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2 乱闘
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「シャロン、人がいる場所でメガネは外さないように。絶対にだよ」
入学式の日。
1分だけ話す時間があった時、ルアージュ様が私に言った。
「それと、異性とは用事がある時以外はなるべく話さないように」
「……わかりました」
私は緊張で喉がつっかえながら、やっと返事を絞り出した。
なんせ相手は王子だ。
粗相があってはならない。
きっと私が綺麗じゃないから、強度の近視で丸メガネの私が恥ずかしくて、ルアージュ様はそんなこと言うのだな。
仕方ない。
それ以来、ルアージュ様とまともに話せたことがない。
いつも令嬢の壁に囲まれ、キラキラしている。
ルアージュ様もその方がいいのだ。
あの中に私よりずっと妃に相応しい令嬢がいるはずだ。
カリンが風邪で休んだ日、一人で裏庭で昼食をとっていた私に華たちがからんできた。
「今日はいつもの味方がいないのね。一回くらい何か言い返してみなさいよ」
何かにつけて絡んでくる男爵令嬢フィリーネ・クローダルだ。艶のある黒髪が自慢で、令息たちと恋の噂が絶えない。
「さみしいランチだこと」
私のサンドイッチを見て、ケチをつけるのは子爵令嬢イレーネ・ホルネス。
貿易を生業とし、王国内でも上位の資産家で一目置かれている。
「なぜ私を呼んだ?一人を取り囲んで話すのは趣味ではない」
女ながらに馬術や剣術に秀で、令息顔負けの腕を持っている伯爵令嬢セレスト・アルカイン。
他の令嬢と違って、意地悪はしてこないけど、私を見る目はいつも冷ややかだ。
「あまり学園内をうろつかないでくださる?令嬢の可憐さもないあなたを目の端にも入れたくないの」
侯爵令嬢リュシエンヌ・ヴァルストローム。
氷像のごとき美貌で令息を惑わし、氷の女王と呼ばれている。私のことを斬り込むように非難してくる。
「みなさま、今日はそれくらいになさって。そろそろルアージュ様が音楽の授業でヴァイオリンを演奏なさるわ」
一見、みなをたしなめているように見えるけど、この中でのラスボス、公爵令嬢ソフィア・エアン=レッドグレイヴだ。
王家とゆかりを持ち、王国最上位の公爵に名を連ねる由緒正しい家門は学園中の憧れだ。
「演奏を聴きに参りましょう」
きゃぴきゃぴと一向が去った後、私はひとつため息をついて、再びサンドイッチを口にほおばった。
こんなくだらない毎日、いつまで続くのか?
もう学園をやめたい。
だけど、ここで辞めたら王家にも実家にも迷惑がかかってしまう。
じっと耐えるしかないのだ。
教室に戻ろうと廊下を歩いていた時、私はある落とし物に気づいた。
三日月と王冠の刺繍が施されたハンカチだった。
これは王太子であるルアージュ様を示す印章だ。
どうしよう。
面倒なことになった。
私は迷った。
誰か他の人が拾ってくれたらいいのだが。
そう思ったけど、もう授業が始まる時間になっていて、誰も廊下を歩いていない。
王家の方の落とし物をそのままにしておくわけにもいかず、私は仕方なくそのハンカチを拾った。
ルアージュ様に渡さないと──
このままハンカチを持っているのは、正直、気が重かった。
面倒ごとはさっさと片付けるのが私の主義だ。
ルアージュ様は私が近づくのを嫌がるかもしれないけれど、私は早く渡してしまいたいと考えていた。
窓からルアージュ様がクラスメイトの令息たちと裏玄関のポーチにいるのが見えて、私は急いで下の階へ降りて行った。
ポーチのそばまで行くと、植樹の向こうにルアージュ様の背中が見えた。
どうしよう。
いつ話終わるかな。
ルアージュ様を囲む三人の令息に遠慮して、そわそわして待っている私の耳に、彼らの話声が飛び込んできた。
「ルアージュさあ、なんでシャロンを婚約者に選んだんだよ。もっと他にもいるだろ、相応しい令嬢がさ」
「そうだよな、例えばフィリーネとか?黒髪が妖艶だよな~」
「氷の女王リュシエンヌもいいぜ。なんたってあの美貌がたまらないよな」
やっぱり、候補に出てくるのは華たちの名前なんだな。
わかりきっていたことだ。
「ソフィアは本命なんじゃないのか?ルアージュの正妃候補だって昔から言われてたし」
「公爵家だもんな。家格も釣り合うし文句ないだろう?」
あーあ。
言いたい放題だな。
平民出の私がちっともふさわしくないのは、最初から承知している。
話が終わらないのでイライラして立ち去ろうとしたとき、ルアージュ様がようやく口を開いた。
「未来の王妃はただ僕の機嫌をとって微笑んでいるようではだめなんだ。国の欠点を正す知識と能力の持ち主でないと」
……ルアージュ様、私のこと、そんなふうに評価してくれていたのか?
意外だった。
私は少しだけ気持ちがあたたかくなった。
「ああ、それでシャロンを。勉強だけはできるもんな」
「偏差値では確かに最適かもね。顔面偏差値は学園最低だけどね」
──っ!
顔面偏差値……
偏差値だと……?
「あっ」
私はその言葉で最重要のことを思い出した。
ルアージュ様がまた口を開きかけたが、私は気づかれないまま、脱兎の如くその場から駆け去った。
「おい、お前──!」
「え?」
ルアージュ様は顔面偏差値と言ったクラスメイトに拳で殴りかかった。
「裏玄関で乱闘だって!」
「先に殴ったのはルアージュ様らしいわよ」
「嘘でしょ、あの温厚なルアージュ様が!?」
「シャロンのこと、何もわかってないくせに!彼女をけなすやつは許さない!!」
ルアージュ様は周囲が止めに入るまで、殴るのをやめなかった。
入学式の日。
1分だけ話す時間があった時、ルアージュ様が私に言った。
「それと、異性とは用事がある時以外はなるべく話さないように」
「……わかりました」
私は緊張で喉がつっかえながら、やっと返事を絞り出した。
なんせ相手は王子だ。
粗相があってはならない。
きっと私が綺麗じゃないから、強度の近視で丸メガネの私が恥ずかしくて、ルアージュ様はそんなこと言うのだな。
仕方ない。
それ以来、ルアージュ様とまともに話せたことがない。
いつも令嬢の壁に囲まれ、キラキラしている。
ルアージュ様もその方がいいのだ。
あの中に私よりずっと妃に相応しい令嬢がいるはずだ。
カリンが風邪で休んだ日、一人で裏庭で昼食をとっていた私に華たちがからんできた。
「今日はいつもの味方がいないのね。一回くらい何か言い返してみなさいよ」
何かにつけて絡んでくる男爵令嬢フィリーネ・クローダルだ。艶のある黒髪が自慢で、令息たちと恋の噂が絶えない。
「さみしいランチだこと」
私のサンドイッチを見て、ケチをつけるのは子爵令嬢イレーネ・ホルネス。
貿易を生業とし、王国内でも上位の資産家で一目置かれている。
「なぜ私を呼んだ?一人を取り囲んで話すのは趣味ではない」
女ながらに馬術や剣術に秀で、令息顔負けの腕を持っている伯爵令嬢セレスト・アルカイン。
他の令嬢と違って、意地悪はしてこないけど、私を見る目はいつも冷ややかだ。
「あまり学園内をうろつかないでくださる?令嬢の可憐さもないあなたを目の端にも入れたくないの」
侯爵令嬢リュシエンヌ・ヴァルストローム。
氷像のごとき美貌で令息を惑わし、氷の女王と呼ばれている。私のことを斬り込むように非難してくる。
「みなさま、今日はそれくらいになさって。そろそろルアージュ様が音楽の授業でヴァイオリンを演奏なさるわ」
一見、みなをたしなめているように見えるけど、この中でのラスボス、公爵令嬢ソフィア・エアン=レッドグレイヴだ。
王家とゆかりを持ち、王国最上位の公爵に名を連ねる由緒正しい家門は学園中の憧れだ。
「演奏を聴きに参りましょう」
きゃぴきゃぴと一向が去った後、私はひとつため息をついて、再びサンドイッチを口にほおばった。
こんなくだらない毎日、いつまで続くのか?
もう学園をやめたい。
だけど、ここで辞めたら王家にも実家にも迷惑がかかってしまう。
じっと耐えるしかないのだ。
教室に戻ろうと廊下を歩いていた時、私はある落とし物に気づいた。
三日月と王冠の刺繍が施されたハンカチだった。
これは王太子であるルアージュ様を示す印章だ。
どうしよう。
面倒なことになった。
私は迷った。
誰か他の人が拾ってくれたらいいのだが。
そう思ったけど、もう授業が始まる時間になっていて、誰も廊下を歩いていない。
王家の方の落とし物をそのままにしておくわけにもいかず、私は仕方なくそのハンカチを拾った。
ルアージュ様に渡さないと──
このままハンカチを持っているのは、正直、気が重かった。
面倒ごとはさっさと片付けるのが私の主義だ。
ルアージュ様は私が近づくのを嫌がるかもしれないけれど、私は早く渡してしまいたいと考えていた。
窓からルアージュ様がクラスメイトの令息たちと裏玄関のポーチにいるのが見えて、私は急いで下の階へ降りて行った。
ポーチのそばまで行くと、植樹の向こうにルアージュ様の背中が見えた。
どうしよう。
いつ話終わるかな。
ルアージュ様を囲む三人の令息に遠慮して、そわそわして待っている私の耳に、彼らの話声が飛び込んできた。
「ルアージュさあ、なんでシャロンを婚約者に選んだんだよ。もっと他にもいるだろ、相応しい令嬢がさ」
「そうだよな、例えばフィリーネとか?黒髪が妖艶だよな~」
「氷の女王リュシエンヌもいいぜ。なんたってあの美貌がたまらないよな」
やっぱり、候補に出てくるのは華たちの名前なんだな。
わかりきっていたことだ。
「ソフィアは本命なんじゃないのか?ルアージュの正妃候補だって昔から言われてたし」
「公爵家だもんな。家格も釣り合うし文句ないだろう?」
あーあ。
言いたい放題だな。
平民出の私がちっともふさわしくないのは、最初から承知している。
話が終わらないのでイライラして立ち去ろうとしたとき、ルアージュ様がようやく口を開いた。
「未来の王妃はただ僕の機嫌をとって微笑んでいるようではだめなんだ。国の欠点を正す知識と能力の持ち主でないと」
……ルアージュ様、私のこと、そんなふうに評価してくれていたのか?
意外だった。
私は少しだけ気持ちがあたたかくなった。
「ああ、それでシャロンを。勉強だけはできるもんな」
「偏差値では確かに最適かもね。顔面偏差値は学園最低だけどね」
──っ!
顔面偏差値……
偏差値だと……?
「あっ」
私はその言葉で最重要のことを思い出した。
ルアージュ様がまた口を開きかけたが、私は気づかれないまま、脱兎の如くその場から駆け去った。
「おい、お前──!」
「え?」
ルアージュ様は顔面偏差値と言ったクラスメイトに拳で殴りかかった。
「裏玄関で乱闘だって!」
「先に殴ったのはルアージュ様らしいわよ」
「嘘でしょ、あの温厚なルアージュ様が!?」
「シャロンのこと、何もわかってないくせに!彼女をけなすやつは許さない!!」
ルアージュ様は周囲が止めに入るまで、殴るのをやめなかった。
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