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第1話:302号室のノイズ
しおりを挟むこれは、夜にだけ聞こえる音の話だ。
私の友人、榊原(さかきばら)は大学を卒業して、地元を離れ、千葉の端の方にある市営団地に引っ越した。
築四十年超えの老朽団地で、家賃は破格。といっても、建物の割にはやけに掃除が行き届いていたという。
「エレベーターもないし、通路はちょっと古いけど、中は普通にキレイだったよ。角部屋だしさ」
嬉しそうに話す榊原の声は、当時の私には心からのものに聞こえた。
だが、それから三ヶ月ほどして、彼の様子がおかしくなった。
電話口での返答が妙に少ない。ときどき、誰かと喋っているような声が背後で聞こえることもあった。
ある夜、唐突にこんなことを言い出したのだ。
「おまえ、上の階に住んでる人って、深夜に掃除機かけたりすると思うか?」
私は最初、何を言ってるのか分からなかった。
「いや、普通はしないだろ。でもまあ、生活サイクルが違う人もいるだろ?」
「……だよな。だって、音がするんだよ。ずるっ……ずるっ……って。ほぼ毎晩、二時過ぎになると。何かを引きずる音。重たい布団か、濡れたシートか……とにかく、それが床を這うような音なんだ」
榊原の声が震えていた。
「でさ、昨日、ふと気づいたんだ。……俺の部屋、三階の一番上なんだよ。302号室。上なんて、ないんだ」
私は絶句した。
「いやでも、風とか、配管の……」
「違う。足音もある。歩いてる音がする。上から……すぐそこから、直接、俺の天井を踏むような、乾いた音が。昨日なんて、ずっと天井の真上に“誰か”が立ってた」
その日を境に、榊原は頻繁に泊まりにくるようになった。私のアパートは少し遠かったが、彼は夜になると移動してきた。
それでも、引っ越すという話にはならなかった。なぜだか、彼は団地から離れられない様子だった。
一度、私もその302号室を訪れた。
昼間に入った部屋は、古さこそあるが、恐怖を感じるような空間ではなかった。
ただ、ふと見上げた天井に妙なものを感じた。
四隅の継ぎ目に、何か……うっすらと跡があるのだ。まるで、天井を何かが這いずったような、爪痕のような……。
「ここに誰かいたの?」
榊原にそう聞くと、彼は目を伏せてこう言った。
「わからない。でも、夜がくると……あいつも来る。いつも、上から覗いてる気がする。お前、俺の天井を見たろ? あれ、見える人にしか見えないらしいよ」
その翌日、榊原は団地のベランダから飛び降りた。
警察は自殺と判断した。
でも、私は知っている。彼が飛び降りた前夜、私に電話をかけてきたとき、彼はこう言っていた。
「なあ……“それ”、今はお前の天井にいる気がするんだよ。音、聞こえるだろ……?」
そう言われたとき、たしかに、私の部屋の天井の上から――
ずるっ、ずるっ、と、何かを引きずるような音がしていた。
以来、私は毎夜、天井を見上げて眠れなくなった。
何もいない。
だが、ふとした瞬間に、足音のような響きがする。
そして今夜もまた、二時を過ぎたころ、天井の隅に黒い染みのようなものが、じわりと――
―――――――――――――――――――――――
あとがき
第1話、お読みいただきありがとうございます。
ホラー短編集『百の話を語り終えたなら』では、日常に潜む微かな違和感や恐怖を、1話完結形式でお届けします。
今回のテーマは「団地」「天井」「音」という身近なモチーフ。
じわじわと迫る恐怖と余韻を大切に描きました。
次回は、学内怪談『第2話:放課後七不思議・第8話』を予定しています。
どうぞ、百話目までお付き合いください。
―――――――――――――――――――――――
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