辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

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第24話『薬庵への帰還、名を奪う影の序章』

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王都での審問から三日後――
リーナは再び、自らの薬庵へと戻ってきた。

 

庵の門をくぐると、濃密な薬草の香りが迎えてくれる。
それは彼女にとって、どんな高位の地位よりも心を落ち着かせる“帰る場所”だった。

 

「……ただいま」

 

誰に聞かせるでもなくそう呟くと、庵の奥から慌てたように駆け寄ってくる影があった。
ノアだった。

 

「先生っ……おかえりなさい!」

 

抱きつかんばかりの勢いで飛び込んできたノアを、リーナは優しく受け止めた。
その手には小さな擦り傷があり、彼が庵を守るために奮闘していたことを感じさせた。

 

「留守番、ご苦労様。……薬棚は無事?」

 

「もちろんです! 先生が作った瓶も、処方書も全部大事に守りました」

 

「えらいわね、ノア」

 

その頭をそっと撫でると、少年は目を細めて嬉しそうに笑った。

 

 

◆ ◆ ◆

 

庵に戻ると、次々に訪問者が訪れた。

 

庶民議会からは祝辞の使者が。
神殿の祈祷師は、リーナの無事を確かめに来た。
そして、第三王子アリウスからも小さな手紙が届けられた。

 

『術式倫理会議において、君の処方が認められたと聞いた。
心から喜び、また誇りに思う。
これから先、君の薬が必要になる人は、きっともっと増えるだろう。
どうか無理はしないように。君が君自身でいられることを、いつだって願っている。』

 

リーナはその手紙を読み終え、そっと胸にしまった。

 

「……無理はしない。けれど、止まるつもりもないわ」

 

処方は、誰かに頼まれたからするのではない。
誰かが“名を呼びたい”と願うその心を守るために――
薬師としての自分が選び続ける道だった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

その夜、久しぶりに庵の奥の調薬室で瓶を並べていると、
扉の向こうでコトリと音がした。

 

「……?」

 

慎重に扉を開けると、そこにはカイリが立っていた。
あの大審議の壇に上がった少女は、以前より少し大人びた顔をしていた。

 

「リーナ先生。帰ってきたって聞いて、どうしても会いたくて」

 

「カイリ……夜道を一人で?」

 

「もう、ただの下町の娘じゃないですから」

 

そう言って、小さな笑みを見せる。
その笑顔は、リュシエンの名を継ぐ者としての矜持に満ちていた。

 

「……それでね、先生。
わたし、今度正式に“庶民代表”として王宮に招かれることになったの」

 

「そう……それはおめでとう。
きっと彼も喜んでるわ」

 

カイリは頷き、次の瞬間、不安げにリーナの袖を握った。

 

「でも……正直、怖いんです。
“名を継いだ庶民”を面白く思わない貴族たちが、いろいろ仕掛けてくるって噂もあって……」

 

「大丈夫。
あなたの心にリュシエンの名は根付いてる。
何があっても、奪われたりはしないわ」

 

リーナはそう言って、カイリの肩にそっと触れた。

 

「それでも不安になったら、またここに来なさい。
何度だって、あなたの“名”を調べてあげるから」

 

「……ありがとう、先生」

 

そう言って、カイリは涙をこぼさないように笑った。

 

 

◆ ◆ ◆

 

翌日。
庵には見慣れぬ来訪者があった。

 

黒い礼装に身を包み、背筋をぴんと伸ばした男。
その胸元には、小さく王家の紋章が輝いていた。

 

「辺境薬師リーナ・ルミナス殿で間違いないな?」

 

「そうですが……どちら様かしら?」

 

「私は王家治安院、調査官リセル。
先日、術式倫理会議で貴殿の処方が認められた件についてだが――
実は、その場での判決後、幾つか“名が壊れた者”が報告されている」

 

リーナの瞳が細くなる。

 

「名が壊れた……?」

 

「庶民だけではない。
王都の若い騎士、聖職候補生、さらには商会主までもが突然、自分の名を名乗れなくなり、
まるで“名を奪われた”ように沈黙してしまう症例が立て続けに出ているのだ」

 

リーナはゆっくりと息を吐いた。

 

「それを私の処方のせいだと?」

 

「まだ断定はしない。
だが――陛下より、調査命令が下っている。
今後この薬庵の処方はすべて詳細に記録し、治安院へ提出してもらう」

 

リーナはしばらく黙し、それから静かに口を開いた。

 

「……私の処方は依頼者の心に寄り添うものです。
外に提出すれば、患者の一番弱い部分まで晒すことになる」

 

「ならば――拒否するつもりか?」

 

「はい。
人の名と心は、その人だけのものですから」

 

リセルの目が鋭く細まった。

 

「理解した。
だが拒否は、いずれ王都からの更なる圧力を招くことになるだろう。
それを承知の上で、か?」

 

「……ええ」

 

調査官は小さく息を吐き、冷たい声を残して去っていった。

 

「薬師よ。
その矜持が、いつか貴殿自身の名を危うくすることにならぬようにな」

 

 

◆ ◆ ◆

 

調査官が去ったあとの庵は、一気に静けさを取り戻した。
けれど、その静けさはどこか張り詰めていた。

 

リーナは一人、調薬室に入り、棚の奥から小さな木箱を取り出した。
中には古い瓶が並び、そのひとつにはこう記されていた。

 

《名奪い香》

 

「……マルグリッドの最後の処方。
“名を呼ぶ処方”があるなら、それを奪う処方もまた、この世に残されている……」

 

彼女は木箱を閉じ、額にそっと手をあてた。

 

「名を奪われる者が増えているというのなら――
それは、私の処方ではなく、“別の処方”のせい。
そしてその影は、また動き出した」

 

庵の奥の窓が小さく揺れた。
夜風が忍び込むその先に、かすかな黒い気配が消えていった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 
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