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本編
(35)侯爵夫妻は会話をする
しおりを挟む一通り話を終えたのか、ハーシェル様は私を振り返って真顔を作りました。
「奥方殿。あなたの判断は正しいよ。
私はメリオス伯爵ごときを増長させたくないし、友人への侮辱を見過ごせるほど人間ができてはいない。そしてオズウェルは、こんな顔をしているくせにあなたには甘い。面倒な政争を仕掛けることを躊躇しないくらいにね」
本当に馬鹿馬鹿しい。
ハーシェル様はため息混じりにそう呟いて、私の手を見てうんざりしたように顔を顰めました。
「しばらく席を外してあげますから、冷めたお茶でよかったらどうぞ。……というか、全部飲み終わるまで帰るなよ。じゃじゃ馬の小娘」
最後は、じろりとにらみつけられてしまいました。
私に対する言葉も乱暴なものになっています。
でも不快ではありません。
子供のご機嫌を取るようなところがなくなったと言うべきでしょうか。少しだけ仲間に入れていただいた気がします。
……そして、ようやく。
ようやく、私の手が、また大きな手に包まれていることを思い出しました。
ハーシェル様はもう何も見ていないふりをして、部屋を出ていきました。
「あ、あの……侯爵様」
「何か?」
「……て、手が……」
侯爵様は手に目を落としました。
すぐに手を離してくれましたが、代わりに背を押して私を椅子へと誘いました。
私が座る時には手は離れていましたが、何だか手と背中が熱く感じます。
何となく手の甲を擦っていると、侯爵様がお茶をカップに注いでくれました。意外なほど慣れた手つきで驚いてしまいました。
「以前の上官がお茶好きだったおかげで、一通りのことはできる。美味いとは限らないから、あまりしないがな」
「そ、そうですか」
「冷めてはいるが、そこまで不味くはないと願おう。残りは俺が飲むから、あなたは軽く口をつけるだけでいい」
「いいえ、いただきます」
緊張しっぱなしだったので、私はありがたくお茶を頂きました。
お茶は思ったより冷めていませんでした。
熱いお茶が苦手な私にはちょうど良くて、思わず一気に飲んでしまいます。侯爵様は私に確認してから、おかわりを入れてくれました。
「あの」
やっと落ち着いたので、私は座り直して侯爵様を見上げました。
「アルチーナ姉様のこと、ありがとうございます」
「気にするな。実際に動くのはハーシェルだし、あんなこと言っているが、あいつは手の内に入れた人間に対しては情が深い。いずれはあなたに手を差し伸べていただろう」
「それでも、侯爵様がいなければ何も始まりませんでした。本当に、私のわがままを聞いてくれてありがとうございます」
「構わないと言っている。あなたに頼ってもらえただけで嬉しいから」
そう言って侯爵様も立ったままお茶を飲みました。
どうやら、香りも温度も好みではなかったようですね。僅かに眉を動かしましたが、それ以上は何も表に出さずにごくごくと飲み干しました。
「エレナ殿は姉君に頼られて嬉しかっただろう?」
「はい」
「同じように、俺も嬉しかった。助力を求める程度には信頼してもらえたようだから」
「それはもちろんです。私だけでなく、お姉様も侯爵様なら絶対に信頼できると考えていますよ」
「光栄だ」
侯爵様は口元を歪めて微笑みました。
それから自分のカップにお茶をたっぷりと注ぎ足して、私と向かい合うように椅子を動かして座りました。
「思えば、俺は忙しさを理由にあなたとの時間を軽視していたかもしれない」
「侯爵様が本当に忙しいことは、私も知っています」
「それでも、時間を作ろうと思えば作れた。毎日が無理でも、こうしてお茶を飲むくらいは。……いや、そうか。あなたのような若いご令嬢は、俺のような男と話すのはつまらないな」
急に慌て始めた様子がおかしくて、私は思わず笑ってしまいました。
「私、侯爵様とお話しするのは嫌ではありませんよ? 侯爵様のこと、もっと教えてください。南部のご出身とお聞きしましたが、ご生家はどんなところですか? 難しいお仕事の話はわかりませんが、地理の授業は好きだったので王都の外のこともお聞きしたいです」
「それは、お望みならいくらでも話せるが、俺は口下手だぞ。ハーシェルを交えた時の方が……」
「私は侯爵様とお話ししたいのです! それとも……だめでしたか?」
侯爵様の表情が、硬くなった気がします。
わがままを言いすぎました。
反省していると、侯爵様は目を逸らして黒い髪を乱暴にかき乱しました。
それからおもむろにカップを鷲掴みにし、乱暴に飲み干して天井を見上げました。
「……あなたは、思っていたよりずっと活発だな」
「侯爵様?」
天井を見上げたままの低い呟きは、よく聞き取れません。
おそるおそる声をかけると、侯爵様は天井を見たままため息をつき、空になったカップを机に戻しました。
改めて椅子に座り直し、私の方を見てくれました。
髪は少し乱れていますが、お顔はいつも通りに精悍で、でも金色の目は優しく見えました。
「そうだな、俺でよければいくらでも話をしよう。その代わり、あなたの話も聞きたい。あなたと姉君のことも話してくれるか?」
「もちろんです!」
私は大きく頷きました。
アルチーナ姉様を助けてもらえるだけでも感謝しているのに、お姉様の話まで聞いてくれるなんて。
社交辞令かもしれないので、本気にしてはいけないかもしれません。でも、そう言ってくれたことが嬉しいのです。
でも。
侯爵様とお話しする時間は、思っていたよりとても楽しいものでした。
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