4 / 54
本編
(5)気まずい婚儀
しおりを挟む……これ、本当によくないと思います。
絶対にまずいです。
アルチーナ姉様用のぶかぶかのドレスを無理矢理に着ていることも、やはりサイズの合わない美しい婚約指輪をはめていることも、どちらもよろしくないと思います。
それから、頭からすっぽりとかぶっているこの薄布も。
伝統的な花嫁の姿ではありますが、お姉様の本来のベールはもう少し薄かったし、顔が半分見えるくらいに短いものでした。
それが、顔貌が完全にわからない薄布に変更になっているのが、隠蔽というか詐欺というか……とにかく悪意しか感じられません。
親族席では、お父様が平然と座っています。
お母様も、私のことを名前で呼ぶことはありませんでした。今日はずっと「私の愛しい娘」と呼んでいました。
庶民の間に流行している小説には、こう言う悪人はよく出てきますよね。……お二人とも、ちっとも悪いとは思っていないようですが。
現在、婚儀の真っ最中。
信じられないことですが、花婿であるグロイン侯爵様に、まだ何も伝えていないのです。
最悪です。「娘の結婚に感極まって、うっかり伝えるのを忘れている」という設定だそうですが……。
そんな稚拙な言い訳、通用するはずないですよね。
「そ、それでは、誓いの口付けを」
長い婚儀の祝詞が終わり、祭司様が私たち新郎新婦に告げました。
いつもは堂々とした立派な祭司様なのですが、今日はやけに声が震えています。顔の色もよろしくありません。
それも仕方がないかもしれません。
祭司様はアルチーナ姉様と私の見分けはつきますから。
私たちを知る人が見れば、明らかにおかしいことがわかるのに、誰も何も言わないのです。
それが、全てを物語っています。
花婿様も、この異常な空気を感じ取っているでしょう。
でも、婚姻の儀式の前に花嫁の顔を覗き込むことは許されないことになっています。私の素顔を見れば、騙されていることが簡単に明らかになっていたはずでした。
不幸な花婿様は、祭司様の言葉に従って私のベールを持ち上げました。
剥き出しになった頰に、ひんやりとした空気が触れました。
……終わった。
花婿である侯爵様は、きっと激怒するでしょう。
十八歳の金髪の美女を妻にするはずだったのに、年齢より幼く見える赤毛の私にすり替わっているんですから。
生まれはともかく、花婿様は侯爵位をお持ちの方。地位的にはお父様より上だし、国王陛下の信頼も圧倒的。
武力も権力も持った人物が怒りを示せば、この場はぐちゃぐちゃになってしまうでしょう。
ぎゅっと目を閉じてその時を待ちました。
でも、何も起こりません。罵声も聞こえません。もちろん、儀式の手順通りの誓いの口付けも。
おそるおそる目を開けると、唖然としている花婿様が見えました。
今日から夫となる人とは、直接お話ししたことはありません。でも、何度かお見かけしたことがあります。
グロイン侯爵様。名前はオズウェル様だったと思います。
この方は、我が国では本当に有名な人物です。
一言で表すなら、戦争の英雄。軍人として輝かしい実績があり、特に先の戦争で大変な功績をあげました。
生まれは南部の完全に没落した貧乏男爵家で、四男か五男だったと思います。若い頃から王国軍に所属していて、昨年には国王陛下から特別に侯爵の地位を賜りました。
そう言う立派な実力者なのに、お父様やお姉様は、そして多くの貴族たちは「成り上がり」と見下しています。
容姿も美しくないと笑っていました。
……こうして拝見すると、顔に傷跡があるから確かに威圧的ですね。噂では体中に傷跡があるとか。
正直に言うと、少し怖いです。
金色の目も金属のように冷たく見えます。
でもよく見ると、お顔立ちはかなり整っていました。やや癖のある黒い髪も、どこか異国的で私は嫌いではありません。
アルチーナ姉様の好みからは外れているかもしれませんね。優しげで美麗なロエルとは正反対ですから。
そういう威厳があって精悍な大人の男性が、私を見たまま動きを止めていました。
口が少し開いているのは、何かつぶやいたからでしょうか。
私の視線に気付くと、中途半端に持ち上げたままだったベールから手を離して、祭司様を見やり、さらに祭壇前の婚姻宣誓書へと目を向けました。
もしかしたら、平然としているお父様の方も見たかもしれません。
ほんの一瞬のことでしたが、再び私を見た時にはどこか諦め切った顔をしていました。
「アルチーナ殿の身代わりか?」
「あの、身代わりではなく、変更です。……アルチーナの妹のエレナです」
「……そうか。あの署名、アルチーナ殿の公式名と言うわけでもなかったのだな」
そう言ってため息をついています。
どうやら、通称名と公式名を使い分ける古い習慣と誤解していたようですね。
ごめんなさい。
我がメリオス伯爵家は偉そうにしていますが、実は建国時代からの新興勢力なので、古い伝統を重んじるほど由緒正しくはないのです。
「侯爵様。破談になさいますか?」
覚悟を決め、私は審判を待ちます。
足が震えていましたが、それに気付かないふりをしました。
「えー、おほん、誓いの口付けを、その、速やかにだなっ!」
祭司様が少し早口で促してきました。
でも、顔色が悪いですね。汗もずいぶんとかいているようです。
相手は戦争の英雄様。気性が荒い方なら血を見る展開もあり得るでしょう。
一応、婚儀にしては過剰なほど警備を厳重にしていますが、英雄様は個人の武でも卓越しているとお聞きしています。
覚悟は決めました。……少し怖くて、目は挙げられません。
でも。
「俺に拒否権はない」
ため息混じりの低いつぶやきが聞こえました。
伏せていた目を上げると、侯爵様のお顔が近付いていました。びっくりして身を縮めて、目をぎゅっと閉じてしまいます。
一瞬の間の後に、額にかすかに何かが触れました。
「……っ! 今ここに婚儀が成立したっ! 新たな夫婦に永遠の祝福をっっ!」
祭司様が急に元気になり、朗々と響く声で宣言しました。
やけに早口だし、賭け事で大当たりしたように拳を握りしめているのはどうかと思いましたが。
侯爵様が黙っているので、私も何も言わないことにしました。
172
あなたにおすすめの小説
本物の『神託の花嫁』は妹ではなく私なんですが、興味はないのでバックレさせていただいてもよろしいでしょうか?王太子殿下?
神崎 ルナ
恋愛
このシステバン王国では神託が降りて花嫁が決まることがある。カーラもその例の一人で王太子の神託の花嫁として選ばれたはずだった。「お姉様より私の方がふさわしいわ!!」妹――エリスのひと声がなければ。地味な茶色の髪の姉と輝く金髪と美貌の妹。傍から見ても一目瞭然、とばかりに男爵夫妻は妹エリスを『神託の花嫁のカーラ・マルボーロ男爵令嬢』として差し出すことにした。姉カーラは修道院へ厄介払いされることになる。修道院への馬車が盗賊の襲撃に遭うが、カーラは少しも動じず、盗賊に立ち向かった。カーラは何となく予感していた。いつか、自分がお払い箱にされる日が来るのではないか、と。キツい日課の合間に体も魔術も鍛えていたのだ。盗賊たちは魔術には不慣れなようで、カーラの力でも何とかなった。そこでカーラは木々の奥へ声を掛ける。「いい加減、出て来て下さらない?」その声に応じたのは一人の青年。ジェイドと名乗る彼は旅をしている吟遊詩人らしく、腕っぷしに自信がなかったから隠れていた、と謝罪した。が、カーラは不審に感じた。今使った魔術の範囲内にいたはずなのに、普通に話している? カーラが使ったのは『思っていることとは反対のことを言ってしまう魔術』だった。その魔術に掛かっているのならリュートを持った自分を『吟遊詩人』と正直に言えるはずがなかった。
カーラは思案する。このまま家に戻る訳にはいかない。かといって『神託の花嫁』になるのもごめんである。カーラは以前考えていた通り、この国を出ようと決心する。だが、「女性の一人旅は危ない」とジェイドに同行を申し出られる。
(※注 今回、いつもにもまして時代考証がゆるいですm(__)m ゆるふわでもOKだよ、という方のみお進み下さいm(__)m
突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。
橘ハルシ
恋愛
ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!
リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。
怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。
しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。
全21話(本編20話+番外編1話)です。
【完結】愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を
川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」
とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。
これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。
だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。
新聞と涙 それでも恋をする
あなたの照らす道は祝福《コーデリア》
君のため道に灯りを点けておく
話したいことがある 会いたい《クローヴィス》
これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。
第22回書き出し祭り参加作品
2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます
2025.2.14 後日談を投稿しました
兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!
ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。
自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。
しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。
「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」
「は?」
母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。
「もう縁を切ろう」
「マリー」
家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。
義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。
対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。
「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」
都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。
「お兄様にお任せします」
実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします
柚木ゆず
恋愛
※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。
我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。
けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。
「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」
そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました
さくら
恋愛
王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。
ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。
「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?
畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる