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第25話:このアパートには、三番目の部屋がない
しおりを挟む俺が大学生の頃に住んでいた、木造の古いアパートの話だ。
駅から徒歩十五分、家賃は格安だったが、風呂なし、トイレ共同という条件だった。
とはいえ、貧乏学生の俺には十分だった。
そのアパートは二階建てで、全部で四部屋。
一階が「101」「102」、二階が「201」「202」……と、なるはずだった。
だが、俺が借りたのは「202号室」。
そして、真向かいには「201号室」……のはずの部屋がある。だが、そこには「203」のプレートがついていた。
不思議に思って大家に尋ねると、
大家は少し顔を曇らせて言った。
「ああ、あそこはね、最初“201”だったんだけど、変えたんだよ」
「理由? まあ、気にしないほうがいい。お祓いもしてあるし、今はちゃんと“203号室”だよ」
変な説明だったが、あまり深入りするのも悪い気がして、それ以上は聞かなかった。
だが、それからだった。
夜中、壁の向こう――つまり“203号室”から、
誰かが壁を爪でひっかくような音が聞こえてくるようになった。
キィ……キィ……ギリギリ……。
それは毎晩、決まって深夜二時になると始まり、十分ほど続いた。
最初はネズミかと思ったが、音の高さやリズムが“それ”とは違っていた。
まるで、人間の指の長さで、一定の間隔で引っかいているような音だった。
ある夜、我慢できず、俺は思いきって203号室の前に立った。
ノックをしてみた。返事はない。
「すみません、壁の音が……」
そう声をかけた瞬間、中から“ノブが動く音”がした。
だが、ドアは開かなかった。
代わりに、ドアスコープの向こうから、カツン……カツン……と何かを叩く音が続いた。
俺は怖くなって逃げた。
次の日、大家に「203の住人はどんな人なんですか」と聞いた。
すると大家は、顔をひきつらせながらこう言った。
「……あの部屋、今は空き室だよ。誰も入れてない。鍵も私が持ってる」
それ以来、俺は夜が来るのが怖くなった。
そしてある朝、起きると、俺の部屋の壁に――
“201”と赤く塗られた数字が浮かび上がっていた。
203号室ではない。201号室。
この建物には、“本来”存在しないはずの、三番目の部屋。
大家の言っていた「変えた」という言葉の意味が、ようやく理解できた。
なにかが、この場所に“戻ろう”としていたのだ。
部屋番号を、名前を、そしてそこにあった記憶を。
俺は引っ越しを決めた。
あの部屋が、どこに通じているのかは、もう知りたくなかった。
でも、最後にもう一度だけ、203号室のドアの前に立った。
プレートの文字は、夜露に濡れて曇っていた。
そしてその下に、別のプレートが見えた。
剥がれかけた、古い金属製の札。
そこには、こう刻まれていた。
「201号室 佐藤みゆき(事故死)」
それだけだった。
―――――――――――――――――――――――
あとがき
第25話『このアパートには、三番目の部屋がない』をお読みいただきありがとうございました。
今回は、建物の中の“存在しないはずの部屋”をモチーフにした、静かな恐怖を描きました。
人は、なかったことにしてしまった記憶や出来事を、いつか思い出さずにはいられない。
次回は『第26話:真夜中のエレベーターは、地下四階に止まる』を予定しています。
どうぞお楽しみに。
―――――――――――――――――――――――
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