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第4話:隣のベランダの手

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夏の終わり、蒸し返すような熱気が夜の町を包んでいた。

その夜、私はアパートの一室で、ひとりで過ごしていた。
築年数はそれなりだが、窓からは街路樹が見え、風通しも悪くない。二階の角部屋で、隣とはベランダが仕切り板一枚で隔てられている。

ふと目が覚めたのは、深夜二時過ぎだった。
喉が渇き、台所へと立った私は、何気なくベランダの方に目をやった。

月明かりが薄く射し込む窓。
そして、そのすぐ外――“隣のベランダ”との境目に、手が見えた。

白く細い、右手だった。
指は五本、静かにぶら下がっている。まるで、誰かがベランダの手すりに寄りかかっているように見えた。

……おかしい。
この時間に、隣人がこんなところで何をしている?

私はガラス越しにそっと覗いた。
だが、見えたのは手だけだった。

腕も、体も、影すらない。

仕切り板の上に、まるで“生えた”ように、白い手が一つ、置かれていた。

私は凍りついた。

何か言おうとしたが、声が出なかった。
その手が、ゆっくりと動いたのだ。

指が、少しずつ開いていく。
何かを掴もうとするように――いや、“こちらを指さしている”ようにも見えた。

その瞬間、私は背筋をゾワリと震わせて、思わず部屋の明かりを点けた。

光に満ちた部屋の中、窓の外は真っ暗になった。

あの手は、もういなかった。

だが翌朝、私は思い出した。
隣の部屋は、二週間ほど前に退去していたはずだ。
不動産会社の張り紙も、まだドアに貼られていたはずだ。

確かめに行った私は、隣室の前で立ち止まった。
ドアには「入居者募集中」と書かれた紙があり、郵便受けにはチラシが詰まっていた。

だが、私は決して覗かなかった。
ベランダを確認しようとは思わなかった。

なぜなら、私の部屋の窓ガラスには、内側から、手形が一つだけ――はっきりと残っていたからだ。

それは、白くて、指の長い、右手の跡だった。

洗っても消えない。
水をかけても、ガラス用洗剤をかけても、何も変わらなかった。

翌日の夜も、その手形は同じ位置に浮かんでいた。

あの手が“こちらを見ていた”のではなく、
私の部屋の中に、“入ろうとしていた”のだと気づいたのは、
数日後、仕事から戻ったとき。

窓の鍵が、開いていた。

私は一度も、それを開けた覚えがない。

―――――――――――――――――――――――

あとがき
第4話『隣のベランダの手』、ご覧いただきありがとうございます。

“あるはずのない場所にあるもの”という恐怖をテーマに、
一見ありがちなシチュエーションから、静かに忍び寄る恐怖を描きました。
現代の集合住宅に潜む違和感――それは、あなたの部屋にもあるかもしれません。

次回は『第5話:検索してはいけない言葉』を予定しています。
デジタル時代における“知らなければよかった”という感覚を描いてまいります。

―――――――――――――――――――――――

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