
メガネの主任が舟を漕いでやってきて、フロートのガソリンタンクのキャップを開けた。
水が給油口まであふれるほど入っていた。満タン。
ガソリンの比重は約0.75。だから「7割」を指定したのだが、スタッフが誤って満タンにしてしまったのだ。フロートのタンクは150リットル。約40キロ以上の重量オーバーだった。
主任はスタッフたちを叱らなかった。みんな、疲れていたからだ。
このテストに間に合わせるのにもう10日以上も徹夜の連続。しかも、テストが終われば、今突貫で改装工事中の水上機母艦に搭載するため、2月末までに10機を量産せねばならない。
そんな風にして、去年までに終わるはずだった最終テストが、年を跨いで今日、元旦になってしまったのである。
―― いったい誰でしょうね。『アイゼネス・クロイツ』の英雄、『軍神マルスの娘』の悪口を言うなんて ――
後部席のフィルが雑談を膨らませてきた。帝都の上空をもうかれこれ4時間近くも飛び続けている。そろそろ、アキてきた。
「決まってるわ! わたしの上司! ヒトの顔見るたびに無理難題吹っ掛けて来て、バカとか、アホ、とか! も、パワハラで訴えようかしら! 」
―― 少尉、ボクはどーでもいいですが、これ、地上のスタッフも聴いてますからね ――
フィルの、笑いを嚙み殺した声が伝わって来た。
「別に! 聴かれたって、かまやしないわ! 」
エンジンは快調。日の出と共に西の湖を飛び立って、もうお昼近かった。
「どうせ、元旦に帝都の上空を飛ぶとは何事か! とか勘筋ピクピクしてるんでしょ? コッチだって好きでグルグル回ってるんじゃないんだから! トラブルに備えて湖水の近くを飛ぶからでしょうが! 」
フロート付きだから、「R1」や「R2」のように畑や荒野に降りるわけには行かない。それに、帝都の周囲は測量済み。一周回ると何キロかがすでに分かっている。都合がいいから飛んでいるだけだった。なにしろ、徹底的にムダを省いて、急がねばならなかった。
―― ところで少尉、お昼、何食べます? 湖畔のホテルのレストラン、今日元旦で休みだそうです。帝都まで行きませんか? 久しぶりにスブッラのシュニッツェル食いたいです。ビール付きで! ――
フィルは、まるで院生の先輩のミックのように空気を読んで気を遣った。
ヤヨイの同窓、電波工学科のミヒャエル・ユンゲも空気を読むのが上手な男の子だった。
ミカサの奪還任務で旗艦ミカサにヤヨイと同乗し、それがキッカケで大学院を辞めて海軍に行ってしまった。変わり者といえば、彼も変わり者だった。というか、バカロレアに入学する者は、どこかみんな変わり者だ。
ミック。いま彼はどうしているかしら・・・。
「唐揚げかあ! いいわね! 」
―― あ、そろそろ燃料切れです。戻りましょう ――
「どのくらい飛んだかな? 」
―― 帝都一周約120キロ。もう15周してますから1800キロぐらいですかね? ――
「脚長いのねえ! 」
―― トップスピードは『R1』に負けますがね ――
「『R1』とコレに機銃を積んでドッグファイトしたらどっちが勝つかしらね」
この「W1」は複葉機のせいか揚力を得やすく、ゲタバキのわりに小回りが利いて旋回性能もいい。いい勝負になるのでは? と思っていた。
―― どっちでしょうね。いずれにしても、少尉が操縦するほうが勝つに決まってます! ――
「フィル。あなた、上手ねえ・・・。 じゃあ、帰りましょうか」
ヤヨイは操縦桿を倒して西に進路を取った。すぐ眼下に西の湖が見える。
航続距離のテストを終えた「W1」試作初号機は無事西の湖に着水した。
湖面をタクシングしているとき、帝都からと思われる2台の馬車が湖畔を走っているのを見た。
ネイビーブルーの馬車。海軍かしら・・・。
海軍がこんなところに? いったい、なんだろう?
アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ
54 航空機の揚力、可変ピッチプロペラ、離陸速度、について
揚力は速度の2乗、密度、翼面積に比例するが、飛行機の発展当初においてはエンジンが非力で速度が小さく、そのため機体を飛ばすのに必要な揚力を確保するには翼面積を大きくする必要があった。だが当時の翼は布張り木製で強度がなかったため、短い翼を上下に配置しその間に桁やワイヤーをめぐらすことで、強度を保ちつつ翼面積を大きくすることに成功した。
可変ピッチプロペラ (航空)
航空工学において可変ピッチプロペラ(かへんピッチプロペラ、英語: variable-pitch propeller)とは、プロペラ回転面と各ブレードの翼弦とのなす角(羽根角という[2])を変えることができるプロペラを示す。
リバーシブル・プロペラ(英語: reversible propellers)はブレードピッチを負の値に設定できるものである。これによって、回転方向をかえることなく制動や地上で後退するための逆推力を発生することができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E5%A4%89%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%A9_(%E8%88%AA%E7%A9%BA)
USAF C-130J スーパー・ハーキュリーズの6翅ダウティ・ロートルR391複合素材可変および反転ピッチプロペラの一組
Adrian Pingstone - released into the public domain by Adrian Pingstone, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=447776による
以上、ウィキペディアより。
V1とは離陸決心速度の事を示します。
この速度を超過すると離陸を中断することが出来ません。中断させると滑走路をオーバーランする速度になります。
VRとは飛行機の引き上げ速度です。
この速度に達したのち操縦桿を手前に引き上昇させます。
V2とは安全離陸速度の事をいいます。
飛行機が地面を離れ、安全に離陸が続けられる速度になります。さらに離陸滑走中に一つのエンジンが停止しても、滑走路末端上35ftにて到達しなければならない速度の値でもあります。失速速度に十分な余裕を持たせている値です。
参考までに35ftは10.7mになります!!
SKY ART JAPAN株式会社 HP より。
https://skyart-japan.tokyo/
零式観測機(れいしきかんそくき)は、太平洋戦争中に運用された日本海軍の水上観測機・偵察機。略符号はF1M1-M2、略称は零観(ゼロカン、れいかん)、または「観測機」。連合国コードネームはPete(ピート)。また、零式水上観測機・零式複座水観と通称されることもある。
佐世保航空隊の零式観測機
Imperial Japanese Navy - https://www.tracesofwar.com/upload/articles/f1m_00637_2g.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3578750による
「少尉、どうしました? カゼですか? 」
ヘッドセットから、後部席の声が聞こえた。
操縦桿を把持しつつ、垂れる鼻水をズズっと啜ってヤヨイは応えた。
「いいえ、違うわ。また誰かがわたしの悪口を言っているのよ、きっと! 」
帝国海軍初の水上偵察機、「W1」は、高度600を維持しつつ、帝都の周囲をなぞるように、旋回し続けていた。
「Wasseraufklärungsflugzeuge (水上偵察機)」の頭文字をとって「W1」と名付けられた機体は、すでに実戦配備している「R1」「R2」に続く、帝国航空工廠が開発した新型偵察機である。今旧式巡洋艦を改装中の「水上機母艦」に複数搭載され、艦隊に付随して偵察作戦を行う、その試験機、初号機だ。
それまでの単葉機に比べ、時代が逆戻りしたような複葉機。しかも、先行した2機種が横に並んだ複座だったのに比べ縦に、前後に並んだ複座、2人乗りの機体だった。
3日前、初めてこの飛行機を飛ばすにあたり、航空工廠の担当官が説明してくれた。
「本来なら今まで同様単葉機としたかったんですが、水上機は陸上機と違い艦船に搭載しますのでね。あまり翼を大きくとれません。しかも、機体そのものの重量に加えて大きなフロートを着けます。その分、重量も空気抵抗も増しますので、揚力を確保する必要があったんです。そこで複葉機としました。多少、不格好ですけどね。もっと強力なエンジンができるまではこれがベストなのです」
帝国初の動力飛行機である「R1」型から飛行船の建造まで常に開発の先頭に立っている、まさに軍事科学の最前線にいる人だった。そのくせ優秀なのを鼻にかけることもない。ヤヨイもバカロレアの理学部院生出身、理系女子だ。このメガネをかけた、少しソバカスのある素朴な人柄、金髪、壮年の主任が気に入っていた。
その担当官と航空工廠のスタッフ、そして分解された「W1」と共に帝都の西、その名も「Westsee (西の湖)」に行った。
「西の湖」は、帝都の北から西南に流れるテヴェレ河が注ぎ込む、帝都の面積の半分ほどもある大きな湖だ。
夏ともなれば帝都の庶民層の多くが湖水浴に訪れる。西駅から汽車で一駅の手軽なリゾート地。だが今は冬。人影もまばらだ。
国防省の指示で湖畔への立ち入りが制限され、地元の漁業者も操業を停止された。機密保持のためではなく、危ないからである。
「とにかく、急ぐのだ! 我々には時間がない! 」
国防省海軍軍務局長の厳命により、3台のトラックで移送されてきた飛行機はただちに組み立てられ、翌日には、機体上面を濃紺に、下部を淡い灰色に塗装した飛行機が湖水に浮かんだ。
「初日は離水、首尾が良ければ二日目から航続距離の試験を行います。フロートには予備の燃料タンクが入っていますが、今はガソリンの代わりに七割がた水が入っています。満タンでどれほど滑走が必要かも調べたいので」
本来ならばガソリンを満タンにすればいい。だが、これはテストだ。万が一トラブルを起こして不時着したり墜落した場合、少しでも炎上する可能性を排除したかった。
ブリーフィングを終え、飛行服のヤヨイはスタッフ一名と共に機内に乗り込んだ。
乗り込むパイロットも、機体を繋いでいた舫(もやい)を解くスタッフも小舟を漕いで飛行機に近づく。奇妙な気分だ。
操縦席は前。でも、前だと前方の上方が翼でよく見えない。空が見えないのは、やだな・・・。
心なしかフロートが沈み過ぎのような気もするが・・・。
舟から機体に飛び移り、乗り込んだ。急ごしらえのせいか座席がしっくりこない。操縦桿を左右に振る。下の翼の外側エルロン、OK。前後に押して引きつつ、後ろを振り向く。やっぱり、前だと後ろの水平尾翼のエレベーターも見えにくい。後ろを向いたままフットペダル。垂直尾翼のラダー、OK! フラップレバー下げ、エルロンの内側のフラップが下がる。戻す。 OK!
「R1」ではスタート時に人力でプロペラを回したが、「R2」からセルスターターが付いた。もちろん、この「W1」もだ。海の上では人力でプロペラを回すことはできない。当たり前だ。
スイッチ、ON!
ぶろろろろろろろ・・・。
プロペラは勢いよく回り出した。
「少尉! 」
後ろの席のスタッフが絶叫していた。絶叫しないと、聞こえないからだ。彼はすでにゴーグルも付け自分のヘッドセットを指していた。忘れていた。操縦席の左に掛けてあったヤツを着けた。声が入って来た。
―― 準備よろしければ後部の舫を解きます! ――
開発主任の声が入って来た。
そうなのだ。水上機はアイドリング状態でも前に進んでしまう。だから、後ろにプカプカ浮いている小舟のスタッフがフロートに結んだ舫に手をかけていた。
「Got it. (了解) 」
―― 舵をチェックしてください。左から出てる小さなスティックです ――」
「あ、そうだったわ」
人差し指ほどのレバーが左に立っていた。前後に動かす。
―― 舵、OKです ――
「じゃあ、行きます。フィル、いい? 」
振り向いて後部席のスタッフに首を傾げた。
「OKです。いつでも! 」
フィル、と呼ばれたスタッフは親指を立てた。
「あー、舫、解いてください」
―― 舫、解きました ――
「では、リバーステストを行い、テイク・オフします」
―― 了解・・・ ――
フラップを一杯に下げ、右のスロットルを前にやや倒す。プロペラが勢いを増し、水上機はゆっくりと加速し始めた。風は穏やか。もうちょっとあったほうが都合がいいのだが。湖面も静か。
機が湖の中ほどよりやや手前辺りに来て、ヤヨイは舵を右に切った。最も長い距離を取れるコースの端に向かいながら、スロットル手前のボタンのカバーを外す。すると、今まで受けていたプロペラの起こす風がなくなり、逆に背中に風を感じる。空気が前に押し出される。水上機が滑走する速度がみるみる落ちて行く。
可変ピッチプロペラは今回の「W1」で初めて採用された装置だった。一枚一枚のプロペラを捩じって向きを変えると逆回転させるのと同じになる。後進をかけることができるのだ。これによって着水後の滑走距離を短くすることが可能になり、艦船への回収時間を節約できる。
「可変ピッチ、良好」
―― 了解 ――
「タクシングする」
ヤヨイは風を読んだ。
南、やや西に寄った風が帝都方向に吹いていた。
機首を東に向ける。湖の北東、テヴェレ河の河口辺りをスタート地点にする。そこからの距離が最も長くとれるし、風も真向いではないがやや左前から受けることができる。離陸、ではなかった、離水に有利になる。
スタート位置に着いた。
舵を左に切り、西南の方角に機首を向けた。アタマの上に上げていたゴーグルをはめた。
「離陸、じゃなかった、離水します! 」
―― 神々の御加護を ――
スタッフの声が入った。左手を上げ、親指を立てた。
「フィル、行くわよ! 」
―― お願いします! ――
スロットルをグイ、一杯に前に倒した。エンジンの回転が一気に上がった。フロートがやや上を向き、「W1」は湖面を滑り出した。
が、なかなかスピードが上がらない。やっぱり、重いのだ。
「重いわ」
―― 今、100(ノット)! ――
※ 1ノット=1.8キロ。 この場合は時速約180キロ
「チェック! 」
だが、まだ翼が風をはらむ気配がなかった。
―― 130! ――
「チェック! 」
機体はもう湖の1/3を超えて半分に近づこうとしていた。
すこしエレベーターを上げ気味か。
上げ過ぎると危険だ。だがここは、経験だった。
操縦桿をやや引いた。じわ、機体がビミョーに上を向いたのが感覚でわかる。
―― 140! ――
「チェック! やっぱ、重い! 」
―― V1 です! ――
地上スタッフが伝えてきた。「V1」とは離陸決心点だ。
「まだ上がらない! 」
―― 160! ――
「R1」ならとうに離陸できている速度。ややフロートが上がり水を切り始めているのがわかった。
―― フロート、離水してます! ――
水の抵抗が、無くなった。
「ローテーション! 」
操縦桿をやや強引にグッと引きエレベーターを一杯に上げる。機体がもうハッキリ上を向く。スピードが上がっているから失速することはない。
だが、滑走が長すぎた。
すでに「W1」は湖面の4/5を滑走し、もう湖畔に立つ高い木々が目の前に迫っていた。まるで、緑の壁!
さらに引いた。もう、一杯!
ざざっ!
機体に軽い衝撃を感じた。が、ヤヨイの機は西の湖、湖畔に立つ背の高いケヤキの林を、飛び越えた。
「ふう・・・」
ヤヨイはゴーグルを上げた。額の汗が目まで流れ落ちていた。
―― さすがですね、少尉! ――
後ろでフィルがノンキそうな声を上げた。
無事再び湖水に着水した後、原因がわかった。
メガネの主任が舟を漕いでやってきて、フロートのガソリンタンクのキャップを開けた。
水が給油口まであふれるほど入っていた。満タン。
ガソリンの比重は約0.75。だから「7割」を指定したのだが、スタッフが誤って満タンにしてしまったのだ。フロートのタンクは150リットル。約40キロ以上の重量オーバーだった。
主任はスタッフたちを叱らなかった。みんな、疲れていたからだ。
このテストに間に合わせるのにもう10日以上も徹夜の連続。しかも、テストが終われば、今突貫で改装工事中の水上機母艦に搭載するため、2月末までに10機を量産せねばならない。
そんな風にして、去年までに終わるはずだった最終テストが、年を跨いで今日、元旦になってしまったのである。
―― いったい誰でしょうね。『アイゼネス・クロイツ』の英雄、『軍神マルスの娘』の悪口を言うなんて ――
後部席のフィルが雑談を膨らませてきた。帝都の上空をもうかれこれ4時間近くも飛び続けている。そろそろ、アキてきた。
「決まってるわ! わたしの上司! ヒトの顔見るたびに無理難題吹っ掛けて来て、バカとか、アホ、とか! も、パワハラで訴えようかしら! 」
―― 少尉、ボクはどーでもいいですが、これ、地上のスタッフも聴いてますからね ――
フィルの、笑いを嚙み殺した声が伝わって来た。
「別に! 聴かれたって、かまやしないわ! 」
エンジンは快調。日の出と共に西の湖を飛び立って、もうお昼近かった。
「どうせ、元旦に帝都の上空を飛ぶとは何事か! とか勘筋ピクピクしてるんでしょ? コッチだって好きでグルグル回ってるんじゃないんだから! トラブルに備えて湖水の近くを飛ぶからでしょうが! 」
フロート付きだから、「R1」や「R2」のように畑や荒野に降りるわけには行かない。それに、帝都の周囲は測量済み。一周回ると何キロかがすでに分かっている。都合がいいから飛んでいるだけだった。なにしろ、徹底的にムダを省いて、急がねばならなかった。
―― ところで少尉、お昼、何食べます? 湖畔のホテルのレストラン、今日元旦で休みだそうです。帝都まで行きませんか? 久しぶりにスブッラのシュニッツェル食いたいです。ビール付きで! ――
フィルは、まるで院生の先輩のミックのように空気を読んで気を遣った。
ヤヨイの同窓、電波工学科のミヒャエル・ユンゲも空気を読むのが上手な男の子だった。
ミカサの奪還任務で旗艦ミカサにヤヨイと同乗し、それがキッカケで大学院を辞めて海軍に行ってしまった。変わり者といえば、彼も変わり者だった。というか、バカロレアに入学する者は、どこかみんな変わり者だ。
ミック。いま彼はどうしているかしら・・・。
「唐揚げかあ! いいわね! 」
―― あ、そろそろ燃料切れです。戻りましょう ――
「どのくらい飛んだかな? 」
―― 帝都一周約120キロ。もう15周してますから1800キロぐらいですかね? ――
「脚長いのねえ! 」
―― トップスピードは『R1』に負けますがね ――
「『R1』とコレに機銃を積んでドッグファイトしたらどっちが勝つかしらね」
この「W1」は複葉機のせいか揚力を得やすく、ゲタバキのわりに小回りが利いて旋回性能もいい。いい勝負になるのでは? と思っていた。
―― どっちでしょうね。いずれにしても、少尉が操縦するほうが勝つに決まってます! ――
「フィル。あなた、上手ねえ・・・。 じゃあ、帰りましょうか」
ヤヨイは操縦桿を倒して西に進路を取った。すぐ眼下に西の湖が見える。
航続距離のテストを終えた「W1」試作初号機は無事西の湖に着水した。
湖面をタクシングしているとき、帝都からと思われる2台の馬車が湖畔を走っているのを見た。
ネイビーブルーの馬車。海軍かしら・・・。
海軍がこんなところに? いったい、なんだろう?
アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ
54 航空機の揚力、可変ピッチプロペラ、離陸速度、について
揚力は速度の2乗、密度、翼面積に比例するが、飛行機の発展当初においてはエンジンが非力で速度が小さく、そのため機体を飛ばすのに必要な揚力を確保するには翼面積を大きくする必要があった。だが当時の翼は布張り木製で強度がなかったため、短い翼を上下に配置しその間に桁やワイヤーをめぐらすことで、強度を保ちつつ翼面積を大きくすることに成功した。
可変ピッチプロペラ (航空)
航空工学において可変ピッチプロペラ(かへんピッチプロペラ、英語: variable-pitch propeller)とは、プロペラ回転面と各ブレードの翼弦とのなす角(羽根角という[2])を変えることができるプロペラを示す。
リバーシブル・プロペラ(英語: reversible propellers)はブレードピッチを負の値に設定できるものである。これによって、回転方向をかえることなく制動や地上で後退するための逆推力を発生することができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E5%A4%89%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9A%E3%83%A9_(%E8%88%AA%E7%A9%BA)
USAF C-130J スーパー・ハーキュリーズの6翅ダウティ・ロートルR391複合素材可変および反転ピッチプロペラの一組
Adrian Pingstone - released into the public domain by Adrian Pingstone, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=447776による
以上、ウィキペディアより。
V1とは離陸決心速度の事を示します。
この速度を超過すると離陸を中断することが出来ません。中断させると滑走路をオーバーランする速度になります。
VRとは飛行機の引き上げ速度です。
この速度に達したのち操縦桿を手前に引き上昇させます。
V2とは安全離陸速度の事をいいます。
飛行機が地面を離れ、安全に離陸が続けられる速度になります。さらに離陸滑走中に一つのエンジンが停止しても、滑走路末端上35ftにて到達しなければならない速度の値でもあります。失速速度に十分な余裕を持たせている値です。
参考までに35ftは10.7mになります!!
SKY ART JAPAN株式会社 HP より。
https://skyart-japan.tokyo/
零式観測機(れいしきかんそくき)は、太平洋戦争中に運用された日本海軍の水上観測機・偵察機。略符号はF1M1-M2、略称は零観(ゼロカン、れいかん)、または「観測機」。連合国コードネームはPete(ピート)。また、零式水上観測機・零式複座水観と通称されることもある。
佐世保航空隊の零式観測機
Imperial Japanese Navy - https://www.tracesofwar.com/upload/articles/f1m_00637_2g.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3578750による
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